新年最初の相談客は
年は明け、光寺吸血相談所にも正月がやってきた。
年末には大きな案件を抱え、相談員の二人はというとクタクタになったものだが、新年を前に泣き言など言って入られない。
面倒くさいながらも大掃除を行い、ピカピカの状態で、新しい年へと足を踏み入れた。
また今まではずっと二人だったこの相談所に、新しい仲間も加わった。
「は~くにぃ♪ せーしちょうだ……ふげっ!」
「リキュル、新年早々変なことを口にしない」
「うう、変なことじゃないもん……、サキュバスにとってはおはようと同じくらい重要な挨拶なんだから」
うう、とチョップをもらった頭を抑える、背中にこうもりのような羽を生やした少女。
彼女の名はリキュル。サキュバスの女の子だ。
彼女は、ほんの数日前まで母親からひどい虐待を受けていた。
相談に乗った白夢達は、虐待の事実を確認し、母親から親権を取り上げた。
しかし、親戚すらいない彼女に、新しい親はなかなか見つからなかった。
白夢や九緒夢はいまだ未成年。親になることはできない。
そこへ都合よく現れたのが二人の両親である天羅とリベルテ。
事情を聴いた両親は、なんの反対もなく、むしろ大歓迎といった様子で、リキュルの親権を得て、親になったのだ。
「は~~~くにぃ♪ えへへ」
「リキュル、何か用?」
「ううん、何もないよ! ……えへへへ」
つまり白夢や九緒夢は、リキュルの兄、姉になったということだ。
これまで誰かに甘えるなんて、できなかったリキュル。
共に暮らすようになってから、彼女は今まで注がれてこなかった分の愛情をしっかり補給しようと、二人にべったりになっていた。
白夢達も当然嫌なわけではないのだが、
「あのね、リキュル。僕、トイレに行きたいんだけど」
「ボクもいくー!」
「行けるわけないでしょ!!」
などと加減を知らないのが悩みの種である。
「そうなの? サキュバスはよく男の人とトイレに行くって聞くんだけど」
「だめーーー!! リキュルちゃん! 女の子がそんなこと簡単にしちゃいけません!」
二人の会話を(スキンシップも含めて)羨ましそうに見つめていた九緒夢が、リキュルの前に立ちふさがる。
「ハクと変なことしちゃいけないよ!? 兄妹なんだから!」
「なんで? 兄妹はどうしてだめなの?」
「それは……//」
「キュー、こっち見て顔を染めないでくれる……?」
白夢は嘆息した。
まず、二人の会話は、そもそもの前提が違っている。
九緒夢の思い描いている光景は、およそ口で表すに抵抗のあるピンクな情景だ。
しかしリキュルはというと、単純に傍にいたい一心からそう言っているのである。
「リキュル、トイレは一人でいくものです。ついてこないでね」
「むぅ……」
頬を膨らませて抗議してくるが、こればかりは聞いてやれない。
「じゃあ、きゅーねぇちゃんと遊ぶーーー!!」
「ちょっとリキュルちゃん、変なとこ触らないでよ~~!!」
結局のところ、興味の対象は、リキュルにとってどちらでも良かったのだった。
――●○●○●○――
新たな家族となったリキュルの親権を持った天羅とリベルテ。
白夢達の両親である彼らはあの後、
『うむ。ではまたも海外に行ってくる。帰国はおそらく……再来年だ』
『再来年!?』
『そうなのよぉっ! 次は南極だからねぇ~~♪』
『南極に行くの!?』
『今回は新しい家族も出来たし、お土産は豪勢なものがいいわね♪ リキュル、何がいい?』
『ぺんぎんっ!!』
『あら、いいわねそれ! うちのマスコットキャラになりそうだし!』
『いやいや、ダメだって! 捕まえたら逆に捕まっちゃうよ!?』
『ではアザラシで我慢しよう。では行ってくるぞ!』
『後はよろしくね~、ハクちゃん♪』
『ちょっと、おい!』
なんてやり取りの後、一日も家で休むことなく、次の旅へと出発してしまったのだ。
「……テンプラめ……、また全部僕に押しつけやがって……!!」
「いつものことじゃない。あ、B型の血が少なくなってる! 買いにいかないと!」
「ボクも行く~~♪」
「ハク、私たち外に出てくるから! 後よろしくね!」
「ちょっと、キューまで!?」
「いこ! リキュルちゃん!」
「うん! せーしも買って!」
「もしあったら買ってあげる!」
なんとも仲の良い姉妹の二人は、手を繋ぎ合いながら血液を買いに外へ出かけて行った。
「精子なんて売っているわけないでしょ……」
ポツリと誰もいない虚空に、白夢の独り言がこだました。
――はずだった。
「……そうですよねぇ、売ってるわけないですよねぇ……」
「――ッ!?」
降って沸いた謎の声に、白夢は驚き、そーっと振り返る。
白夢の目に入ってきたもの、それは。
「誰!?」
いや、誰、というよりも何、という表現の方がふさわしいか。
何せ白夢の目の前にあったのは、何やらスライムのような、透明のぐにょぐにょとしたものだったからだ。
「まさか――スライム!?」
「いや、違います。私は」
「メタルスライム!?」
「いえいえ」
「じゃあ……はぐれメタルとか?」
「そこまでレアではないんですけど……。いや、むしろそろそろスライムから離れていただくと嬉しいのですが」
そのスライム状の物体は、徐々に人の形を成していき、結果的に人間の男性の姿になった。
「……ふう。やはりこの姿が一番楽でいいですね」
「……だったら最初からその姿で来てください。びっくりしましたよ」
突如部屋からスライムが沸きだしてきたのだ。驚くに決まっている。
「それでですね。私、本日カウンセリングの予約をしていた者なのですが」
「……あ、そういえば……」
リキュルや両親のことで頭が一杯で完全に忘れていたが、いくつか相談の予約が入っていた。
新年最初の客が、このスライムだったというわけだ。
「……もしかして忘れてました……?」
「いえいえ、そんなわけないですよ。ささ、ソファーにでも腰掛けてください」
「そうですか。良かった」
誤魔化しに躊躇いのない白夢に、騙される人は多数。
(……どうしよう、名前覚えていない……!!)
光寺吸血相談所の電話対応は基本的に九緒夢が行うことになっている。
電話のメモ、予約帳などは全て九緒夢の管理下にあるため、白夢はそれらがどこにあるか知る由もなかったのだ。
(……とにかく誤魔化し続けないと……。何のイレギュラーなのか気になるけど……)
「とりあえずコーヒーでもお持ちしますから、待っていてください」
ささやかな営業スマイルを残して白夢が向かったのは、当然コーヒーメーカーではなく、巨大な冷蔵庫。
(……これでいいか。てか、これまだこんなにたくさんあるのか……)
中に入っている大量のマックスコーヒーを取り出してコップに注ぎ、氷を入れた後、応接間に戻って客に差し出した。
「ささ、飲んでください」
「……この寒い季節にアイスコーヒーですか……。まあいいですけど」
カランと氷の音を響かせながら、一口。
「……甘っ!? これがコーヒー!?」
「ええ、まあ……」
(キュー、早く帰ってきてよ……!!)
甘い甘いと連呼する相手を前に、ひたすら祈る事しか出来ない白夢。
その願いがかなったのか、来客を告げるベルが鳴り、扉が開いた。
「キュー、おかえ――」
「いやー、白夢さん。ご無沙汰してやす! どうも! スーホです! どうしてもお二人の顔が見たくて、近くに寄ったものだからつい立ち寄ってしまいやした! 迷惑でしたか!?」
「紛らわしい!!」
大げさに笑う馬頭鬼に、ついつい手が出そうになる。
「そうそう、白夢さん。あっし、ついに独立しやして、今度はタクシーの運転手になっちゃったんですよ!」
(また会社始めたのか……)
「ん? タクシー……?」
嫌な予感がして、窓からタクシーを探すと、それらしきものはどこにも――あ、あった。
「もしかして……あれ?」
「あれです! 以前のものより乗り心地をアップさせました!」
なるほど、確かに乗り心地はよさそうだ。以前のリヤカーよりは。
外に止めてあったタクシーらしきもの。
それはやはりというべきか、またもリヤカーだった。
「リヤカーじゃん……」
「タクシーですってば! ほら、しっかり見てください! 以前とは違い格段にパワーアップした我がタクシーを!」
以前と違うところは、荷台にポツンと置いてあるソファー。
そしてそのソファーの前には――なんとコタツが置いてあった。
「どうしてコタツが……」
「家族愛をテーマにしたタクシーでして! ほら、一家団欒って言ったらコタツでしょ!?」
「そうかもしんないけどさ……」
他にも公道を走れるようにナンバープレートがついていたり、夜道でも安全運転を可能とするためにライトがついていたりと、どうしてリヤカーでやるのかと突っ込みたくなる要素満載のスーパーリヤカーであった。
「素晴らしいでしょ!? 私のタクシー! 内部の電気設備は、全部リヤカーを引いたときの自家発電で補えるんですよ! エコカーですよ! エコカー! それはもう減税対象ですよ!」
「本人がリヤカーって言っちゃったよ」
まあ本人がこれをタクシーだと言い張っているのであれば、これはタクシーなのだろう。乗りたいとは全く思わないが。
「ただいまー♪」
「まー♪」
嘶き笑うスーホの背後に、今度こそ待ちわびた二人が帰ってきていた。
「あれ!? スーホさん? いらっしゃい!」
「これはこれは九緒夢さん、……と、誰です? この幼女は」
「私達の新しい家族、サキュバスのリキュルだよ」
「……リキュルです」
馬頭鬼が珍しいのか、じーっとスーホを見上げるリキュル。
「いやぁ、まさか幼女に見つめられてしまうとわ! 嬉しいですねぇ!」
「照れるなよ、気持ち悪い」
馬面が照れて体を振る仕草は何とも不気味である。
リキュルも引いているのか九緒夢の腕を掴んで隠れていた。
(ジー)
(……ん?)
そんな臆病なリキュルだが、隠れつつも、その視線はまじまじとスーホに向いていた。
――スーホの下半身に。
九緒夢の手を離し、ちょこちょことリキュルが白夢によってくる。
何事かと腰を落とすと、リキュルが耳打ちした。
「馬って、せーしいっぱいあるの? ――ふぎゃっ!!」
「変なこと考えないの」
「いひゃい! いひゃいよ!!」
ほっぺたをつねってやる。
思いの外プニプニでハマってしまいそうだ。
「ちょっと、ハク! リキュルちゃんいじめないの!」
「こいつが変なこというから教育してあげたんだよ」
「むぅ……。はくにぃ、きらい……!!」
「……はぁ……」
やはりイレギュラーという生き物は、想像を絶するほど騒々しい生き物だ。
改めてそう感じた白夢が、頭を抱えてソファーに戻ると。
「――あ」
目線が合ってしまった。地味に怒っていらっしゃるだろう。
「私の相談はいつになったら始めてもらえるのでしょうか……!?」
来客の存在を、完璧に忘れてしまっていた。




