二度目の邂逅
流れ出る血液が刻一刻と地面に広がっていく。傷は、どうしようもなく深かった。
(これは……助からないな)
統夜は直感でそう思った。感覚が麻痺してしまっているのか、重症にも関わらず痛みもあまり感じない。
言う事を聞かない体でそれでも何とか目を開けると、剣がこちらに狙いを付けているのが見えた。どうやら律儀にも止めを刺してくれるらしい。
(まあ、分かってた事か)
観念と共に瞼を閉じる。こうなるだろうということは最初から覚悟の上だった。今さら自分が死ぬことに対する未練はない。ただ一つ心残りがあるとすればそれは、とある少女がまた独りぼっちになってしまうことだけ。
(せっかく、仲良くなれたのにな)
今わの際に思い浮かぶのは、元いた世界で長年過ごした家族や友人のことではなくレフィアの事ばかりであった。彼女は無事に逃げ切れただろうか、そう言えば約束を守ってあげられなかった等々、様々な事柄が心の中に浮かんでは消えていく。
(……?)
ところが、一向に最後の攻撃がやって来ない。
統夜は訝しげに思って再び目を開けた。エリックはレフィアを追いかける素振りも見せずに佇んでいる。その行動の意味について考えようとした矢先、体を誰かに抱きかかえられた。
見上げると視界に、瞳を濡らしたレフィアが映った。
抱いた疑問が氷解する。なんのことはない、単に急いで始末する必要が失せたというだけのことらしい。
「何だ、戻って……きちまったのか」
「だって……だって、トウヤが死んじゃったらわたしは……!」
レフィアが嗚咽を漏らしながら言う。本音を言えば、彼女が舞い戻ってくることに不思議はなかった。大方、取り返しのつかない事態になる前に自分が降参すれば、とでも考えたのだろう。彼女がそうしたいと思ったのなら、それを咎める気はない。
「カッコわる……。これじゃあ俺……ただの、犬死にだな」
ごほっ、ごほっ、と咳き込むたびに赤い血がこぼれた。統夜は自分に残されている時間が短いことを感じる。しかし、レフィアに何を言ってあげるべきなのか考えがまとまらない。
その時、すすり泣くレフィアが悔やむように言った。
「こんなのやだ……。トウヤがいないのに生きてたってしょうがないよ」
その一言が、沈もうとしていた統夜の意識を踏みとどまらせる。
悲しみに暮れるレフィアの頬に、ぺしっと弱弱しい平手打ちが見舞われた。
「二度と……そんな悲しい事……言わないでくれ」
彼女は驚いた。いつもは温厚な統夜が怒っていることに。彼が怒っているのをレフィアは初めて目にした。
「生きてりゃ……辛い目に遭うことも、あるさ。でも……負けないで。生きる、のを……諦めないでほしい。お前にも……そう思う奴が、いるんだってこと、忘れんなよ」
統夜は途切れがちな声を絞り出す。これから先、少女が絶望に押し潰されないように、これまでみたいに強く生きていってほしいという願いを込めて。
「泣くなよ……きっとまた、俺みたいな奴に、会えるって」
震える手を必死に持ち上げ、レフィアの頬に添えて言った。
「わたしは……!」
レフィアが縋りつくようにその手を握る。まるで、統夜がどこかへ行ってしまうのを阻止するかのように。
「わたしはトウヤと一緒がいいの、トウヤじゃなきゃ駄目なの! だから死なないで……わたしを置いていかないでよトウヤぁ!」
「悪い、な……だから、言ったろ? 俺は……自分勝手な奴だって」
その言葉を最後に統夜の手から力が抜けた。安らかな表情の顔に、ぽろぽろと涙の雫が垂れた。
そして、森の中に悲痛な慟哭が響き渡る。
世界から拒絶され、周囲から叩きのめされ、それでも困っている誰かを助けたいと願った一人の少女が泣き叫ぶ。彼女は自分の運命を呪うことなく幾度も立ち上がり、溢れそうになる涙も仕舞い込んでただひたすらに耐え続けた。唯一愛してくれた母と死別しても悲嘆にくれず前を向いて、懸命に自分を受け入れてくれる人がいることを信じた。
結果として彼女は出会うことができた。自分を奇異の目で見ることなく、ただ一人の女の子として扱ってくれる、穏やかな黒髪の青年と。
しかし、世界は無情だった。
ようやく見つけた心の拠り所、寄り添える居場所をくれた掛替えのない青年は、呆気なく奪われた。
それでも悪夢は終わらない。過酷な現実は容赦なくレフィアへと襲い掛かる。
「さーて、もういいかな。とっとと君を連れてかないといけないんでね」
今まで成り行きを見ていたエリックが腰を上げた。宙に浮いた二本の剣が流星のように発射され、少女の両手を地面へと縫いつける。
「――く、あっ⁉」
激痛にもがくレフィアに対してエリックは冷酷に言い渡した。
「抵抗できなくなるまで血を抜かせてもらうよ」
これが、死なのか。
意識はぼんやりと霞みがかっているようで、思うように頭が働かない。ただゆっくりと、暗い水底へ沈んでいく感覚だけに支配されて、統夜は心地よい微睡みへと落ちていく。辺り一面は暗闇で、自分が目を開けているのか閉じているのかさえ分からない。
もう自分には何もない。
何か憂いていた気もするが、忘れてしまった。
譲れないものがあって躍起になっていた気もするが、思い出せない。
たゆたう内に剥がれ落ちてしまった記憶は、ざるで水をすくうかの如くこぼれてしまう。
何も分からない。
統夜が考えるのを放棄して、穏やかな眠りに身を委ねようとしたその時だった。
『あの娘との約束はどうする気だ』
聞き覚えのある渋い響きを持った声が、どこからともなく尋ねる。
(あの、娘……?)
統夜は首を傾げた。
それは一体、どこの誰を指して言っているのか。
分からない。
ひょっとすると自分の知り合いなのか。
分からない。
どんな約束をしたというのか。
何も、分からない。
本当に?
(そうだ、俺は確かに……)
統夜が記憶のかけらを丁寧に拾い集めていくと、何かに思い当たった。
誰かと交わし、側にいると誓ったおぼろげな約束。自分はその誰かを助けたがっていた。たとえこの身を犠牲にしてでも。
だが、それが誰だったのか、肝心の部分が思い出せそうで思い出せない。すり抜けて行ってしまう。
焦燥に駆られる統夜の耳に、どこか遠くから胸を締め付けられるような寂しい調べが届いた。
(一体誰が――?)
暗闇をかき分けていくと、一人の少女が膝を抱えるようにしてすすり泣いていた。
顔は見えない。
しかし自分は、その少女を知っているような気がした。銀色の髪を持つ可憐な少女を。
(お願いだから――)
その姿を見ていると、無性に気持ちが込み上げてきた。
彼女には泣いてほしくなかった。笑顔でいてほしかった。
(泣かないで――)
統夜は慰めようと、肩を震わせる少女に向かって手を伸ばす。
しかし、伸ばした手はびくともしない透明な壁に阻まれて届かない。
悔しむ統夜だったが、牢獄に囚われている少女は顔を上げて何かを叫んだ。
「――」
涙を流しているのは、宝石と見紛うオッドアイ。
それを見た統夜の脳裏に、一つの名前が鮮烈によみがえった。
(――俺はここにいるよ、レフィア)
すると暗闇だった空間が弾け、彼は自分がいつの間にか、草原に横たわっていたことに気が付いた。途端に知力を覆っていた霧が晴れ、いつもの明敏さを取り戻す。
(ここは一体……? 俺はまだ生きてる、のか?)
統夜は半ば信じられない気持ちで起き上がった。自分の体を見下ろすと瀕死の重傷を負っていたはずが、驚いたことに傷が綺麗さっぱり消えている。
そこは木々の生い茂る森ではなく、見渡す限りの草原が広がる不思議な場所だった。地平線の先まで果てしなく空と大地だけが続いており、それ以外には何もない。
あまりにも現実味のない景色に呆然としていると、もはやお馴染みともいえる渋い声が、
『ここは貴様の精神、その最下層にあたる場所だ』
いつものように頭の中ではなく自分のすぐ後ろから聞こえてきた。
「っ!? お前は……」
振り返った統夜は驚きの声を上げる。
そこにいたのはデュナミスに来てすぐに出会った銀色の竜だった。ただ、あの時と違うのは今やどこにも傷を負っている様子はないということだ。|銀色の鱗は燦然と輝きを放ち、生命力に満ち溢れた巨体でじっとこちらを窺っている。その理知的な眼差しは賢者としての趣をたたえ、彼(?)がたんなる獣ではないことを表していた。
『直に会うのはこれで二度目だな。トウヤ・タツガミよ』
四肢で立ち、両翼を広げる銀竜が言う。威風堂々としたその様は、目の前にいるだけで気圧されるほどである。統夜は唾を飲みこみ、ようやく聞く。
「ずっと、俺の中にいたってのか?」
『さよう、あの時瀕死の我が助かるにはこれしか方法が無かったのでな。勝手ながら貴様の回復する魔力を分けてもらっていた。もっとも、それもここまでのようだが』
両者の間に沈黙が訪れる。やがて統夜の方から口火を切った。
「……知ってるとは思うが、この物件はそろそろ取り壊されるぜ。引っ越すなら早くした方がいい」
『ほう、諦めるのか?』
「命まで賭けて、それでも勝てなかったんだ。不本意な結果だが仕方ねえ」
統夜は投げやりに言い、ぐっと唇を噛みしめる。
彼自身、諦めたくはなかった。だが気合いや意地だけでは、どうにもならないほどの差があることくらい先ほどの戦いで十分に思い知っている。剣を握って日の浅い自分とは違ってあの少年は、恐らく何年も戦いに身を投じてきたであろう戦士なのだ。
そんな統夜に銀竜は可能性を提示する。
『そう、今の貴様ではどうしようもないだろうな』
「……なに?」
『貴様の選べる道は二つある、ということだ。このまま全てを受け入れ、安らかに死を迎えるか。あるいはわずかな可能性にすがり、生を掴み取るか。どちらか好きな方を選ぶがいい』




