第21話 恋する乙女は
じっとりと体中に汗が滲んだ。十月の終わりなのにまるで僕だけ夏の世界にいるかのようだ。
大きく息を吸って。
小さく吐く。
「……嫌だ」
精一杯の抵抗だった。
もしかしたら中原となら……そんな考えが一瞬でもよぎった自分をぶん殴ってやりたい。
中原には未来がある。僕にだって……断言はできないけどあるんだろう。ただそんな数ある未来の中で、僕を選ばせるようなことは絶対にさせたくない。それに……
「それは、逃げだろ」
中原は確かにいいやつで、身長もモデルのように高くて、数多いる女子の中でも上位に入るほどの美少女だ。そんなやつでもどうしても付き合いたい男ができたんだ。どうしても、愛したい男ができたんだ。だったら、そっちに意識を向かせないと駄目だ。ここでの逃げは彼女の心に残る。諦めもつこうにもつけないだろう。
絶対に逃げさせはしない。させてたまるか。せめて彼女にとって後悔の無いような選択を……
「別に僕は、中原のことが嫌いだから言ってるわけじゃない」
「だけど」
「ここで逃げ道を作ったら、絶対揺れると思う」
それに、僕だって踏ん切りをつけないといけないんだ。この思いだって、渚への思いだって、いつか飽和して霧散していくんだ。だから今は隠すんだ。
「その誘いには乗ることができない」
一体何分くらいたったのか。自分の発言がどんどんと重たくなっていくのを感じる。もしかして泣かせた?とか、このまま友達に戻れないまま電話が切れるのでは?とかこの後起こりえる事象を想像した。
首元から冷たくなってきた。
思わず身震いをする。
「はぁ……」
唐突に耳元に入ってくるため息に一気に血の気が引いた。……頭でも剃れば許してくれるんだろうか。
「ほーんと君は優しいんだね」
優しくそう言うと、鼻をすする音が聞こえた。 思わず肩に入っていた力がヒュルヒュルと抜けていく。
「べ、別に……普通ですよ」
「普通じゃないよ〜実際そういうところは尊敬してるし」
「それはどうも……あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、少ししたら引っ込むから」
またもや泣かせてしまったことに申し訳無さが残る。ずっとそうだ、中原僕と出会ってからずっと泣いて笑ってを繰り返している。
何で中原がこんな……苦しむ必要があるんだ。中原はただの弱い人間なだけなのに。
「無理だけはしないでください、ほら笑顔ですよ。笑顔……」
「そうだね、ありがとう。あー……何か惚れそうだよ。コウタと出会うのが逆だったら本当に付き合ってたかもね」
発言の節々からも伝わるほど元気がない。言葉に覇気が一切感じられない。
「……ごめんなさい。やっぱり僕には、なにか手伝えることはありません」
「ただそれでも僕は――」
「貴方のことを応援し続けます、どんだけ挫けても、ずっと。ずっと応援しています」
自分でも何を言いたいのかわからない。勢い任せだ、ただ何かが溢れてせき止められない。さながらダムの決壊のようだ。
「どんなにひどくても良いです。どんなに折れても」
…………
「友達としてずっと側にいます」
思っていた以上に大きな声が出ていたことに気づき思わず口を抑えた。ただ言いたいことは言えた気がする。
電話口からは何も聞こえなかった。鼻をすする音も、鳴き声も、風の音だって。一切、聞こえない。
ふと疑問に思い、スマホの画面を見るとデカデカと通話終了の文字が浮かんでいる。
その日は眠れなかった。
※
クラスを包むほどの温かな光が僕らを照らす。最後までいいだせなかったけどお願いだからカーテンを閉めてほしかったな。
「ふぅ」
軽く伸びをしながら辺りを見回す。一人は疲れ気味に机に突っ伏し、一人はまだまだテストは終わっていない、といったような面持ちで熱心に教科書を読み漁っている。またまた一人は資本論を黙々と読み続けている。面白いか?それ。
そんな姿を見て、僕は微笑んだ。仲間ができた、といった気持ちはこんな感じなのかと改めて感じる。
ただし、今回は残念ながらテストの手当たりが悪い。そのため気分は沈んでいる。
すべてのテスト、終了。
案外あっけない。意外とこんなものだ。なんか、寝て起きて学校行ってを繰り返してたら終わってる。むしろそこに行くまでの道のりのほうが圧倒的にきつい。
「あー……」
母音を伸ばし、体中に残る疲労を誤魔化すかのようにまたもや軽く伸びる。何日も座った体勢を繰り返していたからこそのこの体(主に背中)の痛みだ。
一種の勲章みたいで少し嬉しいような気もする。
「よ、どうだった?」
聞き慣れた声が小さいまま耳に伝わる。声の方を向いてみると、資本論を小脇に抱えた状態の明。その表情からは生き生きとした様子が伝わる。コイツ、わざわざ自分ができたから聞いてきたな?
というかコイツの中では周りに聞かれていなかったら荒々しくてもいいってスタンスなんだな。
「あんまり……というかこういうときに四季くんに声かけてあげたほうが……?」
「あーアイツあんまり勉強できないんだよね」
「理解しました、だとしても渚とかに……」
一度眼鏡をクイッと上げると僕のおでこにそのまま指をコツンとつく。
「友達だから、ただそれだけのことだ。気にすんじゃ無いよ。それとも何だ?友達に話しかけることはいけないことなのか?」
「いや、悪くはないけど……」
沈んだままの気持ちが少し浮かび上がった。
「で。どうだったの?」
……沈んだ。今度はしっかりと。
「おいおい、散々渚たちに教えておいて自分の点数が取れてなかったなんて……本末転倒だからね?」
「はい……わかってます」
それを聞きながら苦笑いを浮かべた明。それに嫌そうな顔をする僕。
「ま、いいか。放課後またあの公園で」
「あ、はい」
あれ、さらっとまたなにかの集まりが決定してる。今度はなんだ、勉強会はやったし……本当に女子会か?
「はーい、皆さん座って座って。帰りのHRするからねー」
扉を開きながら登場した彼女は我らが担任の呉原鈴先生だ。マイペースという言葉で体が構成されているような人とでも言っておこう。とにかく色々と大変な先生ではあるが生徒間での人気は極めて高い。
美人ということも関係していそうだが。
「まずは皆さん、よく期末テストを終わらしました。ですが、まだまだ高校二年生は終わりません!気を引き締めてね!」
「それと先生から二つお話がありまーす」
無駄にハキハキとそこまでを喋り切ると舌をペロッと出す。
「まずは皆……ごめんね!!今回の数学難しくしすぎちゃって……高三数学に出る問題を少し改造してました」
だからか。通りで数学という言葉に過敏に反応するやつが多いわけだ。もちろん僕もその一人だ。無理ゲーが何個かあった。
「ま、皆なら大丈夫だったよね!なんせ担任ですから!」
おい、と言いかけた口を抑えた。
「次ー」
「皆の進路についてです」
その瞬間、空気が凍った気がした。皆が必死に考えないように考えないようにとしていたことをまさかいきなりぶっこんでくるとは。
「もうどこ行くかはなんとなく決まっている人しかいないと思いますが一応紙として、データとして残しておくらしくて皆さんに今書いてもらおうと思いまーす!書くだけ何で数分もかからず終わりますよ〜。では今からその紙を配ります!」
「あ、名前呼んでくから!」
「春馬くーん!」
一度顔を見てから渡された紙に視線を落とした。……進学としか書けない阿呆はどうしたらいいんですかね。
「ん?どうしたの?」
「あ、いえ、すいません。ありがとうございます」
先生、キラキラ光ってるのが怖い。しかもいい匂いもする。怖い。The 陽キャって感じがして光オーラの供給過多で胸焼けしそう。
正直に言えば夢なんてものの想像がつかないっというのが本音だ。……ただ、そうも言ってられないんだよな。あと一年もしないうちに指定校推薦の枠が決まる。それまでにはいや、それよりも大分前に決めておかないとせっかくの内申が無駄になる。
僕は四季、明ペアへと視線を移す。
明は、一体どんな道に進むんだろう。
「おーい!はーるま!」
明へ視線を移すついでに見逃した人影にまた戻った。中原だ。いつも通り廊下から呼んでいる。
そう思ったのもつかの間扉に一番近い席だった岡西が驚いた表情のままチラチラと僕を見ていた。
お願いだから明みたいに関わってほしい。
「な、なぁ文。春馬くんとはど、どういう関係性なんだ……?」
こういうことになるからさ。
何で僕の女子の知人はこうも……いや、いいか。
これも一種の経験なんだろう。




