カウンセラーにできること
「大丈夫かい?」
「ひぐっ、ひっぐ……!! お母さんは私のことを……」
「うん。そうだね。君はとても大切にされているよ」
九緒夢は自分の失態にリキュルに顔向けが出来ないのか、自室に籠ってしまった。
残された白夢が彼女を落ち着かせ、肩をポンポンと叩き背中をさすってやった。
「お母さんは……!! ……うう」
一応泣き止みはしたものの、その主張だけは変えることはなく、呪文のように自分に言い聞かせていた。
その姿を見て白夢も気が付いたのだ。
この子は、実はとても賢い子であると。
だからこそ、自分自身に暗示をかけるよう何度も何度も言い聞かせていると。
そうしなければ、この子には絶望しか残らないのだと。
「ねぇ、リキュル。聴いてくれるかな?」
「……うん……?」
突如声のトーンが変わった白夢に、リキュルはキョトンとする。
そんなリキュルを尻目に、白夢は語り始めた。
「僕等の両親はね、いつも海外に旅行に行っているんだ。だからこの相談所は子供である僕等だけで経営している状態なんだよ。全く迷惑な親だとは思わない?」
「……そう、なの……?」
「毎日毎日色んな相談を抱えた人やイレギュラーが来てさ、僕達は遊ぶ暇もないってのに、両親はずっと遊んでばかりなんだよ? いい加減嫌いになっちゃうよ」
「……嫌いなの……? お父さんやお母さんのこと」
「ううん。結局嫌いになれなかったよ。だって二人とも、いつも僕等のことを心配して、たくさんお手紙をくれるんだ。この前なんかアフリカから送ってきちゃってさ。手紙の内容はほとんどどうでもいいことばかりなんだけどさ、最後には必ず僕等の身を案じる言葉を残してくれんだ。だから僕等は知っている。両親は僕等のことを愛してくれているって。だから嫌いになれないんだ。リキュルと一緒だね」
「ボクと……一緒……?」
「そうだよ。そうだよね?」
「……違う」
「違うの?」
「……違う、違う……違うっ!!」
頭を抱えるリキュル。再び目からは涙が浮かんでいた。
「どうして!? どうしてお母さんは……!! ボクのお母さんは、ボクのことを殴るの!? ボク、いつもいい子にしているのに! ちゃんと言うことも聞いてるのに!!」
溢れ出す言葉は洪水のように留まることはない。
「本当に……!! 本当にお母さんはボクのこと、好きでいてくれてるの!? どうしてタバコを押し付けてくるの!? ボクが悪い子だからなの!? ボクのこと嫌いだからなの……!?」
それは悲鳴だった。
小さな体で必死に耐えて、必死に信頼して。
それでも彼女は母親への愛を求めて、泣きじゃくっていた。
しかし、白夢はリキュルにそれ以上泣くことを許さない。
優しく彼女の頭を撫で、そして抱きしめる。
もう、見ていられなかったのだ。
「ねぇ、リキュル。僕等はね、相談員なんだ。君が悩んでいること、それを一緒に解決したいんだよ」
あまりにも他人行儀な言葉。
それでも、これこそが白夢が行わなければならないカウンセリング。
慰めるわけでも、アドバイスするわけでもない。
言葉を紡ぐ相手の話をひたすらに聴く、ただそれだけのこと。
カウンセラーに出来ることは、そんな誰しもが出来ることと、わずかな後押しだけだ。
「……ひぐっ……、ボクの……悩み……?」
「そうだよ。僕等は少しでも君に楽になりたいと思っているんだよ。僕等はね――そうだろ? キュー」
白夢が顔を上げると、そこには泣き腫らした後の残る九緒夢が立っていた。
「そうだよ、リキュルちゃん。私達は貴方のためなら、どんな相談でも受け付ける。だって、もうリキュルちゃんには頑張ってほしくないから」
「……がん……ばる……? ボク、頑張ってる……?」
「頑張ってる。君は強いし、賢い。だからこそ全力で耐えているじゃないか。でもね、そろそろ楽になってもいいんじゃないか?」
「……楽になっても……?」
「そうだ。是非とも話してほしい。君が母親に普段、何をされているかを」
「…………」
リキュルは強く賢い子だ。
誰もが根を上げてもおかしくないほどの虐待を受けながらも、必死に耐えている。
それどころか、虐待する親を庇う為に、自分自身に大切にされていると言い聞かせている。
この沈黙がその証拠だ。
リキュルは本当にいい子だ。白夢は心からそう思った。
だからこそ、放っておくわけにはいかない。
このまま放置すれば、リキュルの心はたちまち崩れ落ちてしまうだろう。
だからこそ、ここらで終わらせなければならない。
それがたとえ、これまでのリキュルの努力を無駄にすることになろうとも。
白夢の問いかけに、リキュルは最後まで応じなかった。
最後の最後まで、母親を庇ったのだ。
であるならば、もう直接的な手を取るしかない。
「明日、僕等と一緒にお母さんのところに行こう? 僕等はお母さんに話があるんだ。そこでは君にとって、とっても辛い現実が待っているかも知れない。だけど、君は強い。耐えてくれると信じている。僕等はずっと君を支えるよ。だから、行こう?」
「お母さんのところに……」
母親の元に相談員が来る。
それを差す意味なんて一つしかない。児童虐待だけだ。
白夢は言葉を選びながら、慎重に。
それでいて、リキュルの立場になった言い方をしなければならない。
そうして言い放った、最後の台詞。
「君のお母さんを――信じるために……!!」
「…………」
現実は甘くない。
彼女の親は、おそらくリキュルのことなどどうでもいいと考えている。
それでも、リキュルは最後の最後まで親を信じたいと願っているだろう。
だからこそ、白夢達もリキュルの思うようにさせようと、そう思ったのだ。
リキュルから返答はなかったが、微かに首を縦に振った。
夜も遅い。
リキュルはそのままソファーで眠ってしまった。
入れ替わる様にリキュルの傍には九緒夢が付く。
「……ごめんね、ハク。私……」
「気持ちは判るから。キューって優しいからさ。質問の仕方に問題はあったかもしれないけど、それもこの子のことを心から思って出た言葉だと、誰だって判ってるから。おそらくリキュル自身も判ってるよ」
「……そう、かなぁ……。私、リキュルちゃんに嫌われちゃったと思う……」
「ハハッ、何言ってんだよ。だって、見てみなよ。嫌いな人の膝の上で、こんなに安心して眠れるわけないじゃないか」
リキュルは九緒夢の膝の上に頭を乗せ、その手は九緒夢の服をがっしりと掴んでいた。
これではまるで母親に甘える子供の様に、幼さ残るサキュバスの子は、九緒夢を離してはくれなさそうだ。
「キュー、今夜は冷えるからね。二人分の毛布を持ってきてあげるよ」
「……ありがとう、ハク……!!」
涙する九緒夢を背に、白夢は毛布を取りに行ったのだった。




