第39話 過ち
「おし!じゃあ自由時間どこ行くの?」
先生からの怒号を耐え抜き、反省の一時間待機を乗り越え、僕達はやっと奈良公園に降り立った。
燦々と太陽は僕達を照らしている。
そんな中僕はじっとりとした汗をかきながら野生の鹿へと思いを馳せていた。
一向に佐田の行動の意味がわからない。
形式上、許したとはいえ信用なんてものは年月をかけて積み重ねて得ることのできるものなのだ、いくら僕がチョロい側の人間だとしてもやすやすと信頼を勝ち取られてたまるか。
キッと佐田の方を見るといつの間にか買っていたせんべいを鹿に与えている。
「……一応情報は共有しているはずなんだけど」
「いやー忘れちゃって」
「メール、送った」
「スマホ、旅館にあるんだよね」
「岡西くん!ストップ!ストップ!そんな怒りをあらわにしないで!」
「ドードーだよ、ドードー……」
真っ先に林がその中に割って入る。
途端に岡西は栞を細長く丸めると佐田に振りかざす。流石に優しい岡西も佐田の横暴っぷりに怒り心頭らしい。ポコっと軽く当たった音がした。
「いや、悪かった!悪かったって!そんな、何度も――――」
「問答無用じゃワレ!!」
「ドー!!ドー!!」
あれ、もしかして僕この人たちと行動しないと行けないのか?
周りから変な集団だと思われない?ほら、若干笑われてない?
「――――じゃあ気を取り直して行こうか」
クシャクシャになった栞をぐいっと伸ばすと、岡西は僕の手を引いた。
瞬間的に昨日のことを思い出しその手を振り払う。
「え?ど、どうした?」
「あ、いや、なんでもない。ごめんね」
びっくりした。自分でもあの出来事を記憶していることにもだが、瞬間的に思い出してしまうほどあの出来事も大事にしている自分に驚いた。
いつからか人との関わりが億劫になり、楽しかった記憶全部忘れていたあの自分が、だ。
じんわりと手に汗が滲む。
「春馬どうしたー?」
僕と岡西の会話に反応したのか、林が佐田の首根っこを掴みながら歩いてくる。
「あ、えっっと……先に目的地行ってるから早く来てって!」
「おっけー!」
あれ、なんで僕今、自ら二人になりに行こうとした?
これってさ、絶対岡西と二人で行くことになったよね?あれ?
まずくない?
一応とはいえ告白してきた人間のお兄さんだよ?いや、お義兄さんだよ?
気まずくないか?
ゆっくりと踏み出した足に、鉛が付いているようだった。一歩一歩がすごく重く感じる。お義兄さんに、なるかもしれないのか。そう考えるといてもたってもいられなかった。いや、結婚する可能性よりも別れる可能性のほうがあるけどさ。でもさ。
期待してしまう。
今までであった人の中で一番信頼できる人なんだ。一番安心する人なんだ。
そりゃ考えてもしまうさ、結婚できたらなぁって。
ちらりと岡西を見ると目が会い、バツが悪そうな顔をする。
やっぱりそうか、岡西くん。
「……妹のこと、聞いたよ」
「……はい……」
「――――正直なんて言えばいいかわからないよ」
「修学旅行中も特に誰にも話すつもりはなかったけど、流石に君と二人きりになると聞きたくなっちゃってね」
「あの意地悪で、頭でっかちなやつをあんなに心酔させる人がいるなんて信じられなくてさ」
「……はい」
「僕もさ。ちゃんと好きなんだよ。妹のこと」
「特に話題に出したりしないけど、雑に扱ってるように映ってても」
縮こまっていく自分。
何をしてるんだと頭の中で考えていても体はどうしたって正直だ。
自分が他者からどう思われているのかが怖いんだ。
「まぁまぁ、そんな縮こまらなくて良いから。結婚するわけでもあるまいし。ただ付き合うだけでしょ?」
「――――できたらいいな、と。思っています」
こんどはしっかりと目があった。
ただその目に映った岡西くんの瞳はどこか悲しげだった。
そうか、岡西も怖いのか。自分の下から妹が離れていくことが。
きっとそうなんだろう。
「……はぁ」
緊張の糸が解けたかのように岡西は肩を落とす。
なんだ、何を言われる。
流れるように防御の体制を取った。
岡西がそんなひどいことを言うような人間ではないとわかっていたのに。
「……昨日さ。言われたんだよ。妹に」
「『振られたかもしれない』ってね」
「ん?え?」
「ははは、やっぱりそっか。そういうつもりじゃないよね。春馬は」
「ひねくれてんだよ。鳴海は」
昨日、ちゃんと考えたい旨を伝えたよな……それが伝わっていなかった?
それともなにか別の意味で捉えていた?
確かに考えたい、という言葉は振る可能性も示唆しているが。だとしても割と前向きに検討させてもらっているつもりだった。
僕が鳴海さんを振る可能性?それだったらまだ宝くじ一等のほうが当たるよ。
というかそもそも嫌いじゃないし。
「なんかすごく義両親。って感じがするけど気にしなくていいからね?ただ振られたかもしれない、の真意を聞きたかっただけだから。もう充分だよ」
「いえ、でも。そんな……気に、しますよ……」
「なーにいってんの。大丈夫」
「僕は応援するよ。君ならまだ安心できる」
「さとーみたいなやつだったら流石に抵抗したけどね」
そう言うと栞に目を落とす岡西。
その横顔はやはり鳴海さんと似ている。
どこか甘い匂いがした。
金木犀、のような。優しくて素朴な温かみのあるあの匂いが。
「あ、大仏向こうだね、行こうか」
この先、もし僕と鳴海さんが結婚なんてことになったら。
僕はどうなってしまうんだろう。
そもそもどこかで別れてしまうのだろうか。だったら別に付き合ってわざわざ傷口を広げなくても……
いや、でももしかしたらこの先鳴海さんほどいい人に出会えるかもわからない。
――――そんなことを何度考えたことだろう。
僕は同じことでウジウジと悩む性格だ。何度も何度も考えて、答えを出して、その答えが違うんじゃないかってまた悩んで。
結果的に悪い方向へと話が進んでしまう。
「――――馬くん?春馬くん?大丈夫?」
「え?あ、はい、大丈夫です」
「なんか悩んでるようだけど、そんなに深く考えなくて良いんだよ?色々と」
「文からよく聞くんだ、君は深く、重く物事を捉えて考えすぎちゃうってね」
「は、はい」
「冗談を冗談と受け取ってくれない!って嘆いてたなぁ」
「いや、あの、それはごめんなさい……」
だけどさ、と岡西は付け加える。
「それってすごく疲れるんだよね」
「はい?」
いつの間にか着いていた大仏へと続く大きな大きな扉の前へと岡西は歩みを寄せる。
中は……薄暗い。
光を入れないようにしているのか?
扉から入る僅かな光で大仏が照らされ、ご尊顔が見える。
「だって全部を真面目に受け取ってたらキャパオーバーになっちゃうよ」
「箱にものを入れすぎたら壊れるのと一緒」
「――――それもそうですね」
僕は彼に並ぶように大仏の前にたった。
大きい。一言で言うのであればまさにそれに尽きる。
昔は大仏を作る時に何人も人が死んでいたという、たった一つの像を作るだけで何人も、だ。
それだけで当時大仏というのがどれほどに凄まじい力を持っていたのかが知れる。
ただなんとなくわかるのだ。なぜこの像を作ろうと思ったのか。どうして死人を出してまで作ったのか。
この大仏を見ているとなんだか頑張ろうと思えるのだ。
もちろん、ただの銅像だというのはわかっている。でもまるで人間と相対しているかのような、不思議な雰囲気があった。
「気楽に行こう。色々とさ」
「――――……うん。そうだね」
少し驚いた表情を、岡西はした。
大仏に力をもらった、という話は何も変な話じゃない。
それほどまでに人の思いがこもって作られたものだ、というだけである。
だから僕も力をもらった、ただそれだけだ。
「岡西……だったよね?」
「おう!」
「改めて、よろしくね」
「ああ、末永くな?」
「だったらいいでs――――いいね」
そう言うとお互い笑い合う。ただ人のじゃまになるからほんの少し。
微笑みあうようなカタチで。
※
ゴロゴロと惰眠を貪り、ただひたすらに流れていく動画に飽き始めていた頃。
私のスマホが振動を始める。
(お?誰かから電話か?)
慣れた手つきで着信を受理する。
「もしもし?」
私の第一声をまるで無視するかのようにそいつは息を切らしながら話し始めた。
吐息が気色わるい。
誰だって嫌だろうこんなもの。
「はぁ、はぁ、あ、明?ちょっと……どうしたらいい?」
「は?何が?」
「そ、その……告白されてさ」
コクハク?酷薄?ああ、私のこと――って誰がじゃい。
あ、秘密とかを暴露する方か?
一人でノリツッコミをしてみる。それくらいに私の衝撃は大きかった。
え?告白?春馬が?という疑問だけが頭の中を支配していた。
……無いな。微塵も(告白される確率が)無いぞ。ちょっと気がしれないもん。告白したやつの。
いや、確かにいいやつではあるけどさ。
「ちょっと前に振られた私にそれを言うか……」
「あ」
ほらな。こいつこういうとき先走りすぎて暴走するんだよ。
「ご、ごめん。わ、忘れて……」
「大丈夫、大丈夫、冗談だから」
「いや、本当にすいません……」
「はいはい。大丈夫だから!」
そう言うと軽く半笑いをする。
落ち着け、落ち着くんだ私。
こういう時に落ち着いて頭を働かせるんだ。
大丈夫、私ならできるさ。
催眠にでもかかった春馬の目を覚まさせてやる、どうせ美人局的な感じだろ。
「っで。エイプリル・フールって今日だっけ?」
「今日十二月ですけど」
「え?春馬遅れ過ぎじゃない?」
「いや、そもそも嘘じゃないんで」
「流行」
「それは乗り遅れてるかもしれませんが、関係ないです」
むむ。認めないな。いい加減認めたらどうだ。
流石に私でもわかるぞ。その嘘は。
「じゃあ一体今日は何があるんだ?」
「いや、だからなにも無いんですよ」
「ただただ鳴海さんに告白されただけで……」
一向に否定しない春馬の声はさも当然かのようにその一言を告げる。
ゆっくりと言葉を反芻する。
鳴海さん、鳴海さん。
流石に創作で……ってわけないよね。
え?じゃあ本当に告白されたの?
驚きと溢れ出ていた疑問に思わず口が開いていた。
いっけね、キャパオーバーでよだれ出てる。
ぐしぐしと口元を拭う。
「え?本当に?マジなやつなの?」
「だからそうだって言ってるじゃん……」
「え?え?」
こういうときってなんて言うのが正解なんだ。
「お、オメデトウ」
賛辞だけは送っておこう。
たいていこいつならそのまま受け取ってくれるだろうし。
「ありえないくらい棒読みだなぁ」
……なんだその不満そうな声は。
ごろんと上向きの体勢になるとスマホをスピーカーへと切り替える。
どうしてだか、疑問が浮かんでもすぐに納得できてしまう自分がいた。
疑問が浮かんで、ゆっくりと腑に落ちていく感覚が何度も、何度も。
こいつだったら私と違って、うまくいくんだろうな。
こいつだったら恋人を大事にして行きていくんだろうな。
今までの彼の行動がゆっくりと回想される。
一番最初に出会ったときはただ興味があっただけだった。
ただ今はもう友だちになっていた。
だからなんだろう、自然と幸せになってほしいと願えるのは。
「……ウソウソ、幸せにな」
「いや、まだ返事はしてないんですけど」
「はぁ?なんでだよ」
「渚への思いをせめてどうにかしないと鳴海さんに失礼だと思って」
「な、るほど……」
真面目なんだ。こいつは。
真摯に真面目にまっすぐに鳴海さんの思いを受け止めようとしている。
ただどうしたって元想い人、というのは頭の中で消えることはない。
上手く付き合う必要があるのだ。おそらく春馬はそれがわからないのだろう。
だから振られた私に……?
そう思うとなんとも不器用というか、気の回らないヤツだ。普通の人にそんなこと言ったら絶縁されておしまいだというのに。
軽くため息を吐いた。
言えることなんて無いのだ。
だって私は未だに四季くんのことを気にしてる。
あの時、別れを切り出されたときの彼の顔と寂しげに吹いた風。
脳裏にずっとこびりついて離れない。
ただ一つ、思いつくのがある。とはいっても冗談みたいなものだが。
「渚に……伝えてみれば良いんじゃない?告白のこと」
「え?」
「渚への思いよりも春馬が抱いている鳴海さんへの思いのほうが強いんだったらできるはずでしょ?」
「まぁ、でも、これはショック療法みたいなものだし。おすすめは」
「――――やってみます!」
「……え?あ、おい!」
その直後電話はプツンと切れた。
ちょっとまってくれよ。流石にそれは、渚があまりにも。
慌ててスマホの画面を明るくする。
「は?めんてなんす?」
LINE、なんちゅうタイミングで、メンテナンスをやってくれたんだ。
だから途中で切れたのか。
どうしようもない自分への怒りがゆっくりと、しかし力強く、布団を滴っていく。
そして徐々に困惑へと変わっていくのだ。
黒く、赤く、青く、色々な感情を乗せて
今、歯車が廻りだす。




