返すだけで、済むとでも?
「っ……」
レナーテは手元についている宝石を握りこんで杖で、的を指す。
小石を投げてもギリギリ届かない程度の距離にある的に、魔力を集中して杖に組み込まれている魔法である風の魔法を放つ。
しかし詰め込んだ魔力より、小さな出力になって、レナーテの風の魔法はよろよろと飛んでいく。
そして的に当たるころにはとてもか弱くなっており、パスンと音を立てて小さく揺らした。
これでも十二分に訓練を重ねたのにと心が重たくなった。
……仕方のないことですけれど魔法具を介して魔法を使うというのは、まるで違う言語の人に指示を送って何とか魔法を使ってもらっているみたいですわ。
自身の杖を忌々し気に見つめつつレナーテはそんなことを思った。魔法を持たない状態のレナーテはこういった魔法の組み込まれた杖などを使って使うしかない。
それにほかによいたとえが見つからなかったことも、レナーテの苛立ちを助長させていた。
けれどもそんなことを考えたとしても仕方のないことだ、自分はこうでだからこそ持っている物もある、それだけなのだ。
「はい、シュターデンさん。以上で実技の試験は終了です。昨年に比べて、距離も威力も伸びました。素晴らしいですね」
「……ありがとうございました」
教師は画版にメモを残しつつも、レナーテに対する講評を述べた。素晴らしい結果とはいえないけれどもそれでも、以前のレナーテに比べたら伸びている。
それはレナーテの努力を表す結果であり教職としては素晴らしいと表現するにふさわしいと考えたのかもしれない。
こんな程度ではと思う気持ちもあるけれども、それでも教員という立場で生徒であるレナーテにやる気を出してほしくて言った言葉だとするのなら否定することは憚られて、レナーテは控えめにお礼を言った。
それに、この試験はまだまだ続く、後ろに並んでいるクラスメイトに場所を譲り、レナーテは肩を落としながらもその場を去ろうと考えた。
しかし、気を使った教師に声をかけられた。
「大丈夫ですよ、合格点ではあるのですから。シュターデンさん。魔法をもたないクラスの中でもあなたはとてもよくやっている。毎年きちんと記録を伸ばし、それに座学の成績は学年トップを争う、将来、よい研究者になれます」
「研究者ですか。とても嬉しいお言葉ですわ。……でもわたくしは━━━━」
教師に太鼓判を押され、誇らしいとは思う、しかし実技の結果がC判定だということに変わりはないだろう。
王太子の件もあり魔法に関する研究職はきっととても将来有望な職だ、しかしそれよりも、レナーテが心の奥で望んでいることがある。
それは口にするつもりもないことで、途中まで言って言い淀んでしまうことがここ最近は多い。不満があると言えばあるけれども、決めかねているというのが正直なところだった。
わぁっと隣から歓声が響いてきて、レナーテは黙ってそちらを見た。
魔法石のついた杖を握り、的の上部を風の魔法でちぎり取って、はるか上空で消し炭になるまで派手に燃やす。
そんな魔法を使ったのは学年の中でも実技トップの人間しか入ることが出来ないクラスのレナーテの婚約者だ。
……バルトルト……。
彼は二つの魔法の属性を持ち、それらを華麗に操り教員たちからも一目置かれている。
大概の貴族は一つの属性を持っていることが普通で、魔力のみ持つ場合もあり、二つの属性があるというだけで、生涯の安泰が約束される。
「素敵~! さすがは実技学年トップっ!」
「かっこいい……わたくしもあんなふうに……」
レナーテのクラスの子たちからもそんなふうに声が上がって、バルトルトは称賛を受けて「いやいや、この程度」といった様子で謙遜している姿が見受けられた。
……誇らしいと思うべきかしら。
それは正直よくわからない、それともうらやましいと思うべきなのか。
無言で見つめていると、そばにいた教師は勝手にレナーテの感情を察したつもりになって、補足のように苦笑していった。
「ああいうのは才能ですから」
「そうですわね。どう思ったらいいのかしら」
「自身の優れた部分を探したらいいですよ。実際、魔法は優秀でも卒業できない人もいますから、彼も……座学は補講対象なので」
……補講? 合格点を取ることが出来ていないなんて、何故なのかしら。
彼が二つの属性を持っているから、そしてレナーテが何も持っていないから座学の方ではこういう差が開いたのだろうか。いいや、それは違うはずだ。
なんせ同じクラスの生徒たちは大体、座学を重点的にこなすし成績もいい人間が多い。それはきっと素晴らしい才能を持たず慢心できないからこそ自分の努力で道を切り開こうとしているからだ。
本来は彼だってそちら側の気持ちがわかるはずなのに、そうならないバルトルトの心理がレナーテには想像できないと思ったのだった。
王太子殿下の件によって今、魔法使いという職業は非常に需要が高まっていて、入学希望者が以前に比べて倍になったという話は有名だ。
しかし、それと同時にもう一つ。ブームや流行と言っていいような大きな流れがある。
それは恋愛結婚だ。
レナーテが学園に通っている間の出来事なので詳しくは知らないけれども、我が国の王太子殿下は、長年の婚約者がいるにも関わらずに身分の低い下級貴族と恋に落ちた。
その恋は燃える様な素晴らしい愛に代わり、多くの反対を押し切って婚約者との婚約を破棄し、愛した相手を娶ることに成功した。
そんな調子の王太子に合わせるように国は今空前の恋愛結婚ブームであり、下級貴族が将来の王妃になると魔力的に心配が生まれるので、魔法使いという職業の需要が高まっているというわけである。
そして、この魔法学園も例外ではない。
恋愛結婚の流行に乗せられて、もしくはそれを口実にして、婚約破棄をするようなことが多く、レナーテはつまりはそういうことなのかと妙に納得してしまった。
「大切な人が出来たんだ。わかってくれよ、レナーテ」
「具体的におっしゃってくださる?」
「……婚約破棄だ、お前なんかとは」
「……はぁ」
中庭にある小さなガゼボ。そこにレナーテとバルトルトは適当に座って向かい合っていた。
優雅にお茶を飲むでもなしに切り出された話に、レナーテはため息をこぼして、呆れたような心地になった。
その様子に、バルトルトは視線を鋭くして指摘した。
「そもそも、そういう態度。お前のそういうところ、俺は端から大嫌いだったんだ。しばらく誘っていなかっただろう何故だと思う?」
「わかりませんわ」
「お前が改心して、もう少し可愛げのある女になるにはどうしたらいいかと俺に聞いてくるのを待っていたんだ。それなのに……だからこうなったんだぞ、もう俺の心はお前に戻ることはない」
バルトルトの責めるような言葉にレナーテは、そういう意味だったのかと今更思うが、それを知っていたとしても、彼の思うようになどならなかっただろうと思う。
中庭から見える校舎の外廊下には、心配そうにこちらを見ているひとりの女子生徒がいた。
察するに、あの女性が彼の新しい相手なのだろう。
……呼び出された時は、何の用事かと思ったけれど流行っているしこういうこともあるのね。
バルトルトはレナーテが後悔するはずだと思って、煽るように笑みを浮かべてそう言っているが、レナーテの事実への認識はとても冷めたものだった。
しかしこうなったからには、一つ問題があるだろう。
「クラスで俺の婚約者だともてはやされていたらしいじゃないか、ただそんなことももう終わりだな。まぁ、もともと釣り合わなかったのだし婚約破棄されたところで周りは優しいだろう」
「……そうね?」
それはとても大切な問題で、この際なので彼がどういう意図で、座学の成績が悪かったのかも聞くことが出来るだろうか、これからはどうするのだろうかとレナーテは考えた。
しかしバルトルトはまるで見当違いのことを言っている。
ここ最近は会っていなかったが、今までもこういうことは何度かあった。
そのたびに少し首をかしげながらそうね? とレナーテは言っていたが、今回ばかりはそうもいかない。
「頭ばかりよくたって、魔法使いは基本的に実務職だしな。お前らは俺みたいなのがうらやましくてしょうがないかもしれないが、可愛げもない魔力しか持たないお前と、二つの属性を持つ俺じゃあ、元から話にならない」
「……?」
「慰謝料だけは弾んでやろう。シュターデンは相変わらず芳しくないのだろ?」
それは間違っていない、レナーテの生家であるシュターデン伯爵家は子だくさんであり、それでいてあまり領地の稼ぎが良い方ではない。幸い、普通の貴族という常識の範疇内ではあるものの、優雅で悠々自適といった貴族らしい生活をこの先ずっと維持できるわけではないのだ。
だからこそ、レナーテは今、こうなっている。
しかし、そんなこともあまり関係がない。レナーテは別にバルトルトと婚約を破棄した時点で生涯の安泰は約束されたも同然なのだ。
そのはずであるのに彼の言い方に強烈な違和感を覚えて、目を見開いた。
もしかしてと思って口にする。
「それは、そうだけれど。返してもらいますわ。それはわたくしの魔法だもの」
「……」
「……」
バルトルトの瞳を見て、静かに告げると彼は黙ってそれから同じように目を見開いた。
しかし少しの沈黙の後、バルトルトはとても可笑しなことでもあったかのように吹き出した。
「……っ、ブハッ、ぐ、ふふ。アハハッ!! は、はぁ? なに言ってんだよ、なぁ、レナーテ、婚約をしてやった代わりに、契約した、そうだよな?」
「……え、ええ」
「それで、もう十分いい思いをさせてやっただろ? 将来の心配をせずにいられて俺が認められて、誇らしかっただろ?」
「……」
「それに誰が、有能な俺の力をお前に移すなんてことしたいと思う? 所詮は女のお前が持ったって宝の持ち腐れもいい所だ。慰謝料はくれてやるって言ってるだろ? だからもう現実を見ろ、俺の力だ」
勝ち誇ったように彼は言った。
その様子にレナーテは唖然としてしまって、しばらく思考が停止した。
しかしたしかによく考えてみると、周りからそのようにすでにみられていて、契約を結んだのもレナーテが幼いころだ。
誰もがバルトルトには力があってたぐいまれなる才能を持って生まれたと信じている。女のレナーテよりも男の彼の方が持っていることにふさわしいと当たり前に思うかもしれない。
たとえ、貸与の契約だったとしても事実上、大衆がそう認め、彼が操っているはるか昔の契約だ。その事実が認められるかもしれないなんてことはありえない話ではない。
むしろ、それを着実に狙っていたとしたら……?
……ここまで、彼の力として周りにも認められて、わたくしが劣っていると周知されている状況で、誰もが女に力を戻すなんて意味のないことを望まないだろうと読んでいたのなら……。
それならば、年々彼が座学の成績を落としていったことにも納得がいく。
自分には力があると陶酔し、何をする必要もなく、自分の物だと思っていたからやる気を出す必要がなかったのだ。
「……それでも、返してもらうと言ったら?」
納得しつつも問いかける、すると彼は馬鹿にしたような笑みを浮かべて、レナーテに言った。
「そんなことをすれば、お前が疑われる。学園側には契約のことなど知るよしもない、そこで俺たちの魔法が入れ替われば……わかるよな」
レナーテが奪ったことになる。傍から見ればそうなって、彼と婚約を破棄してそんな状況になればレナーテは、新しい貰い手もないだろうしむしろ、元婚約者から何かしらかの方法で無理やり魔法を奪った極悪人とみなされかねない。
将来は絶望的かもしれない。
「あきらめろ。端からお前に扱いきれる力じゃない、俺のような男が持ってしかるべきだろう。慰謝料だけはくれてやる、それで新しい相手でも探せ、どうせお前は頭がいいんだ。男に媚びることなんて簡単だろ」
あざ笑うように言いながら彼はレナーテの両頬を片手でつかむようにして無理やり視線を合わせた。
……あなたはあなたで算段があってそうしているのですわね。でもわたくしの魔法は何も、売り払ったわけじゃない、あくまで対等に魔法を貸して、将来の結婚を約束してもらっただけ、ですのに。
どうやら、ただの間抜けということではなくこのタイミングで婚約破棄をするのにも意味はあったらしい。
そしてたしかにレナーテは爵位継承者でもないし、力を持っていても仕方がない女、なのかもしれない。
それでもその手を振り払って「そうですか」と適当に言って立ち上がる。
バルトルトの心境はおおむね理解できた。そして彼はそれを当たり前だと思っている。
将来の心配があったシュターデン伯爵家の令嬢から都合よく力を得て、好きに扱うのも自由で、権利だと思っている。
慰謝料をきちんと払えば、両親が何も言えなくなることを見越していて、周りはもちろん彼の力だと信じている以上は何も言わないとわかっている。
レナーテはむしろ、生まれ持った力を失いつつも慰謝料という形で家に貢献できて、しばらくの間誇らしい婚約者とのことをもてはやされた。それで報われているという。
そんな様子に、レナーテは彼が魔法を使っているのを見て何と思おうかと考えたことが頭に浮かんだ。
……うらやましいでも、誇らしいでも、ないわね。力はわたくしの力だわ。だから、憎らしいでいいのよね。
持って生まれただけの幸運、それを振りかざすつもりもない、使えるときに使って正解はわからないけれども正しく使えたらと思っていた。
だから渡したままでもよかった。けれども違う。
……その力は他人が我が物顔で使うためにあるわけじゃない、あくまでわたくしのものだもの。それの自由も、責任もわたくしにあるものだわ。
そう決意して一時的に学園を去ることにした。幸い試験は終えているし進級もできるだろう。
王太子の件でごたごたとしていてこういうことが多く教師に難色を示されないことだけが救いだと思ったのだった。
王族やその分家に当たる人々は少々特殊な魔法を持っており、そのうちの誰かに依頼をして契約の魔法を利用することがこの国での一般的な契約魔法の使い方だ。
婚約破棄の話や、バルトルトの言い分を父や母に話すと思いのほかすんなりと謝罪をされた。
契約の破棄について履行をきちんと頼めるようにとたくさんの伝手をつかって王子ヴィクトアに取り次いでもらうことが出来た。
レナーテは正直なところ、両親は慰謝料の話をしても協力はしてくれないかもしれないと思っていた。
しかし幼いころから魔法が奪われても自分の力で学園に入り、良い成績を上げていることによって、両親はレナーテから取り上げてしまった物について重く受け止めてくれている様子だった。
そこに今まではあまり感じたことのない家族の情らしきものを感じて少し気恥ずかしかった。
「それで、話は聞いているけれど単刀直入に言わせてもらうと、公的な記録を残していない契約魔法については契約書がないと、解除というよりも新しく結ぶ形になるから同意なしでの発動は不可能に近いんだよ」
落ち着いた黒髪の青年は気まずそうにそして若干面倒くさそうに、眉間にしわを寄せてそう言った。
彼は王子は王子でも王太子ではなく第二王子のヴィクトアだ。恋愛結婚ブームがやってきて一番割を食っているのは多分彼であるとレナーテは考えていた。
「それに魔法の取りかえって簡単に言うけれど、案外面倒くさいものだから、媒介はあるのかとか、そもそも魔力を生成する器官に関わる魔法は大変なものだし、ああ、一応魔法学園の生徒だっけ……じゃあわかることも多いと思うんだ」
彼は説明しつつもデスクでさらさらと文字を書いていて、適宜魔力を込めてなんだか忙しない様子だ。
案内された執務室も常に従者がバタバタとしていて、貴族たちの契約に携わり実務的な補佐をする第二王子は大変なのだろう。
「ともかく、そういう内密の契約をすると大体、契約書は残さないようにとお互いの間で決めることも多いし、君はその時幼かったんだよね。ご両親が出してこないということは従ったんじゃないのかな」
彼の言う言葉には一理あり、レナーテは静かにうなずいて少しうつむいた。
それは女だからこういう、素人にもわかる説明口調なのか、それともまだ若いからという配慮なのか考えるためだった。
しかしその様子にヴィクトアはちらりと視線をよこして、補足するように続けた。
「いや、君が悪いってわけじゃないよ、もちろん。君は本当のことを言っているんだと思うし。でもほら証拠もないのにうのみにして、えっと……ディーツェル伯爵子息の特別な魔法を奪うわけにはいかなくて」
「それは、その通りなのでしょう」
「そうなんだよ。素晴らしい魔法だろ、欲しい人間は山ほどいる。言っては悪いけれど誰かが企んで君にそう言わせているという可能性だって加味しなければ、また贔屓だ何だとごちゃごちゃと……あー」
ヴィクトアはなにか思いだしたように視線を逸らして嫌そうな顔をした。
なんだかとても疲れていそうな様子に、これではたしかに自分のことに目がいかないのは当然だろうと思う。
爵位も持たずに、将来も決まらず、そして婚約者もいないという話をたまに聞く。
「大変ですのね。王子殿下」
「そりゃもう。息つく暇もないほどに……まぁ、誰でもきっとそうだよね。君も、もちろん。だから協力はしてあげたいけれど、贔屓はできないんだ」
ねぎらうように言うと彼はちらとレナーテの方を見てうんと頷きながら言う。
その様子にどうやら、軽んじられているわけではなさそうだと理解できる。
しょっぱなから色々と言って来たので、彼も女などというのならばこの話は無かったことにしてほしいと言おうと考えていたがそうせずに済みそうだ。
「だから、そういうわけだから。契約書か、なにか相手の同意かそういう物の提出を義務づけているということでこの話は終えても構わない?」
「いいえ、お忙しいのは重々理解しましたわ。そのうえでもあなた様にお願いしたいことがありますの」
「……えっと、お願いされても困ることだったら困るというか……」
「いいえ、きちんと前提条件は達成していますわ。所詮は女だからと言われて奪われたものですから、男性にすべてを話すことに少々忌避感がありましたのよ」
「?」
口にしつつも、はるか昔にお守りの様に取っておいた契約魔法の刻まれた書類を彼に差し出す。
受け取って古びたそれを見るヴィクトアはまじまじと見つめている。
「たしかに、廃棄するように言われましたけれど、幼いわたくしが取っておくと聞かなかった一部だけは残っていますのよ。どうせ、すぐに忘れて紛失すると思われたのね、女で子供だったから」
「…………」
「婚約を条件に結んだ契約ですもの。返してもらうことは当然の権利、これはわたくしの力ですもの」
父や母がそう思ってくれていたように、言うべきか迷ったけれどもそう口にして問いかけた。
すると彼は、うんうんとうなずいて契約の内容を確認し、静かに視線をあげる。
「そう思う。ごめんね、決めつけてしまって。これなら解除は簡単だけれど、そっか。元は君の魔法なのか、相性のいい風と火の二属性……」
「持って生まれただけですわ。お父さまとお母さまがきっと良いことをしたのね」
「そうかもね、でも君がいい人だから持っているのかもしれないよ。……それにしても、来年あたり確実に魔法協会に引き抜かれないようにって、王宮魔法使いのスカウトの話も出ているし……本当にいい魔法だね」
「……いい魔法でも、持っている本人を慢心させて堕落させるだけならば何も持っていない方がマシかもしれませんわ」
レナーテをじっと見て言う彼に、レナーテは結局、持ち手次第なのだと彼もわからないのかと、残念さに目を細めてじっと見た。
その言葉に彼はきちんと頷いた。
「そうだね。いい人が持っていたらいい魔法だ。聡明で、感情で動かずにとてもきっちりしている」
「……どうもありがとうございます。光栄の至りですわ。ただわたくし、感情に惑わされることは多くない、そのうえで優しくはないのよ。返してもらうけれども、ただでとはいきませんもの。そこでお願いですのよ」
「どんなことかな」
「少し厄介ですけれど、聞いてくださる?」
レナーテは笑みを浮かべてヴィクトアを見つめる。彼は真剣に返したのだった。
せっかく休学届を出したのでしばらく実家でゆっくりと過ごしていると、先触れもなく突然、バルトルトが来訪した。
父や母や兄たちが会わせるわけがないと追い返そうとしたが、レナーテは自分で対応できると彼らに席を外してもらって応接室で二人きりになった。
「馬鹿なこと、しやがってっ!」
開口一番の彼のセリフはそれだった。忌々し気にバルトルトはレナーテを見つめている。
腿の上で握られた拳はぶるぶると震えていて、その様子に酷い怒りを覚えているのだと理解できる。
「どれだけ金を積んだんだ! もう、契約書もないはずだろっ? こんなの犯罪だ、王族に告発してやる!!」
「……」
「父や母も怒り狂っているからな! 覚悟しておけよ、っ、クソ、お前のせいでこっちは大損だ、彼女にもおかしいって言われて」
彼女というのはあの時ガゼボで見守っていた女性だろう。
意気込んでレナーテを指さし言ったバルトルトだったが、少し声が震えてレナーテから視線を離さない。
「いや、可笑しいんだ! でもお前だろ! お前しかいない、あの杖は俺たちの魔法を交換するための魔石が組み込まれている、それが割れたんだっ! だから、戻ったはず、だろ!?」
怒っているれど混乱しているらしい彼に、レナーテはいつものように冷静な顔をして彼を見ていた。
次第に顔が青くなっていく。
「どうにかしてお前が、何か契約書を持っていたとか、そういうことが起こって、もう手遅れだっていうのに、捨て身でこんなことをしたんだろっ!! そうなんだろ!!」
怒鳴り声に、レナーテはよくしゃべるなと目を細める。
「だ、だけど、俺の魔力は俺の魔力はどこへ行ったんだよ! 戻って来ればお前に取られたと皆がわかるはずなんだ!! でも、何したんだ!! 俺の魔力は、俺の力は? お前が魔法学園に居られたんだ、あるはずだろ!! 答えろ、レナーテ!!」
彼の言葉を聞いてヴィクトアはやはりとても公平で王族らしく、誠実な人だと好感を持った。
それから笑みを浮かべてバルトルトに返す。
「……答えろ? ……教えて欲しいと言ってくださいませ」
「っ」
「ですから、教えて欲しいのでしょう? わたくしは別に告発されても構いませんわ。ただ不正のない事実があるだけですもの。事実は変わりませんわ」
「そ、んなわけあるか! こんなことが正しいわけがない!!」
「そうですか。ではお互いに調停で会いましょうね」
「ま、待ってくれ!!」
正しいわけがないと言いつつも、レナーテが話を終わらせようとすると彼はすぐにそう切り返す。
聞きたいという感情が駄々洩れでとても扱いやすいなとレナーテは心の中でほくそ笑んだ。
「…………教えてくれ、何をしたんだ。俺の力をどこへ……」
「あなたの、魔力の話であってますの?」
必死に考えて、やっと絞り出すように言った彼に、レナーテは皮肉で返した。
バルトルトはレナーテの二つの属性魔法を自分の力だとほんの少し前に言っていたので、わざと聞いた。
するとぐっと奥歯を噛みしめて、彼は渋々頷いた。
「そうね。そこまで言うのなら話しましょうか。あなたはわたくしの力を持っていた、それは交換という形だったけれど、あなたとわたくしの力には差があったわね」
「…………ああ」
「二つの属性魔法と、魔力がない状態、交換するとあなたに利益が生まれる。そしてわたくしは婚約という恩恵を受ける。そういう契約ですわ」
それは、対等な契約だった、そして公にされないものだった。レナーテの両親はレナーテ自身が力を持ってふるうことで将来の安定を勝ち取り、シュターデン伯爵家に益をもたらすことよりも、立派な人と結婚して女性として当たり前の幸せを享受させることを選んだ。
貴族であれば女性も魔法使いとしてや、研究者、騎士としても高い地位を獲得できる場合もある、しかし一方でそれはごく少数の運のよかった人だと考える大人は多い。そしてレナーテが失敗した時、シュターデン伯爵家にはそれを支えるだけの金銭があるわけではない。
兄が三人もいて、彼らが何になるにしろ、良い相手の元へと嫁入り婿入りするときには持参金が必要になる。直接的な金銭のやり取りはなかったものの、『バルトルトの結婚』そのものが大きな恩恵なのだ。
その捻出を考えれば、レナーテの力を彼に渡すことになったのは当然ともいえる。
だからこそそれを利用して力を自分の物にしたまま、婚約の状態を終わらせようとバルトルトはした。
「それで対等、そしてあなたが最悪あり得ると、想定していたのは婚約を破棄した場合、その恩恵が無くなるから魔法も戻すそれで対等になる。まぁ、その対等を無視してあなたはわたくしの魔法を長年所有していたことを理由に持ち逃げしようとしましたけれど」
「っだから!! お前はその契約を破棄したのだろ! それなら対等に戻るなら、お前の魔法は戻って、俺の魔力は俺に帰ってくるはずだろ。問題はそこなんだ、俺は、俺には今……なんの魔力も、なにも……ない」
絶望したように自らの手を見て言う彼に、それを説明しようとしているのにそうせかさないで欲しいとため息をついて改めて言った。
「そうですわね。それは何故か、答えは婚約が完遂されなかったことによる差の発生ですわ。魔法を得たあなたは得た時点で得をする。しかし一般的に婚約というのは結婚を目的にして結ばれるもの、その目的が達成されずに長年、二つの魔法を操るという利益はあなただけが享受していた」
「は、はぁ?」
「その対等ではない差を正当に、請求して魔力でペナルティとして支払ってもらった。だからあなたの力はもう何もない」
婚約を破棄して返してもらうだけでは本当の意味では対等とは言えない。
彼は長年得をしていたのだ、契約によってその恩恵を受けていたのは彼だけで甘い蜜を啜ったまま逃がすわけがない。
「魔法学園では、魔力系の疾患にでもかかったかと疑われたのではないかしら? わたくしは別に力を誇示するつもりはないものただ、そうね、開花したということにして一つの属性魔法を使えばどう? 誰がわたくしを疑うかしら」
「……っ、ク、クソ。そんな話……呑むなんて、っ、結局隠すんだろ! 力を持っていることを! ならお前が持っててなんになる! 女のくせに何ができるってんだよ!!」
合点がいったのか彼は負け惜しみに叫びだした。何ができるかといわれてレナーテは静かに自分の物だった力を使う。
もう杖は必要がない、レナーテの力はレナーテだけを通して簡単に思いのままに操ることが出来る。
「少なくとも、あなたが持っているよりは高度なことをできるわ」
指さし使うだけで、炎は彼の周りをぐるりと囲み、風の魔法で流れを作ってそれをぐっと彼に近づけるように縮めた。
「おっ、っ、ヒッ!」
「炎の魔法だけでは難しい捕縛も簡単ね。……ねぇ、バルトルト、女だとか男だとかそういう生物的なことではなく、力はきっと持つ人間のもっと個人的な部分が大切だと思うのよ」
炎に怯えて黙った彼に、レナーテはつづける。
「少なくとも、人から奪った力で相手のことを考えず持ち逃げしようとする人間なんてすべてを失って然るべき。わたくしはそう思いますわ。恨むなら自分の行いを恨みなさい。悪いのはあなたよ」
「そ、……そんな━━━━っ、悪かった! 分かった! レナーテ! わるかった!」
言い訳をしようとする彼に、炎の輪はぐんと狭くなって少し焦げた匂いがした。
やっと謝ってレナーテを呼ぶ声には縋るようなニュアンスが含まれていた。
その様子に「許してくれなんて言わないでね?」と即座に返す。その言葉にバルトルトは言葉に詰まって、がっくりと項垂れたのだった。
バルトルトの魔力はその後回復することはなく、魔法学園を去ることになった。いつかは支払いを終えれば使うことが出来るだろうけれど、この状態で跡取りとしてやっていくには魔力の強い令嬢が必要になってくる。
しかし、そう言った令嬢は大体魔法学園に通い魔法使いを目指しているので彼のことをよく知っている。
そして新しい相手がすぐに見つからないということは、彼の女なんてという見下す態度が彼女たちにも伝わっていたのだろうと想像できた。
……二つの属性魔法を持っていたからこそ、許されていたけれど、ああなっては人も寄り付かないなんて、自業自得ね。
そう結論付けてレナーテは現状に意識を向けた。
その彼の為にレナーテは一つお願いごとをして、望む結果を得られたのだが、借りを作ってしまった。
バルトルトには貸し借りの対等さを説いておきながら、自分がそれをないがしろにするというのはナンセンスだ。
もちろんそんなつもりはないので、ヴィクトアの元を訪れた。
「ごきげんよう。お久しぶりですわ」
執務室へと入ると、彼は以前とは違って机についているわけではなくソファーに座ってぎこちない笑みを浮かべてレナーテにお茶を進めてお茶菓子を出す。
「…………ご丁寧にありがとうございますわ。それで、お忙しいでしょうから単刀直入に言いますけれど、借りを返しにまいりました」
「そうだよね。まずは律儀にどうも」
「いいえ、当たり前ですもの」
レナーテの言葉にヴィクトアは眉間にしわを寄せて静かにレナーテを見つめる。
「……」
「対価をお聞きした時に、一つ貸しでと言ったのですから、何か提案があるものかと思ったのですが、違うのかしら?」
思案したまま何も言わない彼に、レナーテは問いかけた。すると、やっぱりぎこちない笑みを浮かべてヴィクトアは「ええと」と少し緊張したように言ってから、宙に視線を向けて考えた。
それから、とても真剣そうに少し低い声で言った。
「……君が欲しいのだけれど、悪いとは思っているよ。こんな君が断れない状況にしておいて、提案するなんてただ、君にとっていい条件を━━━━」
「あら、もらってくださるの?」
「え」
「実家はあまり裕福ではないですもの。それで借りを返せるというのなら喜んで」
「ちょ、っと待った方がいい。まだ何も言っていない、君はこれからたくさんの選択肢から選ぶことが出来るんだ」
「ええ」
「それを俺は君の良心に訴えかける方法を使って、さらには職務上知りえた秘密を使って、君にあまり心象の良くないアプローチにかけ方をしていると言ってもいい」
自分のことをなぜか批判しつつ、ヴィクトアはつづける。
「二つの魔法属性を持っていれば魔法協会で高い地位を得て、国に指図することだってできるだろうし、新しい魔法の開発、魔法具の制作も座学が得意な君なら可能だ」
「……」
「実家だって簡単に支えることが出来るほど、レナーテ、君はとても優れた力と知性を持っている。そのうえで、俺を選ぶということがどういうことかきちんと理解をする必要があると思うんだよ」
とても真剣にヴィクトアはそう言った。しかしそんなことはわかっている。もしかすると彼は、少し心配性なのかもしれない。
初めて会った時もレナーテにあれこれといろいろ説明した。
その様子に少しため息をついて、レナーテは未だつらつらと自分という人間と結婚するというのはと話している彼に言う。
「それでも……ヴィクトア王子殿下が望んでくださるのならばわたくしは、結婚したいと思いますわ」
「それはうれしいけれど、安直ではいけないよ」
「安直だとしても、わたくしはあなたが誠実で対等な人だと知っている。それをあらかじめ知っている人はとても少ない。だから即答できますの」
「ま、まさか、そんなあっさり、承諾されるとは」
「それに……」
言葉を失って呟くように言うヴィクトアに、レナーテは最後に付け加えた。
「わたくし借りは、返す人間でいたいのよ。力を持って振る舞うことは難しいと思うけれど、まずはそれを違わない人間でいたい。それだけはわたくしの信念として一つ刻まれたことですわ」
今回の件でレナーテはとても深くそう思った。
この力を持って生きる身としてまずは一歩、それを決めることが出来た。
だからこそこの結論は変えるつもりがないのだ。
レナーテの言葉に「り、律儀だ……」とヴィクトアは呟くように言った。
しかしそれからぶんぶんと彼は考えを振り払うように頭を振ってぎこちない笑みを浮かべた。
「そうだね、その信念、とてもいいと思う。改めて、よろしくレナーテ」
「ええ、よろしくお願いいたしますわ」
答えてお互いに固い握手を交わす。
レナーテはそうして自分自身の持つべきものをきちんと持った状態で人と縁を結んだ。
不安はあるけれど信念もある。
それに力を持つレナーテのことをきちんと尊重してくれる彼とならばきっと悪い方向には向かわないのではないかと確信をもってまた、学園生活にまい進したのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。連載版始めました。シリーズからも、下記からも飛べます、よろしくお願いします。
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