表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/7

第五章 混乱

厳しさを増す王都攻撃。

それを背後から撹乱する影の動きがあった。

 1


「なんとまぁ~見事に首を射抜かれているわねぇ~」

 赤い仮面に黒マント体に、赤い皮の甲冑を身に付けた女性が夜明け近くになろうかとする草原にゴロンと横たわる男を見下ろす。首を矢で射抜かれた男の首元には、ローデンマイツ配下の印である刺青が入っていた。

「ふ~ん。こいつ等もあの龍の鱗使いに鍛えられた奴等なのに、アッサリとやってるじゃないの。」

 赤い仮面の目線を周囲の草原に向けると累々と同じように弓矢で射抜かれた男達が横たわっている。。

「変だね…まるで、ここに呼び込まれているように集まってるね…」

 このローデンマイツ配下の斥候は、通常はバラバラに動く。決して、同じような動きでの死に方など好まない。そう仕込まれている。それが、なぜか草原のある一箇所に集中している様に赤い仮面を被った女は思った。

「罠?」

 と思った瞬間、空を裂く矢の音が仮面の女に一直線に飛んできた。ヒラリと苦もなく女は避けた。と言うより、矢が飛ぶ軌道を曲げた様に見えた。

 避けた仮面の女は、上空を素早く仰いだ。ブオと空気の音が重なるように無数の矢が孤を描いて、仮面の女目掛けて襲い掛かる。

 ドドと鈍い音を立てて、無数の矢が草原の地面に突き刺さった。

 が、なぜか一本も仮面の女性を中心として、円を描くように地面に突き刺さっていなかった。まるで、射られた矢が仮面の女性を避けるように。

 仮面の女性は、一歩もその場から動いていない。

 放たれた矢は、全て仮面の女性を狙っている軌道であった。

「どうやら…私もあんたらの罠に嵌った見たいね。」

 その仮面の女性の口調からすると笑っているかの様に聞こえる。

 とゆらりと草原の草が吹いたのかと思うと複数の黒い人影が仮面の女を取り囲むかのように突如として現れた。

「紅の蜘蛛ログナ…お前がこんな辺境の地にいるとは思わんなんだった。」

「おじじ様!」

「おじじ様!」

 取り囲んだ人影が口々に言う。すると、その取り囲む人影の中から左手に煙を発する鎖に繋がれた香炉を揺らしながら、腰を曲げた黒尽くめの男が、仮面の女に近づくように進み出た。顔も黒尽くめではあるが、目と鼻の周辺は露出している。その目鼻立ちから相当の年配者であるようだった。

「ふーん。あんたらが噂の『黒き傭兵』って奴らなのね。初めて見たわ。それにその手に持ってるのって『誘いの香』だよね。この辺じゃそんな物騒な物持ってると思わなかったわ。」

 黒いマントを上に跳ね上げ、右腕を表に出すと、自分の下に横たわる兵士の遺体の兜に足で踏みつけながら仮面の女は、愉快そうに言った。

「『誘いの香』を見破るとは、こっちも思っておらんじゃった。歯応えのある斥候をローデンマイツも送り込んで来たのう」

 揺れる香炉を止め進み出た年配の黒尽くめの老人も嬉しそうに返す。

「それも北方にて名を馳せた『紅の蜘蛛』の異名を持つログナにここに出会わせるとはおもわなんだった。」

 と黒尽くめの老人が香炉を懐に入れたと同時に左手より、月光に光る白刃の短剣を下から仮面の女に投げつけた。

 その白刃は空を裂き避ける暇もなく、あっと言う間に赤い仮面を貫いたかに思えた。しかし、短剣は鋭い空を切る音を立て仮面の女の背後にすり抜けて言った。しかも、一歩も女は動く事がなくそのままの格好でいた。

「一筋縄ではいかんようだな。」

 交わされた黒尽くめの老人は、動じる事もなく、仮面の女にだけではなく、周囲の人影にも諭すように言う。

「なかなかの奇襲攻撃だけど…私には通じないわよ。」

「まぁ、そのようじゃの。」

「こっちとしては、一々、あんたらに関わっていられないんだけど、簡単に通してくれそうもないわね。」

 ブワと突然、仮面の女が宙を飛ぶと後方にも取り囲んでいた人影の後ろに着地した。と、着地と同時に全身を包む黒いマントを両手で勢い良く広げるとマントから強風が呼び起こされた。その瞬間、その強風に当たった黒尽くめ人影が、悶絶するようにバタバタと倒れた。

「相手は、北方でも名が知れた『紅の蜘蛛』なる女だぞ、侮るな!」

 黒尽くめの老人が叱咤した。

「ふふ。楽しませてくれるかしら?」

 不敵な口調で手に持つ弓矢を引き構える黒尽くめ人影の一団。一斉に真っ赤な仮面の女に向けて矢が放たれる。

 が、その全ての矢が左右に仮面の女を避けるように反対側へ流れ消え去った。

「散れ!」

 黒尽くめの老人が、人影達に両手で指示を出した。比較的見渡しやすい草原の中で黒尽くめの人影が一斉に消え去った。

「無理して、お主を仕留める必要もないのでな。相手は、わしがしようぞ。」

 と真っ赤な仮面の女に対峙するように黒尽くめの老人が言う。

「へぇ~てっきりあんたらの頭が出てくるかと思ったんだけど。」

 とマントを調え、全身を隠しながら仮面の女は、退屈な口調で答える。

「まぁ~この老いぼれとじゃれてもらえればいいんじゃよ。」

 そう黒尽くめの老人が言葉を言い終わったか、言い終わらないかの瞬間、ログナが、駆け出し、ポンと軽く宙に舞い、マントを一気に広げた。

 その動きに合わせる様に強風が、巻き起こり、草原が強風の轟音が響き渡る。

 その強風に対し、黒尽くめの老人は背を屈めた。

 とその屈めた老人を中心に竜巻のような煙が巻き上がった。それにログナは、一瞬にして取り込まれる。強風が当たり一面に吹き去り、煙が周囲を包んだかと思うと、カランと真っ赤な仮面が草原の地面に落ちた。

「ほう。素顔は、なかなかの美人じゃの。」

 と屈んでいた黒尽くめの老人がゆっくりと立ち上がった。

 すると煙がゆっくりと薄らいでいく。

 対峙すかのように青い目に金髪の白い肌と目鼻立ちが、整った美女の部類に入る女が立っていた。ただ、異様だったのが、彼女の周囲を中心に透明な糸の様な物が水滴を滴りながら張り巡らされている事であった。

「そのあんたの周りにある糸…否…蜘蛛の糸こそが、狙われる矢を逸らさせ、あんたを『紅の蜘蛛』の異名の元にした物であろう。。違うかね。おまけにその蜘蛛の糸には、人を一瞬で殺せる毒まである」

 黒尽くめの老人は、懐に右手を入れると再度、香炉を取り出した。

「ふ~ん。吹き出た煙って、水蒸気を含んでたのね。今までこの毒蜘蛛の糸を見破ったのは、そんなにいないけど…」

 するとワサワサとマントから無数の蜘蛛が這い出てくる。その出てくる蜘蛛達を見ると女は、微笑みを浮かべ、右手に数匹の掌大の蜘蛛を這わせ、指先に来た蜘蛛を眺める。

「どう。可愛いでしょ。」

 その美しい表情に良く似合うようにその毒蜘蛛たちは見えた。

「『紅の蜘蛛』の正体は、そのガバラドの蜘蛛使いと言う事か。」

 ガバラドは、北方の山奥に生息する猛毒を糸に染み込ませる生態を持つ猛毒蜘蛛である。社会性はあるが、蟲使いの中でも扱い難いと言われる。

 黒尽くめの老人は、左手に持つ香炉を開き、右手に何かを入れた。

「でも、正体が解っても逃げれないでしょ。お仲間も全て、このガバラドの蜘蛛の糸の罠から逃げ出せないわよ。」

 ゆっくりと歩きながら、水蒸気によって濡れ月光の反射により、浮き出るように見える毒蜘蛛の糸を眺めながら紅の蜘蛛ログナは、不敵な笑みを浮かべ自分の能力に溺れるかの如く言った。

 実際、黒尽くめの老人の周囲にも離れた位置にも複雑に入り組まれた、毒蜘蛛の糸が張り巡らされていた。これに触れれば、人は一瞬で命を奪われる猛毒がガラドバの毒である。

 紅の蜘蛛ログナは、特殊な体質であるのか、その蜘蛛を飼いならす事が出来るのであろう糸に易々と触れながらも卒倒する事もない。

「まぁ~わしらは、旦那には情報をローデンマイツに流さん事を第一に指示されておってのう。悪いが、お主には、しばらくここに止まってもらうぞ。」

 と老人が言うと左手にある香炉を再び振り出した。ゆらりとゆらりと香炉から煙が立ち昇る。その行動に、一瞬、ログナは、怪訝な顔をした。

 煙が立ち昇ってから彼女の蜘蛛達がおかしい動きを始めたのだ。

「?何をした。」

 ログナの顔に初めて、不快な表情が浮かんだ。彼女に飼われていた猛毒蜘蛛ガバラド達が、ザワザワと蠢き、彼女に糸を巻きつけ始めたのである。

「すまんのう。手の内を知られた者は、その瞬間から不利になるもんじゃよ。」

 目元を緩ませ黒尽くめの老人は、ログナに向かって言った。

「この香炉から出る煙は、蜘蛛の感覚を狂わせる香りの成分を持っておってな。今のお主が飼っている蜘蛛は、お主を餌として思っておる。」

「なっ!」

「安心しておれ、そのガバドラの蜘蛛は、捕縛しても数日は、捕まえて置く生態がある。直ぐには、食べたりせんよ。香の効き目が切れる前にお前さんを食う事はないて、と…そんな事は、知っておるかな。」

 と縛り上げられるログナを見つつ、老人は笑って言った。

「わしゃ、女子供は、殺さない主義でな」

 と言い去ると香炉を懐に収め、ふわりと風と共にログナの前から姿を消した。

 ログナは、黒き傭兵の中に煙を使う者がいることを北にいたとき耳にしたことを蜘蛛の糸に巻かれながら思い出していた。

 しかし、彼女も左掌に一匹の赤い色の小型の蜘蛛を出した。その蜘蛛は、下部の腹から糸を出し、草原のそよぐ風に乗って、ふわりと上空に飛んでいった。


 2


 日が昇り、ギリアーヌは本格的に北城壁門に破壊された破城槌の修繕に取り掛かった。まずは、彼の援軍要請で本国より救援に来た長盾部隊を修繕作業防御の為に大量に城門下に集結させ、その効果を確認する事にした。

 特別に編成された長盾部隊を破城槌に配置し、同部隊には長盾を頭に掲げるように指示をした。

 その行軍してやってくる長盾部隊に対して、テリキシア王国側も当然、煮えたぎる油を慌てて、注ぎだした。が、長盾の銅と鉄による頑強に強化された盾は、確実に油を弾き、その油を利用したテリキシア側の引火攻撃も不発に終わるような物になることが確認出来た。

「よし、修繕資材を運び込み、破城槌を修繕しろ。長盾部隊は、順次、交代で配置。その間、敵攻撃を分散させる為に梯子攻撃と弓矢による攻撃を北城門に集中させろ。相手の戦力を削ぎ落とすのだ。」

 ギリアーヌの采配である為なのか、帝国軍兵士の士気が一気に上がったようだった。迅速な援軍要請に合わせて、効果的に戦力を投下させる事で、兵士にも指揮官への信頼が上がってきたのであろう。

 小高い丘陵の天幕から前線にて指揮を取るキリアーヌを望遠鏡で眺め、皇太子ユーリアは、彼、ギリアーヌ将軍として武人の力量は認めていた。

 ただ、実直過ぎるところが気に食わなかった。

「ギリアーヌも水を得た魚のようだ。」

 と天幕から望遠鏡越しに彼は、嫌味っぽく言った。

「ローデンマイツ。わが軍に潜んでいる者どもは、どうだ。」

 皇太子ユーリアの膝元に片膝を付いたローデンマイツに望遠鏡を覗きながら問い詰めた。

「近辺の山奥で数十体の遺体を発見いたしました。身元からしますとローゼン男爵閣下の領内の者のようです。それらの者が、入れ替わりに帝国兵士に成りすましてるかと。しかるに…」

「しかるに?」

 ローデンマイツの最後の言葉に皇太子ユーリアは、何が言いたいか解っていたが聞き返して見た。

「ローゼン男爵の部隊を北城門攻撃から下げるべきかと。」

「それをギリアーヌに指示しろと?」

 手に持っていた望遠鏡を乱暴に付き従う従者に渡すとローデンマイツを横目に天幕前に用意されていた椅子に座った。実際に、ローゼン男爵領内の者に入れ替わって、帝国兵士に成り済ましているとすると北城壁門での破城槌修繕作業に何らかの妨害工作がある可能性は高い。

 しかし、問題はギリアーヌに指示するにしても勇猛果敢なローゼン男爵が前線から行き成り下げられるとなると諸侯の不満が爆発しかねない。ましてや、帝国兵士の士気が大いに下がりかねない。かと言って、理由を付けて合議に上げて決めると敵兵は潜入している事が公になり、諸侯の間で猜疑心が生まれる。

 どんな方法を取ったとしてもこの状況では、自軍の兵力を切り崩す事は出来ない。ユーリアにとって、予想外の展開になりつつあった。

「下げられん。ギリアーヌにも指示を出すにしても合議で諸侯の意見をまとめておく必要がある。まして、勇猛果敢で有名なローゼン男爵に潜伏兵士がいることをで汚名を着せれば、それこそ諸侯に皇帝陛下への不審を与えかねん。領民の遺体が出た事だけでは、簡単に下げれん。」

 とローデンマイツに言って見たが、言った相手がそんな事を解っていないわけながない。

「私目がローゼン男爵に付き従う事を指示して頂ければ、それで構いません。潜伏しているであろう敵兵を炙り出せるかもしれません。それには…」

「それには?なんだ?」

 ローデンマイツが何を求めているのか、解らなかった。

「ローゼン男爵に私が、副官になる事を推して頂きたく思います。」

「副官だと?」

 爵位の指揮官に対して、皇太子自身が副官を指名する事は、不文律的にしてはならぬことであった。と言うのも副官職は、帝国内にて与えられた爵位者の領内での権限であったからであった。それを破るとなると、それは面倒な事になり売ることであった。

 ユーリアは、座った椅子に深く腰掛け、やや考え込んだ。

「それで、副官の職に押したとして、戦功は上がるのだろうな。」

「御意。」

 ユーリアは、ローデンマイツを睨み付けた。

 その日の日が上りきる前にローゼン男爵にローデンマイツを副官にする旨の下知が下った。


 3


 ローゼン男爵配下の部隊では、皇太子よりの副官職変更の下知により、ちょっとした混乱はあったが、副官そのものが老齢であった事もあり、ローゼン男爵もローデンマイツの就任に異議は挟まなかった。

 ただ、このローデンマイツの副官就任で苦々しい表情で二人の兵士が見ていた。

 モッグとナッチョの二名である。

「ローデンマイツの奴。えらく大胆な手に出てきたな…」

 地面に唾を吐き、不機嫌に言った。近くに忌々しい奴がいるとなると潜り込ませた手下どもを動かし難いのだ。

「うーん。長盾部隊の影響で、俺がやった破城槌の破壊も上手い事修繕されてるしなぁ~。」

 鼻糞を穿りながらモッグが横目で長盾部隊を見ながら思案の為所と言わんばかりに言う。今回、最優先の工作は、バミリア伯爵率いる商人兵団二万人が王都に帰還するまで、あのデッカイ破城槌を使い物にならないようにしておくこと。

 雑兵の報告では、明日の朝には、王都にはバミリア伯爵率いる商人兵団が帰還すると情報が持たされていた。

「この速さじゃ、今日の夕刻には修繕完了しそうなんだよなぁ~」

 取れた鼻糞をピンと弾き、城壁に掛ける梯子を持って、反対側を持つナッチョに向かって顔こそ向けないが言った。

「と言っても~あの馬上から監視中のローデンマイツの目をどう背けるかだな。

 それとどう破城槌の修繕を遅らせるかだな。」

「うーん。元は、近くまで行けるこのローゼン男爵配下を混乱させて、その間隙を突いて破城槌を更に破壊する作戦だったからなぁ~。」

 ローデンマイツのローゼン男爵配下に入ってくると言うのは、工作活動には面倒な件であることは、確かで下手すれば、潜伏させている手下が発見される可能性も高い。


「弓矢打ち方始めー!」

 後方で弓矢部隊が北城門へ向け、弓矢の攻撃を連続して始める掛け声が上がった。いよいよ、本格的な北門攻撃が始まろうとしていた。

 ローゼン男爵の梯子攻撃部隊も城壁に向かって、果敢に次々に突っ込んでいく。

「ちっ!始まっちゃったぜ。」

 と舌打ちしてナッチョは、梯子の片方を持って城壁へ駆け出して始めた。それに合わせる様にモッグも走り出す。

「旦那は、どうしてるんかいな?とんと連絡ないけどなぁ~。」

「さぁ~ね。旦那の考えている事は、俺らには解らんよ。」

 まぁ~確かにそうだとモッグも思った。兎に角、上手い別のローデンマイツを』出し抜く方法を考える必要がある事は確かだった。


 4


 謁見の間で倒れてから目覚めてから、メアリ公爵は、直ぐに甲冑を装備し、王都城壁北門へ向かった。日は既に昇り始め、夜は明けようとしていた中で、単発的に行われていた北門に鎮座する破壊された破城槌の修繕作業を順次撃退した旨などの報告を受け実際の北門上部に向かった。

 北城壁門上部から帝国軍の長盾部隊が整然と並んでいるのを見て愕然とした。

 何時の間にあのような部隊が来たのか…ショックを隠せなかった。

 そのショックは、それらの部隊の行動の意味する事で、更に増幅する事となった。今まで功を奏していた北城門上部からの油攻撃が一切通じなくなっていたからである。北城門下では、自壊した破城槌が確実に修繕資材が運ばれ、着々と修繕作業が進んでいる。

 どうそれを阻止するべきか…あの長盾部隊の強固な防御は、油と引火方式では無力だった。

「あの黒い男達を信じるしかないのか。。」

 メアリは、兎に角、北城門下への油攻撃は、継続させつつも、先ほどから定期的に始まった弓矢攻撃に備えつつ、梯子で登ってくる帝国兵対策を定石通りにやるしかなかった。

 ただ、敵帝国側もどこか足枷があるのか、北城壁門攻撃に集中しているのは、ある意味助かっていた。ただでさえ少ない兵力を分散させる必要がないからでもあった。

「このままでは…」

 北城壁門上で左右に走りながら指示を出しつつも、常にジリ貧になっていく経過が見えてしょうがなかった。明日には、バミリア伯爵と商人兵団二万が王都に帰還するとの報が入ってきていた。そこまで持つかどうかが、目下の山場ともメアリにとっては確かだった。

「ご心配なく…」

 とふと耳元に囁かれた気がメアリはした。それは、明らかに聞き覚えのある声であった。振り返って見たが、誰もその言葉を囁いたような者は移送になかった。

 しかし、その言葉を聞き、なぜかメアリは、心から安心感を感じた。

「どこにいるのだ?」

 振り返りメアリは、耳元の囁きに問いかけた。

「バミリア伯爵閣下は、明日には帰還されます。それまでは、わたくしどもが、足止め致します。気を焦らず。」

 メアリは、姿なき声の主が誰かハッキリとわかったバミリアに付き従う、黒い服に身を固めた何時も目隠しをした男。名は確か、コパル。

「今、ここにいる者にとってメアリ公爵閣下は、精神的支柱です。ここで焦れば、下々にまで伝播いたしましょう。焦らず。堂々と。」

 と姿がなき声は、囁くようにメアリに優しく諭した。

 その通りだった。今、この場でメアリ自身が焦った姿を見せては、動揺が広がる。今は、出来る事をやるのだ。

 耳元に囁かれた言葉に心の平常心が戻ってきたようにメアリには感じた。

 まずは、北門城壁に集中的に攻めてくる帝国兵に対して、集中的に対抗する必要があった。

「余裕があるものは、北門城壁を登ってくるものを叩き落せ!」

 メアリは、ありったけの声で叫んだ。


 5


「さてさて、苦労してるようだなモッグとナッチョ」

 と梯子を持って突き進むモッグとナッチョの耳元に声が聞こえてきた。聞き覚えのある声である。

「旦那ですかい!」

 モッグが声を上げた。

「遠声の術ですか?お人が悪い。」

 耳元に囁き声に皮肉っぽく言うナッチョに微笑みが出ていた。

「後ろにローデンマイツが、なぜか控えてましてね。」

 モッグが前方の城壁を見ながら言う。かなり、長い梯子を持って、全力で駆け寄り、一気に城壁に梯子を立てかけた。

「見えてる。そっちの件は、私が目を向けさせよう。モッグとナッチョは、混乱を起こして、北城壁門にいるバケモンをもう少し、使えなくしてくれればいい。」

 耳元での囁きにコクリと二人は頷いた。

「ローデンマイツをさっさと始末したらどうです?」

 とナッチョが囁き声の主に問いて見た。

「時期がきたらな。奴がまだ帝国側にいる方が都合がいいからな。」

 その返答に額を分が悪そうにボリボリと掻き、モッグを横目に見ると鼻を穿っていた。

「おまえなぁ~」

 と呆れるナッチョを横目にチラリと見ると一言言った。

「旦那の考えは、わからんからねぇ~」

 とウィンクしてモッグは答えた。

「おいナッチョ!良い事を思いついた。梯子を右に倒すぜ」

「はぁ?」

 と突然にモッグが言い出した提案になにを思いついたのか解らないが、兎に角、城壁に沿うように立てた梯子をそれに飛び移る帝国兵諸とも右側に一気に倒した。

 自分らの梯子には、既に十人程が上り始めていたが、全て奇声を上げた叩き落ちた。

 それに加えて、右に倒した梯子がその右横にある梯子を巻き込み次々に、横に整然と立て掛けられた梯子を巻き込んでいく。ある意味、訓練された梯子の立て掛けが仇になるように次々にた倒れていく。

 それにより、ローゼン男爵配下の梯子突撃部隊は、現場で大混乱となってきた。

「何事ぞ!」

 ローゼン男爵がその醜態を見て、馬上から叫んだ。

「ローゼン男爵。これは、罠です。素早く、体制を立て直すように部隊長に命令を出してください。私目が、原因の現場に向かいます。」

 と言い残し、ローデンマイツは、馬の腹を蹴り、馬頭を一番初めに梯子を倒した所に突き進んだ。腰から金属音を立て、剣を引き抜く。

 ローデンマイツには、ハッキリと見えていた。梯子を意図的に倒し、次々と巻き込んでいく元凶が。そこに忌々しい『黒き傭兵』の一味がいるはずだ。

 更に馬の腹を蹴り、馬を急き立てた時、急に馬が前足を挙げ、仰け反る様にひっくり返った。ローデンマイツは、その事態に焦ることなく、馬上から素早く身を捻らせて降り立った。

 馬は、白目を剥き、痙攣をしながら泡を吹いていた。

 近くでチャリンとの金属の響きが聞こえた。その瞬間、青白い閃光が地面をバリバリと高い音を響かせながら、這ってローデンマイツに襲い掛かった。咄嗟に、ローデンマイツは、その青白い光を横に飛び回避したが、その青白い閃光は彼の少し後方で更に大きくなり、強烈な爆風を生み出し、消滅した。

「こ…これは…見覚えがあるぞ!」

 怒気を滲ませた表情を見せるローデンマイツが、口に入った砂を吐き捨てながら立ち上がり、怨念をぶつけるかの如く、吐き捨てるように言った。

「雷撃のコパルだな!どこだ!忌々しい黒き傭兵の頭目め!」

 周囲は、青白い閃光の爆発によって、砂が舞っており視界が悪い。しかし、怒気のこもったローデンマイツの言葉に誘われたのか、砂埃から黒い人影が出てきた。黒い毛皮の帽子に黒い目隠しに黒い上下の体に密着した服。黒き傭兵の頭でもあるコパルであった。

「こうして顔を見合わせるのは、何年ぶりかな。龍の鱗使いのローデンマイツくん。」

 と姿を見せたコパルが、ローデンマイツに腕を組んだ状態で言った。口調は、親しき友人にでも会うかのように。

「まさか、こんなところでお前にまた会うとはな。実に不愉快だ。」

 砂埃で汚れた顔でローデンマイツは、怒気をあからさまに含めて言った。

「まぁ~そういうな。これも何かの悪縁だろう。決着は、後でつけてやるさ。嫌ならさっさとこの戦から身を引け」

 目隠しされた奥から殺意ではないが冷徹な眼光が垣間見える。ローデンマイツもそれに対抗するかのごとく、怒気を含めた鋭く殺気に満ちた険しい表情で対峙する。

「いいだろう。ローデンマイツ。しかし、決着つけるのはもう少し後だ。北方から続く英雄戦争以来の悪縁を断ち切ってやるよ。」

 と言い残すとコパルは、薄れ行く砂埃と一緒に姿を消した。

 それに無言のまま、再度、口に入った砂埃を唾に含めて地面に吐き、引き抜いた剣を鞘に収め、大混乱化し始めたローゼン男爵の部隊へ歩み寄っていった。


 6


 北城壁門周辺は、大混乱に陥っていた。もとは言えば、モッグが城壁に掲げられた梯子を無理矢理引き倒したからでもあるが。

 倒れる梯子周辺に帝国兵士は、待機していた事もあり、梯子が引き倒され上から転げ落ちてくる帝国兵士が待機する兵士に降りかかる様になり、騒然となっていた。それにあわせ、テルキシア城壁上部から弓矢の攻撃が慌てふためく兵士に追い討ちを掛けていた。

 ローゼン男爵配下の各部隊の部隊長が、混乱する部隊を立て直すように指示を出したが、思うように下部の兵士にまで通らず騒然とした混乱状態が続いた。

 その横では、それに引きずられる様に長盾部隊も隊列に混乱する帝国兵士が雪崩込み破城槌の修繕防御体制に支障が出てきていた。

 長盾部隊の司令官でもあるベレド将軍もこの混乱状況に溜まらず、ギリアーヌ将軍に体制建て直しの北城壁門からの一時撤退を進言する使者を送った。

 北城壁門上部からの油攻撃が思いのほか激しかったからで、四半刻(約十五分)もすれば、長盾が熱せられ支える屈強な担当する帝国兵士が耐えられず、効率的タイミングで交代できない状況だからである。銅と鉄に包まれた頑強な盾の重さは、非常に重く、ただでさえ上に抱えるだけでも相当な重労働になる。そこに熱が加算されるのだから担当する兵士にとってみれば、持続させるにも限界があるのだ。

 北城壁門付近では、混乱で土ぼこりが舞い起こっているのが、皇太子が眺める丘陵からも見えるほどだった。

「どうした事だ!」

 舌打ちして皇太子が立ち上がり、叫んだ。

 周囲に広がる混乱は、徐々に北城壁門周囲を取り囲む帝国軍全体に動揺を起こしているようだった。

 そこに来て誰かが、叫んだ言葉が更に混乱から混乱を生む物となった。

「帝国兵士に不審な奴が紛れ込んでるぞ!首元に十字の蛇が巻き付いている刺青をしている奴だ!」

 この声に周囲は、一気に混乱の中、騒然となり、帝国兵士同士で猜疑心が充満しだした。この声元は、ナッチョだった。

 これに舌打ちをして、聞いたのがローデンマイツだった。十字に蛇が絡みつく刺青と言うのは、自分の配下にいる『雲隠れ傭兵』の一員を証明する印だったからだ。人の猜疑心は、この混乱の中では、止める事が出来なくなるからだ。

「ここにいるぞ!」

 一人の帝国兵が、頭を後ろに引っ張られ、混乱する北門の帝国軍兵士の前に突き出された。首元に十字架に蛇が絡みつく刺青が見えた。

「ここにもいるぞ!」

 とあちこちで首に十字架の蛇を持っている帝国兵が混乱する中、突き出される。

「違う!我らは、ローデンマイツ配下の…」

 と弁明を述べる者もいるが、下級の兵士にまでローデンマイツの名前など伝わっているわけではなく、周囲は、混乱から内部に潜伏している十字架に蛇を巻きついている刺青を彫られた兵士探しに発展しつつあった。

 それを拍車を掛けているのが、ローデンマイツが副官となった事を伝えるべき下士官を混乱に乗じて、ナッチョとモッグの二人の手下が、背後から襲い掛かり、次々に殺害しているからでもあった。


 その手の付けられないくらいの状況下、ギリアーヌは、ペレド将軍からの使者から北城壁門からの一時撤退要請を受け、北門で起こっている大混乱に対して、しばらく思案した。

 ここで一時的な体制建て直しとは言え、撤退すれば破城槌修繕が大幅に遅れかねなかったからだ。皇太子殿下からのローゼン男爵の副官にローデンマイツが付いた事にも驚いたが、それがこの混乱の原因なのかわからない。

 ペレド将軍からの使者の直ぐ後、部下から帝国内部に潜伏者がいるとの報告が入ってきた。内容は、明らかにローデンマイツ配下の者であることは、解ったが、混乱に次ぐ混乱で北城壁門周辺では、その潜伏者が混乱を引き起こしているとまでなっていた。状況は、悪化の一途を辿っているのは、目に見えて解っていた。

「北城壁門から一旦、退却の合図を出せ。」

 苦々しい思いでギリアーヌは、部下に指示を出した。これで、更に王都攻略に時間が掛かってしまうだろう。どうも今回の戦は、不明な要因が多すぎる。

 ともかく、体制建て直しを一刻も早く行う必要とこの失態をローゼン男爵、いや、副官就任したローデンマイツに聞かなくてはならない。

 場合によっては、厳しく処罰する必要がある。


 7


 帝国軍の退却の合図であるラッパ音が城壁に反響するようにして鳴り響いた。その時、一斉にテルキシア王都北城壁にいた者が、勝鬨を上げた。

 一時は、敵の長盾部隊による油攻撃も通じず、弓矢による攻撃も弾きかされ、もはや北城門の破城槌修繕完了による門の破壊も時間の問題でしかなかった。

 それが、またもや帝国軍側の自分達から勝手に混乱をきたし始め、長盾部隊の人員交代が上手くいかなくなり始めた。そこへ、退却合図のラッパである。

 メリアには、何がなんだか解らなかったが、ともかく、北城門破壊の引き伸ばしだけではなく、一時的に阻止するだけでも助かった。

「コパル達がしてくれたのかしら…」

 北門城壁から混乱した状態で撤退する帝国軍を眺めメアリは口にした。あの耳からの囁きは、決して思い過ごしとかではなかったのだ。

 これで更に時間の引き延ばしは、出来たはずである。後は、一刻も早くバミリア伯爵率いる兵団が帰還をしてくれれば、情勢の劣勢は必ず変る。

 メリアは、一時期の撤退に喜ぶ雇われ傭兵達に、すぐさま次の攻撃に備えるように指示を出した。

 しかし、今回の帝国軍側の破城槌の自壊といい、今回の帝国軍の混乱具合といい、内部的な組織に不協和音を見透かす事が出来る。

 元々は、北方中央部にあったロステリアン公国が何百年と群雄割拠する北方中原にて大帝国を築く過程で、徹底した武力制圧と計略で領土を広げてきた。故に辺境各地では、不平不満も多く抱えていると聞く。また、大国ゆえに隣接する国も多い。その大国でテリシキア王国は、比較的長く友好関係であった方だった。ただ、先々代のロステリアン帝国皇帝との間で争いが絶えなくなってきていた。しかし、昨今のテリキシア侵攻の大きな理由は、ロステリアン帝国の更に北に起きた英雄戦争が遠因になっているとも聞くが、詳しくはメアリにも商公爵家の誰も解らなかった。強いて侵攻理由を正当化するとすれば、南に出る地政学的理由と考える方が現実的ではある。

 ただ、ならば平和的にテリキシア王国側は、考える事は十分にあったのである。特に、メリア自身もどちらかと言うと、帝国に編入する事すら否とはしない考えであった。

 だが、帝国側の政治思想や軍事的行動に対して、とてもテリキシア王国の商公爵家や領民のためになるような事はないと今までの戦いで改めた。自由という気風を重んじるテルキシア王国とは、相成れないのである。

 そういう意味でもメアリは、この防衛戦に大きな意味を見出していた。

 自由を守る。それが、今や彼女の戦う意義であり、大義となっていた。

「次の攻撃に備えるように至急に整えて!」

 疲れがピークに達しているのは、解っている。ただ、ここは一刻も早く次に備える時なのだ。とその時、彼女の足元に黒尽くめの男が、いつの間にか影のように膝間付いていたのに気づいた。

「バミリア伯爵閣下が、アーリア運河を溯上して、王都から二十里(約二十キロ)の地点に本日夕刻には、上陸致します。」

 とメアリに伝えると黒尽くめの人影は、風のように影から影に溶け込むように消えていった。そのあっという間のことに、メアリは一瞬、呆然としたが、遂に吉報が持たされたのである。

誤字脱字がありましたらご指摘下さい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ