不屈のこころ
翌日、統夜は吸血鬼に関する文献を読み漁るためにテルセアの図書館を訪れた。地球では空想の生き物に過ぎない彼らも、こちらではごく普通の存在として記述されており、大した苦労も無く情報を集めることが出来た。
それらをまとめた結果が、次のとおりだ。
吸血鬼の外見や知能は人間と大差ないが、れっきとした魔物である。彼らは共通の特徴として銀髪に紅い瞳を持ち、高い魔力を有している。もっとも、魔力を持つといっても魔法を使うことはできず、その使途は高速再生と身体強化のみ。肉体強度は人間と同程度だが、魔力が枯渇しない限り傷付いた体を瞬時に治癒することが可能とのこと。
たとえ月明かりのない闇夜でも、なんらの障害なく獲物を仕留めることのできる優れた視覚を持つが故に、強い光を苦手としている。戦闘力をなにより重視するのが種族全体の観念となっており、弱者はたとえ同族であっても放逐されるという。
(ま、一筋縄じゃいかないとは思ってたけど……。どうしたもんかね)
統夜は浮かない顔で本を閉じた。
レフィアに対する仕打ちから何となく予想はついていたものの、人間とは不倶戴天の間柄であるかのように書かれている。彼女はこの世界の人達にとって猛獣に等しいのかもしれない、と統夜は思った。危険は無いといくら訴えた所で、受け入れてもらうのはかなり難儀なようだった。
『なぜそうまでして気にかけるのだ。あの娘が嫌われているのは何も、ここの人間たちが特別狭量というわけではないと理解しただろう。世界中のどこへ行こうと同じような扱いを受けるのだぞ。それを庇えば貴様もただでは済むまい。分かっているのか?』
内なる声が自分の宿主に向け、呆れと戸惑いを滲ませて問いかけた。
『確かに世の中から弾かれんのはちょっと……いや、かなりキツイかもな。深入りしないのが賢明だってのは明白なのに、どうしてだろうな。それでも俺は一緒に居てやりたいんだ』
その選択が招くであろう幾多の困難、刻苦の道程を思ってなお統夜は迷わない。自分が、降りかかる火の粉を払ってあげられるほど強くないことも承知している。それらを踏まえた上での揺るぎない回答に、声は観念したように言った。
『……ふん、勝手にしろ』
『そのつもりだよ。これまでも、これからもな』
統夜は席を立ち、魔物の生態と銘打たれた書架へと本を戻しにいった。その過程で、ふと、一冊の本に目が吸い寄せられる。知っている単語に自然と反応するように。
そうして彼はまず自分の目を疑った。そこは、偉人の伝記本コーナーだった。まじまじとその本の題名を三回ほど見返すが、間違いではない。確認の意味も込め、統夜は畏怖を交えて読み上げた。
「かつてトリスタン王国の切り札とも呼ばれた名将、〝天雷〟オルバス・ウォーカーについて……?」
本を抜きだして立ったままぺらぺらとページをめくっていく。
その人物は騎士団長の座を退いた後も長きにわたって同国に留まり、剣術の師として後進の育成に尽力。輩出した著名な戦士は枚挙にいとまがないらしい。晩年の詳細は不明、と書かれていた。
(たまたま同姓同名の人物だということもあり得る。でも……)
統夜は、すぐにその線を否定した。
当然と言えば、当然と言えるのかも知れない。吸血鬼の血を引いているという異端の少女。そんな存在と共に暮らしている老人が、ただの隠居しているじいさんであるはずがなかった。
(もしかしたら俺は、凄い人物のもとに居たのか?)
真相を確かめるべく、統夜は急いで戻ることにした。あんまり慌てていたので図書館を後にする際、今しがた入ろうとしていた同い年くらいの青年と、すんでのところでぶつかりそうになる。幸いにも、機敏な動きで相手が避けてくれたおかげで大事には至らなかった。
「わっ、と。すみません、不注意でした」
「ああ、気にしないでいいよ」
統夜が自らの非礼を詫びると、栗色の髪に青い瞳をした男は手を振り気さくに笑って水に流した。
「そうだ、ちょっといいかな。聞きたいことがあるんだけど」
「?」
足早に立ち去ろうとする統夜は、呼び止められて振り返った。
「この辺りに吸血鬼がいるって話、知らないかな? 僕らより幼いくらいの、まだほんの女の子なんだけど」
質問を受け、間違いなくレフィアのことだと統夜は察した。本音を言えば自分はよく知っている。少なくとも、この街の誰よりも身近な存在だろう。
しかし彼は、
「さあ、聞いたことないですね」
平然と真顔で嘘をついた。なぜ咄嗟にそうしようと思ったのかは説明できないが、無意識のうちに警戒心が呼び起こされたのかもしれない。
男は、一目で戦いを生業としていることを匂わせる様相を呈していた。なにせ大小様々な剣を、都合七本も身に付けていたのである。しかも、その重さを不思議と感じさせない身のこなし。彼の立ち居振る舞いには、紛れもない強者の貫録がにじみ出ていた。
統夜はさらに、今度はまったくの事実を付け加える。
「この街に来てから、まだ日が浅いもので」
「そっか……ああ、呼び止めて悪かったね。ありがとう」
男は疑う素振りも見せずに納得し、二人は別れた。
「オルバスさんって、有名な方だったんですね」
帰ってくるなり統夜にそう言われ、オルバスは少なからず驚いた。
「……どうしてそれを?」
「今日、図書館に行ってきたんです。そしたら偶然オルバスさんの名前が目に入りまして……もうびっくりしましたよ、そんな凄い人だとは知りませんでしたから」
統夜が、表情と声色を真剣なものへと変えて訴える。
「そこで、お願いがあります。俺を鍛えてもらえませんか」
彼の直向きな眼差しを受け止め、オルバスは確認するように問いを発した。
「権力や武力に限らず、過ぎた力は己の身を滅ぼすことになりかねん。君は何の為に力を欲し、何の為に振るうのかね」
「…………自分にとって、大切なものを守り抜くためです」
気まぐれやその場の思いつきなどでは決してない、統夜の導き出した答え。そこに込められた強靭な意志を肌で感じ取り、オルバスは頷く。
「よかろう。言っておくが、わしは甘くは無いぞ」
いつもの模擬戦のように統夜は木刀を構えた。
ただ、向かう相手が今回は違う。普段は訓練を見守りながら助言を与えてくれる物静かな老人――彼と手合わせをするのはこれが初めてだ。
統夜は凪いだ湖面のように心を静め、一人の少女を思い描く。彼女を助ける為ならどんな犠牲も払って見せると自分に言い聞かせ、剣を握る手に力を込める。
(目の前の人は敵だ。倒さなければならない。あの子を守りたいのなら、もっともっと強くならないと!)
レフィアを守れずに感じた悔しさ、抱いた決意を、限界まで溜め込んでいく。そうして敵愾心をふくらませると、正面に立つ老人をキッと睨み付けた。
「ふむ、最初に比べれば随分とマシになったのう。しかし、忘れてはならん。戦いにおいて最も重要なのは平静を保つことじゃ。度を越した怒りや動揺は理性を失い、思いもよらぬ一撃に足をすくわれる。もっともお主は心のコントロールに長けている気質じゃから、言うまでもないかも知れんがな」
オルバスが言って、自身も構えを取った。
魔力を活性化させる彼と対峙して、まだ打ち合いも始まらないうちから統夜は負けを確信した。今までは知らず接していたがその秘められている力量たるや、街で見かけるようなそこらの連中とは次元が違う。身体が竦む思い、というのを初めて実感した。
戦闘とはつまるところ、読み合いに他ならない。わずかな挙動から、次につながる行動を予測することで反応するのだ。それを許さない滑らかな魔力の操作は、オルバスが只者ではないことを端的に示していた。
彼のそんな気の迷いを察したのか、オルバスが緩やかに動きだす。静かな足運びで間合いを詰めると、霞むような速さで剣を振った。
「っ!」
空気を切る音がハッキリと聞こえ、統夜はゾッとした。あまりのプレッシャーで、心臓が早鐘のように打ち付けている。
オルバスは宣言通り容赦しなかった。老人とは思えぬほどの剛力で変幻自在の連撃を繰り出し、統夜を追い詰めていく。
(ええい、防戦一方でもしょうがないか!)
そう思って絶え間ない打突の合間に、必死に差し込んでいくものの、決定打はおろか掠りさえしない。あまつさえ、自分の防御が崩れて打ち込まれるだけであった。
「勝つには攻めることじゃ。攻撃を完璧に防ぎきるというのは、相手より余程優れた技量でなければ出来ぬからな」
オルバスはその苛烈な打ち込みに反して、涼しい顔で講義する。喋りながらだというのに、まるで隙が見えない。どうすればいいのか皆目見当もつかなかった。
「むろん無謀な攻撃は隙を生み、逆に付け込まれる起点となる」
それは最早、たたかいとは呼べなかった。それほどに、結果は一方的になった。見切れない速度で放たれる痛撃、その全てを防ぐなど到底不可能。統夜はかろうじて自分の打ち身を一つ、二つ減らすのが精々という有り様だ。
力の差は歴然だった。それも無理からぬことではあるが。
片や、長きにわたって研鑽を重ね、幾多の敵を打ち倒してきた百戦錬磨の猛者。
片や、平和な世界に暮らし、少し前まで武器を持ったことすらない平凡な学生。
経験の質、量ともに天と地ほどの開きがある。
しかし、統夜は折れなかった。相対する者が自分より遥かに優れている事実を認め、それでも彼は決して腐らず、諦めず、ただ黙々と鍛練を続けた。
「今日はここまでにしておくか。君が明日からも続けたいと思うかは知らぬが」
「絶対にオルバスさんから一本取って見せますよ」
人生でこれ以上ないほどボコボコにされた統夜は、精一杯の強がりを言って見せる。そうして、仰向けになって夕焼け空を眺めた。
(格ゲーにハマったときもこんな感じだったな……)
ふと、今のがむしゃらな自分の姿が昔と重なった。
隙の小さな攻撃を繋げることで、一連の技としていくこと。相手の動作が途切れるところで、防御から攻撃に反転すること。上手いプレイヤーの動画を繰り返し見て、それらの動きを取り入れることで上達していったことを。幸運にも自分には、素晴らしいお手本が身近にあるのだ。それを参考にしない手は無い。
統夜は赤く染まった空に向かって手をかざし、ぐっと握りしめた。
「強くなって見せる。たとえ、どんな辛い目に遭おうとも」
呟きは、風に乗って消えていった。




