統夜の資質
オルバスが出かけてしまうと統夜はすることがなかった。周りを見渡しても普段使ってないわりには綺麗な為、掃除をする必要性が無い。
財布と家の鍵と筆記用具ぐらいしか入ってない鞄を机の上に置き、部屋を出る。
(うーむ、何しよう……)
いくら暇を持て余しているとはいえ、勝手に家捜しするわけにもいかない。そんな横暴が許されるのは、魔王を倒す使命を帯びた勇者御一行くらいのものである。
特に目的もないまま、階下のリビングへと下りていった。
「あっ、トウヤさん」
そんな彼に、レフィアの澄んだ声が掛けられる。どうやら彼女は食事の後片付けをしていたらしい。
「もうご出発ですか?」
心持ち残念そうに言う少女に、統夜は告げた。
「いや、俺はしばらくここで厄介になるんだ。これからよろしくな」
「えっ!? ほ、本当ですか?」
「うん」
レフィアの驚く様に、統夜は少々ショックを受けずにはいられなかった。
(やっぱ嫌われてんのかねえ。見た感じでは結構、人見知りっぽいし)
そうしてまた、会話が途絶えてしまう。
他人と過ごす経験に乏しいレフィアは、雑談をするといったことに慣れていなかった。この状況をどうにかして打開せねばと焦ってしまい、その緊張がかえって何も言えなくさせている。
(わわ、どうしよう。な、何か言わないと……)
視線を下方へ落とし、この雰囲気が自分のせいではないか、統夜が気を悪くしないだろうか、という不安が渦巻く。
そして統夜の方はと言えば、まったく別の事を考えていた。
(伊吹でもいてくれたらなあ……。あいつなら子供の相手はお手の物なんだが)
自分の社交的とは言えない性格を顧みる。正直気さくに振る舞うのは得意ではないが、この先もずっとこんな調子でぎくしゃくしていては顔を合わせ辛い。日常生活を円滑にするためにも、お互いの距離を多少なりとも縮めておいた方がいいのは明白だった。
少女を思いやってではなく、あくまで自分の為に考えを巡らす。
「レフィア」
「は、ひゃい!」
呼びかけただけで気の毒なまでに動転するレフィアは、
「俺なんかに敬語なんて使わなくていいぞ。もっと気楽にしないと疲れちまうだろ」
統夜の淡然とした言葉で、気負った気持ちが削がれていくのを感じた。
「あ、あの……」
また緊張してしまわないうちにと、急いで言葉を紡ぐ。
「一緒に、外へ行って散歩しませんか」
「散歩?」
「い……嫌なら、いいんだけど」
レフィアが、ぎこちないタメ口で言う。
早くも歩み寄りの意思を示してくれた少女に、統夜は顔を綻ばせた。せっかく勇気を振り絞ってくれたお誘いを、無下にするわけにはいかない。
「嫌じゃないさ。ただオルバスさんが、レフィアは誰かといるのが苦手だって言ってたから、ちょっと意外に思っただけ。いいよ、せっかく良い天気なんだし行こう」
まだ昼前の涼しげな森は、緑の匂いが香る気持ちの良い空気に包まれている。
そんな木漏れ日の降り注ぐ木の根もとにレフィアと統夜は二人、休憩と称して座っていた。
どちらも最初こそ黙りがちだったものの、徐々に慣れてきたのか、今では大分滑らかに会話を交わしている。
「レフィアは学校とか行ってるのか?」
「ううん、わたしはもう十三だもん。学校はとっくに卒業したよ」
レフィアは小さな胸を張って誇らしげに続ける。
「自慢じゃないけどわたし、一番成績良かったんだから」
「へえ、そりゃ凄いな」
あいにく規模のほどは分からないが、優秀な事に変わりはない。あまり真面目に勉学に打ち込んでなかった統夜は素直に感嘆する。
「じゃあさ、魔法について教えてくれよ。使い方とか」
「トウヤ、魔法を使ったことないの?」
レフィアは、統夜が異世界からの客人であることを知らない。どこからか流れてきた旅人か何かだとみていた。
もっとも、魔法の使い方が分からないというのはデュナミスにおいてそこまで珍しいことではない。魔力の扱いは自己流か、さもなくば学校で習うため(しかも授業料は安くはない)、彼女は統夜が何らかの理由で通えなかったんだろうと結論づけた。
「上手く説明できるか分からないけど……」
そう前置きして少女は咳払いした。
「まず、生き物の体には血管みたいな、魔力を通す管が全身に張り巡らされているの。魔法を使うときはこのエーテル回路に魔力を通して、起こしたい現象を念じるんだよ」
「魔力ってのはどこから持ってくるんだ?」
「魔力は空気中に含まれるエーテルを変換して作るの。これは勝手に行われるから、特に意識しなくても大丈夫」
「ふむふむ」
「それで魔法を使うときは、体内にある魔力を呼び起こせばいいん……だけど……」
すらすらと講釈していたレフィアの歯切れが急に悪くなる。
「えっと、どうやって説明すればいいのかな。慣れれば自然と出来るんだけど、なんて言えばいいんだろ」
言わんとしていることは何となく分かるような、分からないような。例えるなら自転車に乗るようなものか、と統夜は独自に推論する。仮に教えてほしいと頼まれても、言葉で説明するのは苦労するだろう。どうやら経験から勘所を習得していくしかないらしい。
レフィアは眉を寄せて苦心していた様子だったが、しばらくして何かを閃いた。
「試しにわたしが、トウヤの体に魔力を通してみるね。片手を出して」
「ほい」
統夜が言うとおりにすると、レフィアは自分の掌と合わせた。
「何か感じない?」
「うーん、何と言うか……ぴりぴりするかな」
冷えきった手をお湯の中へ突っ込んだような痺れる感覚がはしる。
「あんまり流し過ぎると危ないかも。エーテル回路は限界があって一気に使いすぎると痛みが走るの。回路を太く丈夫にするには、主に精神の鍛練が効果的だよ。滝に打たれて瞑想したり、断食をしたり。自分を追い込むってことだね」
レフィアは手を離して、習ったことを思い出しながら言う。そんな彼女に統夜は、もう一度魔力を流してくれないかと頼んだ。
再び流れるその感覚を、刻み込むようにしっかりと覚える。
「いきなりじゃ難しいから少しずつ――」
「いや、多分できそうな気がする」
レフィアの声を遮り、心を落ち着ける。
いつからかは判然としないが、明らかにこちらへ来てから感じるようになったものが、自分の中にある。統夜にはその確信があった。
自分の意識の奥深くへと分け入ると、さほどの苦労も無く魔力らしきものを探し当てた。レフィアに教えてもらった感覚を頼りにそれをすくい取った途端、体中に力が満ちてくる。
湧きあがる高揚感も束の間、すぐにそれは悪い予感に取って代わる。
まずい、このままだと抑えきれずに破裂してしまう。ちょうど水風船を作ろうとして、水道の蛇口をひねり過ぎた時のように。
そんな焦燥に煽られ、統夜は無我夢中で直感に従って思い描いたものを言葉にしていた。
「水」
言葉と同時に、滾っていた力が抜けていくのが分かった。思わず安堵のため息が出る。
「……ふう」
掌の上でふわふわと頼りなげに浮かび上がったのは、ピンポン玉くらいの水の球だった。
それはすぐに弾けてしまったが、レフィアはまるで自分の事のように喜んでくれた。
「すごいすごい! やったねトウヤ」