第36話 馬鹿野郎
きっと僕は大人になってもこれを思い出すのだろう。キラキラと輝いて、いい香りがふわっとして、まるで宝箱のように丁寧に丁寧に。
深い深い記憶の奥底へとしまわれるのだろう。
できればこのまま。
※
「先輩」
「好きです」
観覧車内が夕焼けに照らされて真っ赤に染まる。それに加え、鳴海さんの顔もまたそれに劣らず真っ赤になったのが見えた。
彼女の言葉はとても真っ直ぐだった。直球のように、どこにもブレずただ僕だけに来ている。
気がついたら何も見えなくなって外からの音が何も聞こえなくなっていた。
ブワッと吹き出る汗とバクバクとなる心臓。バクバクどころか、破裂せんばかりの音を響かせている。
考えてみれば人から好意を伝えてもらえるなんてこと。初めてだ。
いつも嫌われるか、無関心かの二択だったから。クラスの背景なんてそんなもんだった。だからこそ僕にはその好意に張り合えるほどの言葉を吐くことができないのだと直感してしまった。
なんて言えばいいのかもなんて伝えればいいのかも、好意を受け取るべきなのかも、好意を退けるべきなのかも、そのどれもが僕にとっては初めてで。何もできない。何もわからない。
ダサい。そんな言葉すらも遥かに凌駕して、この世の言葉では到底言い表せられないほど惨めな自分に心底泣けてくる。
別に今まではなんともなかったんだ。
ただ彼女がそんな惨めで意気地ない僕に引かれた一線を超えたいと強く願ってしまっただけなんだ。
それに対して、掛ける言葉すらも言えない僕は、彼女と近くにいることすらおこがましいのではないだろうか。
ポロポロと彼女の足元になにかが落ちたのが見えた。
僕にはそれがなにかわかっていた。ただわからなくなった。
今までに無かった感情が視界をぐにゃりと歪め、じわじわと実感してくる。
これは、なんだ?
「あーあ……何やってんですかね。私は」
ぱっと顔をあげた鳴海さん。到底人には見せられないような顔だ。この人は僕にこれを見せてもいいのだろうか。そりゃいくら美少女でも号泣すれば顔は汚れる。ただそれを人に見せるなんてこと、中々ないはずだ。
彼女はそんな状態でも僕を……
「先輩を困らして……勝手に泣いて……」
心配してくれるのか?
「ごめんなさい」
ズビズビと鼻をすすり、笑顔を……浮かべてみせる。
それに対しても僕は困惑することしかできなかった。どうしようもできないまま固まって。泣いている彼女の顔から目を逸らして。
ゆっくりと息を吸う。
大丈夫だ。僕なんて大丈夫だ、彼女は好きな男に告白をしたんだ。それはとても勇気のあることだと思う。
じゃあ僕は?今こうして。
何もしないままでいいわけ無いだろう?
ふと彼女をもう一度見ると、震えていた。
怖いのだろう。振られることが。先程教えてくれた話から彼女は長い間僕に好意を持ってくれていたらしいし。今の今まで仲良くデートなんてことをしてたのだ、その記憶すらももしかしたらなくなってしまうのでは、なんてことも考えているのではないか。
彼女のまるで人形のように細い手を上から優しく掴む。
「……!」
僕は鳴海さんが
僕は渚が
「……いきなりごめんね。ただ聞いてほしい」
「……はい、先輩……」
「……僕は」
「渚が好きなんだ」
「だけど」
「気持ちは鳴海さんにあるんだ」
呼吸を一度整える。ゆっくりとゆっくりと今までの気持ちを思い返して、鳴海さんをしっかりと見つめた。
「ごめんね、自分で言ってても意味がわからないんだけど」
「僕自身は鳴海さんが好きなんだと思う」
「だけどずっと片思いをしていた相手への思いもまだ少しあるみたいでさ」
「そんな状態で僕は君と付き合うなんてことしたくない」
「だからさ」
「時間がほしい」
鳴海さんはなんて不器用なんだろう。なのになんでこうも言葉をまっすぐ受け取れるんだろう。
渚と会話をしていても同じような感覚に落ちることがある。ただそれだってそこまで何回もあるわけじゃない。ただ彼女は……鳴海さんはそれが毎回のようにある。
だからそんな彼女に惹かれたというのもあるのかもしれない。素直に自分の気持ちを伝えてくれる。そこに安心感がある。
「……ハイ」
か細い声が僕の耳に入る。泣きそうな、という感じではなかった。
「……観覧車も、そろそろ終わりだね」
「――――あ、先輩!まだ、手は……」
「……ワカッタ」
恥ずかしい。ただ何故か周りが暖かく感じた。
恋人繋ぎはまだできなくて、握手のような形で手を繋いだ。
なんというか、鳴海さん。貴方遠慮なくなってきたね。
人の並んだ観覧車を、
僕達はゆっくりとあとにする。
僕の頭の中にはあの笑顔が残り続けていた。
まるで大切な思い出のように。まるで価値のあるもののように。宝石の輝きのように。
やっぱり僕もそういう思い出として捉えているんだな。あの笑顔を。
仕事疲れのサラリーマン、遊び帰りのお兄さんたち、ポツポツと席に座っているのが見える。
帰り道の電車、今朝のような雑談ができる空気ではなくなっていた。そりゃそうだろう、振っていないとはいえ、未だ僕と彼女の関係は先輩と後輩なのだ。
……ただ一つ、変わった点がある。
鳴海さんがめちゃめちゃ髪をいじったりと女性っぽいことをしだした。
前髪をちょいちょいと整えたり、スマホのカメラ機能を使って鏡のようにしながら何かを確認していたり。
もしかしたら朝もこんなことをしていたのかもしれないが、朝は……中々に酷かったからな。
自分でも多分どうかしてたんだと思う。本当に。
ふうと軽く息を吹いた。
窓の外は暗く、流れていく情景がなんとも美しい。窓に触れる。少し冷たくて、だけどどこか懐かしくて。
ふと思い出した。渚のことを。
小さい頃、毎日のように遊んで毎日のように転げ喧嘩した。でも好きだった。彼女の明るい性格が、彼女の物怖じしない言い方が、僕に勇気をくれた。だからこそ彼女は僕にとって……
ちょっと待てよ?
じゃあ僕は別に渚のことが好きというわけではないのか?いや、何を言ってるんだ。いくら、尊敬しているとはいえ尊敬と同時に恋情を抱くことも……
じゃあなんで僕は鳴海さんの告白を断らなかった?
「先輩。ちょっといいですか?」
「ん?あ、何?」
唐突にぽんぽんと肩を叩く鳴海さん。どこかその顔は楽しそうだ。
あいも変わらず真顔なのになんでこんなにも感情が伝わってくるんだろう。疑問でしか無い。
「少し早めの駅で降りませんか?私、まだ先輩と話していたいです」
……本当、どこまで計算なんだろう。
「……わかった。じゃあ、次で降りようか」
嬉しいのか、ぴょんぴょんと軽く跳ねる鳴海さん。やはり真顔。
もしかして僕、小動物みたいな捉え方してないか?鳴海さんのこと。
確かに小柄ではあるがそこまでか?
「そういえば、今日どうだった?」
「?どう、とはなんでしょうか?」
「いや、人と何処か行くなんてあまりにも久しぶりだから……少し不安で」
そう言うと鳴海さんはプフっと軽く吹き出した。
おい、顔を背けないで。吹き出した鳴海さんの顔、結構気になるんだが。
「それ、聞いちゃうんですね?」
「し、仕方ないでしょ。あまり人付き合いとか……」
「やっぱり先輩って可愛いです」
疑問符の狂喜乱舞。
瞬間的に言葉の意味を理解した僕の顔は熱くなる。
自分でもわかる。鳴海さん。やっぱり貴方は色々怖いです。
「……もうこのまま帰っていい?」
「駄目ですよ。先輩。恥ずかしいからって逃げるんですかー?」
鳴海さん。貴方そこまでいじめっ子のようなスタンスじゃなかったよね。急にどうしたの?
思い出してみれば過去話で僕いじめられていたような気もする。じゃあ、鳴海さん本来の性格は結構いじりたい人なのかな。
「うう……わかったよ。もう諦めるよ」
「そうですよ。観念してください」
「せめて」
「優しくして……?」
「……先輩」
「……?何?」
「写真撮っていいですか?」
「え?」
「この状態の先輩を撮りたいです」
「駄目に決まってるよ?電車の中だし」
「それに、次の次の駅で降りるんだし……」
その途端待っていたかのようにドアが開く。
「先輩」
ギラギラとした視線が首元から上へと移っていく。
真顔、真顔なのに。
これはこれで怖い。
「降りましょうね?」
決定権などとうに彼女が持っている。そう感じた。
「……ひゃい」
今日一、情けない声が体の中で響き渡るのだった。




