第49話 明と文
体験学習も終わり、レクまでの時間暇になった私は部屋に戻り、昨日の自分の行いを悔いていた。
窓の外はいかにも快晴で、対照的だと笑えてくる。
なぜあんなことを言ってしまったのか。僕にとって幸せになってほしいのはどちらもではないのか。一方に寄っているのではないか。
考えれば考えるほど愚かな行いだったと思う。
だからこそ、私は初めて彼女、明と出会ったときのことをゆっくりと思い出していた。
なんでそんな肩入れしてしまっているのか。ゆっくりと絡まった糸を解くように。
最初に彼女と会った時、少し変な雰囲気を感じた。
どこか漂う冷気と鋭い眼光、眼鏡の奥からはまるで心の底を見透かすような迫力が。
ひと目見てこの人は気が強いんだとわかったのに。
(なんか、違うのかも)
水族館、という薄暗い空間の中で僕はそれだけを直感した。
特に根拠はない。ただなんとなくそう思った。
その時は彼氏と一緒にいるからだとか、そういう環境が違うからなのだろうと自己完結したが。
数日経って学校で会ってもそのイメージのままだった。
佇まい、凛とした表情、小柄な体、そのどれもが僕に大人しそうな少女の印象を与える。
だけど喋り口調はそれらとは似ても似つかない荒々しいものだ。
チワワ?
まぁ、心の中だけそう思っていよう。
話は戻して、勉強を教える。これはそういう体でその彼女と図書室で勉強会をしたときのことだ。
※
放課後、遅れた提出物を急いで書いていた僕は集合時間よりほんの少し遅れて廊下を歩いていた。
通り過ぎる教室には人が数人いて、楽しそうに喋っている。
五時を告げるチャイムが頭の上でなる。毎回いきなりでびっくりするんだよね。
あ、そういえば春馬たちも来るんだっけ。
だったらもう着いてるかもなぁ。
そんな妄想と遅れた申し訳なさを持ちながら歩みを進める。
散々だ。今日一日。
春馬さんはなぜか逃げるし、財布忘れてご飯食べれてないし、明さんはなんか怖いし、提出物忘れるし(これは僕が悪いけど)……それに、ちゃんとコウタと話せなかった。その上遅刻とか。
ああ、僕の人生どうなるんだろう。
そう思うとため息が思わず漏れる。
うまく行かない。僕が努力をしても、悪い方に働いてしまう。
離れていってしまう。
……ううん!違う!また一緒に彼の隣を歩くんだ!
くよくよしている暇はない!
確か合計700点以上とんないといけないんだよね!
邪念を払うように首を振る。
そして眼の前にある魔の門を見上げた。
おお!迫力がすごい。
なんというか、本が沢山あるよって紹介されてる気がする。
いやまぁ実際あるんだけど。
ガラリと戸を開けてみる。
まず目に入るのが入ってきたときに見えるよう設置された本を紹介するポップ。
最近出たライトノベルから哲学的な物まで色々なものがある。
ゴテゴテせずそれがきれいにまとまっていて、どんな人でも入りやすそうな印象受けた。
よく図書室で勉強〜って話を聞くのはこういうところにもあるのかもしれない。
さて、そんなことより明さんはどこかな。
――――――いたいた。
学習エリアの机の中でも一番奥の机に座っている。
どうやら本を読んでいるようだ。
タイトルは……『チューリップとハナミズキ』?なんでどっちも花の名前なんだろう。
バレないように足音を消し、背後に廻ると首元から話しかける。
(お姉さん……何読んでんですかぁ?)
そう言いながら肩に手をつくと、体を震わせたと同時に殺気を帯びた目線が飛んでくる。
(……何だ、文さんね)
(何その僕じゃ駄目、みたいな言い方!)
(ち、違う。男だったら追い払わないとって思ったから……)
(自意識過剰ぅ〜)
(う、うるさい!私だって知らない人に話しかけられたら)
「怖いのよ!って?」
「そこ、静かに」
「す、すいません」
キッと睨む明さんをクスクスと笑う。
いじりがいのある人だなぁ。
(もう!私が怒られたじゃない!)
(まぁまぁ、落ち着きましょうって)
文句言いたげな感じで一つ息を吐くと、またもやキリリとした目線をこちらに向けた。
(……厳しくするからね?)
(う……ど、どうかそれだけはご勘弁)
軽く冗談を言いながら、隣の席に腰を下ろす。
見るとやれやれといった表情で明さんはノートを取り出している。
(あれ?課題、終わってないの?)
(違う、あなたのためのノートよ)
そう言うと笑ってみせながら付箋の山でできた物を机に置いた。
……クマがある。まさか、作ってたの?これを?
心がざわりとしたのがわかった。机においた手がぺたりと吸い付く。
(そ、そんなことまでしなくていいって!)
(僕、勉強全然できないし……それに……明さんの時間を煩わせてしまうとその、申し訳ないし……)
(難しい言葉を使おうとして文章めちゃくちゃになってるよ)
(と、とにかく!だ、大丈夫だって!これは使わせてもらうけど、次からは――――)
僕の言おうとした言葉に被せながら明さんはペン先を机で叩いた。
(好きな人、振り向かせるんでしょ?)
(私も気持ちがわかるし。これはあくまで私がしたくてしたこと。気にしないで)
(それにね、教えることって意外と勉強になるの)
淡々と伝えると僕を見て柔らかい笑みをこぼした。
暖かい、何かがそこにはあった。
ノートを受け取る。ペラリと一ページめくる。
イラスト、短い文章、カラ―マーカー、消しゴムのあと。
胸がいっぱいだった。
中学の頃、僕は先生に「お前に勉強は無理だ」とまで言われた事がある。
人の数倍努力して、も普通の人にすらお前は追いつけない。
面と向かってそう言われたのだ。
そんな僕に勉強を教えてくれる人がいる。それだけで得も言われぬ幸福感が僕を襲った。
先ほどまでの邪念を取り払うように、思い切り頬を叩く。
パチン
乾いた音が響く。
その音に反応した司書さんは私の顔を見ると寝起きの顔に水をかけられたような表情をしている。
(ちょ、ちょっと!?)
(ごめん!勉強、頑張る!)
(あ、え?そ、そう)
カリカリと課題に取り組み始めた僕を横目に一度見ると、少しの笑みを含みながら、彼女はまた小説の世界に浸り始めた。
この時瞬間、僕は明さんが困っていたら手を差し伸べるのだと決めたのだ。
※
たった、この数分だけでも僕は彼女のためになにかしたいと願うようになったのだ。
不思議な話だと自分でも思う。
今まで長い時間を共にしたはずのクラスメイトより、明さんのほうが大事になったのだから。
薄情なやつだよ、僕は。
すこーし優しくされたくらいでさ。
左腕に目をやり、時刻を確認すると僕は窓の外を眺めた。
辺りは既に黒く染まっていて次のイベントまでの時間を刻むように時計が音を鳴らしている。
客室の方に目をやると、同室の人達は好きな人の話で盛り上がっているようだった。
誰々はおしゃれだ、誰々はSNSの写真を取るのがうまいだ……私には縁のない話だなぁ。どれも興味ないし。
一応、インスタのようなものは入っているが、対して更新してるわけでもなく、上げてるものも――――――
……ちょ、ちょっとイチャイチャしたりしたやつとか……あ、 上げなきゃよかったかもなぁ……じゃなくて!
自分で言ってて恥ずかしくなってどうするんだよ、もう!
スマホ画面を消して机に置く。
そうだ、瞑想だ。一度リラックスしてこの恥ずかしさを忘れよう。
「そういえばさ!」「文ちゃん!」
「え?はい」
ふいにポンポンと肩を叩かれる。
僕に電流が走る。
「……言いませんよ?」
「「嫌だなぁ〜まだ言ってないですって!」」
この二人仲いいなぁ。
「岡西くんと、どんな感じナノ?」
出ましたよ。はい。
恥ずかしいからなるべく触れてこなかったのに。
「やっぱりそうじゃないですか!」
「まぁまぁ、で?どうなの!」
「いや……別に、普通ですって」
「え〜どこらへんがぁ〜?」
ニヤニヤしながら二人とも近づいてくる。
それに徐々に後ずさりをする僕。
クソ、椅子に座ってるせいで全然動けない。
「きゅっ」
「休日デートとか、して、ます……」
目をキラキラしながら僕を見ないで、恥ずかしいから。
「どんなどんな?」
は、話を続けるの!?
もうだいぶキツイんですけど。
「映画、行ったり……公園で駄弁ったり、です」
「ひゅーひゅー」
「冷やかさないでくださいよ!」
いじってきてる。恥ずかしい。
なんでこんな辱めを受けなきゃいけないんだ。
助けてよぉ、こうたぁ……
その直後、スマホが音を鳴らす。
「お?彼氏かぁ〜?」
「違いますよ」
私はスマホから視線を外した。
「……そうなのかな」
「なになに〜?」
「いえ、こっちの話です!」
スマホの画面にはボウっと灯った火のように通知が煌めいていた。
『見てて』
そこにはただそれだけの文字が映されている。




