第17話 どうせもう黒歴史
特に代わり映えのしない部屋の天井……白い、白いな。意外と天井は掃除しなくても綺麗なままだ。病院の天井だとかも白いらしいが、意外とウチの天井のほうが白いのかもしれない。いや、それは言い過ぎか?
「なーにしてんの?もう朝だよ!」
そんなことを一人考える中、視界の中にひょっこりと渚が入ってくる。髪を結んでいないのか、いつものような快活とした印象が薄れ、どこか大人びたものを受ける。
寝癖もまだ整えられておらずアホ毛のように飛び跳ねている髪が見えた。
「いや、何か、天井白いなって……」
「え?なにそれ、変なの」
思っている以上にストレートな発言に思わず苦笑いをする。
「それより、大分早く起きちゃったね。どうする?私朝ごはん作ろっか?」
ああ頼むよといいかけたところで昨日の惨状を思いだし、すでに歩き始めている渚の足首を掴む。
「いや、良いよ、僕が作る」
「起きた直後なのに?大丈夫?」
「ああ……まぁ、うん。多分」
どう考えても渚よりはマシだ。作り方をネットで見ながらダークマターを作ったヤツに到底キッチンなんて任せられない。
寝ぼけ眼で洗面台に向かい、顔を洗うと鏡の中の自分と目があう。
……最近クマがひどい気がする。こんな自分でも中学生の頃まではおしゃれな人を目指した時期がある、それの名残でまいどまいど起きたら鏡の前に向かうのだ。だからこそ自分の顔とはよく挨拶を交わす。だからこそクマがひどくなっていることも気づく。
「ひっでぇ顔……もう一度おしゃれに目覚めても見るか?」
鏡の中の自分はうなづかない。当たり前だ。視線を外し、ゆっくりとキッチンへ降り立つ。
さて、一仕事…………
※
「じゃあ、放課後またいつもの場所でね!」
「あいよ」
駅前でその程度の言葉を交わし、僕はまた一人になった。改めて自分は今日から渚と過ごすのだと考えると得も言われぬ感覚になる。
いつもと変わらない毎日だ。特に何かが変わった訳ではない。いつもどおりの駅だ。そんなことを考えながら階段を降り、街のど真ん中に出るとそのまま学校へと向かう……はずだった。
何かがいる、というよりも何かが前を歩いている。
「サインコサイン……なんだそれ……シグマ……何を言ってるんだ?」
ぱっと顔を見るとそこには見たことのある姿が。中原である。ただ僕には気づいていないようだ。というかサインコサインは高一の範囲何だけどな。
そそくさと横を通り抜け、ゆっくりと後ろを見る。どうやら参考書のようなもの片手に勉強中、といったところ。
「ん?なんでs――――あ」
しくった。そう思ったのもつかの間、今の今までいた場所から消え、僕の真横に現れる。なんでこうもこいつの登場はホラー映画のようなんだ。
「……なんですか」
「いい獲物を見つけたって思ってね」
あからさまに嫌な顔を向けてみるもそれをスルーするかのごとく効果音のつきそうな勢いで参考書を顔先に出す。……おいおい、それ英文のテキストじゃんか、何がシグマだ。
「……数学やってたんじゃないの?」
「え?いや、今の今まで数学読んでたけど英語に変えたの」
効率が悪い、それはどんな人から見ても思ったことだろう。そうか、コイツはまともに勉強したことがないのか。中々岡西も酷なことをするな。復縁するならテスト合計が700点とか、ちょうど学年順位は中間くらいか?
「……せめて数分で変えたりしないで一時間ごととかで変えてほしい」
「そっちのほうが良いの?じゃあ次からそうする」
駅から直通の陸橋を降り、郵便局の前を通りながらただひたすら中原の疑問に答えていく。その姿からは絶対に復縁するという執念のものすら見える。ただメモ帳片手に歩きながらやっていることから第三者から見たら意味のわからない二人組となっていることだろう。
「聞きたいことがあるんだけどさ……聞いても良い?」
「何?春馬くん、別に良いけど……もしかして私のこと好きになっちゃった?」
「どうしてそこまで岡西くんに惚れ込んでるの?」
信号の前まで来るも赤に変わり、眼前を大きなワゴンが横切る。その後も立て続けに大きな音を立てながらトラックが通っていく。
「ん〜……なんでだろ。多分、最初は幼馴染だったから関わりが多かっただけだったんだけど」
「中一くらいだったかな?私が虐められかけた時があってね。最初はただのいじりだったと思うんだけど私のことをよく思わない人がいたのか」
「日を増すごとに激しくなっていって、でもそれを指示してる女子に殴り込みに言ったのが……」
「岡西くんだったと?」
「そ。それからその女子はしゅんとしちゃってその子の両親にも謝られてなんとか収まったって感じかな」
「まぁ、要するに命の恩人的な?そんな人なんだよ私にとって岡西晃汰っていう人物は」
信号が蒼に変わり、中原はゆっくりと歩みを始める。その姿にワンテンポ遅れる自分。
「そういう勇気を持てる人物だっていうところだけが好きになった理由じゃないよ?もちろん、優しいし、頭もいいし……」
スラスラと言葉が出てくる中原を僕は直視できない。嬉々として語るその姿を奇しくも眩しいと感じてしまったからだ。
いや、駄目だ。いくら中原がいい人だとしても、僕には……
「渚さんがいる」
その言葉に下げていた頭を上げる。
いる、僕よりも早く出発していたはずの渚が。渚、友達、そして……
「あ、小林もいる」
あの金髪である。渚を口説こうとしたり、岡西と中原が別れた大方の元凶とも言える彼だが、今回は様子が違う。何やら必死に頼み込んでいるのだ。土下座でもするのではないかという勢いで。
思わず通り過ぎようとするも、中原に手を引かれる。見に行こう、ということだろう。
本日初めてのため息をついた。
「……行くか、面倒だけど」
「決まりだね!ついでに渚さんとも話しておきたいし」
「?何か関わることあったけ?」
「え?明から聞いてないの?」
……何だそれ、めちゃめちゃ嫌な予感がする。
「渚さんも勉強会しに来るんでしょ?」
「……ああ、ああ、そういうことね」
心の中でガッツポーズをする。よくやってくれた、明。こんな勘違いしたらしたで下手に気を使いそうな人間によくここまで……
…………目があった、金髪と。途端に背筋が冷たくなる感触がした。
少し年代が古いかもしれないが、ヤンキーにはお礼参りというのがあるということを聞いた。もし僕があの口説きを止めたヤツだとバレたらどうなるか。想像ができない程馬鹿じゃない。
とっさに目を外す。
「……ごめん、僕先学校行ってる」
「え?な――――」
目の前の光景をその場に残し、僕は一人走り始める。中原の静止も聞かず、ただ走る。この後に起きるであろう惨劇を想像しながら。闇雲に走り続けた。
しばらく走り、視界に入ったベンチに腰を掛ける。どうやら学校近くの公園……とはいっても渚と利用するあの公園ではないがそこに僕はいるらしい。閑散とした公園、そんな言葉がふさわしい場所だ。
動悸が激しい。全力で走ったからなのか、はたまた金髪になにかされることを怖がっているのか。
ダサいな、そんな言葉が頭の中を駆け巡る。
「なんでこんなに僕は……」
その後の言葉を続けるのをやめた。今更どうしようともう意味はない。僕の学校生活はとうに破綻していた。それにあの金髪は関係ない。
キーコキーコと錆びたブランコから音がなる。
「あの、何してるんですか?」
ただ、それにしても僕の人生はなぜこんなにもいきあたりばったりなのか。意味がわからない。
「学校、すぐそこですよ?なんでこんなとこに」
「え?あ、うわあ!!」
目の前に女性の顔があった。瞬間的にのけぞり、そのままベンチとともに倒れる。ゴンと鈍い音が鳴り、落下ギリギリで頭に回していた手にゴツゴツとした岩肌が当たる。思っている以上に痛い。
「すいません、すいません。あまりにも珍しかったもので……私の学校の生徒ですよね?すぐそこ学校だし、制服同じだし」
ペコリとした後、黄色の頭が顔を上げる。いわゆるギャル……というやつなのだろうか。まつげは長く、顔は少しピンクっぽい。ぱっと顔を見た時頬を赤らめているようにも見え、唇には薄くリップクリームがぬってあるのかプルプルとしている。なんというか一瞬見ただけでそれを理解できる自分が気持ち悪く思えてきた。てか、なぜこんな陰の空気をだしている自分に話しかけに……?
「あ、ハイ。すいません」
「いえいえ、真顔ですけど別に怒ってるわけじゃないんで。ただ興味があって話しかけに来ただけなんで。確か二学年ですよね?」
「え、あ、ハイ、そう、です……」
「やはりそうですか、ではそろそろいつもの時刻が迫ってきているので私は先に学校へ行きます。またどこかで、春馬さん」
会話はそこで終了した。そのまま早足なのかどんどん背中が遠ざかっていく。その最中違和感、を感じた。
……僕名前教えたっけ?