ドッペルゲンガーの責任
騒々しくなった原因のスーホにはさっさと帰ってもらった。
帰り際には、
『白夢さん達でしたら、格安料金で乗せて差し上げますよ! いつでも連絡ください!』
などと非常に迷惑な親切を残していった。
そんなわけで、なんとか落ち着きを取り戻した相談所で、ようやくカウンセリングがスタートした。
九緒夢が帰ってきたおかげで、客人の名前が判った。
もっとも、改めて自己紹介をすることになったので、あまり必要のない情報であったが。
「私は光寺吸血相談所の相談員、白夢と申します」
いつものように名刺を取り出して、相手に渡す。
「えーっと、吸血相談所ってことですから、貴方は吸血鬼なんですか?」
「いえ、私は人間です。吸血鬼は姉の方でして」
「そうでしたか。あ、私は」
「ゴールデンスライムでしょ?」
「だから違いますって。いや、確かに今、スライム状に戻れば、さっき飲んだコーヒーのせいでゴールデンスライムっぽく見えなくはないですけど、スライムじゃないですって!」
「……スライムじゃない……!?」
「そこまで驚くことですか? 私、人間に変身しましたよね! 見たでしょ!?」
「ああ、なんだ。メタモンか」
「いや、だからもうそういう話から離れてくださいよ」
それにしてもこのスライムっぽい客、予想以上に反応が良い。
普段あまりふざけたりしない白夢であるが、ここまで丁寧にツッコミ返されるとつい調子に乗ってしまう。
「ハク! お客さんを困らせないの! はい、コーヒー入りました。どうぞ」
「……さっきと同じコーヒーじゃないですか……」
なんて文句垂れつつも、コップを手に取り飲んでいた。
「それで私の正体なんですけど、実はドッペルゲンガーなんです」
「……ドッペルゲンガー……?」
「はい。ドッペルです」
「……メタモンじゃなくてゲンガーだったとは……」
「いや、だから違いますって!」
「ドッペルゲンガーのお客さんなんて初めてだね!」
――ドッペルゲンガー。
数あるイレギュラーの中でも、もっぱら人前に出てこないイレギュラー。
気に入った人間に変身する能力を持ち、人間は自分に変身したドッペルゲンガーと遭遇すると、死んでしまうという都市伝説がある。
もっとも、これ自体は嘘っぱちなので、怖がる必要もない。
「私の名前は仮と言います。よろしくお願いしますね」
「仮さん、ですか。それはなんともゲンガーらしい名前ですね」
「できればドッペルらしい、の方でお願いしたいものです」
「それで仮さん、今回は一体どんな相談事をしに来たのですか?」
九緒夢が尋ねると、仮はこれまでの雰囲気から一遍、突如暗いムードを放ち始めた。
「実はですね。私、後一週間しか生きていられないのです……」
「……えっ!?」
「……一週間、ですか!?」
唐突に告げられる、余命宣言。
これには思わず白夢達も固まってしまう。
仮は、少しずつだが、詳しい経緯を語ってくれた。
「ドッペルゲンガーというのは、一度その人間のことを気に入って変身したら、二度と他の人間には変身できないのです」
「スライム状の姿は、どうなんですか?」
「あの状態には戻ることが出来るんですがね。新しい対象に変身することは出来ないんです」
「そうなんだ……。知らなかった……」
「変身した人間に会うことが許されないのは、都市伝説通りなんですよ? 別に会っても死にはしません。そもそも会えないんです。変身した人間には私達が見えませんからね」
「じゃあ、やっぱり都市伝説は嘘なんだ……」
九緒夢が少しがっかりしている。
実は九緒夢、こういう都市伝説に目がない。
現実と伝説は往々にして差異だらけなのだ。
ドッペルゲンガーに関する書物は多くあるが、真実の書かれたものは少ない。
何せ数の非常に少ないイレギュラーだ。
そもそもイレギュラー自体、その存在において解明されていないことが、それこそ星の数ほどある。
「私の変身した人間、実は二日前に亡くなったんですよ。交通事故でした」
「それは……この場合はご愁傷様で合ってるのかな……?」
目の前にいる仮は、亡くなった人の姿をしてはいるが、本人じゃない。
「もしかして、そのことと寿命が関係あるのですか……?」
「……はい。我らドッペルゲンガーは、変身した相手が亡くなった場合、死後十日後に命を落としてしまうんです」
「十日後!? ……ってことは、本当に後一週間しか……!!」
「そうなんです。私の寿命が残り一週間ってのは、そういうことなんです。正確には一週間後の午後10時23分。彼が息を引き取った時間のピッタリ十日後です」
ドッペルゲンガーの生態を知る由もない白夢は、初めて聞いたそのことに、とても驚いた。
残りの一週間。仮は何をして過ごすつもりなのだろう。
そもそも、残りの貴重な時間に、どうして相談に来たのだろうか。そこが解せない。
「仮さん。事情は分かりました。ですが、貴方の残された時間に、我々に何を望むのでしょうか……?」
己の人生最後に、白夢達に相談しに来てくれた。
そのことは嬉しく感じたし、それ以上に責任を感じた。
「私の出来ることなら何でもするよ……!!」
そう感じたのは九緒夢も一緒だった。
「……はい。実はですね、事故で無くなった私の変身対象には、恋人がいるのです」
白夢達も思わず息を呑む。
「私の変身対象、名前を勇樹さんと言います。恋人の名前は由紀さん。お名前も似ていますし、内面も似ていました。勇樹さんはその由紀さんと長距離恋愛中だったんです。一度お二人が並んでいるところを見たことがありますが、それはそれは理想的なカップルだと感じました。一か月前、勇樹さんは由紀さんとデートをする約束をしたんです。勇樹さんはこの日の為に、いつも以上に仕事の量を増やして、なんとか休みを作ったんです。由紀さんにも毎日電話していましたし、本当に楽しみにしていたのだと思います。その矢先でした。仕事で疲れた勇樹さんは交通事故を起こしてしまったんです。近くにいた私はすぐに救急車を呼びましたが、到着する頃にはすでに息を引き取っていらっしゃいました……」
ドッペルゲンガーは出来る限り気に入った相手の傍にいようとするらしい。
仮は、その気に入った相手――勇樹さんの最後を見た。
これだけでも仮の気持ちを考えると心が居た堪れない。
「……仮、さん……」
九緒夢も悲しげに俯く。
「きゅーおねえちゃん……?」
よく状況を理解できていないリキュルが、九緒夢を励まそうと手を伸ばし、九緒夢もそれに何とか応じていた。
「本当に突然のことだったんです。そして不幸なことに、彼は由紀さんと交際していることを、他の誰にも伝えてはいなかったんです。だからおそらく、由紀さんは勇樹さんが亡くなったことを、まだ知らないのです……! 由紀さんは一週間後のデート、楽しみにしているんです……!!」
「……そんなの…………!」
九緒夢の瞳に涙がたまっていた。
白夢は真剣に真顔を貫いたものの、内心、相当くるものを感じている。
「お願いです、相談員さん! 私は一週間後のデート、どうしても果たせてあげたいんです! 幸いまだ私は勇樹さんの格好をしています! 勇樹さんの大切な由紀さんを悲しませたくないんです! 私が偽物だとは理解してます! 彼女を騙す行為、彼女を傷つけるかもしれない行為だとは判っているんです!! それでも、それでも、どうしてもこのデートだけは成功させてあげたいんです!! 私の最後の願いは、これだけなんです……!!」
そして仮は――土下座した。
赤の他人、それこそ一方的な面識しかない相手の為に。
しばらく沈黙は続いた。
その間、白夢はずっと迷っていたのだ。
仮の願いは是非とも叶えてあげたい。
仮の誠意は十分すぎるほど伝わってきたからだ。
それでも、相手を騙す行動には変わりない。
もし仮が彼女の前に出て、そして彼女に何も告げずに消えるのであれば、結局のところ彼女を傷つける結果となってしまう。
知るのが遅いか早いか。ただこれだけになってしまうのだ。
だからこそ迷った。
必死で迷った。
そうして迷った挙句、最後に出した結論は――。
「判りました。仮さん、我々は貴方の依頼を、正式に受けさせてもらいます」
「……本当ですか!?」
「はい。ただし条件が一つだけ」
「条件……?」
白夢の出した条件、それは。
「デートが終わった後、全ての真実を彼女に話していただきます。我々もサポートはします。ですが、勇樹さんが亡くなったことは、貴方の口から言わなければいけないことだと思います。それが彼女を騙した、精一杯の償いだと私は思います」
白夢も膝を床に着け、目線の高さを合わせると、仮の肩に手をのせた。
「勇樹さんの最後の望み、そして仮さん、貴方の最後を私達に見守らせてください……!!」
「…………お願いします…………!!」
白夢は依頼を受け入れた。
仮の望む最後の願い。
その立ち合いに居合わせることが出来ることを、相談員として、とても誇りに思えたのだった。




