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第45話 転

 体の節々が軋むように痛い。転んだからなのだろう。


 今こうやって歩くのも割と辛い。

 多分、瞬間的に渚を追いかけようとして変なところに力を入れたせいだ。

 右踝って痛くなるもんなのか。


 いや、そんなことは置いといて。


 僕の先を歩く渚をちらりと見る。

 シャンプーのいい香りが髪が揺れるたびふわりと香り、鼻腔を刺激する。


 女子の匂いだ。

 世の高校生男子皆が想像するであろうあの感じだ。

 なんともいいニオイ……


 ああ、僕なんでこんなに変態チックなんだろう。


 落ち着け、僕。

 普段こんな事考えないだろう、手を繋がれているからってそんな緊張することはなにもないんだ。

 幼馴染だからね。うん。当たり前だ。当たり前……





 本当になんでずっと手を繋いんでんだ。

 どこかへ向かっている感じでもないし、だからといって目的がなさそうな感じもしない。

 それは渚のみぞ知る、ってこと?自分で言ってて寒気がしてきた。


 わかりやすく肩を震わせる。それに対して一切反応のない渚。


「はぁ……」


 それどころかため息も……え?ため息?

 そんなに僕のボケつまらなかった?


 ま、まぁいいや……考えないようにしよう。ストレスは何かの敵らしいし。


「な、渚……」

「んー?なーに?」

「なんでずっと、その……手を……?」

「……なーんでだ?」

「えぇ……?」


 こちらを向くと意地悪そうに笑う。

 なんだか僕の知ってる女子って意地悪なやつばっかだな。明も中原も。なんでだよ。


 渚の手を受け取り、手を繋ぎ歩き始めてからそろそろ数分が経つ。


 雨上がりのジメジメとした空気、まるで悪いことが起こるかのように吹く突風、生き物の鳴き声。


 あれ、僕埋められないよね?


 追いかけた僕がストーカーみたいで、そのストーカーを排除するために今連れてかれてるわけじゃないよね?

 大丈夫だよね?


 ま、まぁ、大丈夫でしょう……漫画だと基本的にロマンチックな展開がこのあと待ってるし。

 現実ですけどね。そんなことあるわけないんですけどね。




 冬の夜風が肌にしみる。

 ときどき思い出したかのように風が吹き、その度僕は身震いをする。


 渚は丹前をきているからかめちゃめちゃ温かそうだ。

 こうなるんだったら風呂入っておくんだった。

 そしたら僕も丹前を着ただろうに……


 ……いや、僕は絶対あそこで転ぶだろうから、どちらにせよ変わらないか。

 むしろ歩きづらいはずの浴衣とかで走ろうなら一歩出した途端に転ぶ気がする。よく渚は走れたな。


「どこへ、向かってるの?」

「どこだろーね」

「え?」

「わかんないや。私」


 ハハハと軽く笑ってみせる渚。

 じゃあこれはいったいなんなんだ。

 なんで渚はレクを抜け出したんだ。

 何かしら関わっているだろう、いや関わっていてくれ。でなければ渚の様子がおかしいことの説明がつかない。


 渚は確かに変な人だけど、行動に意味がないわけじゃない。大体は誰かを元気づけたいだとか、誤りたいだとか、他人が絡んでいることが多い。

 じゃあ、この行動の意味は……僕か?


 色々な疑問と仮説が僕の頭の中で建設されていく。取り壊しもすぐ始まる。


「逃げちゃおうよ。このままさ。二人で」

「渚……?」


 やっぱりどこかおかしい。

 渚はそんなことを言う人じゃない。

 渚は……きっといつもの渚だったらこういうだろう、『考え事してて〜』……

 なんか納得できないな。じゃあ……


 ……思いつかない、なんでだ。


「春馬、話したいことがあるんだ」


 前を向いたまま、僕に震えた声をかけた。

 その間も僕は自分が渚を大切に思えていないのか不安になっていた。

 だってそうだろう、好きな……というよりかは幼馴染の取りそうな行動がわからないなんて、大切じゃないみたいだ。


「……春馬、私ね」


 渚のはぁと吐いた白い息がいつの間にか見える月に重なる。


「……見下してた、嫌いだったんだ。春馬のこと」


 数秒経ってから言葉を理解する。

 ああ、渚は僕がストレスだったのかと。


 耳に入った言葉をまず疑った。

 嘘であってほしいと思った。


 ただ、僕のような人と関わっていることが渚にとってストレスだったのかもしれない。

 そう考えると色々と辻褄が合うような気がした。

 小学、中学と関係はあったが表立って行動することはなかった。


 高校に入ってからだ、遊びに行ったり二人きりになって話し合うようになったのは。





 渚の震える手と縮込んだ体がゆっくりとその意味を理解させた。

 冷たくて、細くて、華奢だった。



「……そっか」


 なんて返せばいいのかわからない。

 幼馴染が嫌いでした。それをは面と向かって本人に言ったのだからなにか意味があるのだろう。

 震える声、少し力を入れて握る手。


 ふと、手首に痣のようなものがあるのが見える。

 怪我の感じからしてつい最近のようだ。

 もしかして、鹿に?


 モヤモヤとした気体のような気持ちが集まっていく。


 徐々に渚の足が歩みを止めていく。

 冷たい手にはじわりと汗が滲み、ゴクリと唾を飲み込むのがみえる。


「――――今は違うんだけどね」


「……そっかぁ」



 ざわざわと鳴る木々はまるで僕の気持ちそのものだった。

 今にも破裂せん勢いで心臓が脈打つ。


 背筋は確かに凍っていたがどうにかなりそうだ。


 よかった、その言葉が僕の胸を支配する。


 キュッとなった心臓が徐々に息を吹き返し始める頃、風がやんでいることに気づいた。

 まるで頭のモヤが晴れたような凪だ。


 呼吸をする音もこすれる布の音も、手の冷たさも。


 全部二人だけのもののように感じた。



「ねぇ、渚。待って」

「嫌だ、待たない」

「待ってよ!」


 渚は勢いのまま僕を連れていこうとする。

 なにがしたいんだろうか。

 わからない。


「あ……」


 渚の手をぐいっと強く引っ張る。

 途端に力なく引き寄せられる渚。


 トスっと軽い音とともに僕の胸に渚が入る。

 別に僕は体が大きいわけでは無い、そんな僕の体より渚は一回りも小さかった。


 まるで人形みたいだ。


 ふと、あの時のことを思い出した。

 水族館での抱擁、あの時は確か僕からしたんだっけ。

 渚のあの笑顔がどうしても愛おしくて、守りたくて。

 ぎゅっと、抱きしめてしまったんだ。


 好きでもない男にそんなことされて渚はすごく、辛かっただろう。

 特に嫌いだったのであれば。


 胸に当たる渚の吐息は暖かった。

 人の温もりを感じた。


 華奢だ。

 抗いようもないくらい、小さくて、渚と僕はやっぱり異性同士なんだと実感してしまう。



 ……抱きしめることはできなかった。

 心に決めた人が瞼に映ったから。

 それを渚もわかっているのか、無言で僕の胸に手をおいて目を瞑る。




「……春馬さ、好きな人、できたでしょ?」



 口を動かそうとしても声が出なかった。

 苦しそうに息を漏らす、それだけだった。


「否定、しないんだね?」


「――――もしかして明ちゃん?」





「――――――それはないッ!!」


 うわぁ、急に声出るなよ!


 自分で大声を出して、自分で驚く。

 なんという自己完結。


「ハハ、明ちゃん、お似合いだと思うけどなぁ……」


 胸の中で口元を抑えて小さく笑う。


「……そろそろ、レクが終わっちゃうんじゃない?戻ろっか」




「大丈夫なの?」


 渚は少し悩む素振りを見せると、なんともなさそうに答えた。


「ぜーんぜん大丈夫じゃないかも!」

「このまま送ってよ〜」


 打って変わってカラリとした声になったのがわかる。

 あたりが異様なほど静かだということもより一層それを感じさせた。


 少し間を置いて、僕は答える。


「……わかった。でも流石にエントランス前までな?」

「誰かに見られたら……ってこと?」

「……渚が悪く思われたら嫌だし」


 そんな僕の情けない言葉にクスクスと笑みを隠しながらも渚はゆっくりと僕の顔を見上げた。


「……春馬、大好きだよ」


 面食らった。自分でもそう思った。

 月明かりに照らされた渚はやっぱり僕の初恋の人だった。


 青白くも美しい肌、幼さも残りつつどこか大人びた顔もした女性。


 多分、僕はこの人生を何度繰り返しても初恋は渚になると思う。

 それくらいに綺麗だった。


「あ、あぁ。ありがとう……」


 少し、違和感を覚えたが。

 あくまで嫌いではなくなったのなら良かった、そう考えることにした。

 体は熱くなって、次第に寒さは感じなくなっていた。



 一歩、足を踏み出すとそれに習って渚も一歩出す。

 運命共同体みたいだねーなんて冗談をいいながら。


「そう言えば覚えてる?」

「中学のさー……」




 ゆっくりと僕と渚の影が一つになっていく。

 抱きしめることも、愛することも、とうにできなくなっていたが今この瞬間だけは。

 これでいいんだと思った。

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