銀朱の唄・五
最終話。
確信を持っていたわけではない。
だが、確かめなければいけない。
そう思って、僕は仕事半ばで家に戻った。
台所に出向くと、千歳くんは藤ノさんと談笑しながら、絹さやの筋取りをしていた。
「先生、お早いですね」
千歳くんは驚いたような顔をしていたが、すぐににこりと笑ってみせた。
果たして、本当にこの子が、事件の真相を知り得るのだろうか。
「ああ……藤ノさん、ちょっと彼を借ります」
僕の部屋に来るよう伝えると、千歳くんは不思議そうな顔をして頷いた。
部屋に入って、襖を閉めると、僕は千歳くんに向き直る。
「千歳くんに、聞きたい事があるのだが」
「なんでしょう?」
見当もつかない。そんな表情だ。
僕は息を整えるように、一つ深呼吸してから、彼を見据える。
「木乃伊事件の犯人だが……君ではないのか?」
千歳くんは、目を瞠って、それから深い溜息を落とした。長い沈黙の後、肯定か否定か、呻くような声を上げた。
「今日、目撃者に会って来たんだが……その証言から、僕はそう考えた。どうなんだい?」
堪りかねて聞くと、彼は嫌な笑みを浮かべた。
「そうだとしたら、どうするのですか? 警察にでも突き出しますか。けれど、あんな事件を起こせる者が、貴方一人から逃げられないとでも?」
「……真実を、明るみにする」
「それで、どうなります。貴方は此処で殺されて、事件の一つとして片付けられるだけだとは考えなかったのですか?」
殴られたような気分だった。
自分が殺されるかもしれない。そんな事は、失念していた。千歳くんが、僕ににじり寄る。
「貴方は、一人で、どうするおつもりですか?」
「それは……」
千歳くんが、頭を振る。
「全く、馬鹿馬鹿しい」
「え?」
「僕が事件の犯人、ですか。面白い推理だとは思いますが、あり得ません」
千歳くんは、心底呆れたような顔をしている。
「もし、僕が犯人だとしたら、もっと上手くやりますよ。少なくとも、行動範囲はもっと広く、目撃者は逃がしません。そもそも、被害者の遺体も、残しません」
少し怖い発言だが、確かにそうだろう。
千歳くんなら、それくらいやっても可笑しくはない。これは、彼の頭の良さを評価しての考えだが。
「先生、酷いですよ」
「それは……君が昨日……」
言いかけて、僕は口を噤んだ。この発言は、昨日、離れでの彼ら兄弟の会話を盗み聞きした事を、バラすようなものではないだろうか。
千歳くんは、かくんと首を傾げた。それから、思い至ったように、手を打った。
「ああ……やっぱり、聞いてらしたんですね」
「……君は、君たちは……一体」
千歳くんが、くるりと僕に背を向ける。
襖を開けて、出ていこうとした足を止めて、振り向いた。
「先生、今夜は、毬子さんの傍にいてはどうですか?」
「え……」
言われて、気がついた。
今日は、新月だ。
「僕らは出て行きます。先生も、その方がよろしいでしょう?」
彼は笑っていたが、少年らしさの無い、抑揚の無い声をしていた。
*
毬子の家を訪ねると、彼女は酷く狼狽していた。都合が悪かったかと聞くと、小さく首を振ったので、そのまま上がり込んだ。
「いきなりだから、驚いたのよ」
そう言って笑った彼女の表情は固く、やはり無理を言うなら帰ろうかと思う程だった。
「……あの、ね。私、変なの」
腰を浮かしかけた僕に、毬子がおずおずと言った。
「変?」
「そう、変なの。夜、寝支度をするでしょう? それから、布団に入るのはいいんだけれど、夜中に、出掛けてるみたいなのよ」
それはどういう事だろう。
「朝起きたら、足が汚れてたり、寝間着が汚れてたり……外をふらふらと出歩いているみたいで……」
「そんな、馬鹿な」
「私も、そう思うのよ。でも……」
不安げな彼女を抱き寄せてやる。
「今日は、僕が見といてやるから、安心しなさい」
毬子は、そうね、と微笑んだ。
夜遅くまで一緒にいたのは初めてだった。なので、すっかり話し込んでしまった。
寝入った彼女を見つめて、僕は知らず微笑んだ。顔にかかった髪を払ってやって、僕は手帳を出した。菅沼の手帳だ。
事件が起こるのは、新月の夜。
千歳くんは、何故毬子の傍にいてやれと言ったのだろう。
ふと、違和感を感じる。違う、そうじゃない。いてやれ、ではない。傍にいてはどうか、と彼は言った。
それは、どういう意味なのか。
考えあぐねていると、衣擦れの音がした。
毬子が起き出したのだろうか。振り返ろうとした時、首筋に鋭い痛みが走った。
「……っ!」
痛みの原因は、毬子の歯だった。いや、牙か。鋭い、犬のような牙が、毬子の口腔に並んでいる。それが、僕の首筋を掠めたのだ。
噛みつかれなかったのは、毬子が後ろから引き戻されたからだろう。
毬子の首根を掴んでいたのは、庇牙くんだった。どうやって入って来たのか。彼の背後の扉が開かれている。鍵は閉めていなかったのだろうか。
そんな事よりも、何が起こっているのだ。
毬子は、目をかっと見開いて、唸り声を上げている。
「どうして……」
「もう家を出たから、何をしてもいいだろ?」
そう言ったのは、千歳くんだった。
庇牙くんの脇に控えて、妖艶な笑みを浮かべている。
「食うなよ、人が混じってるんだから」
舌舐めずりをする兄に、弟が注意する。
「これは、鬼と人との混ざり者だ。あんた、知ってわけじゃないんだよな」
千歳くんの砕けた物言いに違和感を感じながら、僕は頷いた。知らない。なんの事だ。
鬼なんて……
「普通、鬼は人の血を吸ったりはしないが……半鬼は何を糧にするかわかんねーもんな」
「君たちは……」
事態が飲み込めずにいる僕に、美貌の少年が笑いかける。
「俺たちも、半分は鬼だ。まあ、人は食わねえけど。毬子も、半分は鬼だな。本人に自覚がないみたいだけど」
「そんな」
馬鹿な、という言葉を飲み込む。
目の前の毬子は、庇牙くんに捕まえられたまま、只の獣のように暴れている。
「……どうする? 事件の真相を、明るみにするんだろう?」
僕はのろのろと頷いた。しかし……
「彼女を、離してくれないか」
「またあんたを襲うぞ」
「構わない……彼女を、離してくれ」
千歳くんの眉が、ぴくりと動いた。彼は、毬子の額に手を当てて、何事かを呟く。すると、毬子は身体から力が抜けたように、だらりと腕を下げて、おとなしくなる。
庇牙くんが、毬子を床に寝かせる。
「……わ、たし」
すぐに目覚めた毬子だが、恐慌した様子で僕を見つめて、はらりと涙を零した。
「毬子?」
「わたし……なんて事……こんな……」
毬子は、顔を覆って泣いた。
「千歳くん、僕は、どうしたらいいのだろう」
「知らないよ」
「彼女の中から、鬼を取り出す事は出来ないのかい?」
千歳くんが、不愉快そうに僕を見た。
「そんな事が出来るなら、俺たちは此処に居ない。……あんただって、嫌いな母親の血を、身体の中から出すなんて出来ないだろう」
狭い部屋の中で、千歳くんが居ずらそうに身体を捩った。それから、庇牙くんと顔を見合わせる。
「新月のたびに、これは半鬼として人を襲うだろう。それでも、あんたは傍にいれるのか?」
「……僕、は」
「……殺して」
毬子が発した言葉に、僕ははっとする。彼女の腕を掴んで、怒りに震える唇で、ようやっと言う。
「馬鹿な事を言うんじゃない!」
「殺してよ! こんな……わたし、化け物だったなんて……」
死にたいのなら、と千歳くんが嗤う。
「自分で死になよ。俺らは、鬼しか狩らない。今日は特別、先生を助けに来ただけだ」
そう言って、彼は立ち上がり、部屋を出て行った。庇牙くんが、やれやれとばかりに首を振って、後に続く。
「……自分で……」
残された毬子と僕の、どちらがそう呟いたのだったか。目を合わせた彼女と僕は、同じ事を考えていたに違いない。
*
小さな住まいから、火が上がった。
見つめながら、千歳は深く息を吐いた。
「それを選んだんだ……」
彼らは、共に死ぬ事を望んだのだろう。
火事に右往左往する人の波を抜けて、千歳は傍の兄を見上げた。自分達は選べなかった事を、彼らは選んだ。
「千歳?」
「俺は、いつかお前を殺すよ」
「知ってる」
兄が、嬉しそうに笑った。
「でも、その後は……ちゃんと」
追いかけるから。
それが、長い時間の先だとしても。
必ず、共に……
ここまでお読みいただいて、ありがとうございました。
時系列無視のオムニバスに挑戦した作品ですが、やはり物を書くのは難しい。




