包帯と月
個人的には友情寄りに書いたつもりが腐に見えなくもないので注意してください。少し流血表現有り。
「……まったく、君は―――――――」
目の前で包帯を巻く作業を続ける男が、この重い沈黙を破った。
この状況に至った経緯は話せば長くなるが、とある盗賊団から目を付けられたことから始まる。それは二人で近くにある町へちょっとした用事で向かう途中のことで、休憩のため木陰で休んでいた時、見た目からして柄の悪そうな輩からいきなり取り囲まれた。本当にあっという間のできごとだったのと、特に逃げようともしなかった当人たちの所為もあって二人はあっという間に退路の無い状態に置かれてしまっていた。
その日の騎士は珍しくぼうっとしていて最初に男たちに話しかけられたことをほとんど聞き流していたが、彼らがこちらにかけた言葉は大体は「金目のもの置いてさっさと行け」とかそんな内容のことだったということだけは聞き取っていた。「ああ、やはり追い剥ぎか何かか」と冷めた瞳でちらりと取り囲む輩を一瞥する。男たちは盗賊としてはそれなりの武装をしていて、構えも何やら板についている。様に見える。ひょっとしたら義賊かもしれないと思ったがそこまで詳細を聞く興味は湧かなかった。男たちの言う事を無視し、黒の騎士は傍らの男へ話しかける。
「あいつ等は話し合いで引くと思うか?」
傍らの闇色のローブを纏った男は一言「ふむ」と呟くと、同じ様に辺りを面倒臭そうに見渡して答えた。
「…まあ無理だろうな、何より私が面倒臭い。」
「なるほど奇遇だな、私も面倒臭い。」
その返事を聞くとやっぱりそうかとでも言いたげに騎士はふ、と笑った。話し合いで解決と言っても元々口は上手くない。かと言ってそのまま身ぐるみを剥がされるのはごめんだった。それに先程から周りで膨れ上がる殺気をひしひしと感じて今更「それじゃあ」なんて切り出せるはずもなかった。そんな状況ながら緊張感も無く欠伸をする魔導師は心底面倒臭いと感じているらしい。気持ちは分かるが、こんな時くらいはやる気を少しでも出してほしいと騎士は一人思った。
そう思っていると男たちの中から「弱い奴から殺れ」という物騒な言葉が聞こえてきた。その言葉に男たちは騎士ではなくその隣で興味の無さそうな目で事の成り行きを見守る魔導師に狙いを定める。
この男たちも見る目が無いものだ、傍らに立つこの男は自分よりも遥かに大きな魔力を持つ魔導師であるというのに。
「私が出よう。…どうせ動きたくないのだろう?それに、こういった沙汰の専門は私だ。」
そう言いながら庇うように前に進み出ると後ろから「まあ…確かにそうだが」という言葉が続いた。相変わらず面倒臭がりやな人だ、と思いながら目の前で対峙する男たちへ向けて口角を僅かに吊りあげ、形だけの笑みを作った。数人の男は不愉快そうに眉を顰める。
「だが、何かあったら援護くらいはしよう。」
突然、思い出したかのように魔導師が告げた。騎士はほんの少し驚きに目を見開く。がすぐに素の微笑みを浮かべ「頼りにしてよう」と静かに呟いた。
何やら叫びながら斬りかかってきた最初の男を持っていた剣を納めたままの鞘で適当にあしらい、少し力を込めて押し返した。自分としては少し力を入れて「押し返した」だけのはずだったのだが、男は思いのほか遠くまで吹きとんだ。その様子に呆気を取られている男たちの目をかい潜り魔導師は煙のようにするりと騎士を囲む輪から離脱する。恐らく何らかの魔術の助けを借りたはずだが隠れた場所を感づかれても困るので目で追うようなことはしない。男たちが目を戻した時には、輪の中心に立っているのは黒の鎧を纏う騎士だけになっていた。
「それで、どうする?私の鎧でも剥ぐか?」
そう言って口元に笑みを浮かべると男たちの怒りは沸点間際まで達したように見えた。馬鹿にしやがって、全員の目がそう物語っていた。その視線を真向に受けながら騎士は静かな、それでも明確に現れている好戦的な眼差しで鞘から剣を抜きだす。そこでふと、ここ半年めっきり腕の立つ者と手合わせをしていないなと思い至った。それどころかこのように身体を動かす機会すら最近はほとんど無かった。このままではいくら自分が騎士で戦いに身を置いている立場だとしても身体が鈍ってしまうのは否めないだろうなと考える。
そう思っていた瞬間、後ろから地面を蹴る音が聞こえた。やっと動いたかと騎士は身体を反転させるのと同時に後ろへ重心を置き、男の突きをやり過ごす。攻撃を繰り出してきた男の背後へ付いたと思うと即座に、容赦の無い太刀筋でその背を剣で撫ぜた。つもりだった。
バチッ!と何かを弾く音が聞こえ、次いで持っていた剣にその衝撃が伝わった。これには騎士も少し驚き数歩後ろへ退く。咄嗟に騎士の脳裏に浮かんだのは補佐魔法・能力付加防具・その他のもっと特殊な何らかの力が働いた。ということだった。
ちらりと魔導師のいるであろう方角へ目をやると案の定彼もその様子を見ていた。顎に手をやり何かを考えてるようだったが、おもむろに杖を取りだし持ち直した。ほんの少し離れた場所からではあったが、彼の魔力がいつもより少し大きくなったように感じる。何をしているのかは判断できなかったが今はとにかく目の前の盗賊達を相手にする他無かったのでそこで他へ意識を飛ばすことを一旦止め、対峙する男たちに向け剣を構え直し、僅かな笑みを浮かべる。いつしか騎士の紅い瞳には燐光が宿っていた。
何故だかは分からない。ただ、あの時の自分は自分でも考えられない程に注意力が足りなかったのだと思う。後で言われて気付いた。その場からひっそりと抜け出す男が一人いたことに。
全てが終わった今思えば、あの一団を連れてきたのがその一人だったことに気づいた。
矢継ぎ早に襲いかかる男たちの攻撃をすいすいと避けながら騎士は考える。試しに他の男に対しても攻撃をしてみたが効果は同じだった。ここまで奴らにとっては勿体ないほど高等な能力が付加された防具など今までの経験から言うと、見たことなど無いし恐らくはそんな物自体無いだろうと思う。となるともしかしたらこの能力を施している「誰か」がいるのかもしれない、という考えに至った。
普段はあまり使わない闇の魔法を使うために意識を自身の持つ闇の波調へと合わせる。波長が噛み合った瞬間、騎士は思いきり真上へと飛び上がった。正確には重力操作の魔法を使い、その力を借りて飛び上がったと言った方がよかっただろう。いきなりのことに地面に置いて行かれた男たちはぽかんとその様子を見ている。
重力の力を調節しながら可能な限り辺りへ気を張り巡らせ、素早く眼下に広がる光景に目をやる。もしも術者がいるのなら、今発動している魔法の魔力の波導を感じない訳が無いのだ。
神経を研ぎ澄ませると感づかれぬよう抑えているのか、少し離れた雑木林の中に本当に微かな魔力を感じた。その方向を確認すると騎士は剣で指し示した。正確な場所は分からない。だがあの範囲に必ず誰かはいる。そう思ったら行動に移すのは早かった。
その瞬間、剣で指し示した場所に氷柱とも言えるような氷の華が咲いた。次いで青い燐光で彩られた魔法陣が展開する。それを見て騎士は驚きに目を見開く。確かにあの場所へ魔法を撃ち込もうとはしたが、それは騎士自身の魔法ではない。魔力の波導で分かったが、それは事の成り行きを見守っていたはずの魔導師の魔法だった。前に氷の魔法が得意だと言っていたが、実際に見たのは初めてだ。
彼が魔法を放った数秒後、微弱に感じられるだけだった魔力の波導が消えた。その瞬間眼下の男たちがざわつき始める姿が見える。それを見て口角を釣り上げた騎士は自身にかけていた重力操作の魔法の効果を緩め始めた。身体は落下を始める。ゆっくり、大きく上へ剣を振り上げると落下するその勢いのまま狼狽する男たちの輪へと剣を思いきり振り下ろした。
乾燥した地帯なお陰で舞い上がった砂煙が酷くて分からなかったが、数人の男は吹き飛ばされたようで少し離れた所から呻く声が聞こえる。騎士はゆっくり立ち上がるとまだ視界が煙りその中を、気配のする方へと駆け出した。
砂煙の中からは銀色の光がちらと閃き、鮮やかな赤が飛び散り、苦痛を訴える悲鳴が上がる。砂煙が完全に晴れるころにはもう辺りを囲っていた男たちはてんでばらばらに地面に伏せ、苦痛に喘ぎながらまだ抗おうと遠くまで弾いてやった武器を取ろうと必死に這いずっていた。
這いずりまわる男たちを見ながら騎士は一人、何とは言えない違和感を覚えていた。「何かがおかしい」そう思いながらも一向に男たちは一体何がしたいのかということが見えてこない。ただ、確実に何かがおかしい。
何故奴らは彼を追わない。何故奴らは盗賊だというのにこんな戦力差を見せつけられても諦めて逃げない。そもそも奴らは本当に盗賊なのか、最初にも考えたがまさか、義賊なのか。だとしても何故自分たちへ襲いかかってきた。奴等の本当の目的は何だ。
幾多の考えを重ねていったその中で特に、妙に心に引っ掛かったことがあった。
「(そうだ……何故奴らは一番弱そうだと言った彼を追わない?)」
一番弱そうなのであれば最初に殺せばいい。経験からして殺す対象と見て最初の標的にするのは常識的に考えれば自分から見て弱い者だと思っている。そしてそれが盗賊などの非道な輩の為すこととしてのパターンとしては一番考えられることだ。少なくとも、今まで見てきた輩は皆そうだった。弱そうだと思うのなら戦力を分担して辺りを探させればいい、なのにそれもしなかった。
それともう一つ引っ掛かる事があった。奴らの技量とその装備である。奴らはそれなりに良い装備で、得物の構えもそれなりに型に着いていた。それらを踏まえて見ると盗賊などではなく、むしろ傭兵と言っても過言ではないとすら思える。砂煙の中剣を交わしたその時も、奴らは動揺はしていたものの太刀筋や刃の受け方などはしっかりしていた。今までやり合った盗賊よりは格段に「まとも」だ。
だがそのまともさが、どうも引っかかった。
「やっと片付いたのか。」
不意に背後から声が聞こえる。ともう隠れる必要が無くなったと判断した魔導師がゆっくりと歩いてくるのだと分かった。もやもやと居心地悪く蟠る違和感に対して暫く思考を奪われていた騎士は声をかけられてやっと顔を上げて彼の方を振り返る。そして目に入った光景に、騎士は一瞬言葉を失った。
振り返った瞬間に見えたものは、彼の背後を狙い放たれた矢。しかも一本だけではない。遠く彼の背後、少し小高い丘に見えたのは数100m程先の方でボウガンを構える人の影だった。
その光景を把握した後、一体何分の何秒とかかったかも分からないその僅かな時間の中で身体は騎士が思っていたよりも早く動いていた。自身の限界まで研ぎ澄ました感覚の全てを移動することに費やし、自身の方向へ歩いてきていた魔導師の背後へと庇うように回り込んだ。情けないことに、声をかける間も剣で防ぐ暇も魔法を使う余裕すらも無かった。そうすることで矢の威力を弱められるとは思った訳ではなかったが、せめてもの反抗だとでも言うように羽織っているマントを眼前で翻し、完全に庇いこんだ魔導師に危害が及ばぬよう、思いきり抱え込んだ。その瞬間魔導師が僅かに目を見開き何かを言おうとしたのが分かったが、それをを聞く余裕すらもなかった。
わずか数本のただの矢ならばこの鎧でも防げる、そう思っていた。しかしその考えは次の瞬間に襲った衝撃の前に掻き消されていた。
結果的に言えば、その矢は鎧を貫通することはなかった。ただそれは、「鎧を傷付ける」ことがなかっただけであった。鎧や障害をすり抜ける、そのくせダメージ自体は何倍も増幅する魔力で作った仮初の矢。以前戦場で同じ国の些か手癖の悪い魔術師が使っていたのを見たことがあるだけだったが。この魔法には見覚えがあった。装具目当ての蒐集家や盗賊団に雇われる魔術師がよく使う魔法だった。
「……ッぐ、……ぅ…」
痛みには相当慣れてきていたはずだったが、こんな形でこの厄介な魔法を喰らったことは無かったので最初は驚きの方が勝っていたが、矢とは思えぬほどの激痛にさすがに騎士は顔を苦痛に歪める。背には三本の矢が、そして右腕に一本、脚には二本の矢が突き刺さったのが分かった。
魔導師が自身の名を呼ぶ。だがあいにくと先程と同じように返事をする余裕が無い。しかしその余裕の無さには先程とは違う、怒りが含まれていることに目の前の魔導師は気付いているのだろうか。騎士は全身を苛む痛みを堪え、戦きそうになる両足を叱咤しゆっくりと何とか立ち上がる。そして矢の飛んできた丘へ静かな怒りを込め睨みつけた。
丘の上に立ちその様子を伺っていた、恐らくは先程襲ってきた奴らの仲間なのであろう矢を放った張本人たちは遠目からでも分かる程に動揺したのが分かった。本気で殺す気でいたのだろうが、あいにくと狂戦士の血が流れるこの身体は丈夫にできている。めったなことでは死なない。
右手に持っていた剣を左手に持ち替え、丘の方角へ向けて剣で指し示した。先程と違うのは魔法を発動する者が騎士だということだ。
彼は自らの身一つで戦う騎士でありながら、高等な魔法を二種類持つ者でもあった。
「………塵へ、還れ。」
地の底から聞こえてくるかのような低く重い声で一言、静かにそう呟くのと丘に巨大な火柱が上がったのは同時だった。火柱が上がるだけでなく、とどめとでも言うかのようにその四方から火球が丘の頂に向け落下する。もしあの場ですぐに逃げた者がいたとしても恐らく辺りの酸素は奪い尽くされているに違いなかった。正直なところ、この光景を見てまだ生存者は望めると言う人がいるのならそれは笑える冗談にもならない只の戯言だとさえ思える。
「…………………。」
丘を見つめたまま緩慢な動きで、騎士は少し呆然とした様子で剣を下ろす。珍しく感情に任せたため思いのほか加減することを忘れていて「しまった、やりすぎた」と思った時には既に遅く、丘の頂は天に伸びる火柱と共にひとしきり燃えた。幸いな事に、木も草も少ない丘だったお陰もあってか炎の勢いは次第に収まり、今はちらちらと火の子が燻っているのが見えるだけだった。どうやら山火事のようにはならないで済んだようが、立っていた数人の盗賊は倒れ伏したのかそれとも本当に塵にでもなってしまったのか、此処から見る影すらない。
ああ、些か感情的になりすぎた。と考えていると先程突き刺さった矢の感触が無い事に気付いた。未だ激痛は続いていたが、魔力でできた矢だからなのか術者が死んだからか術を解いたからなのかは分からないものの、今の出来事で矢自体が消えたらしい。だが傷口から溢れ出る血が止め処なく流れ出しているのは変わりなかった。ちらりと足元を見てみれば結構な量の血だまりができているのが分かる。
自分の状況を把握すると、いきなり頭痛と吐き気が襲ってきた。後ろに立つ魔導師が何かを言ったことが鼓膜の微かな震えで分かったが如何せん、頭が働かない。恐らくは血が足りずに貧血を起こしているのだろうが、あまりにも久しぶりの感覚に逆に新鮮味を感じてしまう。返事をしない騎士の肩に魔導師の手が触れる。
「(…そうだ、止血をしなければ)」
ぼんやりとそう思ったのが、次に目を覚ますまでの騎士が明確に覚えている最後の記憶である。
「……………………。」
「ああ、起きたか。全く…君を運ぶのは中々骨が折れたぞ。」
いつの間に気を失っていたのか、もしくは気を失わされたのか。目蓋を開いた時の光景は最後に記憶していた光景とは全く異なっていた。
顔を横に傾けてみると何やら頬がふわふわする柔らかい布が当たる。どうやら自分はベッドの上に横たわっているようだった。服はいつも何も無い時に着ている軽装に着替えさせられており、少しだけ肌寒く感じる。無傷だった左腕をふと挙げて見てみれば、その掌に包帯が巻かれていることに気付いた。どうやら無傷だと思っていたのは自分だけだったらしい。掌だけでなく腕にさえも包帯が巻かれていた。この様子を見ると恐らく身体中包帯だらけなのだろうとぼんやり思っていると、何やら作業をしていた魔導師がおもむろに立ち上がり、救急箱を漁り始める。その中から液体の入っている小瓶と包帯を探し出している様子を騎士は目で追っていた。
「…起き上がれるか?包帯を変えたい。」
そう言われてやっと騎士は上半身を起こすため両腕に力を込めた、が右腕にも矢が刺さっていたことをすっかり忘れていた騎士は誤って体重をかけてしまい、直後走った鋭い痛みに一瞬眉を顰め、息を詰まらせるものの気付かれぬように平静を装い、身体を起こしてベッドの縁へ腰かけた。
「………。」
魔導師はその様子を悟ってか否か、小瓶と包帯を引っ掴むと向かい側に椅子を持ってきて座り、手際良く身体に巻かれた包帯を解いていく。まだ傷は塞がっていないからか包帯は血で汚れていた。巻かれた包帯を全て取り去った後、新しい包帯を適当な長さで切り、くるくると巻きつけていく。予想以上の手際の良さに騎士は驚いた。
「慣れてるんだな。」
「まあ…自分のやつも自分で巻いてるからな。」
純粋に思った事を呟くと魔導師は包帯を巻きつける手を止めないまま答えた。そう言えば彼は右目に包帯を巻いていたなと今更ながらにして思い出す。何があって隻眼になったのかは分からなかったが、彼が自分から話さないところを見ると、恐らく聞かれたくはないことなのだろうと思ったので余計な詮索はしないようにしていた。それは今も変わらないのでそれ以上何を言う事もなかった。
それから暫く、二人の間には重い沈黙が流れた。特に話すことも無いので騎士が黙っていると慣れた動作で包帯を巻きつける魔導師がおもむろに口を開く。
「……まったく君はいつもいつも出かけては無茶をしてくる…もっと自らを大切にしなければ私も怒るぞ、大体君が出なければいけない場面となると…」
一体何を話し始めるのかと思ったら、説教だった。さすがに呆気に取られぽかんと見つめる騎士を無視し、尚もぶつぶつと呟いている。「君は鎧を着てるからといって…」や「そもそも魔法が使えるのならもっと早く…」というようなことを言っている魔導師の姿を最初のうちは呆気に取られて見ていたのだが、次第に笑いが込み上げてきた。くつくつと押し殺すような笑いに気付いたのか魔導師は怪訝そうにこちらを見て何がおかしい、と呟く。
普段から口数はそれほど多くない彼が、こんな説教の時だけ饒舌になり矢継ぎ早に言葉が出てくる様子を見ていると自然に笑いが込み上げて来て仕方がなかった。更に言うと、怒る姿を見るのも初めてだった。笑いを堪えながらすまない、と謝ると魔導師は少しだけ眉を顰めた後、また包帯を巻きつける作業を始める。
ふう、と一息吐いた後。魔導師が静かに言った。
「これをする奴など私だけでいい。」
「……、………。」
騎士はその言葉にぴく、と反応し何かを返そうとしてから、結局何を言えばいいか分からず開きかけた口を噤んだ。ただ、その言葉はじわりと胸の奥に満ちて緩やかに広がっていったのだけは分かった。
「………すまない。」
「…そう思うのだったら、もうこんな無茶は止めることだ。」
「それは…善処する。」
そう言いながらも、もし次にこのような状況が訪れたその時。自分は恐らく、また同じ様なことを繰り返すのだろうと思う。それだけは自分でもどうにも変えられなかった。必ずしも騎士としての訓えを遵守しているという訳ではないが、それでも自分の中にも譲れないものがあるからだ。
むしろ、それが無ければ自分という存在と、人間としての自我をいつか失ってしまいそうで怖い。今はまだ、人で在りたいと願った。だからこそ、それを易々と譲る訳にはいかなかった。
いっそ全て護り通せる力があればと思ったこともあるが、今からそれを望むにはあまりにも時が経ち過ぎていて、騎士は密かに目を眇める。
緩慢とした動きで頭を上げ、窓の外を見てみると漆黒の帳の中にまるで穴が開いて、そこから光が漏れているかのような満月が浮かんでいるのが見える。周りの星は既に満月の強い光に掻き消され、空には煌々と輝く満月しかないように思えた。
「……これからはあまり『無茶』はしないようにする。」
「ああ……是非そうしてくれ。」
「…………。」
「……ところで…君は痛覚が無いのか?」
「…?そんなことはない、痛みは感じる。」
「……ならば何故、」
「…何故?」
「いや…………いい。」