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暗躍する者達

 統夜が家に戻ると、居間にはすっかり元気を取り戻したレフィアがいた。負った怪我も(わず)かに残るのみで、その身体には影響を感じさせない活力が満ちている。

 そんな彼女が、満身創痍(まんしんそうい)で帰ってきた統夜の姿を見て顔を青ざめた。

「どうしたのトウヤ⁉ もしかして、わたしと一緒にいたせいで――」

 統夜は安心させるために笑みを浮かべようとしたが、あまりうまくいかず痛みで顔をしかめる結果に終わった。それでも努めて何でもない風に言う。

「まさか、オルバスさんに絞られただけだよ」

「大丈夫なの?」

 統夜が、なおも心配する少女の額を軽く小突いて言う。

「それはこっちの台詞だっつの。もう動いても平気なのか」

「うん。わたし、昔から体だけは丈夫だから」

 レフィアが笑顔で言った。今しがた彼がしようと思ったやせ我慢の笑みを、彼女の方は完璧にやってのける。何かを隠していると一目で分かるほどの、胸を締め付けるような切ない笑顔だった。そんな無理をさせたくない一心で統夜は静かに告げた。

「……オルバスさんから聞いたよ、レフィアが吸血鬼だってこと」

「っ!」

 その言葉に少女は計り知れない衝撃を受けた。

 隠していた事実が露見したこと、それがもたらす結果など火を見るより明らかだ。これでもう自分は彼と一緒にはいられない。そう考えた途端、瞳に涙が浮き上がった。引き結んだ唇から嗚咽(おえつ)と共に懺悔(ざんげ)の言葉が漏れる。

「――ごめん、なさい。わたしずっと、黙ってて――」

「どうして言ってくれなかったんだ?」

「――えっ?」

 かけられた言葉は意外にも、糾弾きゅうだんのものではない。それどころか、今までと何ら変わらない優しい響きが込められていた。

「だって、知られたら嫌われると思って……」

 統夜は衝動的に前へ出て、しゃくり上げる少女を抱きしめた。折れそうなほどに繊細(せんさい)で、華奢(きゃしゃ)な身体を温かく包み込む。決して離れたりはしないと伝えるように、しっかりと。

「そんな些細(ささい)なことで嫌いになるか。こちとら生まれで人を判断するような教育は受けてねーんだよ」

 その温もりに、とうとうこらえていたものが決壊した。統夜の服を強く握りしめてレフィアは、はばかることなく泣いた。

「う、ううう――」

 統夜は少女の背中をさすりながら改めて、守ってあげたい、守ってあげねばという気持ちを一層強くした。同時に、いつも自分だけで抱え込んでしまいがちなレフィアが弱さを見せてくれたことがほんの少しだけ嬉しくもあった。

「ほんとにいいの? わたしと一緒にいたらトウヤもきっとよく思われないよ。わたしなんてただの……ただの、化け物なのに」

 ようやく落ち着いたレフィアが、沈んだ表情で確認するように聞く。

「レフィアのどこが化け物なんだか。可愛いは正義って言葉を知らんのか? ……知ってるわけないか。とにかく俺にしてみりゃ女の子を寄ってたかってボコボコにするような連中の方がよっぽど化け物染みて見えるね」

 統夜は常のように深刻な気分を吹き飛ばす明朗さで即答した。

 

 その、自身に満ち溢れた明言から間を置いて時刻は夜である。

(ななな、何でこ、こんなことに……)

 彼の精神状態は今、動揺の極みに置かれていた。背中越しに伝わる体温や、ほのかな甘い香りが主な原因である。

 そもそもの発端は統夜が布団に入ってすぐの事だ。

 きしり、と板張りの床が音を立てたのを不審に思って戸を開けてみると、そこに枕を抱いたレフィアが立っていた。

「どうしたんだこんな夜中に」

 と、彼が当然の疑問を問い聞くと、少しの間その場でもじもじしていた少女は、ようやく聞き取れるほどのか細い声で言った。

「一緒に……寝てもいい?」

 可愛らしい女の子に上目遣いでそんなことをお願いされては紳士として断れるはずがなかった。たとえ自分がノーと言えない日本人でなかったとしてもだ。そうして二つ返事で了承したものの、いざ背中合わせになって寝てみると、緊張で平静が保てないうわけである。別に寝込みを襲おうなどという考えは、かけらも持ち合わせていないが、これまでそういう縁もなく生きてきたために異性と一緒に寝た経験などまったく無かった。

(おお、落ち着け、俺。イエスロリータノータッチこそが紳士における鉄の掟だ。羊でも数えて寝よう、そうしよう)

 そう決心すると、統夜は心中で一心不乱に羊を数え始めた。




 本当は(くじ)ける寸前だったと言ったら、彼は信じるだろうか。わたしは絶望しかけていた。誰からも必要とされないどころか、()み嫌われるだけの空虚な人生に。

 それを変えてくれたのは一人の青年だった。彼はこんなわたしを頼ってくれた。必要としてくれた。何より、わたしは孤独じゃないんだと教えてくれた。

 生まれた時からわたしには居場所が無かった。

 半分が人間で半分が魔物。本来ならいがみ合うはずの要素が混ざり合った存在、それがわたしだ。そんなわたしが、周囲に受け入れてもらえるはずもなかった。吸血鬼からは弱者と馬鹿にされ、人間からは化け物と(ののし)られる。 誰も彼もの視線が等しく冷たいものだった。

 同年代の友達などできるはずもない。わたしはいつも独りでいた。

 とても辛かった。すごく苦しかった。まるで、自分は生きていてはいけないんだと言われているようで。

 唯一わたしの側に居てくれた人はお母さんだけ。

 わたしのお母さんは、娘の立場で言うのもなんだけどすごく綺麗な人で、そして何より強い人だった。若い時から代行者として名を馳せていたらしく、世界中を巡ったらしい。お父さんと出会ったのもその頃だと聞いたことがある。

 そのお母さんもある日突然、流行り病で倒れてしまった。

「母さんの知り合いが……レフィアのこと、面倒見てくれるから心配しないで」

「でも、わたしといたらその人だって」

「大丈夫……その人は、とても強い人だから。母さんに……剣技を教えてくれた……人ですもの。レフィアの事もきっと……守ってくれるわ」

 お母さんが亡くなって、わたしはおじいさんのところへ身を寄せた。とある国で長く騎士をしていた人で、引退した今はあまり人と関わらずに森で静かに暮らしているらしい。最初は少し怖かったけど、おじいさんは吸血鬼の血が混じるわたしを黙って受け入れてくれた。

 けれど、もちろんそこでもわたしはおじいさん以外の人に受け入れられることは無かった。

 左右で色の違う瞳と銀色の髪。人間離れした容姿のわたしを見て、親しくなろうとする人など皆無だった。わたしへと向けられる視線はこれまでと同じ、警戒や嫌悪、(さげす)みといった類いのものだけ。わたしは日々を静かに過ごし、本を読んで暮らすのが日課になった。

 そんな生活にもすっかり慣れきったある日のことだ。


 わたしが森で、漆黒の双眸(そうぼう)と髪を持つ青年と出会ったのは。


 話を聞いてみると、どうも彼は道に迷ってしまったらしかった。わたしは彼をおじいさんの所に連れて行くことにした。おじいさんなら、きっと悪いようにはしないだろうから。

 その人は有り(てい)に言えば変わった人だった。

 初対面の反応からして、今までの人達とは違っていた。彼はわたしの容姿を見ても怖がる素振りを見せないどころか、綺麗な目だねと褒めてくれた。

 そんなことを言ってくれた人は初めてだった。

 彼はその後も、隔意なく平然とわたしに接してきた。最初は戸惑ったけれど、いつの間にか彼と話すのが何より楽しくなっていた。

 もしかしたらこの人なら、わたしの友達になってくれるかもしれない。わたしはそんな淡い期待を抱いた。でもそれは所詮、人の身でない自分にとっては叶わぬ夢、(はかな)い幻想だ。今は気付いていないようだが、この青年もわたしの正体を知ればすぐに離れていくのだろう。

 この時はまだ、そう思っていた。

 一緒に過ごすうちに、彼が違う世界から訪れた新来者だと知った。

 やっぱりだ。彼はわたしを受け入れてくれたのではなく、ただ知らなかっただけなのだ。わたしが普通の人間じゃないということに。優しく接してくれたのはそういうこと。わたしが吸血鬼だと知らないから……。

 いつまでも隠しているわけにはいかない、打ち明けなければと何度も思った。でも言えなかった。わたしはどうしても彼と離れたくなかった。

 そうやって悩んでいたある日。

 わたしはまた町の警備隊に襲われた。

 これでもう終わりだと思った。さすがの彼も、きっとこんなわたしとは付き合いきれないと悟るだろうと。

 ところがその予想はてんで当たらなかった。わたしが吸血鬼の血を引いているということを知った後も、彼はこうして変わらず側にいてくれる。そんなのは些細な事だって、嫌いにはならないって抱きしめてくれた。

 ――ああ、駄目だ。なんだか嬉しくて、また涙が出そうになってきた。

 彼といると自分では抑えきれないほどたくさんの気持ちが(あふ)れてくる。側にいたい。見ていたい。触れていたい。話していたい。誰かにこんな感情を抱くなんて、少し前までは想像もしていなかった。

 どうして、だろう。なぜ彼はここまでわたしなんかを――。




 目を(つぶ)って精神の統一をはかっていた統夜は、現れた羊が二千匹を超えたあたりで不意に呼び掛けられた。

「ねえ、トウヤ」

 声と共に、レフィアが寝返りを打った気配を感じる。

 統夜はこのまま狸寝入りでもしようかとも思ったがその考えを放棄し、こちらも寝返りを打って先を促した。

「どうした」

「手、繋いでもいい?」

 返事をする代わりに指を(から)め、照れくささを慇懃(いんぎん)な口調で隠す。

「他に要件はありませんか、お嬢様」

「それじゃあ、あと一つだけ」

 レフィアは潤んだ瞳でじっと統夜を見つめた。

「何なりとお申し付け下さい」

 統夜も視線を逸らさず、少女の言葉を待つ。気が付けば、互いの吐息が感じられるほどに顔が近かった。そんな状況に、はにかみながらもレフィアは自分の望みを口にする。

「トウヤと、ずっと一緒にいたい」

「……わかった。約束だ」

 レフィアは安堵の表情を浮かべ、たちまち眠りについた。

 その安らかな寝顔を見守りながら、しかし統夜の気持ちは複雑だった。少女から寄せられる想いの真摯(しんし)さゆえに。自分はこのまま彼女の側にいていいのだろうか。そう考えてしまう、一つの大きな問題があった。

 吸血鬼は、人間と比べ物にならないほど長命な種族なのだ。レフィアは完全な吸血鬼でないとはいえ、その血を引いている。となれば人間よりも遥かに長生きなのは想像に難くなかった。

 互いに違い過ぎる寿命は、いつか必ず別れを招くはずだ。悲しい記憶を引きずらせることになるならば、いっそのことこれ以上仲を深めない方が――。

 だが今さら距離を取って再び孤独に追いやられたりすれば、間違いなく彼女は悲しむだろう。そんな姿は、もう見たくない。天井を仰ぎ見ながら、レフィアにとって最善の手は何なのか思いを巡らせる。良かれと思って行なうことが、裏目に出てしまうのが怖かった。

 そうやって悶々と悩んでいると、内なる声が口を挟んだ。

『とっとと寝ろ』

『まあ、まずは側で守ってやれるくらい強くなることが先決だな。それからのことは、おいおい考えよう』

 提言に従って統夜は瞳を閉じ、考えるのを止めた。成り行きの中で、いい案も出てくるだろうと信じて。

 しかし迫りくる敵が、少女を取り巻く環境が、それを待ってはくれなかった。

 自分の人生に終わりが近づいていることなど、彼には知る(よし)も無かった。




 夜も更けていく正にその頃。寝静まるテルセアの街の一隅(いちぐう)、酒場から程近い人目につかない路地裏で密かな小競り合いが起こっていた。

 もっとも、その事態は始まってからすぐさま収束を迎えた。もめごとを起こした双方の間に、凄まじい実力差があったからだ。デュナミスでは身体能力に、体格の差などはあまり関係ない。これは通常の筋力に加えて、練り上げた魔力を上乗せすることで総合的な力となって発揮される為である。このことから、優れた戦士の条件とは魔力の扱いに長けているという一点に尽きた。

 争いに勝った方、統夜が昼間に出会った若い男はにこやかに尋ねる。

「それで、あんたがさっき自慢げに吹聴(ふいちょう)してた女の子のことを聞きたいんだけど」

 負けた方、レフィアを打ちのめした中年の男は服の首回りを(つか)まれ、苦しそうに頷いた。

「わわ、わかった。何でも喋る。だからもう勘弁してくれ」

 いきなり手を離され、中年の男は尻餅をついて咳き込んだ。

 彼は今さらのように横柄な対応をしてしまった自分の過ちを後悔した。先ほども同じような質問をされ、酔った勢いとはいえ相手が若者というだけで侮ったのが全ての間違いだった。

 這いつくばる男性を見下ろしながら若い男は剣を抜いた――それも、手も使わずに。

 まるで見えない糸で操られているかのように抜身の剣が宙に浮かび、冷や汗を垂らす中年男性の首に突きつけられた。その現象を見て彼は、目を飛び出さんばかりに驚く。

「この魔法は……。ま、まさかあんた……あ、あの〝(つるぎ)(おう)〟なのか?」

 噂には聞いたことがあった。幾多の剣を自在に操ると言われる凄腕の代行者。それがこんなところにいるとは、ましてやこんなにも若いとは思いもよらなかった。自分がとんでもない怪物に目を付けられたという事実に震えが止まらない。

「そーだよ。悪いけどこっちも暇じゃないんだ。手早く頼むよ」

 若者とは思えない圧倒的な威圧感に、男は小刻みに頷いた。

 知っていることを洗いざらい話すと、どうやら欲しがっていた情報らしく、愉快気に〝(つるぎ)(おう)〟は言った。

「なーんだ、やっぱりこの近くにいるんじゃないか」

「な、なんであんたほどの人が、こんなところに」

「代行者が動く理由なんて依頼されたからに決まってるじゃん。それに、僕にはエリックって名前がちゃんとあるんでね。次からは名前で呼んでくれないかな」

 エリックと名乗った若者は先程までの殺気とは大違いな、いかにも小馬鹿にしたように言うと、路地の暗がりに向かって尋ねた。

「さてと、どうする依頼主さん」

 そこから姿を現した存在に、男は息を呑んだ。闇夜に浮かぶ紅い瞳と銀色の長髪という出で立ち。まず間違いなく生粋(きっすい)の吸血鬼である。

「あの〝天雷(てんらい)〟が(かくま)っているとは少しばかり厄介ですね」

「まったくだよ。言っとくけど、僕はあの爺さんと戦うのはごめんだからね。多分勝てないだろうし」

「ふむ、私ならば少しはひきつけておけるでしょう」

 そう言うと銀髪の男は、へたり込んでいる中年の男に意味ありげな顔つきで歩み寄った。

「――ひっ、や、約束が違うじゃないか。お、お願いだ、命だけは……」

 自身の危機を察してまくし立てる男に、エリックは緊張感の無い声で言う。

「あちゃー、次は無かったか」

 吸血鬼は怯える男の口を片手で塞いで懇願を封じ込め、その首筋に鋭い犬歯を突き立てた。やがてびくっ、びくっと痙攣(けいれん)する死体を放り投げると、

「まずい」

 赤く染まった唇を舐め、顔をしかめて吐き捨てた。

「魔力の薄そうな血だしね」

 哀れな男の死体を見下ろしながら、エリックは興味なさげに言った。

「そんでどーすんの? あんたが適当に騒ぎを起こして戦ってる間に、僕が拉致(らち)ればいいのかな。その、オッドアイの女の子を」

 エリックが方針を確かめると、吸血鬼の男は袖で口を(ぬぐ)いながら同意した。

「そうですね。この辺りに警戒すべき実力者など他にいません。この私を処理する為には、まず間違いなくオルバスが出てくるはずです。……首尾よく成功した暁には、約束通りあなたが欲しがっていた剣を差し上げましょう」

「とーぜんだろ。今さら渡さないなんて言ったら、そん時は微塵切りにするから」

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