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襲撃

 統夜が胸に息苦しさを感じて目を覚ましたのは、夜明けも間近な時刻である。原因は自分の上に何かが乗っかっているという圧迫感だ。彼が面倒そうに頭を起こして確かめると、その正体はレフィアだった。まるで統夜の鼓動を聞いているかのような体勢で彼女は眠っていた。

(……寝にくくないのか?)

 統夜は思って、銀糸のように滑らかなレフィアの髪を手櫛(てぐし)で整える。そんな心配は無用とばかりに満ち足りた顔つきですやすやと眠っている彼女を見ていると、思わず苦笑が漏れた。

 視線を動かして窓から覗ける空を見やれば、もうかなり白んできている。目が()えてしまい、これからまた一眠りする気にはなれなかった。わざわざ起こすのも気が引けるし、直に彼女も目を覚ますだろう。統夜はそう考え、しばしの間このままでいることにする。

(いつから、だろうな)

 不意に、ここへ来てからの日々が思い返された。

 そもそものきっかけは、ただの暇つぶしみたいなものだった。レフィアに話しかけた理由などそんなものだ。はじめは緊張と戸惑いが入り混じっていたものの、歳が近いこともあってか、幸い少しずつ話をするようになっていった。

 幾度(いくど)か接するうち、時折見せる寂しげな表情から彼女が何かを抱えているのが分かった。しかし、別段気にも留めなかった。所詮(しょせん)は一時の関係に過ぎないのだから、気を回す必要はないと思ったからだ。

 ところが一緒に過ごすうちに段々と心を開いてくれるのが嬉しくて、気が付けば思いは膨らんでいた。いつの間にか、自分はどうしようもないくらい彼女に惹かれていた。はにかんだ時の笑顔や、鈴を転がすような綺麗な声、何かの花のような甘い香り、そして何より彼女の芯の強さに。

 普通あんな理不尽な目に遭わされて、それでも誰かを助けようなんて思えない。少なくとも自分には絶対に無理だ。己の境遇を嘆くか、周りを恨むか、はたまた絶望に押し潰されてしまうだろう。

 だから見守ってあげたいと、少しでも力になってあげたいと思った。この優しく強い、可愛らしい少女を。救うことは出来なくとも、せめて寂しさを紛らわせてあげることぐらいはできるはずだ。

 自分を突き動かすこの感情が、異性に対する恋慕なのか、家族に抱くような親愛なのかは分からない。けれどレフィアには幸せになってほしいと、笑っていてほしいと、心の底からそう願うのだった。

 そんなことを考えているうちに、胸の上で熟睡していた少女がもぞもぞと動き出す。彼女は体を起こして座ると、大きなあくびをした。

「おはよう、レフィア」

 統夜が馬乗りにされたまま挨拶をすると、

「ふわぁ……おはよ、トウヤ」

 目をこしこし(こす)りながら彼女も返す。仮にも男女が同じベッドで寝ていたというのに、自身の貞操を案じる様子を欠片も見せない無邪気さが微笑ましい。そんな可能性がある事など考慮の内にも入ってないようだ。警戒心の無さは無知からか、それとも信頼か、どちらにせよ狼藉(ろうぜき)を働く度胸など持ち合わせていないのだが。

 レフィアはベッドから降りて窓を開け放ち、快晴の空を見上げると(まぶ)しい笑顔で言う。

「うん、今日もいい天気になりそうだね」

「そうだな」

 それから二人が階段を下りて行く途中、居間からオルバスの話し声が聞こえてきた。どうやら遠視の魔法で誰かと会話しているらしい。その内容は爽やかな朝の空気に似つかわしくない、重苦しい雰囲気が漂うものだった。

「お主がわざわざ連絡してくるとは、良くない知らせのようじゃな」

「ご名答だ。今朝、とある死体が見つかった。それだけなら……まあよくあることじゃねえが、不思議はない。問題は、その死体に吸血鬼の痕跡があったってことだ。おかげでこっちは今、街中がピリピリしてる」

 統夜とレフィアは足を止め、驚きのあまり顔を見合わせた。

「レフィアなら、昨夜はずっと家におったぞ」

「あの子が犯人じゃねえことくらい分かってるよ。だがな、そうなると生粋(きっすい)の吸血鬼がここらをうろついてるってことになる。しかも手当たり次第に人間を襲わねえとこをみると、気が触れて迷い込んだってわけでもなさそうだ。そんな怪物に太刀打ちできる知り合いなんてあんたぐらいしかいないんだ」

(この声は確か……)

 統夜は聞き覚えのある声で相手を察した。おそらくはテルセアの代行者組合を切り盛りしている赤毛の支部長に違いない。

「とりあえず今のところは、いたずらに犠牲者を出すような真似はしていないが、それもいつまで続くか分からん。頼む、力を貸してくれないか」

「分かった、すぐに向かおう」

 オルバスは切迫した情勢を感じ、協力の要請を承諾した。手早く身支度を整えている間に統夜とレフィアが部屋へ入ると、彼は二人に向かって言った。

「その顔からすると、話を聞いていたようじゃな」

「ええ」

「ならば説明は省こう。わしはテルセアへ行ってくる。二人とも留守を頼むぞ」

「気を付けてね」

 オルバスは心配そうなレフィアに頷くと、矢のように森の中を駆けていった。


(この臭い……)

 もうじき森を抜けるという辺りで、オルバスは微かな血の臭いを捉えた。速度を落として周囲に探りを入れてみると、警戒していなければ気付かないほどに潜められた気配が行く先から感じられる。気配()ちの上手さからみて相当な手練(てだ)れであることは疑いようもなかった。動いている様子は見られず、どうやらじっと待ち構えているらしい。

(あるいは罠、か)

 その可能性を頭に入れつつオルバスは慎重に歩を進める。ほどなく、彼は木立に向かって声を上げた。

「隠れていないで出てきたらどうじゃ」

「……さすがはオルバス殿。〝天雷(てんらい)〟の名は伊達(だて)ではありませんね」

 わずかな間をおいて称賛の言葉と共に木々の陰から、黒い服を着た紳士然とした男が現れた。流れるような銀色の長髪に紅の瞳という容姿は、彼こそが街を騒がせている張本人であることを如実に物語っている。

「わしに何か用かな? 思い違いでなければ、お主とは初対面のはずじゃが」

 オルバスはいきなり敵対する愚を避け、まずは目的を問いただした。

「申し遅れました。わたしはロザールというものです。まあ私の名など、どうでも良いことですが」

 ロザールと名乗った吸血鬼は自身の胸に手を当て、大仰な礼をして自己紹介すると続けて臆面もなく言い放った。

「単刀直入に言いましょう。わたしが今日はるばるやって来たのは、あなたと手合わせ願えればと思いましてね」

 彼はそう言うと腰に下げた銀のサーベルを抜き、オルバスへと突きつける。

 どうにも胡散臭い理由だったが、もとより正直に話してもらえるとは期待していない。オルバスは依然として向けられる闘気から、戦いを避けられそうにないらしいと悟る。彼がため息と共に腕を振ると、手の内に魔力で織り成された黒い刀身の長剣が現れた。

「なるほど、武装型の覚醒者という噂は事実のようだ。その人造魔装(アーティファクト)が音に聞く雷鳴剣、カラドボルグですか」

 感嘆するロザールの前で、にわかにオルバスの体から紫電が溢れだす。静かな林地には今や、空気の()ぜる音が響き渡っていた。戦闘態勢に入った両者は睨みあい、互いの隙を窺う戦いが始まった。




 時を同じくして、別の場所でも衝突している者達がいた。

「その子を連れて行けば、僕の仕事はそれで終わりなんだけど。大人しく渡してもらえないかな」

 七本もの剣を身に付けた少年――エリックが発した問いを、統夜はにべもなく断る。

「そりゃ出来ない相談だ」

 彼は今、全神経を集中させて相手を見据えていた。後ろに(かば)うレフィアに振り返る余裕など全くない。オルバスと対峙した時と同様、実力差がありすぎて正確な力量はもはや計り知れなかった。勝ち目を見出すどころか、時間を稼ぐことができるのかすら疑わしい。

『馬鹿な奴だ。それが分かっていて立ち塞がるとは』

『頭に筋金入りのってつけてくれても構わないぜ。悪いが付き合ってくれや』

 内なる声も、いささか以上に呆れた声音である。

 統夜は正面に立つ相手から目を逸らさずに小声で(ささや)いた。

「レフィア、テルセアへ行くんだ」

「そんな……トウヤを置いて逃げられないよ。わたしが吸血鬼の国に帰れば……帰れば、それでいいんだから」

 レフィアの言葉は震えていた。まるで、嫌な記憶を思い出すまいとしているように。そんな彼女を黙って差し出すわけにはいかない。

「戻りたくないんだろ? それに、誰が逃げろなんて頼んだよ。急いでオルバスさんを呼んできてくれ」

「…………分かった。絶対、絶対死んじゃ駄目だからね」

 レフィアは迷った末に、その提案を受け入れてくれた。

『まったく、よくもまあ口がまわるものだな』

『馬鹿正直に逃げろって言ったんじゃ、梃子(てこ)でも動いてくれそうにないからな』

 だんだんと遠ざかっていく足音を聞いて統夜は満足気に笑みを浮かべ、剣を構えて戦う姿勢を取る。

 エリックが、かぶりを振って言った。

「やれやれだ、僕にはあの子を庇う理由がさっぱり理解できないな」

「分かってもらおうとは思わないね」

 あくまで闘志をむき出しにする統夜を見て鼻で笑う。

「ひょっとして僕に勝てるとでも思ってる?」

「まさか、あんたは強い。素人の俺から見てもそう思えるぐらいなんだから、実力なんて天と地ほども離れてるんだろう」

 統夜が迷いの無い瞳で言いきる。

「でもそれは――退く理由にはならない」

「……へえ」

 面白い、とエリックは心の中で呟いた。

 魔力の察知や相手の力量を見抜くのは苦手だが、それを差し引いても目の前の存在からは何らの脅威も感じられない。構えの稚拙(ちせつ)さから、(ろく)に戦闘経験も積んでいないのは明白だった。それでも彼の視線からは実力差など関係ない、全霊で喰らいついてみせると言外に匂わせる気迫がひしひしと伝わってくる。熟練の代行者でさえ泣いて喚き、無様に命乞いをする者もいる中で、決して揺らがない統夜の姿は新鮮に映った。

「いいだろう。君がいつ諦め、どんな顔で許しを請うのか見てみたくなった」

 彼は統夜の挑戦する意志を認め、自身の最大戦力である七つの剣を同時に操ってみせる。全力を尽くして(ほふ)ることこそ、敵対者への礼儀だと言わんばかりに。




 張りつめた空気の中、先に動いたのはロザールだった。小手調べなどせずに最初から全力で挑みかかる。彼は常人ならば消えたと錯覚するほどの瞬発力で間合いを縮め、突きの連打を見舞う。大方の人間ならばまずかわし切れない攻撃だ。

 しかし相手は、むろん常人などでは無かった。オルバスは繰り出された無数の突きを避けるそぶりも見せない。その場から一歩も動かずに危なげなく全てを弾き、最後には鍔迫(つばぜ)り合いへと持ち込んだ。

「年老いてなおこの戦闘力とは……いやはや、お見事です」

 ロザールはたまらず距離を取り、白煙のくゆる自身の手を見ながら言う。剣を介して伝わる電撃によって腕が焼かれていたのだ。その(ただ)れた皮膚もみるみるうちに張りのあるものへと再生していき痛手にもならないが、オルバスの実力を目の当たりにするとやはり驚きを禁じ得なかった。

(雷を(まと)うことによる超絶的な反応と自動反撃ですか……近接戦闘で無敵を(うた)われるのも頷けますね)

 冷や汗が一筋、ロザールの頬を伝って垂れる。

 余裕のある口ぶりに反して、実のところ彼はあまり楽観できる立場にはなかった。いくら傷を回復できるとはいえ、それには魔力の消費が伴うため無限に続くわけではないからだ。大きな損傷を受け続ければたちまち戦闘を継続できなくなってしまう。

(多少の接触は仕方ありませんが、剣を打ち合うのは最小限に抑えねば……)

 不用意に仕掛けることができず、ロザールは相手の出方をじっと待つ。そんな彼へオルバスは悠然と語りかけた。

「今度はこちらから行くぞ」

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