第8話 好きだった人
現実はそこまで甘くはない。泣き言を吐いたら猫型ロボットが助けに来てくれるわけではない、美少女たちに好かれてその中から結婚相手を選べるわけではない、誰かを愛して死に続けるほどの勇気なんて持てるわけない。
そんな理想とのギャップの間にいるのが僕だった。かわいい幼馴染がいて、何故か色々と面倒事にからんでボーイッシュな女子と行動して。でもそのどちらからも好かれていない。都合の良い道具に過ぎn――――
いや……ダメだダメだ。物事を悪い方向に考えすぎてる。自分がこの先かなりの時間報われないというのは決まっていたとしてもいずれいいことがあるはずだ。
「……気にし過ぎはよくないよな、確かにそうだよな。もしかしたら渚もこれで僕のことを好きになったり……」
「いやねぇだろ、流石に。渚が春馬になびくなんてことがあったらそれはもう天地がひっくり返ったあとの話だ」
背筋から寒さが上がってくる感触と聞いたことのある声が聞こえた。昨日の問題を起こした一人……明だ。顔をあげるとこちらをメガネのうちから覗く明が見えた。やはりメガネと髪型は偉大だ。全くあの荒々しい明に見えない、ただの可愛らしい女子だ。
「え?、あ、明さん……」
「おはよ、何考えてたんだ?」
「あ、いえいえ、大丈夫です。なんかネガティブ思考になってただけなんで気にせず」
一度メガネをクイッと上げると、隣に座る、女性っぽく内股で。僕を持ち上げられるほど力があるのにそれにしては意外と華奢な体だなとも感じた。決して変な意味ではない。パット見はただの小さめな女子といった印象しか受けないということだ。
こういうのはある種のギャップ萌えとでもいうのか?
「あ、そう…………というかお前、時間早すぎないか?流石に引くぞ?」
「……いきなりなんですか。貴方が早めに来いって言ったじゃないですか」
「いや、確かに言ったけど集合時間の二十分前に来てもういるってのは早すぎるだろ」
「十です」
「え?」
「十分前からいました」
「あのさぁ……早いことが悪いこととは言わないけど岡西、渚たちは絶対ギリギリに来るんだから無駄だろこの時間」
「……明さんが時間を言わずに帰りのHRのあとすぐ帰るからですよ」
「それは……ごめん」
少しの間の後に申し訳無さそうにそっぽを向く。なんというか明がやけに女子女子しているのが不気味に感じた。昨日胸ぐらを掴まれたのだからこうなるのは当然だろう。
「で、一体何が目的なんですか?わざわざ早く来たんですからそれなりの理由がないと……」
「ああ、そうだね。じゃあもう簡潔に言うよ?」
「渚、修学旅行で告白するつもりらしいよ。昨日昼時そう言ってた」
思わず眉間にシワが寄ったのが自分でもわかった。そんな急ピッチで告白する理由は一体何だ。いや……そんなの一つしかない、僕のあれのせいだ。
渚は単純だから、自分が必要なくなったと勘違いしたんだ。そんなことないのに、ずっといてほしいのに。
『僕がずっと渚を縛り付けていたのかな』
「あぁー……その、言うか言わないか悩んだんだけど言うんだったらなるべく早いほうが良いと思って――――」
「っちょ!?な、泣いてる?え、あーっと言わないほうが良かったか!?」
気がつくと僕の中では雨が降っていた。着ていたのが制服で良かった、黒いから濡れても気が付かれない。少し大きな袖もとで目元をぬぐう。
ただそれでも雨はやまなかった。
「今日は雨が降りそうだね」
「……そうか」
やっと心でも理解したのか。心のなかではまだ好かれる可能性を、まだ両思いになる可能性を想像していたのだろう。それを今完全に理解してしまった。僕はもう叶わないと。
覚悟はしていた。いずれ思いが溢れてしまうんだろうとある程度予想していた。でもそれが今日だったとは……
明がこちらをまた覗いているのが見える。あーあ、人前で涙なんて見せなかったのに。そもそも見せる人がいなかったんだけど。
「まだ時間はある、泣けよ。私で良いのかわからないけど聞いてやるよ」
グニャリと歪んだ明は優しく話しかける。そっと頭に手を置いて、これまた優しく撫でる。そして僕の言葉に逐一反応をくれた。
「……初めて好きになった人だったんだ」
「……あぁ」
「これ以上なんてもうない恋だったんだ」
「あぁ」
「僕はただの幼馴染だったんだ」
「……」
声はあげなかった、みっともなかったから。しゃっくりもなるべく出さないように。嗚咽も出さないように。今働きに出てる人に気づかれないように。誰にも気づかれないように。
「僕は、好きだったんだ」
「渚のことが」
最後の滴がゆらりと優しく撫でた風に攫われると霧散する。約束の時刻は刻一刻と近づくばかりである。