後悔と決意と
統夜は依頼先へ向かう途中、鼻唄を中断して歩みを止めた。
今回の依頼は料理屋での仕込みと、昼時の忙しい時間帯に給仕として入って欲しいとのことだった。それはいいのだが、問題は自分が帯剣していないことに今さら気が付いたのである。よくよく思い返してみると湖で泳ぐ前に家に立ち寄ったとき、置いてきてしまったままだ。
(あー、面倒くせぇ。忘れ物なんてうっかりしてたな)
依頼を中止して取りに戻るかとの考えも過ぎったものの、決して短くは無いここまでの道のりを思えば、とんぼ返りというのは非常に気が滅入ってしまう話だ。
(……まあいいか)
どのみち今まで使うような事態になったことはないのだし、それならばいっそこのまま丸腰でも平気だろうと楽観的に考えることにして統夜は再び歩き出した。
(どうしよう。やっぱり届けた方がいいのかな……)
統夜と別れて家路につき、読みかけの本を読破したところでレフィアは彼が剣を忘れている事実に気が付いた。あいにくとオルバスは先ほど私用で出かけてしまって、届けられるのは彼女だけという状況である。
統夜が困っているかもしれない、と考えを巡らしながら手首のブレスレットを触った。送られて以来、考え事をするとき何となくそんな癖が付いてしまっていた。
街の人々が自分の事を毛嫌いしているのは承知の上だったが、要は見つからなければ問題ないのだ。ひょっとすると向かう途中で、忘れ物に気付いた統夜と鉢合わせできるかもしれないという可能性も視野に入れ、彼女は街へ向かうことに決めた。
せめて少しでも彼に何かお返しをしてあげたい、という想いから。
「もう客足も遠のいてきたからあがっていいよ。ありがとな、トウヤ君」
「いえいえ、それでは失礼します」
依頼主の店主に軽く会釈をして統夜はその場を後にした。いつも通り、報酬を受け取りに依頼の達成を報告しに行く。
「おめでとうございます。昇級が認められました」
祝いの言葉と共に返された代行証は、木目調から石のような見た目に変化していた。二つ名の方も新人から駆け出しに変わっている。
「以降は御自分で選んだ依頼を受領することができます。タツガミ様のこれからのご活躍をわれわれ一同、心からお祈りします」
「ありがとうございます。頑張ります」
ずっと新人のままでよかったのになどとは口に出さず、外に出た統夜は今日の昼食をどこで取ろうかと思いを馳せる。
すると、突然後ろから何者かに服を掴まれた。慌ててサッと振り向いたが、その人物は小柄な上に深々とフードを被っていたので顔がよく見えない。正体を確かめるべく覗き込むと、左右で色の違う瞳とばっちり視線が合った。
「レフィアじゃないか。どうしたんだ、こんなところで」
「もう、どうしたんだじゃないよ。武器を持たずに出歩くなんて駄目でしょトウヤ」
レフィアがいささか説教染みた忠告と一緒に片手剣を取り出す。差し出された剣を腰に括りながら統夜は礼を言った。
「わざわざ届けに来てくれたのか? そいつはまた……ありがとう」
「それじゃあ、わたしは帰るから」
「待った」
踵を返したレフィアの手を取って引き留める。人の多いところは苦手としていたはずなのに、それでも来てくれた彼女をこのまま帰らせるのは気が引けた。
「昼飯、まだ食ってないんだろ? せっかくだから一緒に食べようぜ」
最初はレフィアも乗り気ではなかったが、最後には了承してくれた。彼女のたっての希望で昼食は腰を落ち着けて食べるのではなく、統夜たちはパンを買って済ませることにした。往来を歩きながら、チーズを練り込んで焼いた縦長のパンにかじりつく。
と、どこからか絡み付く視線を感じ、統夜はそれとなく周囲に注意を払った。魔力を薄く練って感覚を研ぎ澄ます。
(……あの子か)
薄暗い通りから、ぼろを着ている少年が羨ましそうにこちらを見ていただけだった。統夜は安堵して警戒を解いた。痩せ細ったその姿に同情を寄せはするものの、しかしもちろん手を差し伸べてあげようと思ったりはしない。
(伊吹なら分けてやるんだろうけど)
そうやってお人よしな友人を思い浮かべていると、隣を歩いていたレフィアが少年の元へと歩み寄った。どうやら、彼女もまた困っている人を見過ごせない性質らしい。
少しして戻ってきたレフィアは信じられないことに手ぶらであった。統夜も他人の行動についてとやかく文句を付ける気はないが、これにはさすがに頓狂な声を上げた。
「おいおい、ぜんぶやっちまったのか?」
「えっ? う、うん」
友人をはるかに超えるお節介ぶりを目の当たりにして思わずため息が漏れる。さすがの伊吹もそこまで身を犠牲にする真似はしないだろう。
「それじゃお前が腹減るじゃねーか」
そう言って彼は自分のパンを半分に割り、ぶっきらぼうに差し出した。
「――ほら」
「トウヤ、怒ってるの?」
「呆れてんだよ。……まったく、一体どんな思考回路してたらそうなるんだ」
統夜は萎縮する少女に向かってぶつぶつとこぼした。レフィアと一緒に過ごしてすでに二週間と少しばかり。それだけあれば多少のメンタリティーを掴むことは出来る。彼女が、自分からは助けを求めないくせに誰かを手助けすることばかり考えていると薄々感づいてはいたが、今回の一件でそれが確信へと変わった。
愚直なまでに誰かを助けようとするその優しさには、危ういものを感じずにはいられない。どうしたものかと悩む間に、レフィアが石畳に足をつまずかせた。統夜は手を取って転びそうになる体を支えてやる。
「あ、ありがと」
「気を付けろよ」
彼女の様子から統夜は、疲労が溜まっているのだろうと当りを付けた。しかし、この遠慮がちな少女に疲れてないかと聞いたところで、素直に首を縦に振ってはくれないことだろう。
「あそこで少し休もうか」
噴水のある大きな広場に設置された、石作りのベンチを指差して彼は言った。
「わたしなら平気だよ。全然疲れてないから」
まったく予想通りの答えが返ってきたことに、苦笑が漏れそうになる。
「俺が疲れたの」
その一言で統夜は押し切った。
隣同士、パンを食べる二人は言葉少なだったがきまり悪い思いをしているわけではない。積極的に言葉を交わさずとも、ただ一緒にいるという事実だけで互いに満足していた。
それは、レフィアにとって初めてのことだった。今までは友達と呼べるほどの人もおらず、本を読みながら静かな時を過ごす生活が気に入っていた彼女にとって、他者の存在は気詰まり以外の何物でもなかった。しかし統夜と出会って、誰かと一緒に過ごすのも悪くないと思うようになっていた。
穏やかに時が流れていくなかで、レフィアは頭を横に倒して統夜に寄りかかり、感慨深げに呟いた。
「街の人がみんな、トウヤみたいだったらいいのにな……」
「俺みたいに勝手気ままな奴がひしめいてる街があったら遅かれ早かれ滅びるぞ、たぶん」
面倒事には極力関わろうとしない自分の性格を考慮して統夜は言う。それを、レフィアはきっぱりと否定した。少女は立ち上がり、くるりと回って統夜の正面に立つと笑いかけた。
「そんなことないもん。トウヤは自分の事、勝手だって言うけどわたしはちゃんと知ってるよ。本当は優しいって」
隣り合って歩いている時、自然に歩幅を合わせてくれていたこと。
素っ気ないように見えて、その実いつも注意を払ってくれていること。
先程のように転びそうになったとき、すかさず手を差し伸べてくれたこと。
それらの挙動に込められた何気ない労りは、彼が優しいという確かな証だった。この青年はそういったものを表面には出さないが、その実とても細やかな気配りのできる人なのだ、とレフィアは洞察していた。共に過ごした時間の中で彼女もまた、統夜の人となりを把握していたというわけである。
慣れない褒め言葉に照れ笑いを浮かべる統夜は、
「俺なんて全然優しく――」
和やかな雰囲気から一転、ピリピリとした険悪な空気を察して少女の名を鋭く叫んだ。
「レフィアっ!」
少女の背後に現れた男が突然、彼女の腕を捻じりあげて言った。
「なぜ貴様がここにいる」
統夜は反射的に腰の剣に手を掛けたが、そこで動きを止めた。
気が付けば六人ほどの男達に取り囲まれていた。先ほどの子供から受けた嫉妬とは比べようもない敵意をひしひしと感じる。
(どうする……! 戦っても勝てる状況じゃない。逃げるのが一番後腐れが無いが、しかしレフィアは)
理性的な判断は、さっさと逃げるべきだと謳っていた。
感情的な判断は、その場から立ち去ることを忌避していた。
「戦っちゃだめ、はやく逃げて!」
レフィアは掴まれた腕を振りほどこうともがきながら声を上げる。感情と理性の間で迷い葛藤する統夜は、他ならぬレフィア本人がそう言ったことで心を決めた。彼女の言葉に押されるようにして、脱兎のごとくその場を後にする。
「人員を二分して追わせますか」
統夜の後ろ姿を見ながら、部下の一人が指示を仰いだ。
「放っておけ。我々の仕事はこの街から魔物を叩きだすことだ」
リーダーらしき男は続けて、レフィアに向き直って言った。
「再び街に入ってこようとはいい度胸じゃないか、ええ? 化け物め」
統夜は全力疾走の末に細い道の一つに入って壁に体を預け、そのまま耳を澄まして様子を窺った。幸いなことに何も聞こえてはこない。どうやら追っ手は撒いたらしい。そのまま乱れた息を整えて再び走り出そうとしたその時、ふと、側溝に打ち捨てられたパンが目に入った。
何か、言いようのない不安が胸を過ぎる。少しだけかじられた痕のあるそれは、レフィアがぼろを着た少年にあげてしまったものにとても良く似ていた。不可解なのは渡した後に、食べられた形跡がまったく無いことだった。
(まさか捨てたのか? 一体どうして……)
だが統夜は訝る思いをすぐさま断ち切った。余計な詮索は後回しだ。とにかく今は、こんな所でぐずぐずしている場合ではない。
街を出て丘を一気に駆け上がり、森の入り口で一人残った少女を案じる。いつしか空には雲が広がり、暖かな日差しを隠してしまっていた。
それから、どれくらい経っただろうか。ゆっくりとこちらへ向かってくる人影が見え、統夜は駆け出した。足を引きずるようにして歩いてくるのは、間違いなくレフィアである。
よかった、と統夜は胸を撫でおろした。
だがその姿を見て、すぐに自分の間違いを思い知った。
彼女の顔は腫れ上がり、体のいたるところに痛々しい痣や切り傷ができていた。爪が剥がされている指も幾本かある。あまりにも凄惨な光景に、統夜の体を痺れるような悪寒が駆け巡った。何をどうすれば、年端もいかない少女にここまでの仕打ちができるのか。人間の残酷さというものに、どうしようもないほど体が震えた。
ぼろぼろに変わり果てた少女は、自失した統夜の前に来ると一言。
「よかっ、た……」
彼が無傷であることに心底ホッとした様子で優しく微笑みながら言い、そして気を失った。
自分のことも顧みずに。
「何で……こんな――」
統夜はその場にくずおれた。
一人だけ逃げ延びた事実に、とてつもない罪悪感がのしかかる。罵られ、詰られた方がまだ気持ち的には楽だったかもしれない。
厚い雲に覆われた空から、とうとう雨が降り出した。
帰る間の記憶はほとんど無かった。ただ、あまりにも必死に森の中を走って、走って、走って、走った。背中に乗せた抜け殻のような少女は、とても軽かった。空恐ろしくなるほどに。
ぬかるみを蹴飛ばし、ブーツを泥だらけにして何度も転びそうになりながら、統夜は息を切らして家に駆けこんだ。幸いにもオルバスは帰ってきており、彼は傷だらけのレフィアを見るなり何も聞かずに黙って手当に取りかかった。
長い時間が過ぎた。降りしきる雨が屋根を叩く音を聞きながら、ずぶ濡れの統夜は薄暗いリビングで一人、自責の念に駆られていた。
もしも、自分が忘れ物などしなければ。
もしも、自分が剣を取りに戻っていれば。
もしも、自分が昼食に誘わなければ。
もしも、自分がもっと強ければ。
いくつもの後悔が浮かんでは消えていく。そのどれか一つでも変わっていれば、レフィアはあんな目に遭わなくて済んだのに。机に突っ伏して、ただ拳をきつく握りしめることしか出来ない。
「自分を責めるのはやめなさい。君は正しい選択をした」
そこへ治療を終えて戻ってきたオルバスが、憔悴した統夜の姿を見かねて言葉をかけた。
「止めてください!」
統夜は机を叩いて立ち上がった。オルバスに当たるのが全くの筋違いだとは分かっていても、声を荒げずにはいられなかった。
「俺は……、俺はレフィアを見捨てたんですよ」
無力な自分への失望、理不尽さへの怒り、危うく少女の命が散るところだったのではないかという恐怖。様々な負の感情がせめぎ合い、それらを吐きだすように言葉を絞り出す。
そんな彼に、オルバスは容赦なく指摘をする。
「では君がその場に留まったとして、どうにかなったのかね。一緒に殴られれば良かったとでも言うつもりか?」
「っ! それは……」
統夜は言葉を詰まらせた。
あの場面で助けてと請われていたら、果たして自分に何か出来ただろうか。
考えるまでもなく答えは否だ。そんな簡単な事実は自分でも分かっていた。だがそれを受け入れてしまうのはどうしても許せなかった。仕方ないことなのだと、他にどうあっても助かる方法は無かったなどと認めてしまったら、あの少女が可哀想ではないか。
「どうして、何であの人達はこんな惨い仕打ちが出来るんだ……。レフィアは、ただの女の子じゃないか」
統夜は力なく椅子にもたれかかると、うなだれながら呟いた。
「君には、言わねばなるまい」
そう言うとオルバスは複雑な表情で事実を打ち明けた。
こうして統夜はレフィアが吸血鬼の血を引いていることを知ることとなった。父親が吸血鬼、母親が人間である彼女はそれ故にどちらの種族からも受け入れてもらえず、辛い仕打ちを受けてきたのだということも。
統夜は愕然とした。彼女が人付き合いを渋っていたのは、ただ単に内気だからというわけではなかったのだ。誰だってそんな風に扱われれば、恐れを抱くのも無理はない。今回のようなことはきっと初めてではないのかもしれない。
そこまで思ってふと、統夜の頭に疑問が浮かんだ。
それならばなぜレフィアはあの日、眠り込んでいた自分に声を掛けたのだろうか。
最悪の場合、今日みたいに暴力を振るわれる可能性も考えられたはずなのに。
見なかったことにすれば、それら不確定要素を回避できたはずなのに。
「彼女は自分がひどい目に遭うかもしれないのに、俺に声を掛けたんですか」
統夜は確認するように声を出していた。
「そういうことじゃな」
夜になりレフィアの様子を見に、統夜は彼女の部屋へと行った。考えてみれば中に入るのはこれが初めてのことである。目新しいものは特になく、所狭しと本棚が置いてあって多くの本に囲まれている部屋だ。
嫌われ者の彼女にとっては、本だけが唯一の友達だったのだろうか。ぼんやりと、そんなことを考える。
雨はすでにあがっており、窓からは淡い月明かりが差し込んでいる。吸血鬼のなせる業なのか、オルバスが保証した通り傷の回復は目を見張る早さだった。この分では数日で痕も残らないだろう。
「俺は、どうすればよかったんだろうな」
少女のほつれた髪をはらい、統夜はポツリと言った。レフィアだって普通の女の子と変わらず、泣き、笑い、生きているというのにどうして彼女だけが蔑まれなければならないのか。ただ、種族が違うだけではないか。
しかもそれでいて彼女は、てらいなく困っている人を見過ごせないと言うのだ。同じような状況に立たされて、一体どれだけの者がそんな風に思えるだろう。
統夜は俯きながら自問する。
おかしいのは自分の方なのか?
助けたいと思うのは間違っているのか?
心優しい少女の幸せを祈るのはいけないことなのか?
答えの見つからない問いの中、うなされるようなレフィアの寝言で統夜は我に返った。
「お母、さん。独りは嫌だよ……」
それは普段の明るい彼女なら決して口には出さない、心の叫びのようだった。
レフィアは言いたいことや弱音を呑み込んで、笑顔の裏に隠しているのが普通になってしまっているのだ。そんなのは、側で見ていて辛かった。頼ってくれないのならば、少しでも背負う重荷を軽くしてあげたいと統夜は思った。赤の他人がいくら困っていようと知ったことではないが、少なくとも自分は助けてもらった恩人に対して何も感じないほど薄情者ではない。
やがて顔を上げた統夜の目には強い意思が秘められていた。




