第26話 愚か 上
しとしとと降り続ける雨の中、公園の片隅の休憩所。平日の午後六時ともなれば子供もおらず冬のせいなのか辺りはほとんど闇だ。そんな中で男女が二人きり、何も起きないはずが――――あった。
「交換条件、それは先輩にとっては簡単だと思います」
「私とデートしてください」
「こんな感じじゃなくて、二人きりで」
一度鳴海さんを指差すと自分を指す。それに頷く彼女。
いやいやいやいや……ちょっと待ってほしい。唐突にそんなことを言われてハイそうですかなんて返せるわけ無いだろう。頭の中には疑問符が浮かび上がるばかり。先ほどから感じていたドキドキのせいで勘違いしてしまいそうだ。
こんな可愛らしい人に彼氏がいないわけがない。しかもギャルだし。なんと言ったってギャルだし。
「そ、その話は置いといて……その、成海さんは何を交換してくれるの?」
「生徒会権限を用いて――――」
あれ?この人、罪を犯そうとしてる?
そんな意味で違ったドキドキも感じ始める。
確かにギャルだし、陽キャだし、ワイワイ騒いだり人様に迷惑をかけることも――――
「急遽お知らせプリントを配布します」
「あ、良かった!」
「何がですか?」
「ごめんこっちの話だから気にしないで」
すいませんでした。いくらギャルだとしても流石に罪は侵さないですよね。
……というかその作戦で一体どういうことができるんだ?
「おそらく学校に来ていないだろう明さんにその手紙を渡す人を先生は探すはずです」
「その際春馬先輩がそれに立候補すれば――」
自信満々に言うその姿、やはり真顔。ただその立ち振舞からは子犬が擬人化して見えそうな程喜んでるのが取れる。
「残念なことに、明は彼氏がクラスにいるんだよね……」
「そこも抜かりないです、先輩明日は何の日か知ってますか?」
「え?な、なんだろう……」
ピンと人差し指を立てるとそのまま四季が誕生日であることを伝えられる。
恐らく本人は自分がどんだけ真顔で喋ってるのかわかっておらず笑顔で近寄ってきてるつもりなんだろうが……圧がすごい。そしていい香りと顔が――――
ただやはり雰囲気からは嬉しそうな感じが伝わってくる。なんとも不思議な人だ、表情もなしに己の立ち振舞のみで感情を表現するとは。
「わ、わかったから、離れてほしい……」
「あ、すいません。この話をしたくてウズウズしてまして」
するりとまた椅子に座り直すと降る雨に視線を向ける。それにつられて僕もそれをまた眺めだす。
そもそも四季が誕生日だとして何でそんな――――……もしかしてどこか遊びに行くとかそんな話を知ってるのか?
思ってることがわかりやすい僕に続いて四季は四季で何でこんな情報が漏れてるんだ。揃いも揃って情報漏洩とか。
「聞いたんですよ、わざわざ兄に聞いてもらって」
「成海さんはこう……思ってる以上にアグレッシブなんだね」
「そうですか?だとしたら」
「多分ですが兄ゆずりかと」
「そうなの?」
「はい、兄は中学の頃、想い人に積極的にアプローチしていたことがあるので」
そういうのって本人がいないところで勝手に話していいんだろうか。場合によっては黒歴史にもなりえるのでは。
結果的に今上手く行ってそうだからいいけどさ。
「小さい頃から決まって大事な時には積極的に行動して、頑張る人なんだね」
「そうなんですよ。そんな兄ですから、昔から尊敬してて」
「本当かっこいい兄ですよ」
しみじみと昔の思い出に浸るかのように目を瞑るとゆっくりと開ける。指を組んだまま街頭に照らされる雨を見つめ、ゆっくりとその言葉を吐露した。
「でも最近はフミさんのことばかりで」
「少し……寂しいです」
「兄が自分から離れていくのが……不安です」
ポツリとその一言が雨に流れる。雨の中のどよんとした空気感から思わず出てしまったのだろう。ただそこは彼女の意地なのだろう、その先は口走らなかった。生徒会というものに入ってる人間は完璧超人で頭の切れる人間ばかりと思っていたが、こんな些細なことでも悩むことが……
その瞬間ふと過ったのは初めて白崎明という人物を認識したあのカラオケ店だった。初めて出会ったとき、怖かったこと、少し楽しかったこと、自分という存在を認識してくれたようで嬉しかったこと……
「今まで自分を構っていた兄が少しずつ変わっていって」
「いつか、自分という存在がなくなってしまうような気がした」
こちらを今度こそ驚いたような表情で見る彼女。今しがた初めて見た彼女の表情はやっぱり綺麗だった。俯いた拍子に履き慣れた赤の安物スニーカーが映る。
「多分だけどね、僕もそうなんだ」
「僕も白崎明という人に寄りかかっていたんだ。いや寄りかかっているんだ」
おそらくそういうことなんだろう。自分の周りからいなくなっていく人が中原、渚、そして明となった今、僕の周りにぽっかりと穴が開いてしまった気がした。いわば孤独を感じたのだ。もともと渚には寄りかかれるほどの自信はなく、だからといってやっと彼氏ができそうな中原によりかかることもできず、それで明によりかかり続けていた。それでも明は耐えて僕という存在を認識し続けていた。
やっと諒解した。
「あ!ごめんね、急に自分語りみたいなことしちゃって!」
「い、いえいえ。私が相談みたいなことをいい出したからですし……」
「ただ……ありがとうございます」
ペコリとお辞儀をする彼女、それになんとも面映ゆい気持ちになり視線をそらした。こほんと息を整えると彼女はおずおずと話を立て直す。
「ええと、は、話を戻しましていかがですか?」
そういえばこの話もともと交換条件の提示から始まったんだ。危うくもとの話を忘れるところだった。危ない危ない。
途端に先程の発言を思い出した僕は視線を彼女とは反対方向に向ける。
なんで僕とデートしたいのかは知らないがこの条件は飲むつもりだ。ただそれを許容する自分が恥ずかしくないわけではない。断れるなら断りたいが現に明とコンタクトをとれる方法としてはこれくらいしかもうないしどう仕様もないのだ。
「……いいよ。ただ」
――この後始末が終わってからね――
※
一歩を踏み出す。そして二歩下がる。そして気がつくと僕はまたこの場所に来ていた。何度も通り過ぎたのだ、彼女――白崎明という女の家を。
今度こそ、そう思いながらまたインターホンの正面にたった。
見た目は至って普通の家である。白っぽい壁に白崎という苗字の書かれた表札、黒っぽい屋根……これほどまで普通といえる家は中々ないだろう。
なんだか人の家を馬鹿にしてるような気分になってくるが別にこれは馬鹿にしてるわけではない。ただ思ったことを述べているだけだ。ということは僕は性格が悪いのだろうか。
「ふぅ……」
昨日とは打って変わって乾いた風と眩しいほどの陽に照らされる。額に薄く汗が滲む。いくら冬で寒いとは言っても陽の下にいればそりゃ暖かくなるものだ、緊張もあるだろうけども。
意を決して、ボタンに指をかけ、途端に自信がなくなってゆっくりと指を離す。
そもそも人の家に行くこと自体あまりない僕にとって(渚の家にもそこまでの頻度では行かない)訪問というのは中々高いハードルだ。
例えて言うのであれば、そうだな……あまり練習していない状態でクラスメイトの前でスピーチをするといったところ。
何度も言うがこれは陰のものにとってハードルが高いのである。
「……なんて言って入ればいいんだろう」
そういえばあの成海さんとの会談のあと何も考えず翌日になってそのまま手紙を渡す人に立候補して、今に至っている。
人の家にお邪魔するときの作法だとか何も知らない状態だ。そもそもそんなものがあるのかどうかすらもわからない。
まずはお邪魔します、が鉄板だろう。ただその後は?
……なんだか自分の今までの行動にゲンナリしてきた。
「さんざんお膳立てしてもらってこのザマか……」
口ではそう強い言葉を言ってみるが体は思うように動かない。
自分でも分かる、僕は愚かである。
だからこそ、謝るのだ。
こんな自分に少しでもつるんでくれた彼女に。
体が言うことを聞かない。そんな言い訳をしながら僕は、ゆっくりと目の前のボタンを押した。




