勝負の行方
(温かい……)
レフィアには自分が、誰かに抱きかかえられているのが分かった。刺し貫かれた両手には未だ鋭い痛みが残っていたが、心中には深い安堵が押し寄せていた。
(何だろう。うまく言えないけど……凄く安心する)
それは以前、確かにどこかで感じたことのある温かさだった。理屈の上では、そんなことあり得るはずがないという思いがある。しかし他でもない自分の感覚が、間違いなく彼なのだと主張していた。
「無事……じゃないな。大丈夫か、レフィア」
案じる声に応えてレフィアが薄目を開けると、やはり想像通りの姿が映る。
これは自分の見ている夢ではないだろうか、問いかけたら幻のように露と消えてしまわないかという恐れを抱きつつも、呼びかけずにはいられない。
「トウヤ、なの?」
「そうだよ。もう俺の顔を忘れちまったのか?」
いつもと変わらない、飄々とした受け答えが返ってくる。
たったそれだけのことがとても嬉しくて、感激のあまりレフィアの涙腺が熱を帯びた。
「よかった、よかった……! すっごく心配したんだから」
泣きながらしがみついてくる彼女を抱えたまま、統夜は跳躍してひとまずその場から距離を取った。傷に障らないよう極力気を遣って、そっと木にもたせかける。
少し落ち着いたらしいレフィアは、立ち上がった統夜の背中へ言った。
「わたしのことは、もういいから。トウヤだけでも逃げて」
「やだね」
当然、同意してくれるものと思っていたレフィアはさらりと拒絶され、きょとんとした表情になる。
「何を、言ってるの?」
「いいからお前は寝てろ。あとは俺がやっとくから」
レフィアは再び戦いに赴こうとする彼を制止しようとするが、体力を消耗しきった今では意識を保っているのも限界で、身体を動かすことも出来ない。
「だめだよ、トウヤ。今度こそ、殺され……ちゃう」
必死に呼び止めるものの、とうとう気を失ってしまった。
統夜は失神する寸前まで自分の事を心配してくれた少女へ振り返り、
「お前を残して死ぬわけないだろ。そういう約束だ」
それだけ言うと一飛び、戦場へと舞い戻った。
広く世に知られるほどの代行者、〝剣の王〟と呼ばれるエリックは動き出せずにいた。
相対する敵はいかにも素人臭い、名も知らぬ黒髪の青年である。百戦錬磨の自分とは格が違う。片手間に圧勝して然るべきだと、彼は思っていた。
しかし現在は困惑と疑念に駆られ、自然と表情も険しくなっている。緊張のあまり、頬を伝って冷や汗が一筋流れ落ちた。
(どういうことだ……あれだけの傷を一気に治癒しただと?)
そもそもあの青年には確かに致命傷となり得るほどのダメージを与えたはずである。自分の見立てでは戦闘はおろか、起き上がる事すら不可能だと思われた。これまで数多の敵を屠ってきた自らの感覚に狂いがあるとは考えられない。
ところが現に青年は立ち上がっている。決して虚勢やハッタリなどではなく、しっかりと地を踏みしめて。
(まさか今までは手を抜いていたのか……?)
加えて、ただ息を吹き返しただけではない。今の彼からは人間に許された範疇を遥かに超えた、桁外れの魔力がほとばしっていた。 少し前までとは、全くの別人と言ってもいいくらいだ。
(いや、そんなはずがない。あの気迫は間違いなく本物だった)
浮かんだ考えを、すぐさま首を振って打ち消す。先程の戦いの様子を思い返してみても、力を隠していたようには到底見えなかった。対峙した者として得た実感からその判断を下す。何よりも、そんなことをする意味はどこにもない。
それでも決して自分が敵わない相手ではない、とエリックは驕るでもなくただ事実として考えていた。そう誇るだけの力が彼にはあった。
いかなる状況下でもあらゆる角度からの攻撃を防ぐことが出来るライフセイバーがある限り、自分は単騎での戦闘において無敵に近い。いくら強大な魔力を持っているといっても、あの青年に実戦経験が乏しいのは間違いなかった。故に、このまま押し切れると踏んでいた。
かと言って、舐めるような真似はしない。とうに対象への認識は無駄な足掻きを試みる邪魔者から、自身をおびやかす脅威へと切り替わっている。
(遊びは終わりだ。速攻で決める!)
エリックは周囲に侍る剣のうち二本を、両手で直に携えて猛然と大地を蹴った。
これを迎え撃つ統夜は、冷静そのものである。
操れるにも関わらずわざわざ剣を持ったということは何らかの意味が隠されているはず、と短い合間に思考を巡らす。挑まれる接近戦に集中しつつ、もちろん周囲への警戒も怠らない。
エリックの剣技は自身の守りを考えず、過剰なまでに斬撃を重ねていくものだった。一見すると無謀にも思えるが、宙を舞う剣が攻守にわたって彼をサポートする。その上、意識を割く本数が減ったからか、四方から飛びかかってくる剣の動き自体、精度が上がっていた。
並の人間ならば、手数の多さに圧倒されて押し潰される物量である。
もっとも、統夜はすでに並の人間ではない。一切の無駄を削ぎ落とした体捌きで斬撃の嵐をことごとくかわしていく。それも付近を飛びまわる剣をいちいち目で追ったり、銀竜から指示を出してもらったりせずにだ。
『見える。これが竜の力なのか』
『その通りだ。魔力の流れを追うことなど、我らには造作もないことよ』
周囲に存在する微細な魔力を把握し、自身を取り巻く環境が明確なイメージとなって湧き上がる。今の彼には〝剣の王〟とは別の意味で死角が無かった。
それを証明するかのように、統夜は曲芸染みた業前を披露する。胴体を切断しようと背後から横薙ぎに迫る剣を、振り向きざまに自身の肘と膝で挟み込んだのだ。
間髪入れずに、受け止めた刀身へと手刀を振り下ろした。
キィィン! と澄んだ音が響き渡り、刀身を叩き折られた剣が地に落ちる。どうやら、剣としての形状を保っていないと操れないらしい。
突破口を見出した統夜は獰猛に笑い、これ見よがしに指の骨を鳴らした。
「へえ、なるほどね。そういうことなら全部ぶっ壊してやるよ」
「ちっ!」
事実を暴かれたことで、忌々しげにエリックが舌打ちする。
(冗談じゃない。この人なら本当にやりかねないぞ)
彼とて戦闘の要となる武器に妥協はしていない。特殊な力こそ無いが、どれも名のある鍛冶師に作らせた一級品ばかりであった。それを何本も打ち砕かれては、たとえ報酬で新たな剣を得られようと割に合わない。
(改めて戦況を洗い直すべきか……?)
速攻のままに勝機をもぎ取るとの考えは、はやくも修正を余儀なくされた。
今すぐ決着をつけられるような決定打は双方にない。
身体能力では格段にこちらが劣っている。
このまま戦闘が長引けば最悪、噂に聞く〝天雷〟の乱入もあり得る。
それら様々な条件を加味し、戦いの趨勢を探る。実際には数秒というわずかな時間の中で、流れるように一つの結論へと帰結した。
すなわち、戦闘の放棄である。
エリックは自身の操る幅広の剣へと飛び乗ると、そのまま統夜には見向きもせずに、一直線にレフィアのもとへ飛んでいく。残りの剣も動員して気を失った彼女を担ぎ上げると、すぐさまその場を離脱しにかかった。
もともと彼には統夜の殺害は依頼に含まれていない。あくまでも目的はレフィアを生かして連れ去ることだけなのだから、これは合理的な判断と言えた。
統夜が口笛を吹いて称賛する。
「空まで飛べんのかよ。まったく、随分と応用の利く魔法だぜ」
あっという間に木々の隙間から覗く後ろ姿は小さくなっていくが、焦る様子もなく彼は言葉を紡ぎ始めた。
「わが身に宿りし偉大な竜よ。契約に従い、その力を貸したまえ」
呼びかけに応じるように突如として光の粒子が巻き起こり、体にたちまち変化が生じ始める。
脚には脛当てがつき、
手の甲から肘のあたりまでが籠手で覆われ、
先端の尖った、長くしなやかな尻尾が生え、
とどめとばかりに、背中から双翼が飛び出した。
いずれもが銀色に輝く硬質な鱗で形作られている。
もちろん、その姿は見かけだけではない。背中の翼が空気を一打ちすると、統夜は大空へと舞い上がった。
エリックは下方からの妨害を警戒していたが、まるで音沙汰がないことに拍子抜けする思いだった。あれだけの執念を見せておきながら、追いかけてこないのは意外と言うよりない。
(まあ、諦めてくれたのならそれに越したことはないか)
だが、彼は簡単な思い違いをしていた。
警戒すべきは下方ではなかったのである。
(っ⁉)
突如、操作する剣から、運んでいたはずの少女の重みが消え失せた。
エリックが驚きと共に振り返ると、
「そんな馬鹿な……」
まず自身の眼を疑った。傍目にもわかるほどの動揺を表に出し、思わず声が震える。
「飛べるのはなにもお前だけじゃないんだぜ」
意識の無いレフィアを抱えながら、統夜は淡々と言う。
が、エリックが驚いたのはそんなことではない。人とも竜ともつかない、統夜の容姿そのものに彼は恐れ戦いたのである。
「その姿、まさか真竜と契約を!?」
真竜。
それは、ただでさえ手強い竜族の頂点に位置する最強の魔獣。強大な魔力と筋力、高い知能を併せ持ち、陸海空の全てにおいて圧倒的な戦闘力を誇る生物の覇者。
存在自体は常識として子供でさえも知っている。しかしそのほとんどが、今では物語の中に登場するものを聞くのみで、実物とまみえることはほぼ無いとされる希少な存在だ。もちろんそれはエリックも例外ではなかった。彼も実際にお目にかかったことはない。
見つける事でさえ一苦労。
仮に出会えたとして、それを倒すなど輪をかけて困難である。
なにせ逆鱗に触れたが最後、国が一つ消えるとまで言われているのだ。対竜に特化した自己式魔法なり人造魔装でも用いなければ、まともな戦いにさえならない。
「ありえない……。あなたは一体、何者なんだ?」
「ただのお節介な代行者さ」
統夜としては正直に答えているのだが、エリックはとても額面通りには受け取れなかった。同業者にしては噂にすら聞いたことが無いという事実が、余計に不可解さを際立たせる。
(深追いは危険、か)
慎重を期してそう判断したエリックが、自分の足場としている剣以外を全て鞘へ納める。
「……ここは退かせてもらう」
統夜は何も言わず、ただ彼を見送った。
「くそっ、一体何をやっている。これだから人間は当てにならんのだ」
エリックの姿を遠目に認め、ロザールは苦虫をかみつぶしたような渋い顔で毒づく。独り身である様子からして彼の敗走は間違いなかった。
(誤算だ……! よもやこんな辺境の地で、〝天雷〟の爺以外にあの〝剣の王〟を退けるほどの存在がいるとは――)
万が一彼を倒した何者かに増援に駆けつけられては、面倒なことこの上ない。ロザールはすぐさま撤退を決意すした。
「遺憾ながら、私も今回は諦めなければならないようです」
「……お主を逃がすと思うかね?」
「冗談は止めてください」
足を引っ張る荷物もなく一対一という状況なら、確実に撒ける自信が彼にはあった。純粋な肉体の力では、吸血鬼と人間には大きな差がある。
「単なる人間のあなたが、逃げに徹した私に追いつけるはずが――」
自信に満ちた言葉が、中途で切れる。彼の心中で湧く不審を現すかのように突如として日が陰った。綺麗に晴れ渡っていたはずの空に黒雲が沸き起こっているのである。
オルバスが放心するロザールへと容赦なく告げる。
「向こうが心配ないとなれば、もはや魔力を温存しておく理由は無いのでな」
ロザールはこれが、逃げきれる規模の魔法ではないと悟った。あとはもう見上げるだけだった。
「受けよ、裁きの雷を」
言葉と同時に、天から雷が降り注いだ。




