馬鹿という文字は鹿に失礼です。馬はまあ、そのままですが。
再び馬面谷へと戻ってきた二人と一匹。
「ふー、ひとっ走りして汗かいちゃいやしたね! あっし、シャワー浴びてくるんで、先に戻っていてください!」
てな訳で、スーホと別れた二人は、早速村長宅へ報告に向かった。
「それで……いかがでしたかな……?」
馬頭鬼の村長が、不安そうに尋ねてきた。
村長の周りを囲む馬頭鬼達も、ゴクリと喉を鳴らせて報告を待っている。
「結論から言いましょう。今回の事件。それは貴方方から仕掛けたものです」
白夢が言い放つと、周囲は急にガヤガヤとざわめき始めた。
「皆の者、静粛に!」
村長が注意を促し、そして訊いてくる。
「……しかし白夢殿、それは一体どういうことなのでしょうか 我々が何を……!?」
「買占めですよ。牛頭鬼が甘党人参を買い占めた様に、貴方方も稲藁の買占めを行っているそうではありませんか?」
「なんですと……?」
白夢が問うと、村長はキョトンと首を傾げた。
「……我々は何もしておりませんぞ……? 稲藁……?」
周囲の者も、何のことかさっぱりだと、小言で話している。
少し雲行きが怪しくなってきたことに、白夢は若干焦る。報告を続けた。
「そうです。牛頭鬼達は、馬頭鬼が稲藁を大量に買い占めたことに腹を立てていました。その仕返しにと甘党人参を買い占めたとの事です」
「……買占めとは、私共には覚えのないことです。牛頭鬼の勘違いでは……?」
「それはないと思います」
若干話が噛み合わなくなってきた事に、白夢と九緒夢は顔を見合わせた。
(ちょっと、ハク! 話がおかしいんだけど)
(……そうだね……。詳しく探ってみよう)
「牛頭鬼達は、貴方方が釣り上げた稲藁の異常レートに対抗しようとしていたみたいです」
「……異常レート……? それは如何ほどに……?」
「一束、八千万です」
「八千万ですと!?」
「しかもユーロ!」
「ユーロ!? ……1ユーロってどのくらいなの?」
(知らないの!? こんなに部屋がサイバーで、株取引とかしてそうなのに!?)
思わず部屋中を見渡してしまう九緒夢。
その間に部下が急いで村長に耳打ちした。
「ふむふむ……、って高すぎでしょ!? ……そ、そんなことになっているのですか!?」
村長だけではない。その場に居合わせた馬頭鬼全員が驚愕していた。
「そんな法外なレートに、我々が釣り上げただって!?」
「何かの冗談だろう!?」
「馬鹿げている!」
口々に感想を漏らすギャラリー。
「……貴方方は知らなかったのですか……?」
予想外の展開だった。
白夢はてっきり種族ぐるみでレート釣り上げを行っていると思っていた。だが、周囲の反応を見る限りそうではないらしい。
この戸惑い様を見る限り、嘘をついているとは思えない。
「我々は全く知りませんよ!! そもそも辛党稲藁なんて誰も興味ないですからね。辛い物は皆苦手ですし。それに買い占めたとしても置く場所がないですよ」
そうだ、そうだ! と騒ぎ立てる外野。
何がどうなっているのか、流石の白夢も混乱してきた、その時。
「……そう言えば外に置いてあった稲藁。ちょっと赤くなかった……?」
「赤かった……!? ……もしかして……!!」
九緒夢がボソっと呟いた、その一言で白夢はピンと来た。
「外の稲藁、あれは普通の稲藁ですか……?」
「……さぁ……? 私が置いた稲藁ではないですからね。おい、あそこに稲藁を積んだのは誰だ?」
村長が外野に訊いたが、反応はなかった。
「皆、知らないようですな」
となると、いよいよ白夢の思った通りの展開になりそうだ。
「いや、皆じゃないです。もう一人、いや一匹、かな~り怪しい馬頭鬼がいますよ。ブランドの服で固めて豪華な宝石で身を飾った、違和感しかない馬頭鬼が――」
「あ! もしかして――」
白夢の言葉で九緒夢が気づく。
口には出さずとも、解答を得た馬頭鬼も少しずつ出始めた時。
なんともタイミングよく、ガラリと部屋のドアが開き、容疑者が入ってきた。
「フーー、すっきりしやした~~~! いや~、運動の後のシャワーは最高ですね! さて、牛乳を飲まないと!」
「「「「――あっ」」」」
そして誰もが気づいた。何とも言えない空気が部屋を包む。
「ヒヒン? 皆さん、どうしたんですか? こちらに視線を向けて。……あっ、牛乳ですか? 馬が牛の乳を飲むなんて笑えるって? 確かに、こりゃ面白いですね! ウママママ!!」
大げさに笑うスーホと、冷ややかな視線を送るその他全員。
「……そう言えば、あの稲藁、いつもスーホが手入れしていたな……」
「……思い出した。俺、あいつがあそこに稲藁を積んでいるところを見たことがあるぜ……」
周囲は口々に噂し、白夢もスーホが原因だと確信を得た。
「おそらく、彼の仕業かと」
「た、確かに近頃えらく羽振りが良かったが……。そう言えば最近、新しく会社を興したとか自慢していたな……。まさか……」
「そのまさかだと思いますよ……」
はぁ、と周囲全体が、シンクロしたかのように嘆息したのだった。
「……スーホよ。お前さん、最近会社を興した、とか言っていたな。何をする会社だ?」
うなだれながら村長が尋ねる。
「え? 何って、ただの貿易会社ですよ! 商品を安く買いつけて、高く売っているんです!」
嬉々として答えるスーホ。逆にさらに重い空気となる室内。
「……その会社は何を買い付けて、そして売っているんだ?」
「何って。あれですよ。〝辛党稲藁〟ですよ!」
「…………」
やっぱりな、と周囲は絶望に浸っていた。
ついに頭を抱えた村長が、さらに訊く。
「……それをいくらで売っているんだ……?」
「驚かないで下さいよ……? なんと――八千万です!! しかもユーロなんですよ!!」
ズーン……!! というオノマトペが聞こえてきたのは、恐らく気のせいではないだろう。
しかし、今度は暗いムードというよりは、それこそ辛党稲藁のように、クワァーっとした雰囲気が室内を包んだ。
「いやー、それにしても八千万なんて大金、払う奴らがいるんですね~。あっしからしたら、たかが稲藁なんかに八千万なんて馬鹿らしくて払えやせんよ~。ま、大切な顧客ですからね! 大っぴらに悪口は言えやせん! ここだけの内緒にしていて下さいね?」
この馬頭鬼。空気を読むことが出来ないらしい。なんと自慢げに語ってきたのである。
周囲の怒りはそろそろ限界のようだ。温厚そうな村長ですら、わなわなと震えている。
白夢はというと怒りを通り越して呆れてしまった。
「ほんと! ぼろ儲けですわ! ……それにしても牛頭鬼の連中には困ったものです」
「「「「お前が言うな!!」」」」
その後、スーホがボコボコにされたのは言うまでもない。
******
「すんません、あっしが買い占めました」
問い詰められたスーホはあっさりと自供した。……と言っても、先程の自慢話はほとんど自供そのものであったのだが。
「……まさかあっしの買占めのせいで今回の事件が起こったなんて……」
正座し反省する馬頭鬼の姿は、これまたシュールである。
「それで白夢さん。今回の事件、あっしは一体どうすればいいでしょう?」
スーホが白夢に助けを求める。
「簡単ですよ。貴方が持っている辛党稲藁の所有権を、牛頭鬼に差し上げればよいのです」
「そんな!」
スーホは素っ頓狂な声を上げた。
「それをしたらあっしの会社は倒産ですよ! 流石にそれだけは――」
「おい、スーホ。テメーのせいで俺達がどれだけ困っているか、判んねーのか……?」
スーホをボコボコにした中の一匹が、スーホの胸倉を掴む。器用にも蹄で。
「自業自得だよ、スーホ。大体一束八千万ユーロだなんて馬鹿げた値段、よくもまあ付けたもんだ。本来なら即潰れて笑いものにされるところだ。しっかりと反省しなさい」
さらに村長までもがこう言ってくるものだから、スーホはついに勘念したようで。
「うう……判りやした……」
泣きながら権利書を持ってきた。
「しかし、村長。これを牛頭鬼に渡したところで、もしかしたら甘党人参の値段を下げてこないかも知れやせんよ……? そうなったら怖いので、やっぱりこの権利書は持っていた方が……」
この後に及んでまだ渋るスーホに、白夢が答えた。
「大丈夫ですよ、スーホさん。実は牛頭鬼の村長とある約束を交わしていまして。スーホさんが牛頭鬼側に稲藁の権利書を渡すのであれば、この人参の権利書を馬頭鬼側に渡すとの事です」
――白夢が牛頭の村長と約束したこと。それはこのことであった。
『村長さん。私に甘党人参の権利書をお貸し頂けませんか?』
『……権利書をどうするおつもりで……?』
『牛頭鬼にとってはあまり必要のない人参の契約書を、馬頭鬼が持つ稲藁の権利書と交換して参ります』
『そんなことが……!?』
『可能です。ですから、馬頭鬼が権利書を渡してきた場合、牛頭鬼も権利書を渡すと約束して下さい』
『……判りました。よろしくお願いします。白夢殿……!!』
――ということがあったのだ。
「これは対等なトレードの交渉です。いかがですか? まだ何かありますか? スーホさん?」
互いの権利書を交換する。
双方にとって得しかないこの交渉、スーホに断れる理由なんてない。
「……判りやした。トレードに応じやしょう……」
ついに諦め、白夢に権利書を手渡した。
代わりに白夢は甘党人参の権利書をスーホに渡す。
「これで契約は完了ですね。これから牛頭鬼のところへ行って、事の顛末を話しましょう」
その日の夜、馬頭鬼と牛頭鬼は互いに謝罪して仲直りした。
祝いに催された宴は明け方まで続き、白夢と九緒夢もそれに巻き込まれたのだった。