銀髪の少女
誰かに揺すられる感触で統夜は意識を覚醒させた。
「う……、ん?」
視界に映る空を見て自分が外で寝ていた事実に一瞬混乱したものの、すぐさま昨日の出来事を思い出して納得する。そのまま緩慢な動作で起き上がると、不安げな表情でこちらを覗きこんでいる小柄な少女が目に留まった。先ほどの澄んだ声は彼女のものだろう。端正な顔立ちの可愛らしい女の子だ。
背丈や体つきからして歳は十二、三といったところか。艶のあるシルバーブロンドの髪が肩のあたりまで伸びており、頭には蝙蝠を象った髪留めを付けている。くせっ毛なのか、その髪は軽く波うっていた。
何より印象的なのは少女の目だ。その瞳は色が左右で違っていた。左目が金色、右目は鮮やかな真紅である。余りにも幻想的な少女の容姿に、統夜は思わず見入ってしまう。
「ご、ごめんなさい。ひょっとしてご迷惑でしたか?」
若干震えたような声で、少女が申し訳なさそうに聞く。その言葉でようやく統夜は我に返り、慌てて口を開いた。
「――ああっと、ごめんごめん。すごく綺麗な目だなと思ってさ」
世辞ではない、真摯な褒め言葉に少女は顔を赤くしながら、
「え、あ……ありがとう、です」
と、ぎこちないお礼を言って俯いてしまう。
そのまま両者の間に微妙な沈黙が流れ、今度は統夜が自己紹介という形から会話を作る。
「えっと、俺は統夜って言うんだけど。君の名前、聞いてもいいかな?」
少女は短い間逡巡し、己の名前を告げた。
「……レフィアです」
「レフィア、だね。いやー、起こしてくれて助かったよ。実を言うと道に迷って途方に暮れてたところなんだ。どうもありがとう」
統夜が礼を述べると不意にそのお腹がぐう、と鳴った。
「なはは、昨日から碌なもの食べてなくてさ」
頬をかきながら言う。邪気のないその照れ笑いを見て、レフィアは躊躇いがちに尋ねた。
「その……もしよかったらなんですけど、うちで朝ごはんでもいかがですか?」
「ほんとか? ぜひ頼む!」
願ってもない申し出に統夜は即答した。その素早い反応が意外だったのか、レフィアは目を白黒させる。
やがて浮かんだ表情は嬉しそうな、柔らかい笑顔だった。
「はい」
レフィアに従っていくらも経たないうちに、土を盛って作られた簡素な道が姿を現した。その上をお互いに無言のまま歩く。森の静寂を破るのは二人分の足音のみだ。
(……そういや、今さらだけど言葉が通じるんだな。意思の疎通に支障が無いのは大助かりだけど)
そんなことを考えつつ、統夜は隣を歩くレフィアをちらりと窺う。先ほどから彼女は何か思い詰めた様子なのだが、なかなか言い出せずにいるようだった。どうやらかなり内気な性格らしい。
(俺の素性でも怪しんでるんだろうか。はてさて、何か適当にでっち上げるかな)
そこまで把握しておきながら、わざわざこちらから尋ねる気はなかった。そもそも自分は過度に話し好きというわけではない。むろん話しかけられれば応じるが、会話の無いことに居心地の悪い思いをしたり、苦痛を感じたりはしない性格だ。
やがて、レフィアが意を決したように口を開いた。
「あの、トウヤさんは……わたしのこと怖くないんですか?」
「へっ?」
統夜は予想とあまりにもかけ離れた問いかけに、間の抜けた声を上げた。あいにくと女の子――それも一回りほど年下の――に恐れをなすような特殊な性癖は持ち合わせていない。確かにオッドアイという風貌は特異なものかもしれないが、アニメなどではよくお目にかかる設定である為、忌避感どころかむしろ羨望の思いさえある。
(まさかこの辺りには女の子を怖がる風習でも……? そんなわけないか)
質問の意図はよく呑み込めないが、統夜は感じたままを口にする。
「いやー、悪いけど全然。可愛いとは思うけど」
「可愛い……。わたしが、ですか?」
「まあ、今の会話の流れからいくと俺じゃないことは確かだね」
統夜のおどけたような口調をおかしく思ったのか、レフィアは、ふふっと微笑んだ。
「そんなこと初めて言われました。わたしは……嫌われ者だから」
少女の笑みに、寂しげなものが混じる。
意外な事だった。確かに外見こそ常人とはかけ離れているのかも知れないが、この素朴な可愛らしさを持つ内気な少女が嫌われ者とは到底信じられない。
統夜がその辺りのわけを聞いてもよいものか悩んでいると、
「あっ、見えてきましたよ」
レフィアが出し抜けに指をさした。少女の指差した先に目を凝らしてみると、森の中に丸太を組んで作られた家が一軒、ポツンと建てられているのが見える。家の横には井戸や道に沿って作られた畑が存在しており、木を切り払って作られた人工的なスペースの分だけ森がなくなっていた。
ログハウスの前にたどり着いた統夜は、レフィアの住んでいるという家をしげしげと眺めた。近くでみるとわりかし大きな家である。玄関部分には厚い木の板を使った、丈夫そうな階段が拵えられており、所々に取りつけられている窓は、今は全て開け放たれていた。
(さすがにこの大きさの家で一人暮らしじゃないよな……)
そんな統夜の懸念を否定するかのように、木製のドアが静かに開いた。
出てきたのは老年の男性だった。短く刈り込んだ髪は、ほとんどが白髪と化している。痩せてはいるものの、引き締まった体躯は弱々しい印象を全く与えず、その身が鍛え抜かれていることが容易に見て取れた。
レフィアは老人のもとへ小走りに駆けより、帰宅を告げる。
「ただいま、おじいさん」
「おお、お帰りレフィア。……そちらの青年は?」
「この人はトウヤさん。道に迷ってて、それでお腹が空いてるみたいだから、ごはんを一緒にどうかなって思って……」
「ほう?」
老人の灰色の瞳が統夜に向けられる。その鋭い眼光には、居住まいを自然と正させるような迫力があった。
統夜は老人の纏う雰囲気に若干緊張しながらも、淀みなく挨拶する。
「こんにちは。森をさ迷っていた所を、偶然彼女に助けて頂きました。恐縮ですが少しばかりお世話になっても構わないでしょうか」
「ふむ。なるほど」
老人は顎に手をあて、眉を寄せて考え込んだ。
「ダメ?」
沈黙したままの老人に、レフィアがおずおずと尋ねる。
「いや、もちろん構わんとも。トウヤ君だったかな? 何もない家じゃが、ゆっくりしていくといい」
老人が許可を出すとレフィアは心配そうな表情から一転、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
統夜はぺこりと頭を下げてお礼を言い、二人に続いて家に上がった。
玄関を入ってすぐのところは、広いリビングルームだった。部屋の隅には煉瓦が敷き詰められた場所があり、薪ストーブが設置されている。壁には鍋やフライパンがぶら下げられており、その真下はおそらく調理台にあたるのだろう。中央には木を丁寧に磨いたテーブルと、これまた丹精込めて作られた装いの木製の椅子が二脚置かれていた。
レフィアは持っていた手籠をテーブルの上に置くと、
「スープの材料、畑から取ってくるね」
そう言い残して外へと出ていった。それを見送った老人が手近な椅子に腰をかける。
「さてと、少し話をせんかトウヤ君? あの子がいないうちに、ちと聞いておきたいことがあってのう」
「ええ、俺にわかることであれば」
統夜が対面に座ると、老人は自身の名を告げた。
「わしはオルバス・ウォーカーという者じゃ。よろしくな」
続くオルバスの言葉は、統夜を驚かせるのに十分だった。
「単刀直入に聞こう。君は、この世界の者ではないな」
統夜は身をこわばらせた。とぼけるか、という考えも咄嗟に過ぎったが、先ほどの口調は疑問形ではなくもはや断定に近い。誤魔化し切れる雰囲気では無さそうだと判断し、素直に頷く。
「……その通りです。驚きました。俺がこの世界の人間じゃないって、わかるんですか?」
「まあ、わしは以前にも君のような者に会ったことがあるのでな。そうか……。やはり、エネルゲイアの人間か」
統夜は聞きなれない言葉に首を傾げる。
「えねる……げいあ?」
「うむ。エネルゲイアとは、生活する上で魔法が欠かせないものとなっているここ、デュナミスの対極に位置する世界のことじゃ。何と言ったか……キカイ、なるものが文明を支えていると聞いたことがある」
統夜はオルバスの口から出た、魔法という聞き捨てならない単語について山ほど質問したい衝動を抑え、まずは告げられた事実を整理していく。
「なるほど、デュナミスとエネルゲイアか。この世界では異世界の存在が当たり前に認識されているようですね」
「うむ、こちらの世界の存在は未だに隠し通されているのかね?」
その問いに統夜はどう答えたものかと戸惑った。今の自分が置かれている現状を鑑みると、これまで培ってきた知識がひどくあやふやなものに思えたのだ。少しの間をおいて考えをまとめ、断言を避けて言葉を紡ぐ。
「どうでしょう……。俺が知らなかっただけという可能性もありますけど、一般的に知られていないんじゃないかと思います。異世界がどうこうなんて言いだしたら、頭のおかしい奴扱いされますよ」
統夜がそう言うと、オルバスは感心したようだった。
「たいしたものじゃな。いにしえの混乱をうまく風化させたとみえる」
「昔、何かあったんですか?」
「うむ。どうもエネルゲイアの人々は、魔法という曖昧な力を受け入れがたいようでな。徹底的に排除する傾向があるというか。彼らはデュナミスからの訪問者を恐れ、捕縛し、処刑していったと聞く。噂ではその行動に見境はなく、無関係な者達も大勢捕えられたそうじゃ。それがだいたい数百年前のことじゃな。以来、無用な混乱を避けるためにこちらから行く者はいなくなった」
「…………」
オルバスの言葉は、統夜の頭に一つの出来事を思い浮かばせた。魔女狩り、というやつだろうか。その手の話は自身の興味も手伝ってか、割合よく覚えている。
しかし歴史の新事実など、この際どうでもよかった。そんなことよりもぜひ確認しておきたいことがある。オルバスが先ほどから何度も口にしている、その単語。自分がずっと憧れ、幼い頃からあればいいなと思っていたもの。
魔法。
それを一目見たくて統夜はウズウズしていた。会話が一応の区切りに達したとみるや、すかさず切り出す。
「あの、一つお願いがあるのですが、魔法を見せてもらえませんか?」
統夜の申し出に、オルバスは快く応じる。
「ふむ。どのみちレフィアがもうすぐ戻ってくる頃合いじゃし、お湯でも沸かしておこう」
そう言って席を立つと、オルバスは壁に掛けてあった鍋を手に取った。瓶から水を汲み、鍋を薪ストーブの上に置く。次にストーブの口を開け、その中に薪を放り込むと統夜を手招きした。
「こっちへ来るといい、トウヤ君。今から火をつけよう」
言葉と共にオルバスが顔の前で右手の人差し指を立てた。
「燃えよ」
短く命じると、その指先に小さな火が灯る。
老人がその手を差し向けると小さな種火が放たれた。薪が徐々に燃え上がっていくのを確認したオルバスはストーブの扉を閉め、再び椅子に座りなおす。
「うわぁ……! マジかよ……」
ストーブの火を見つめる統夜の口から、感嘆の言葉が漏れる。焚き付けもなしに容易く火を付けてしまったその現象は、まさしく魔法と呼ぶに相応しい。
初めて見たであろう不可思議な現象を抵抗なく受け入れる統夜の姿に、オルバスは感心したように言った。
「君は、変わっているのう」
「そうですか?」
「うむ。エネルゲイアの者は、魔法を見ると取り乱すものが多くてな。何でも理論として確立しないと気が済まないものと思っていたが。君は実に落ち着いている」
「まあ、人によるんじゃないですかね。俺は魔法に憧れてこの世界に来たわけですから」
統夜は椅子の方に戻りながら何気なく言った。
その様子に何を思ったか、オルバスは慌てた様子で確認する。
「なっ……誤ってこちらに迷い込んでしまったわけではないのか?」
「ええ、歩いていたらいきなり黒い渦のようなものが現れたので、これは何なのかな、と思って飛び込みました」
「それでは君の生まれた世界に帰る意志はない、と?」
「そうですね。とりあえず、いまのところは」
「そう、か……」
これ以上ないほどハッキリとした宣言にオルバスは絶句する。
本当に変わった青年だった。ただでさえ、エネルゲイアから来る者は稀有な存在である。彼らは大抵、統夜の言う渦、唐突に起こるその現象に偶然入ってしまったものであり、普通はすぐにでも帰ることを望む。オルバス自身、それは当然だと考えていた。誰であれ自らの慣れ親しんだ世界とは、常識も文化も全く違う所に居つこうとは思わないだろう。
それなのに目の前の青年は、自らの意思で渡り来たと言う。驚くなというほうが無理な話だった。
統夜は何がおかしいのかわからない、といった調子で続ける。
「そんなに変なことですか? あっちの世界、エネルゲイアは退屈なんですよ。まあ、誰かに聞いたわけじゃないんで、そう感じてるのは俺だけかも知れませんけどね。だからもし異世界なんてのがあるなら、行ってみたいなあって常々思っていたんです」
その、屈託なく笑う統夜の姿にオルバスは一つの希望を抱いた。
彼ならばもしかしたら、レフィアの友人になりうるかもしれないと。