二つの世界
火にかけたお湯が沸いた頃、外へと出ていたレフィアが戻ってきた。
彼女は収穫してきた野菜を手際よく調理し、鍋の中へと放り込んだ。さらに、奥の部屋からもう一脚の椅子を持ってきて食事の準備を着々と進めていく。
そのまま待つこと数分、統夜達の前には木製の器に入れられたスープと、乾いたパンという質素な朝食が置かれていた。
統夜は湯気を上げるスープをまじまじと見た。正確には、そこに入れられている具材を。
(こりゃびっくり。明らかにジャガイモとインゲン豆だよなこれ……)
食べてみた所、その予想に間違いはないようだ。思わぬ所で元の世界との共通点を発見し、咀嚼しながらどういうわけなのかと思案する。
(農作業中の人が一緒に飛ばされてきたのか? でも、こっちに来るときにたまたま持っていたなんて考えにくいし、もしかしたらこっちが原産て可能性も……)
あれこれ考えながらなためか、食べる速度が自然と遅くなってしまう。
すると、さきほどからその様子を窺っていたレフィアが心配そうに聞いた。
「あの、おいしくなかったですか。それとも嫌いなものでも……?」
むろんそんなわけはなかった。空腹のお腹に染み渡る薄味のスープは、温かくおいしい。何より、作ってくれたのは妖精のような女の子なのだ。仮においしくなかったとしても、真顔で嘘をつける自信がある。
「いや、おいしいよ」
統夜が視線を合わせながら端的に感想を述べると、
「そ、そうですか……。よかったです」
レフィアは顔を赤らめ、まるで目を合わすのがいけないことだったかのように恥ずかしそうに顔を逸らしてしまう。
初々しいその様は、見ているだけで思わず笑みがこぼれる。
(うーん、人と話すのが苦手なのかな。……まあ、こんな所で暮らしているんじゃ無理もないか)
いらぬ心配をかけてしまったことを申し訳なく思い、統夜はそれから大分ペースを上げて料理を平らげた。
食事を終えるとレフィアは早々に自分の部屋へと籠もってしまった。
「それで、君はこの後どうするつもりかね。なにか当てがあるわけではないのじゃろう?」
食後のお茶を飲んでくつろいでいる統夜に、オルバスは問いかけた。
「……そうですね」
統夜は姿勢を正し、自分の行く末について少々真剣に考えを巡らす。
確かに自分は魔法のある世界に行ってみたいと思っていたし、そんな世界が実在することを望んでいた。しかし望んではいたものの、頭から信じていたわけではない。
よってオルバスが言う通り、この世界で何をしたいかという明確な目標、当座における行動の指針を持っていなかった。
(偶然で来ちゃったって状況なら、元の世界に戻るために奔走するんだろうけど)
頭を捻ったところで良い考えは浮かんでこない。そもそも自分は、デュナミスにおける何もかもを知らなさすぎるのだ。まずは、この世界の人々がどんな生活を営んでいるのかを誰かに教えてもらい、把握する必要がある。
道に出たことで、とりあえずは最寄りの村か町に着けるだろうが、異世界人における応対がオルバスと同様とはまだ限らない。ここで、話が分かる人と出会えた幸運は生かしておきたかった。
(駄目もとで頼んでみるか……)
もっとも、まだ会って間もない相手に、居候させてくれなどという厚かましい申し出をするのは、なかなかにハードルが高い。体裁を取り繕っている場合でないのは百も承知だが、さすがにきまり悪さを感じる。
「君さえ良ければ、ここにしばらく留まってもいいんじゃが」
それを察したのか、オルバスの方から助け船を出してくれた。
「本当ですか? それはとても助かります……けど」
統夜は、今この場にいない少女のことを案じて言葉を濁す。
「迷惑じゃないですかね」
「ふむ、部屋なら余っておるし心配はいらぬ。辺鄙な場所に住んでいるせいで、他者と接する機会が少なくてのう。あの子も最初は戸惑うかも知れんが、話し相手になってやってくれんか」
レフィアにとっては、自分の存在が気詰まりではないだろうか、という懸念はあっさり一蹴された。 そこまで言われては断る理由は何もない。統夜は感謝の気持ちを示し、頭を下げた。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「君の部屋はここじゃ。今は利用しておらんし、自由に使ってくれて構わんよ」
オルバスに案内されたのは、二階の部屋だった。家具はベッドと、小さな机くらいしか置かれていないが差しあたっては困ることもないだろう。
「わしはこれから町へ行かねばならんのでな。すまんがレフィアと留守番していてくれ」
そう言って立ち去りかけたオルバスに、統夜は制止の声をかける。
「あっ、最後にもう一ついいですか」
自分が極めて大事なことを聞き忘れていた事実に思い至ったのだ。
「魔法って俺でも使えるようになります……よね?」
緊張しながら、今更のように確認を取る。これで、無理に決まってるなどと言われようものなら直ちに帰る方法を模索しなければならない。
だが、そんな心配は杞憂だったらしい。
「もちろんじゃとも。それに、君はもう既に使っておるよ」
「えっ?」
ピンとこない様子の統夜にオルバスは疑問を投げかけた。
「なぜ、わしらと言葉が通じると思う?」
「まさか――」
「そう、会話はもっとも簡単な魔法によるものなのじゃ。まあ、魔法については後で詳しく説明してあげよう」
パタンと扉が閉められ、統夜は放心したようにベッドに寝転がる。
自分が魔法を使っていると言われても、まるで実感が湧かなかったが、やがて小さくガッツポーズした。
山本伊吹が文月蓮という人物の名を聞いたのは、地球上から統夜がいなくなった翌日の事である。
伊吹は今、とある病院へと来ていた。
(あーあ、上からの命令とはいえ面倒だなぁ……。おっと、ここか)
目的の一室を通り過ぎかけ、立ち並ぶドアの一つをノックして開けた。室内のベッドの上では、気だるい表情をした男の子が半身を起こして窓の外を見ていた。
「やあやあ、君が蓮君だね。僕は伊吹」
伊吹は名乗るなりベッド横の椅子に座り、気さくに話し掛ける。
「聞いた話じゃ君、魔法が使えたなんて言ってるそうじゃないか」
その極めて明瞭な声を、蓮と呼ばれた少年は嘲笑と受け取った。にこやかな伊吹とは対照的にうんざりした声で言う。
「また、新しいカウンセリングの人ですか……」
「違う違う。僕はただ君に、基本的なことを教えておこうと思ってね」
口調こそ軽薄なものの、ふざけている風には感じない。まるで、魔法という言葉に慣れているような反応だ。
世間話のごとく受け答えする伊吹を、蓮は怪訝な顔で見た。
「あなたは僕を頭のおかしな奴と思わないんですか?」
「まさか。魔法の行使なんて珍しくもない。僕だって使えるよ、ホラ」
言う間に伊吹の掌で風が渦巻き、小さな竜巻が現れる。
「これで、信じてくれたかな?」
蓮は驚きに目を見張ったまま小さく頷いた。その姿を見て伊吹は、不意に懐かしさを感じる。魔法を知った直後は自分も同じような反応をしていたのだ。
「何か疑問があったら遠慮なく質問してくれて構わないよ」
そう前置きし、すらすらと話を始めた。
「まず最初に言っておくことは、今までの常識に囚われるな、ということかな。常識とは必ずしも真実というわけではないからね。ある事柄を大勢の者が信じるだけで、人はあたかも正しいことだと思ってしまう。たとえ、それが間違っていてもだ。世の中のほとんどの人に対して、魔法があるかと問えば鼻で笑われるだろう。そんなものは妄想の産物、フィクションに過ぎないのだと」
「じゃあやっぱり、魔法はあるんですね」
「もちろんさ。そもそも魔法の使い手なんてのは、歴史上にもしばしば現れている。今でも伝説や信仰の対象となっているのは、ほとんどがそういう人達だ。けれどもこの世界では現在、僕達のような存在は隠されている。人は自分を脅かしかねない存在を、徹底的に排除しようとする傾向があるからね。無用な混乱を招かないためにも、魔法は表社会に出てはならないんだ。だからこそ君も、こんなとこに担ぎ込まれてるわけだしね」
蓮は今の物言いに、わずかな引っ掛かりをおぼえる。
「この、世界?」
「おっ、なかなか余裕があるね。そう、世界なんてものは何も一つ限りというわけじゃない。科学文明を追及するここエネルゲイアの他に、魔法文明が発展しているデュナミスという世界がある。こっちとは違って、デュナミスでは魔法の存在は有り触れたものだよ」
「……どうすれば魔法を使えるようになるんですか?」
「願うことだ」
伊吹は即答した。
「願う?」
首を傾げる蓮に伊吹は、ふむ、と腕を組んで説明する。
「人間は皆、想いを遂げる力を備えているんだ。世の中には夢を叶えられる人と、そうではない人がいるだろう? その違いは才能でも、努力でも、ましてや運でもない。大切なのは焦がれるほどの願い――渇望と言い換えてもいい。これら強烈な実現の意思は、現実を引き寄せるんだ。そういった現象を僕達は『魔法』と呼んでいる」
「なるほど」
「大抵の人は当たり障りのないことを願うから不思議にもならないんだけど……。稀にいるんだ、君みたいにとんでもないことを願い、しかも叶えてしまう人がね。車に轢かれそうになって道路を陥没させたんだって?」
無茶な事するぜ、と伊吹は笑った。
「うん、でもとっさの判断にしては悪くないな。自分のいる場所を隆起させたり強固な壁を作り出していたら、車の方が無事じゃなかっただろうし」
それに対し蓮は首を振って言う。
「でも、今は使えないですよ」
「魔力が枯渇しているだけだから平気さ。回復すればまた使えるよ」
伊吹は人差し指を立てながら解説する。
「空気中には魔力の源となるエーテルという物質が含まれているんだ。取り込んだエーテルは自動で魔力に生成されるから、特に何かをする必要はない。もっとも昔と違って今のエネルゲイアは、エーテル濃度が極端に薄いからね。場所を選ばないと回復には時間を要する」
長い話をしたせいか、伊吹はふう、と軽く息を吐く。そのまま立ち上がると、背中を伸ばしながら言った。
「説明はこんなもんかな。あとはまあ、別の人が誰か送られてくるだろうから任せよう。他に聞きたいことが無ければ、僕はもう帰るよ」
「魔法に気付く人ってどれくらいいるんですか?」
「はっきりとは分からないけど、一年間に二、三人くらいかな」
蓮はその答えを意外に思った。
「案外少ないんですね。ぼくらみたいな人、結構いると思ってたのに」
「大半の人は魔法が使えないかと妄想している一方で、心のどこかでは否定しているものなのかもしれないね。無理もないけど」
思わず苦笑する伊吹に、蓮はお礼を言った。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそご清聴ありがとうございました」
伊吹は部屋を出る際に振り返ると、思い出したように付け加えた。
「そうそう、言うまでもない事だけど、あっちは何かと物騒な世界だ。もしデュナミスに行きたいのなら君には基本的な魔法、及びしかるべき戦闘技術を身につけてもらうことになるから、そのつもりで」
その言葉を最後に、伊吹は帰途についた。
(そういや、あいつはどうしてるかな)
帰り道、赤く染まった夕焼け空のもとで、ふと思いを馳せる。
デュナミスに行った、一人の友人を。