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出会い

 魔法が存在しない、なんて一度も考えたことは無かった。それは俺がまだ小さかった頃、不思議な体験をしたからだ。

 そもそもの原因はよく覚えてない。確か蝶を追いかけてたような気がするけど、どうだったかな。まあ、小さい時の記憶なんてそんなもんだろ?

 母さんがちょっと目を離した隙に道路の中に入っていった俺は、気が付けば車に轢かれそうになってたわけで。目前に迫った鉄の塊を眺めながら出来たことと言えば、目を閉じるくらいのことだった。


(――っ?)

 いつまで経ってもやってこない衝撃を不思議に思ったとき、

「こら、危ないじゃないか」

 女の人の声で、俺を諌める声が聞こえてきた。目を開けて最初に飛び込んできたのは、鼻先まで迫っていた車だ。ただそれは、ぴくりとも動かなかった。いや、車だけじゃない。周りの全てが凍りついたみたいに静まり返っていた。

 まるで時が止まっているかのように。

 動いているのは俺ともう一人、綺麗な黒髪の若い女性だけだった。

「これからは周りによく気を付けること。もう飛び出しちゃいけないよ」

 彼女は俺の手を引いて道路の端へ出ると、ありきたりな注意を言葉にした。

「ご、ごめんなさい」

「うん、いい子だ」

 そして、にこっと笑うと、

「さてと、このことは他の人に喋らないようにね。……まあ、信じる人もいないと思うけど」

 そう言い残してどこかへ歩いて行ってしまった。

 その後ろ姿をぼんやりと見ている内に、いつの間にか喧騒は蘇っており、母さんはひどく安心した様子で俺を抱きしめた。


 むろん俺は、この出来事を誰にも話したことはない。もし口に出したりすればどんな扱いを受けるか、幼いながらにうっすらわかっていたからだ。それに年月の経過と共に俺自身、あれは夢だったのかもしれないと思い始めていた。

 でも完全に否定する気にはどうしてもなれなかった。

 だってそんな不思議が世の中にあった方が、断然面白いからな。





そこは、静かな場所だった。頬を撫でる涼風が軽く梢を揺らし、どこか遠くの方では鳥が鳴いているのが聞こえる。

 統夜は薄く目を開けると、青い空に自分の手をかざした。どうやら自分は気を失っていたらしい。

「ふう。とりあえず命はあるぞ、と」

 立ち上がり、軽く伸びをしながら辺りを見渡す。正真正銘、どこをどう見ても森の中だ。そこかしこに異様に幹の太い木々が生えており、枝を一杯に伸ばしている。もっとも、薄暗い鬱蒼とした森、というほどの密度ではない。清涼な空気が辺りを満たし、適度に差し込む木漏れ日が辺りを明るく彩っている。

 周囲に道などは見当たらず、適度な硬さを持った土と、それを覆う苔や背の低い草の絨毯が一面に広がっていた。

「ふむ、いきなり遭難者としてスタートなわけか。まあ、いきなり化け物の前に放り出されたりするよりはマシだよな……」

 近くに落ちていた自分のカバンを拾いつつ、一人ごちる。そのまま、当ても無く歩き出す統夜であった。



「くっそー、どこまで続いてんだよ、この森は。こんなとこで野垂れ死にとか勘弁だぜ」

 淡々と足を動かしていた統夜は、やがてこらえきれずに愚痴をこぼした。

 目覚めてから休憩なしで歩き続けているにも関わらず、未だ森が途切れる気配はない。一向に変化を見せない景色に対し、不安よりもいらいらが募る。

 暇つぶしに音楽を聞こうにも音楽プレーヤーは電池が切れているのか壊れてしまったのか、いくらボタンを押しても起動することが出来なかった。

 携帯電話も同様に無反応だ。おかげでどれくらいの時が経ったかすら定かではない。

(あー、つまんねぇ。魔物でも出てくれればテンション上がるんだが……いやいや落ち着け俺、そんなもん出てきたら確実に人生終了じゃねえか)

 統夜はぶんぶんと頭を振り、物騒な考えを放棄した。

 長年憧れていた見知らぬ世界は、期待していたほどワクワクするものではなかった。

 第一、今いる場所が自分のいた世界でないという確信すらまだ持てない。歩いている途中で何度か野鳥は見かけたものの、それらがこの世界特有の種なのか、統夜には判断がつかなかった。平凡な大学生の知識にある鳥の種類など、たかが知れている。それは植物に対しても同様のことが言えた。周囲にこれでもかとそそり立つ木々を調べても分かることは皆無だ。できることと言えば、辺りを注意深く窺いながら歩き続ける以外にない。

 すると唐突にちかっ、と何かが照り返すのを視界の隅に捉えた。そちらへ目をやると、日の光を反射する銀色の何かがあった。

(おっ……?)

 さっそく統夜は、その何かに向けて足を進めた。進展の無い状況を打開するためにも、ここで確認しないという選択はあり得ない。

 はやる心につられて自然と歩みも早足になる。徐々に近づくにつれ、銀色の物体の周囲が見通しの良い場所になっていることに気が付いた。なぜかそこの周辺だけ木々が折れ、倒れているのだ。

 ようやくその空間の端にたどり着いた統夜は放心したように声を上げた。

「嘘、だろ……」

 全身が煌めく鱗で覆われたソレは、自身のいた世界では空想上の生き物といわれるもの。

 一見するとトカゲのようでもある頭、大きな口からは鋭い牙が覗いており、逞しい四肢と、絹のような質感の両翼を有している。体長は七メートルはあるだろう。

 紛うことなきドラゴンである。

(しっかし、これはどういうことだ?)

 銀色の竜は遠目からでも分かるほど衰弱していた。体のあちこちに傷を負い、水銀のような血液が止まることなく地面に染み込んでいく。おまけに前肢は十字架の形をした白い杭で刺し貫かれ、無残にも地面に縫いとめられている状態だった。

 統夜はもっとよく見ようと側に寄ろうとして、そして躊躇った。

 西洋ではドラゴンという存在が、悪の象徴として描かれていることを思い出す。今、目にしている銀色の竜は、悪竜故に退治されたということも十分に考えられた。近づいた途端に喰われることもあるかも知れない。

 けれども小説や映画などでは人間の言葉を解し、力を貸してくれる存在として出てくるのもまた事実。

 統夜は冷静に身の安全と、未知の存在に対する興味を秤にかける。

 心の天秤はすぐに傾いた。



(ま、そうじゃなきゃこんなとこに来てたりはしないか)

 統夜は銀竜に駆け寄りながら、自分の旺盛な好奇心に苦笑した。

「おい、大丈夫か?」

 試しに問いかけてみるが返事はない。浅い呼吸をしているので、生きてはいるはずなのだが竜は眠るように目をつぶったままだ。ともかく、なんとかして自由にしてやろうと思い、統夜は行動を開始した。前足によじ登り、杭の一つを両手で引き抜こうとする。

 しかし、いや当然と言うべきか、満身の力を込めても杭はびくともしなかった。材質は不明だがその大きさからして、人間一人の力でどうにかできる質量ではないのかもしれない。

「こりゃ無理だな。諦めるしかないか」

統夜は額の汗を拭いながら、ポツリと呟いた。

 出来ることならば助けてやりたかった。ただし、無理難題にいつまでも付き合っていられるほど自分にも余裕があるわけではない。遭難中の身としては、徒に時間を浪費するのは避けたいところだった。

してやれることは何もないという事実を受け入れ、地面に降りる。

「すまん。俺じゃ、力不足みたいだ。せめて安らかに逝けるといいな」

 せめてもの手向けとばかりにそう言って、統夜が竜に触れた瞬間、

 眠っていると思われた竜が、目を見開いた。

 間髪入れずに爆発的な閃光が辺り一面に迸り、統夜の視界を白一色に塗りつぶす。

「ちょっ! えっ? 逆鱗に触っちゃったってオチ!?」

 予想だにしない展開に統夜は思わず声を上げ、あまりの眩しさに目をつぶった。

(…………?)

 しばらくしても何も起こる気配はない。統夜は恐る恐る目を開けると左右を見渡し、自身の後方を確認し、頭上を見上げ、そして首を傾げた。

「……消えちゃったよ」

 統夜は狐につままれたように立ち尽くす。何が何だかわからない。竜はおろか、それを縛めていた杭までもが忽然と姿を消していた。

 潰れた草だけが、そこに何かがいたことを物語っていた。



「はあ、やっぱり現実ってのは厳しいな。何かしらの騒動に巻き込まれんのが異世界冒険譚のテンプレじゃないのかよ」

 統夜は澄んだ水が流れる川べりでため息をつき、手の中にある名前の分からない黄色い果実にかじりついた。鳥がついばんでいたのを見て毒ではないだろうと思い、付近の木からもぎ取ったものである。幸い木の高さは低く、取るのは容易だった。果汁の多い実は淡白な味だがまずくはなく、しゃりしゃりとした触感は林檎を思わせる。統夜は食事兼水分補給として、黙々とこれを腹に詰め込んでいた。

傷付いた竜を見かけた場所からさほど経たないうちに川を見つけ、これに沿って行けば橋にでもぶつかるはずと考えたのだが、残念ながらそう上手くはいかなかった。すっかり日も落ちて辺りが暗くなってきたところで、今日の探索は打ち切ることにしたのである。

 統夜は貧相な食事が終えると川の淵に行き、手と顔を洗う。

(することもないし、そろそろ寝るか。さすがに今日は疲れた)

 手近な木の根元にカバンを置いて枕代わりにする。仰向けになって空を眺めると、そこには今までに見たことが無いような満天の星が輝いていた。さすがは異世界と言うべきか、浮かぶ月は淡い青色をしている。

 統夜は天体観賞もそこそこに目を閉じ、これまでのこと、これからのことを思案する。

(とっとと人に会えんものかなあ……。しかし、人がいたとして……言葉が通じるんだろうか? 仮に通じたとして異世界からやってきた人の扱いはどうなってんだろう)

 問題は山積みだが、押し寄せる眠気が長々と悩むことを許さない。大きなあくびを一つすると、大人しく自分の欲求に従うことにした。起きてもいないことをあまり深く悩む性分ではない。

「まあ、なるようになるだろ」

 統夜は自らの思考に一応のケリをつけ、決して快適とは言えない草の上で眠りについた。



 太陽が顔をのぞかせて間もない早朝の森を一人の少女が歩いていた。

 少女は左手に木で編まれた手籠を持っており、時折立ち止まっては目に入る野草や木の実を手慣れた様子で摘み取っていた。道なき道を進むしっかりした足取りには、迷いがない。

(ふう、これだけあれば十分かな)

 少女が一杯になった籠を見て、そろそろ帰ろうかと思ったその時。


 木の根元に倒れている人影が目に入った。


 不審に思って近付いてみると、倒れていたのは一人の青年だった。この辺りの町の人間ではないのか、あまり見かけない髪色をしている。夜闇を連想させるような真っ黒い髪だ。

 見た所、怪我などを負っている様子はない。倒れているというよりも眠っているといった方が良さそうである。切羽詰まった事態ではないことに、とりあえず少女は安堵した。

(代行者の人? でもそれにしては軽装すぎるし……。道から外れて森に迷い込んじゃったのかな)

 少女はその場で考え込んだ。

 他人と関わるのは、正直あまり気が進まない。かと言ってこのまま見なかったことにするというのも抵抗がある。もし困っているのなら力になってあげたかった。例えその結果が、いつものようになろうとも。

 少女は一度深呼吸すると、緊張の面持ちで声を掛けた。

「あの、大丈夫ですか」

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