第27話 愚か 下
「お邪魔します……」
人の家に来たときにまず真っ先に言うであろう常套句を放る。人の家になんて片手で数えられる回数しか来たことのない(渚の家だけだが)僕は自分でも分かるほど緊張していた。手汗がひどい。
そしてそんな僕の目の前には見るからに不機嫌そうな女子――白崎明が立っている。空色のパジャマを身にまといつつ少し顔が赤く見えた。
「……は、いって……」
「あ、はい。はい……」
グルルといった唸り声が聞こえた。見ると毛並みの良さそうな猫が足の隙間から顔をのぞかせている……猫は通常グルルなんて鳴かないんだけどな、どんだけ警戒されてんだ。
バタンとドアを閉めると靴を脱ぎ、促されるままリビングのようなところへと足を運ぶ。
「あい……取り敢えずここで待って」
「わ、わかりました」
大きなソファに腰を落とし、まるで結婚のお許しを受けるかのような体勢で待つこと数分。キッチン方面のドアを開けた明が僕の目の前の机にコップに入った麦茶を置いた。
「……今こんくらいしか……ない」
「あ、いえ……お構いなく」
気まずい。これ以上なく気まずい。猫に睨まれているのもそんな感情を加速させる。ダラダラと垂れる汗が体を震わせる。
そしてふと思うのだ。何で僕は今こんな状況に?と。
「……で、何で急に……い、えに……」
そこまでいいかけた彼女はゆっくりと僕の方へ倒れかける。慌てて立ち上がり受け止めるとぐでんとした状態のまま苦しそうに呻く。
「な、何で……はるまぁ……?」
額に手を置くとひどく熱いのが分かる。こいつ、実際は熱にやられてたのか。
色々と思うことはあるが――ええい、反省会はあとだ。
「大丈夫か?……君の部屋はどこだ?」
「んん……玄関から……まっすぐ……」
続けて「うぅ……」っとまたもや呻き出す。取り敢えず部屋で寝かせてから諸々考えよう。
謝る際に謝られる側の意識が朦朧としてました、なんて状態じゃなんの意味もない。
「……だい……じょうぶ……」
「へや、くらいはぁ……」
フラフラになりながらベッドに倒れ込む明。ベッドからはみ出ている部分をなんとか持ち上げ、ベッドに寝転がせると布団を上にかける。
そしてそれに安堵したのかすぐに寝息を立て始める明。
「取り敢えずなにか持ってこよう。水枕とか……ああ、もう、場所がわからない」
どうしたってこの家の風邪時のセットの場所なんて知らないのだからこうなるとは思ってた。じれったい気持ちを押し殺す。
どうせ、後で文句言われるだろうし、いいか、腹を決めよう。
寝ている明に一度断りを入れ(入れてない)、ゆっくりと僕はキッチンへ向かう。
丁寧に整理されたピカピカのキッチン。長年使ったであろうフライパンと食洗機だけがそこには置いてある。
この家ではどうなのかわからないが僕自身水枕はほぼ使わないため手に取れる位置にあるものの普段はあまり見ない天井付近の棚に置いている。
だからこういう冷蔵庫の上とか――ビンゴ。まるで推理ものの主人公のように決めポーズを取ってみるも恥ずかしくなりすぐさま作業に取り掛かる。
「(勝手に使ってすいません。明の親御様方……)」
水道から水を直接入れ、冷蔵庫の製氷機から氷を見た目多く入れるとクリップで止める。これで取り敢えず水枕の完成である。
あとはこれを持っていって明の頭の下にでも置けばしばらくは問題ないはずだ。
流石に風邪薬だとかおかゆだとかは気が引けた。一体何を言われるかわからないし。
取り敢えず取り敢えずと、水枕を明の頭の下に置く。
そしてやることがなくなった。
今日日彼女でもない女子の家に来て甲斐甲斐しく世話だけして帰るやつって変なのではないかと思ったがゆっくりとその言葉を首から下へ押し戻した。
「んん……うぅ……」
軽く呻きながらもすやすやと夢の中にいる明。
「春馬……」
ふと名前を呼ばれる。弱々しく呟くものだから思わずドキッとする。ただでさえ女子に免疫の無い僕だ、その破壊力は常軌を逸している。
ただ、流石に彼氏持ちの女子に手を出すことはしない。そもそもできるとは思えないが。
「……ごめんね……」
ゆっくりと寝返りをうつ明、悪夢にでもうなされているのか変わらず呻く。
「僕こそごめん」
どうせ、寝ているのだからまたいえばいい。起きてまた友達に戻れる保証なんて無いのだ。せめて寝ている今の間だけ……
僕と友達でいて欲しい。
「……ずっと辛かったんだよね、ごめんね……」
「……それは、君の方だろう」
何を言われても耐えて、どんな時でも友達として接してくれていた明。
僕の目から見て辛かったのか、辛くなかったのかなんてわからない。明はそういうのを上手く隠しているっぽいし。でもこうやって謝るということは……
「ずっと辛かったのは、明さんの方だよ」
「ごめんなさい。そしてありがとう」
何度貴方に救われたことか、何度貴方に勇気をもらったか。渚との関係だって貴方がいたから少しでも前向きに捉えられた。恋人にならず近くにずっといるという選択を取れたのは明のおかげというのが多い。
本人は気が付かないとでも思っていたのだろうが、渚があの金髪にナンパされたところを僕が助けた話を広めないようにしてくれていたこともなんとなく理解っていた。道理で広まらないわけだよあんなに人がいたのに。
「僕はやっぱり君が居ないと苦しいのかもしれない。けどやっぱりお別れはしないとね」
「雛だってずっと巣にいるわけじゃないし」
そしてなんとなく思っていた、理解っていたことを口走る。
「バイバイ、明さん」
これが僕の本音だ。
謝ったとしても一度生まれたヒビが治らないように、わだかまりが残り続けるように、こうなってしまった以上いつかは耐えられなくなるだろう。それまで友達としていたところで明側にはなんのメリットもない。
であれば――――
「やっぱり……馬鹿だね、春馬」
「え?」
突如響いたドスの利いた声、というよりかは声が枯れたことによってそう聞こえるだけのようにも思えるが……
明が喋っている。妙なハイテンションで。
「くだらねぇ、何がバイバイだよ」
「え?え?」
「あーあー、つまんな、わざわざ辛くもない風邪のフリするんじゃなかった」
「……は?」
ガバっと勢いよく起き上がった明はこちらを鬼の形相で睨んだ。
その勢いに飲まれ思わず僕は尻もちをついた。
「あのねぇ?誰が春馬が言った悪口程度で傷つくと思う?」
「いや、でも……泣いてた……し」
「……こんなこと言っちゃいけないかもしれないけどさ、目にゴミが……」
ちょっと待って欲しい。じゃあこの数日悩んでた僕の時間と意味は……
ニヤリとした表情が僕の視界に映る。
「まぁでも春馬がどんだけ私のこと好きかわかったけどね!」
「いや、別に!全然……」
……そんな微笑みながらこっちを見ないでほしい。
「嫌い?」
「……嫌いではないですけど……」
「じゃあ好きじゃん!」
「それはそれ、これはこれです!」
なんとも変な空気感のできあがりである。渚以外の女子の家に行くというものとをまさかこんな変なもので体験するとは予想外すぎる。
そんな、半ば今までのことを思い出し憂鬱になった僕を見下ろす形で明はベッドに立つ。
「はっはっは!」
そして明はそういいながら白目になり倒れた。
Narumin
〈……結構無理してたんですね、明先輩。〉
-22:20
春馬
〈そうらしい、まぁ結局あれについては謝れていないんだけどね……〉
-22:20
Narumin
〈仕方ないですよ。〉
-22:21
勉強机に顔をつけながらゆっくりと文字を読み、なれない手つきでポチポチとスマホに文字を打ち込んでいく。デートの予定を立てるため、という半ば強引なやり口でLIMEを交換させられた僕は今日の出来事を成海さんに報告していた。
別に報告なんてしなくてもいいと思っていたのだが、聞きたいというので仕方なく。
Narumin
〈風邪も引いてたらしいですし。〉
-22:22
春馬
〈明にはまた時間作ってもらわないとな…〉
-22:22
春馬
〈ちゃんと謝りたいし〉
-22:22
Narumin
〈春馬先輩は生真面目ですね。〉
-22:22
春馬
〈そんなことないよ、それに何故かハイテンションで少し怖かったから禄に世話もできなかったし〉
-22:11
ふぅ、と軽く息を吐いた。いくら女子との関わりが増えたとしてもやはりなれない。今まで渚以外とそもそも喋ることだってなかったのだからしょうがないとは思っているが、どうしても疲れてしまう。
なんとも残念な性質だ。
そもそも僕がもっと明るければこんな性質ではなかったなどの反論は禁止だ。
少し休憩でもしよう。ちょうど未読のまま返信も来ないし。
ゆっくりと席を立ち、トイレに行こうとドアに手をかける。
(ピロン)
高い音がなる。通知音だ。
まぁ、トイレに行く前に内容だけ確認しておくか。返信内容は考えながら――――
……何で明があんなに変だったのか、何であんなに無理をしたのか。僕はここで知ることになる。
いかに高校生というのは愚かで、いかに未熟なのか。わかっているつもりで僕はわかっちゃいない。
そしてそれは明もわかっていなかったのだろう。
そこに映されていたのは成海からのメッセージ。
僕の〈何故かハイテンションで怖かった〉に対しての返答だった。
Narumin
〈明先輩別れたらしいですよ、だからそんな感じなのかと〉
-22:23
音を立てて、僕の何かが崩れていくがわかった。




