第二章 グフォン港
謀反の疑いで出向いたバミリア伯爵が、グフォン港の港町で見たものは。
1
これまで三度、グフォン港へ向かったバミリア伯爵へ使者を出した。それも国でも一・二を争う馬と使者を出した。にも拘らず、返答がない。
出兵した日から二日経ってはいるが、バミリア伯爵の行軍に使者なら1日もすれば追いつき、昨日の夜には返答があるはずである。それが今だに音沙汰がない。
「おかしい。。」
蓄えた顎の白髭をなでながらローレン公爵は、王都の南口から大挙して逃げ出す領民を眺めながら呟いた。
ロステリアン帝国軍の軍勢は、主に王都の北門側を攻撃しており、自然の障害壁である東西に険しく切り立った山峰のお陰で、王都が完全に包囲されている状況ではなかった。
と言っても、帝国軍は、その険しい山峰をその大挙で押し寄せた軍勢の一部を乗り越えさせて、王都の南側へ回りこませようとしている報は、既にローレン公爵だけではなく、商公爵家にも国王にも入っている。
昨夜も帝国側の猛攻は、続き、ついに王都の北側のアーテリア運河に続く堀以外は、殆ど埋め立てられてしまった。炎上した西城壁の守備塔は、完全に燃え落ち、城壁本体も度重なる投石器の攻撃より、大きく崩れ落ちている。まだ、辛うじて、兵の進入を直接許すまではない状態であるが。
ただ、それが突き破られるのも時間の問題であろう。
今、正に北門が帝国軍の攻撃を直接受けている。
テルキシア王都の北門の攻撃は、今朝早くから始まり、こちらの焼けた油などで応戦してはいるが、圧倒的兵力差により、撃退効果を示していない。
国王は、南門の開城を今朝のうちに指示を出した。領民が混乱し始め、逃げ出そうと南門に大挙し始めたからだ。
今までは、いかなる大軍で押し寄せようとも王都の城壁を乗り越えて、野蛮極まりない北方民族が王都内部に入り込む事はなかった。当然、領民もそれを知っており、難攻不落のテルキシア王都の城壁内は、今回も安全と思っていた。
しかし、昨日の西城壁の守備塔が炎上したるに及び、事態がおかしい事に危機を感じ始めた王都内の領民がパニック状態になり、ついに南門開城を要求するまでに至った。
荷車に持てる家財一式を積み逃げる領民。アーテリア運河の王都内にある港に停泊している商船には、これでもかと領民と荷物が積み込まれ、南門横からゆっくりと出航している。
中には逃げ出す傭兵の姿もチラホラ見える。
「ふん。高い金を払っておるのだぞ。最後まで戦わぬか。。」
商公爵家ファッツオ邸のバルコニーから逃げ惑う領民に混じって、逃げる傭兵に向かって力なくローレン公爵は言った。それに続き。。
「。。命あっての事だからの。。」
ローレン・フォッツオ公爵には、そもそも武人と言う資質はない。そう教えてこられていないのだ。
如何に自然の恵みであるアーテリア運河を管理運営し、交易通過税を徴収し、王都を整備していくかの教育しか受けていないのである。そういう意味では、領民の意識に近いと言えた。出来る事なら財産のあらゆる物を持ち出し、王都から逃げ出したい気分だった。
その無責任な行動に入れないのは、友人でもある国王の心境を察するが故でもあった。彼とは、長きに渡りこの王都の発展とテルキシア王国領内の発展に寄与してきたからで、そう易々と見捨てる気に慣れなかった。とは言え、家族は、既に南の安全な領地に逃がしてはいるが。
そもそもテルキシア王国の三家による合議制度になったのも統治の上でも武・商・統治を分ける事が慣わしであったのだが、何時しか武を司っていたグラハート家が商売に力を入れ始めたのも今回の事態を招いた気がしてならなかった。
現グラハート家の当主ビアンツ公爵は、武人の資質などなく、遊興ばかりにうつつを抜かす有様であり、王都の衛兵育成に関しても分家のバミリア伯爵にまかせっきりだった。ただ、バミリア伯爵が秀でた軍略的才能を持っているのが、奇跡に近かった。
数度の帝国側の侵攻を少ない手勢で、はじき返した手腕は、いくら鉄壁の王都城壁を持っているからとは言えだ。
再度、ローレン公爵は、バルコニーから自分の書斎に戻り、また、南方と取引を幾度とした各国の有力者に援軍の書簡を書く事にした。
昨晩からそれを何十通と書き続け、使者を送り出した。
彼には、今、王都城壁の防備の陣頭指揮を執るほどの才覚はない事は、十分に解っている事だ。出来る事は、縁故を頼りに、援軍を求める事だった。
今、王都城壁の防衛の陣頭指揮を執っているのは、実質的にはメアリ・グローリア公爵であった。と言っても、今までこなしていた商売とは、勝手が違い、時間と共に状況が進展し、それに対しての報告に対応をする程度であり、これと言って、城壁攻撃の帝国側に対して積極的な策を講じて、勢いを止めることなど出来るはずもなかった。
北城壁では、高額で雇い入れた傭兵が右に左に押し寄せる帝国兵に対して、煮えたぎった油を掛け捲り、たいまつをそれに目掛けて投げつけている。
定期的に降り注ぐ、矢の雨に対しては、長盾を掲げ、避けていた。
ただ、連続して叩き込まれる投石器からの投石に対しては、なんの対処もする事が出来ずにいた。
「あの投石器に対して、こちらは何も手立てはないのか!」
声を荒げるメアリ公爵に傭兵達のリーダー格の男が、首を振るだけであった。
この時、バミリアならどのような対処をするか考えたが、どうしても考えがまとまらない。
気が焦るばかりである。
ただ、帝国側も資材が尽きたのか、投石器の投石に火が付けられなくなってきていたのは、幸運だった。
うめき声と油が燃える黒煙臭と血の臭いがメアリに異様な興奮を与えていたが、絶望的な展開しか現状なく、傭兵の士気が下がっているのも解る。
幾らこれ以上、金銭を上乗せしようと彼らの士気は、上がらないのは目に見えて解る。逆に、ここまでやっている事が不思議なくらいだった。
投石器からの投石が地響きを立てる度にビクつくビアンツ・グラハート公爵を横目に国王フイードは、王尺を振り回しながらブツブツと左右を行ったり来たりしながら、この事態の収拾を考えてはいるが、これといった秘策は浮かばない。
事、戦になるとフイード国王は、バミリア伯爵に全てを任せていた。彼にとって、戦などで名声を上げるなど考えは、昔からなく、旧友ローレン公爵と共に平和な代による発展を望む平時には名君と言えるくらいの良き君主であった。
このように言い掛かりに近い内容で、戦を仕掛けられるのは心外でしかなかった。
帝国の穀物などの収穫が悪く、困っているなら通過税を場合によっては、下げても良かったのだ、が、そのような話など一切なかった。聞く事によれば、今年は、穀物の実りも例年になく良いと聞く。国力も圧倒的なくらいの差がある。
確かに、アーテリア川を含むテリキシア王国領は、帝国側にすれば、南方に出るにはもっとも有効な地ではある。それ故に、昔からこの地は、狙われていたのは解る。とは言え、別に話し合いの場を設けてもらえば、軍の通過を考えても良かったのだ。
テリキシア王国と商公爵家さえ、安堵の約束さえしてもらえば。
そんな事を昨晩からグルグルと考え、打つ手もこれとなく、謁見の間を左に右にウロウロとするばかりである。その度に、投石器からの投石の着地の地響きが響くとビアンツ公爵がビクついた。
商公爵家の中でも武を司るべき男が、なぜこのひ弱な男なのか国王の苛立ちを増幅させていた。この若い公爵も先代の父に負けず劣らずの無能であると心で呟いた。
この男の父も財産を食い潰すだけの道楽者で、商公爵家の中でも実に問題の種であった。
ローレンと共に彼が国王になる前に、何時も大事になる前に尻拭いをしていた物である。
その血が見事なまでに息子にまで引き継がれるとは。
この男が遠い自分の血縁者とは、到底思いたくなかったが、このどうにもならぬ様な状況下では所詮、同族なのかとも思い知ったりした。
ともかく、役立たずのビアンツよりもバミリアに、モーツリア家の謀反も気になるところだが、今直ぐにでも王都に帰途してもらいたかった。
2
テリキシア王都より南に六十里(約六十キロ)地点で一頭の馬と惨殺された遺体をナッチョが平原の生い茂った草むらで見つけた。
「こりゃ、テリキシアからの使者じゃねか?書簡は、奪われているな。」
ひょろっとした体格で黒尽くめの男ナッチョが、向かい合った中肉中背のこれまた黒尽くめの男に対して言った。
「だな。。切り口からするとそこそこの腕がある奴だ。首の動脈を馬上から切り下げてやがる。」
「モッグ。どうする?旦那に知らせるか?」
どうやら小太りの黒尽くめの男は、モッグというらしい。腕を組んだまま、惨殺死体を見下ろし、しばらくすると人差し指と親指でパチンと鳴らした。
すると生い茂った草の中から同じように黒尽くめの男が出てきた。
「へい。」
男は、モッグの横に膝間着き、軽く返答した。
「この事をバミリア伯爵閣下と同行してる旦那に伝えてくれ。後、多分、他の伝令も同じようにやられているかもしれねぇ。雑兵に探させて、書簡などあったら直ぐに、旦那に送るんだ。いいな。」
膝間着いた黒尽くめの男にモッグは、見下ろして指示をだした。男がうなずくと、風が吹くように草むらから現れた黒尽くめの男は、姿を消した。
「さて、これでテリキシアが、なんか起こってるって事だな。」
ひょろっとしたナッチョが立ち上がり、テリキシア王都の方角を人差し指で軽く指差した。
「行って見りゃ解るさ。半刻(約三十分)もすりゃ、着くだろ。」
小太りのモッグが鼻糞をほじりながら言う。
「やめれや、その癖。」
ナッチョがやれやれとした態度で両手を挙げて、モッグに言うとふわっと視界から消えた。
「ふん。」
鼻糞を指でピンと弾いてモッグもふわっと同じように視界から消えた。
3
事態は遂に深刻な事になってきていた。
王都の北門の鉄条門が破壊されたのだ。北門自体が剥き出しになった。
北門城壁側にいたメアリ公爵は、それを目前にし、膝から砕けそうになった。
次に何をすればいいかわからなくなったからである。
「油を注いで、敵をよせつけるなー!」
帝国側の弓矢が降り注ぐ中を北門城壁に駆け寄り、傭兵が煮えたぎる油を次々に大釜に目一杯ついで持ってくる。北門城壁の敵兵進入に備えて、空けてある隙間からは、帝国側の城門破壊用の巨大な槌を備えた荷車が見える。
上部からの攻撃に備え、その城門破壊用の破城槌は、分厚い屋根に防護されているようだった。そこへ、北城門の隙間から煮えたぎる油を注ぐが、屋根に遮られ敵兵には掛からない。
「火を放て!」
火の付いた矢を破城槌に放つが、油そのものに火は移るが燃え上がるだけで、その巨大な破城槌自体には、影響はないようであった。
「もっと油を注げ!」
メアリは叫ぶ。傭兵も次々に隙間より、煮えたぎる油を注ぎ落とすが分厚く頑丈な帝国側の城門破壊用の破城槌の屋根に弾かれるように城門破壊の槌と帝国兵には、掛からない。
と、メアリの足元が大きく揺れた。
北城門が帝国側の城門破壊用槌の打撃を付け始めたのだ。
「もっと油を注げ!火を直ぐに下の槌に目掛けて放て!城門を破壊されては終わりだ!」
殆ど、悲鳴のようにメアリは、隙間から注ぐ傭兵に向けて檄を飛ばす。
しかし、その檄も功を奏す事ではないことは、メアリには解っていた。
「このままでは、城門は破壊される。。」
打つ手もなく、どうすれば帝国の猛攻を弾き飛ばす事が出来るのか、メアリにはどうすれば解らなかった。
4
「皇太子殿下。テリキシア王都の北城門に破城槌が入ったようです。」
丘陵の天幕より、眼下の王都攻撃を眺めている皇太子ユーリアに対して、ギリアーヌ将軍が伝えた。
「馬を。」
皇太子ユーリアは、部下に乗馬する馬の用意を命じた。
「ギリアーヌ。城門攻撃を見に行くぞ。」
「は。。」
浮かぬかをギリアーヌ将軍は、見せた。皇太子ユーリアは、それを見て口元に笑みを見せた。
「密令兵の件であろう。」
びくりとギリアーヌ将軍はしてしまった。実際、その事について考えていたからである。
「気にする事ではない。」
用意された馬の手綱を掴み、皇太子ユーリアはギリアーヌに向かって笑いながら言った。
「密令が捕まる事は、解っている。ギリアーヌ」
そう、言いながら、さっと、用意された馬に騎乗すると皇太子は、天幕の眼下に見える帝国軍陣営へ駆け下りていった。
「ギリアーヌ閣下。。馬を。」
皇太子の言葉にあっけに取られるギリアーヌに部下が、馬の手綱をを差し出した。
「何を考えておられる。。殿下は。。」
手綱を取り、ギリアーヌも皇太子を追うように馬に騎乗すると眼下の帝国軍陣営に向かった。
5
日が昇り、バミリア伯爵率いる二万の商人兵団は、グフォン港が望む丘陵に到達していた。斥候からの報告では、グフォン港周辺には、不穏な動きはなく、商船が慌しく行きかっているだけとの事だった。
何かしらの兵力の集結などない。
「どうも謀反の企てなどない様に見受けられないな。。」
バミリア伯爵は、望遠鏡を眺めながらグフォン港周辺を眺めて、自分らが何かしらの別の企てに巻き込まれている事を悟った。とは言え、実際に、グフォン港を治めているダロン伯爵に会うしかあるまい。
しばらく、眺めてバミリアは、馬に騎乗し、グフォン港に直接、数名の部下を引き連れて向かう事にした。
「コパルにも着てもらうぞ。」
黒尽くめの男コパルも返答はないが、了承はした。拒否する理由もないからであった。
二万に及ぶ商人兵団は、グフォン港東側に陣地を設営し、ことが起これば一気に港内に入るように部下である副官に指示を出しておく事にしておいた。
相手になると思われるダロン伯爵の軍勢は見る事は出来ないが。
丘陵からグフォン港までは、さほどの距離もなく直ぐに港の入り口に直ぐにたどり着いた。ただ、港では丘陵に突如として見えた軍勢に驚いている風ではあった。
港の領民や各国の商人達の様子を見る限り、とても今から戦が行われるかのような緊迫感はなかった。いつもの様にいつもの如く、平時の日常を過ごすように見受けられる。
「こりゃ~謀反とかじゃねぇ~な。。」
バミリア伯爵は、呟いた。
グフォン港は、テリキシア王国のアーテリア運河が、南海に出る入り江に位置する港である。王都のような強固な城壁もなく、自由な雰囲気を醸し出す開放的な港町である。
入り江から直接には海岸の構造上、大型の商船などは接岸できないが、自然の砂州と岸壁が外海の荒波から守るため、多くの商船が入り江内に入港してくる。
そこで碇を下ろし、小型の船積荷を降ろし、運び、また別の物を積み運ぶ、商人が商売にする為の穀物や海産物などあらゆる物が行き交っている。
このグフォン港は、テリキシア王国の政治体制上、自由にダロン伯爵が許可を出す限りにおいて、各国は商館を持つ事が許されている。当然、そうなるとダロン伯爵の財力は、集中する様に思えるが、ダロン伯爵がその商館設立に対する許可を出すには、商公爵家の合議で合意があることが前提になっているので、あくまでダロン伯爵の権限は形式上の物でしかない。その暗黙的なルールを破れば、爵位は、すぐさま剥奪の上、財産没収となる。
過去にダロン伯爵意外で、無断でグフォン港を運営して爵位を剥奪された人物もいなかったわけではないが、大抵は軍備を備える暇もなく、捕縛されてしまうのが常なので、歴代のグフォン港管理者は、暗黙のルールを破る事は早々にない。
今回もダロン伯爵が、野心を持って謀反を企てているとの情報を得た商公爵家は、すぐさま商人兵団を送り込んだ理由は、そんなことにあった。ただ、軍事戦略上、正しい判断であったのかは、バミリア伯爵も疑問に思いつつも侵攻したわけだが、結局、徒労に終わりそうであった。
グフォン港の町並みは、王都ほど大きくもなく各国の人種が入り乱れている雑多な作りをしている。その中でも当然、テリキシア王国のモーツリア家ダロン伯爵邸は、同港町の政治の中枢になっていることもあり、一際、大きな建物であった。
グフォン港の町は、全く、いきり立った警戒感もなく、同モーツリア家ダロン伯爵邸も門番の衛兵がいるのみで、なんら戦の雰囲気もなかった。
バミリア伯爵であることを、同門番に告げると、即座に邸内へ案内され、一行は謀反を企てていると思われる人物の懐にすんなりと入れてしまった。
ただ、邸内に入れたのは、バミリアとコパルだけだったが。
どこで、情報が歪んでしまったのか。。バミリア伯爵は、邸内を案内されて思わずにいられなかった。あの道楽従兄弟のビアンツ公爵の情報を鵜呑みにしたのが、問題だったのかもしれないが。。それにしては、何か出来すぎていると彼は感じていた。
と、案内の途中で付き添っていた黒尽くめのコパルが、立ち止まった。
「どうした?コパル」
立ち止まったコパルに振り返るとそこには、コパルの膝元にコパル同様に黒尽くめの男が膝間づいていた。コパルと聞きなれない言葉で、何かを話しているようであった。
「バミリア伯爵閣下。。どうやら、王都が攻め落とされているようです。」
感情が全くない言葉で、コパルはバミリア伯爵に告げた。
「なに!」
唐突過ぎる内容にバミリア伯爵は、目を見開いた。
王都が攻め落とされている??
状況が掴めていなかった。そんな伝令も受け取っていない。
「どういうことだ!」
「単刀直入に申し上げます。閣下が兵団を連れた直後、ロステリアン帝国が侵攻したようです。その際、ローレン公爵閣下が、バミリア伯爵へ伝令を走らせた様ですが、全て惨殺されていたようです。書簡も奪われていたとの事」
短くコパルは、感情なく現状を伝えた。
足元にいた黒尽くめの男は、いつの間にか姿を消していた。
コパルの言葉を聞くにつれ、バミリア伯爵の表情に怒りが灯るのが見て取れた。興奮しているのであろう顔面は、真っ赤に染まっていた。
「協定が破られたと言う事か?」
バミリア伯爵は、高揚した表情で険しくコパルに詰め寄った。
「さぁ。。そこまでは、詳しく解りませんが、少なくとも少ない兵力で王都を守っている物と思われます。」
コパルは、感情なく返答をした。
「その惨殺された伝令の中に書簡を隠し持っていた者もがおり、あっしらの者が見つけまして。。受け取りください」
コパルが右手より、ローレン公爵の朱印が押された書簡を差し出した。
バミリア伯爵は、すぐさまその書簡を受け取るとその手が、怒りに更に震えた。
「やってくれたな!帝国の蛆虫どもめ!」
バミリアは、読み終えた書簡を握り締め、鬼気迫る表情で邸内の外を睨んだ。
「バミリア伯爵閣下。。お取り込み中、申し訳ありませんが。。ダロン伯爵がお待ちです。。」
邸内を案内していた衛兵が、その鬼気迫るバミリアに声を恐る恐る掛けた。
バミリアにとって、直ぐにでも取って返すべき時だが、冷静に考える必要があった。もしここで、ダロン伯爵が、謀反の企てを本気でやろうとしているなら、場合によっては王都に帰途する前に排撃される恐れがあったからだ。
ここは、ダロン伯爵を拘束しておき、動けなくするなどの手を打つ必要があると、軍略家としての判断が働いた。実際、そのような動きは、ないと思われるが念には念を入れておく必要が出てきたのである。
怒りの息を飲み込み、感情を静めるには、然程、苦労はしなかった。最悪の事として考えてはいた事ではあったからで、ここで感情に振り回されて動いてもどうにもなるものではなかったからである。
「解った。ダロン伯爵に案内してもらおう」
怒気を完全に押さえ、先に進む決意をバミリアはした。まずは、ダロン伯爵に会い、身柄を罪があろうがなかろうが、拘束しておく必要がありそうだったからである。
「バミリア伯爵閣下。。」
と、後ろにつき従うコパルが言った。
「一応、あっしの部下に出来うる手立てをするように指示を出しております。何とか後、一日は、陥落を伸ばせましょう。」
「そんな事が、出来るのか?」
「動きを止める手立てはあります。ただ、撤退させることまでは出来ませんが。。」
「。。その言葉、信じるしかあるまいて。。で、お前はどうする?」
バミリアは、コパルの考えが気になっていた。この状況下なら自分は、ともかく、王都に戻り、侵攻を防ぐ動きをコパルなら自らするように思えるのだが、バミリアに付き従っていることに何かあるように思えたからだ。
「。。。もうしばらく、お供させて頂きます。。」
意味深な返答であった。バミリアの感が何かを直感させていた。
この先に何かある。と。
邸内を少し歩かされたバミリアとコパルの両名は、ダロン伯爵の執務室に通された。
そこには、恰幅のいいやや禿げ上がった頭と白髭を顎にしたどこにでもいそうな、商人風の井出達をした初老のダロン伯爵が立って出迎えていた。
入り口奥には、衛兵が一人立っているくらいだ。
顔にはやや緊張した表情が伺われる。
「バミリア伯爵。お久しぶりですな。いきなり大軍勢で押しかけるとは、何かありましたかな?」
と、右手を差し伸べて、バミリア伯爵に近寄り、握手を求め、前方にある椅子を差し出した。
見た目には友好的である。
「ダロン伯爵。貴殿に謀反の疑いがあり、捕縛に参った。」
握手もせず、単刀直入にダロン伯爵に目的を告げるとバミリアは、腰にあるポシェットより、国王の朱印が入った書簡を取り出し、その内容を読み上げた。
「グフォン港領領主モーツリア家当主ダロン伯爵およびその一派に、テリキシア王国への謀反の嫌疑ありとの情報があり、ここにグフォン港管理の職を解き、テキリシア王都への帰途と尋問を命ずる。また、抵抗する場合は、生死は問わぬものとする。
テリキシア王国国王フイード」
読み上げ終わったバミリア伯爵にダロン伯爵は、両手を口にあて、震えていた。
「そのような。。そのような事は、しておらぬし。。しらん。。どういうことだ。。」
そのまま、ダロン伯爵は、膝から崩れ落ちた。
「わたしは、謀反など犯すような、事はしておらん。。信じてくれ、バミリア伯爵。。」
初老のダロン伯爵は、泣き崩れていた。とても、この人物に謀反を企てるほどの度量はないのは、明らかだった。
と、そのとき、背後から殺気が走った。
コパルがトンとバミリア伯爵の背中を押した。その瞬間、剣先がブンと空を切った。
入り口の衛兵がバミリア伯爵の背後目掛けて切り掛かって来たのである。
衛兵の剣が鞘から抜かれるまでの速さが尋常ではなかった。
その剣先の動きからバミリア伯爵は、非常に訓練されている者だと悟った。
「馬鹿者!止めぬか!その剣を収めろ!」
ダロン伯爵が奇声にも近い声で、衛兵に向かって言ったが、目には狂気に近い殺気があった。明らかに剣先がバミリア伯爵を狙っているのだ。
その間に対峙するように黒尽くめのコパルが立っていた。
「バミリア伯爵閣下。こやつ、閣下の命を狙って、始めからここにいますね。。」
ニヤリと笑いコパルは言った。
押されて右膝を付き一命を取り留めたバミリアも腰に挿してある剣をスラリと抜き。そのいきなり切りかかってきた衛兵に対峙した。
「そんなに殺気を出してたら暗殺も何も解るぜ。」
とコパルの言葉にギョッとしたのが、バミリアであった。さっきまで殺気など感じなかった。これでも剣の腕には自信はあった。歴戦の中、命のやり取りをしてきたのだ。
その自分が、全く感じなかったのである。
切りかかってきた衛兵は、ゆっくりと右に体を動かし、入ってきたドアの錠を下ろした。ここにいるバミリア伯爵を逃がさない為である。
ダロン伯爵などどうでもいいのだろう。その殺意の目線は、バミリアに向いていた。しかし、剣先はコパルを向き、警戒感は明らかにバミリア伯爵ではなく、コパルに向いている。
「お前。。ローデンマイツの手のものだろう。」
その言葉にニヤリとする衛兵に対して、バミリア伯爵とダロン伯爵はギョッと更にした。
「ローデンマイツとは、例の傭兵団のか。。」
コパルにバミリア伯爵は、聞いた。
「そうです。こいつらは、閣下がここに来るのを待ってたんですよ。」
「なっ。。ダロン伯爵!」
初老の泣き崩れるダロン伯爵は、首を振った。
と、その瞬間、執務室の二つの窓が大きな音をたて割れると同時に、二人の男が飛び込んできた。共に右手に白く輝く剣を携えている。
「なるほど。三人掛りでやろうって事か。」
出口が完全に塞がれた状態でコパルは、緊張感もなく、逆に嬉しそうに呟いた。
執務室の空気がピンと張り詰める。
「じゃ。。ちゃちゃと行きますか。」
と言ったコパルがスラリとドア側に立つ、剣を構える衛兵の間合いを一気に詰め、右側に回りこむと右手首の金の腕輪をチャリンと奏で、衛兵の剣先がコパルに向く前に右手が衛兵の体にポンと触れた瞬間、衛兵は泡を吹いて、そのまま倒れてしまった。
それこそ一瞬の動きだったが、その瞬間に窓から飛び込んできた二人の男が剣を振り上げ、ブンと乱れない切っ先でバミリア伯爵を切る。それをバミリア伯爵も剣峰で受け、押し返す。
バミリア伯爵は感じた事もないような、剣の威力をその時感じた。受け飛ばしたが、手がしびれるのである。
こいつら剣技に長けていると直感した。
その思考の隙を突くように二撃目が三人目から振り下ろされた。距離的に回避できる切っ先の速さではなく、剣の切り返しも間に合わないと思えた瞬間、その切っ先の剣がカランと床に落ち、襲い掛かってきた三人目の男も泡を吹いて崩れ落ちた。
その背後にコパルがスラリと立っていた。
いきり立ったのか、残った男が、その持っている剣を横にブンと孤を描いて振り切った。コパルは、ヒラリと避ける。
振り切った切っ先は、素早い切り返しで更に、畳み掛けて空を切り、コパルに襲い掛かった。それも、ヒラリとコパルは避け、ぐっと間合いを詰めた。
コパルの腕輪がチャリンと鳴った瞬間、振りかぶった男はそのまま白目を剥き、その場に他の者と同じように泡を吹いて倒れた。
窓からの襲撃からあっと言う間の出来事にバミリア伯爵は、言葉が出ず、立ち竦んでしまった。一人目の剣戟を受けた手が、まだ、痺れていた。
一歩間違えれば、確実に脳天から真っ二つに斬撃される威力がある切っ先である事は、戦を何度も体験したバミリア伯爵には十分すぎる程、解るものであった。
「これが。。ローデンマイツの傭兵どもか。。」
冷や汗がジワリと出てきた。コパルが昨晩、言っていた様に手強い相手である。
いや。。。今の自分の兵団では、勝てる相手ではないのかもしれない。。この一戦で実感した事である。
「こやつらは、私を狙っていた。。」
バミリア伯爵は、泡を吹いて倒れている三人の刺客を見て、そう呟いた。
「ダロン伯爵閣下が、どういう経緯でドアの衛兵を雇っていたのか、お聞きしておいた方がいいでしょうな。。謀反云々ではない事は、確かなようです」
急激な展開に我を失ったのか、ダロン伯爵はへ垂れ込み呆然としていた。状況が飲み込めないのであろう。
ドアの外では、騒ぎを聞きつけた別の衛兵が騒ぎ出しているようだった。
「ともかく、ダロン伯爵を。。」
コパルの言葉でバミリア伯爵もこの状況を戻す為にも、ダロン伯爵には落ち着いてもらう必要があった。
呆然とするダロン伯爵を引き起こし、椅子に座らせ。目の前で、両手でパンと音を鳴らし、意識を取り戻させた。
「話は、後でじっくり聞きましょう。」
ダロン伯爵は、震えながら頷いた。
「外の衛兵が騒ぎ出しています。ドアを開けて、静めてもらえませんか?」
ゆっくりとダロン伯爵に聞き取りやすいように話しかけバミリア伯爵は、ドアを指差した。
再度、震えながらダロン伯爵は、頷き。ドアを開けると、騒ぐ、衛兵になんでもないと告げ、その場を一旦退けた。
「では。ダロン伯爵。この衛兵が何者なのか話してもらいましょうか?」
と泡を吹いて倒れている襲い掛かってきた衛兵の頭を足で小突いて、震えるダロン伯爵に説明を求めた。
震えながらではあるが、バミリア伯爵の質問に一つ一つ答えた。
まず、この衛兵を雇い入れた理由は、最近、数度にわたり、外出先で盗賊まがいの者に狙われ、命からがら逃げた経緯があり、その護衛として、話を聞きつけてきた傭兵団の団長から予想以上の安い金でいいからと言う事で、護衛として雇い入れたとの事。
実際、今いる衛兵どもより数段、腕もたち、盗賊からも何度か救ってもらったので、信用していたらしい。
雇い入れた時期は、商公爵家メリア公爵に、傭兵団団長ローデンマイツの姿を見たとの報が王都に入った時期に一致する。
後の商人が当邸宅に荷物を運び入れている云々は、しらない話しという。
また、南方のジュニアム国から大量の保存食と思われる物がモーツレア家に持ち込まれているの話は、これは商公爵家より依頼があった故に、買い入れたとの事だった。
「誰が依頼してきたのだ?」
とバミリア伯爵が尋ねると、口ごもりながらも。。ダロン伯爵は
「ローレン公爵の書簡として、依頼が来た。受け取りは、代理の者が来た」
と答えた。
その書簡もいつの間にか、消え去ってしまい今はないという。
「ローレン公爵がなぜ?保存食などを他国から取り寄せるのだ。。」
バミリア伯爵は、訝しげに首を傾げた。
「衛兵の件以外の他の二つは、商公爵家内での問題でしょうが、衛兵の件は、このグフォン港に閣下を呼び出す口実にするには、十分ですな。」
とコパルは、尋問するバミリア伯爵の横で、ボソリと言う。
「それとローデンマイツが絡んでいるとなりますと、一筋縄ではいきませんな。。」
バミリアもそれには、反論などするつもりもなかった。
それと、このダロン伯爵の謀反疑惑を使い、テリキシア王国内の裏でもっとドロドロしたものが蠢いているということは確かな事は、ハッキリとバミリア伯爵にも解ってきた。
誤字脱字がありましたらご指摘下さい。