獣 ――ラーテル――
その日の夜――。
パッシュは、なかなか寝付けぬまま、シーツにくるまって不安の数を数えては数え直すという、堂々巡りを続けていた。
(明日のこともある。寝なきゃいけないのに)
そう思い直しても、何度も同じ不安が湧いて出て押しやって……を繰り返す。
(――え!?)
パッシュは違和感を覚えて思考をとめた。
乾季の夜は、風がなければ動物の鳴き声も虫の音も届かず、草も揺れずに静かだ。
なのに、何かが聞こえた、気がした。
――……ィィィ、イッ……
傾いたドアが建具に擦れるような、耳障りな音。
または鳥類やげっ歯類の、細く高い鳴き声。
――キイィ……ィィィ、イッ
パッシュの心臓が一度だけ大きく飛び跳ね、鼓動が早まる。
嫌な予感が大きく膨らむ速度に合わせて、鼓動も早くなっていく。
そして木材が割れたような乾いた破砕音がした瞬間。パッシュはシーツを跳ね除け起き上がった。
胸から首にかけて熱をおびており、違和感がすぐそばの現実だと直感した。
(何かが、来た!)
寝台から降り、「みんな! 起きて! 獣だ!」と警告を叫び、裸足のまま家の外へと飛び出す。
月明かりや灯火のない夜闇。だが星明かりが毎日目にしている地形や建物を影として浮かび上がらせ、パッシュに音のした方向を教えた。
「みんな! 起きて! 夜襲だ!」
パッシュは走りながらも、できる限りの大声で村人に警告した。
なぜ音のした方向がわかったのか。
なぜ獣だと断じられたのか。
なぜ村人に危機の接近を告げる必要があったのか。
パッシュにはハッキリとした理屈はない。が、本能や危機感が『そうするべき』と突き動かしていた。
村の建物は二百ほど。うち七割が工房や倉庫で、残りが人家。その集落を囲うように牧場と田畑と水源の川原があり、柵で仕切られている。
「――うっ!?」
集落の端にさしかかる手前で、パッシュは足を止め、夜闇に蠢く巨大な影を見付け、呻いた。
砂を掻き、頭を突っ込み、何かを捕食して荒々しい唸りを発し、飛び退きのたうち、土砂を舞い上げる、影。
動き回る様は動物のそれだが、大きさが桁違いだ。
成立した佇まいは、頭の高さが人間の大人三人分はあろう。体躯も一家四人が暮らす平屋の家屋ほどある。まさしく巨獣。
立ち尽くしていたパッシュに幾人かが駆け寄る気配。
ボロアーら三人の雇傭兵と、ライルと村長を含めた村人たちだ。
「誰か、明かりを!」
「|手のひらに集めた日光《ピース オブ サンシャイン》」
叫んだのはグレイグ。即座にルーシアが周囲を照らす魔法を唱えた。
ルーシアの突き出した両手の先に、一抱えほどの光の塊が生まれ、ふんわりと中空へ上昇する。
その淡い光は星明かりよりも鮮明に辺りを照らし、蠢くものの正体を明らかにし、村人たちを怯えさせた。
思わずパッシュがこぼす。
「でっかい、イタチ……」
上から光を浴びているせいもあろうが、顎下・腹・四肢は黒色の体毛。鼻梁から額・背中・太くて長い尾の上面は白色の体毛。
そして耳介がなくツルンとした頭の形と、少し潰れた鼻先。凶悪な鉤爪とはみ出した牙は、イタチ科の特徴だ。
バッシュの背後からライルの声が飛ぶ。
「ラーテルだ! 雇傭兵の方々、お頼み申す! 皆は避難を!」
キシャァァァァーーッ!
巨大イタチは、ライルの言葉の意味が分かるのか、明らかな敵意と殺意を咆哮に込めてよこした。
そしておもむろに飛び上がり、バッシュらの右手側の人家に着地して圧し潰し、頭を突っ込んで素早く左右に捻り、瓦礫に潜り込むように悶えた。
木材や陶器の破壊音に混じり、かすかに悲鳴が漏れ聞こえる。
ライルの警告に従いかけた村人たちの足が止まり、雇傭兵の三人がパッシュに並びかけたところで、巨大イタチが体を起こし尻を下ろした。
そのあぎとには老人が咥えられ、両の前足には女性と子供が掴まれている。
集まっていたほぼ全員の口から悲鳴や驚きの声がもれ、どよめきが波となって不吉さを倍加させる。
案の定、イタチの裂けた口からズルズルッと粘性のある液体を啜る音がし、前足の体毛もザワッザワッと不気味に脈動した。
「やらせるかよ!」
異様な光景に押し黙った空気を切り裂いたのは、剣を抜き放って駆け出したグレイグの雄叫び。
その行動に我を取り戻した村人たちの半分は恐怖を嬌声に変えて逃げ出し、目にした光景に耐えられなかった残りの村人は、呆けたり吐いたりと爆発的な狂乱のるつぼに陥った。
一方で雇傭兵の三人は果敢に巨大イタチが居座る瓦礫へと集まる。
グレイグは圧し潰された家屋に踏み入り、接近して剣を振るう。しかしグレイグの剣は弾かれ「硬ぇっ!」と毒づく。
ルーシアも、小剣に帯を結んで投げつけ、囚われている村人を解放させようと努めるも、こちらも跳ね除けられて効果はない。
ボロアーは二人の攻撃を観察し、指示を飛ばす。
「ラーテルの皮は硬い! 腹と目を狙え!」
非情な指示にグレイグが「正気かよ」と反論しつつ、それでも指示通りに巨大イタチの股ぐらへ転がり込む。一歩間違えば踏みつぶされ、爪に襲われ、噛みつかれる危険性が高く、勇気のいる行動だ。
ルーシアはそのグレイグの剛胆な行動を援護するため、小剣を納め、巨大イタチの頭部に連続して魔法を放つ。
「|叱咤の鞭《クラック ア ウィップ》!」
不可視の衝撃波が魔法詠唱の回数と同じだけ巨大イタチの頭部に炸裂するが、巨大イタチに効いた様子はない。
そこへボロアーの力ある声が響く。
「|貫く火の槍《ファイア スピア ストライク》!!」
ボロアーの掲げた長杖の先から火炎が迸り、巨大イタチの喉元を射抜いて、人一人がくぐれるほどの穴を穿った。
誰の目にも明らかな有効打。これには巨大イタチものけ反り、囚えていた村人たちを放り出した。
人間が高所から落下する音が三つ起こり、パッシュの見開いた目から涙があふれた。
無意識につぶやく。
「パラ・ダミア コクォーロ デ・イ スクゥーウ……」
刹那。
巨大イタチの凶悪な眼が黒く光り、パッシュに狙いを定めた。




