第12話 ケ・セラ・セラ
春馬壮亮、人生初の迷子である。小さい頃から親の後ろをくっついて歩く彼は今まで迷子、というものを経験したことがなかった。もちろんクラスメイトに忘れ去られ置いていかれそうになったことはある。ただそれもそのクラスメイトの背中を追えば済む話だった。しかし、今は違う。知らない人の背中、土地感のない水族館、陽キャの巣窟のような場所の耐性がゼロである彼は心が折れていた。
それもこれも昔から人とかかわらず過ごしてきた己のツケである。ただ一つ良かった点を挙げるとするなら彼は一人ではなかったことである。
※※※
徐々に増えていく人の波に飲まれる。満員電車ほどではないにしても込み過ぎだろう。周りを見ても人、人、人……時折見える水槽からは大きなジンベエザメが悠々と泳いでいくのが見えた。今もなお掴み続けている服をゆっくりと離す。おそらく気づいていないだろう、ごめんなさい坊主頭の人。
さて、一難は去った……いや去ってないな。むしろ今が一番の難の部分だ。どうやってあの人らとコンタクトを取ろう。とりあえず迷ったときはスマホだ。
思い立った僕は水槽とは真逆の壁へと歩みを進める。壁につくと、ゆっくりとあたりを見回し人の邪魔にならない程度にカバンを下ろすと股に挟んだ。スマホをカバンから取り出し、黒一色の壁紙を眺めながら今使えそうなアプリを探し、スワイプしていく。
LIMEは……全員繋いでない。電話は……これまた誰とも繋いでない。そんな調子ですべてのアプリを見るも誰ともつながってはいなかった。そもそもLIMEの友達の欄が一桁の時点で察しである。
「僕って友達いないんだな……」
分かってはいたもののいざ面と向かっていないと分かると寂しくはなる。そもそも関わっていかない自分が悪いのだが。
ゆっくりとため息をつく。さて今日だけでもすでに二回はついている。今年の累計だけでギネスに載りそうな勢いだ。遠い目をしながらジンベエザメの姿を見続ける。意外と壁際は人が少ないから見えるのだ、先程よりも鮮明にジンベエザメの姿を拝める。
(何をやっても人に迷惑をかけるからなるべく関わりたくないのになぁ)
ゆっくりとまた視線が下を向いた。開きっぱなしのバッグとだらんと伸ばした手に握られたスマホ、そこから出る犬のストラップが目に映る。そういえばアイツからもらったんだっけな。一体何歳の頃だろう。
「……なんであんな事になったんだ」
いや、理由は分かっている。でも自然とその言葉が出てしまった。ゆらゆらと目の前が揺らめいていく。駄目だ駄目だ、こんなとこで。鼓舞するかのように自分の頬を叩くと前を向いた。
そこにはジンベエザメと渚がいた。
「え?」
ジンベエザメの水槽近く、人の隙間をぬって見えたのは渚の嫌そうな顔とイケメンの部類に入るであろう男だった。名前は覚えていないが、たしか岡西のツレだったはず。急いでカバンにスマホをしまうと今度は渚の歩いている方向へと向かう。ただ、いかんせん人が多いから進みづらいことこの上ない。
ゆっくりと、それでもジワジワと進んでいく。そして二人の姿を視界に捉えた瞬間渚の怒った声が聞こえた。普段聞かない声に一瞬身構えた僕に入ってきたのは渚の手を掴んで引っ張ろうとするイケメンと嫌そうな顔で拒否をする渚だ。
「やめて!別に貴方の事好きじゃないの!」
「いやいや〜そんなことないって〜ほら!オレ色んな人と付き合ったけど最初嫌いって言ってたやつも皆好きって言ってくれるんだよぉ〜?」
ヘラヘラとした態度と不気味にも見える笑顔が一瞬僕の頭の中に稲妻を落とした。ナン、パ?
「嫌!コウタさんの別れた原因も貴方なんでしょ?!そんなことするヤツ大っ嫌い!」
「まぁまぁ、最初はあの身長高い子もいいなぁ〜って思ってたけど今は君がいるし〜」
「だから!私は貴方のことが嫌いなの!手離して!」
瞬間的にすべてを理解した。気がつくと歩みは止まっている。身体が動かない。こういう時、真っ先に真っ先に動けるやつが主人公なんだろう。ただ僕は動けない脇役なんだ。手と額に汗が滲む。顎をなにかが伝い、ジワジワと冷たい何かが身体に広がっていく。
そんな中の一瞬だった。人混みが緩んだその瞬間、僕は間に入る形で渚を庇っていた。正直その時自分は、何がしたかったのかわからない。身体が勝手に動いていた、とでも言うのだろうか。まぁ蛮勇なんだろう。
「?なんだお前、ウチの……学校の生徒じゃねぇか」
「……ください」
「は?」
――嫌がる人を連れて行こうとするのをやめてください!――
館内全域に響くような大声だった。自分でも出してからびっくりした。一斉に道行く人の視線が集まるのが分かる。やばい、泣きそう。理由はわからないけど視界が歪んできている。
「な、なんだよ!別に何もしてないだろ!?」
「いいえ!されましたー!やめてって言ったのに連れて行かれそうになりましたー!」
渚があっかんべーをしながらこれまた大きな声で叫んだ。
金髪男はどうしようもない怒りを表すかのように肩を震わせ、こちらを睨みつけた
「……もういい!覚えてろよ!」
微妙に長めの髪を乱し、捨て台詞を吐きながら去っていく。人混みに阻まれながらもゆっくりと消えていく背中をただただぼーっと見ていた。
完全に姿が消えた時、緊張していた身体が糸が千切れるようにへたり込むと目から顎へと雫が伝った。バクバクとなる心臓が痛い。
「えーと……すいません!ご迷惑おかけしました!」
渚の声が聞こえるとそのまま僕を引っ張るかのように腕を掴み、アイツとは逆の出口へと向っていく。慌てて体勢を立て直し、手を引く彼女についていく。その際人の視線に気づいて真っ赤になっていたのは僕だけではない、彼女の顔もまた真っ赤だった。
※
「ううん、沙羅にこれをお土産にするのはすこし気が引けるな」
水族館に着いてから真っ先にお土産ショップへと足を運んだ僕は妹、家族へのお土産を考えるべく数十分前から選びに選んでいた。こういう場所は個人的に目いっぱい楽しめるよう最初にお土産を選ぶのだ。とはいっても今回はすこし難航していて、決まりそうがないからグルチャでもう先に行ってほしいとの旨は伝えた。つまりまだまだ悩める。
店員のジトッとした視線さえなければまだまだ悩めるんだけどね。店員に見せつけるかのようにため息をつく。
「いや、でも案外こういうぬいぐるみのほうが女子は喜ぶよなぁ」
「うんうん、私だったら嬉しいよ」
「だよなぁ〜あ!っじゃあこういう小さいやつでも喜ぶのかな?」
「あ〜!ソレ一番良いよ!ストラップみたいにもなるしサラちゃん大喜びだと思うよ!」
「おし!決まったぁぁぁ……あ?」
ちょっと待て、今僕が会話しているやつは誰だ。声の方を見てみるとそこには中原が立っている。空きぱなしの口をゆっくりと閉じ、キュッと結ぶ。手汗がひどい。
「やほやほ、久しぶりだね」
そう言いながら優しく微笑むとこちらをクリクリとした目で見つめる。身長が高いのに顔は幼いもんだから……モテるのも納得だ。ただなるべくドキドキしてることを悟られないように振る舞う。
「……なんでマスクしてんの」
「え?えーっと、ちょっと風邪気味でね」
「そうか、じゃあまたどこかで――」
「いやいや、行かせないよ?というかそれお会計してないでしょ」
逃げる方向に立ちふさがる中原、いやフミ。なんだか童話のクマのようなのっそりとした動きでやるもんだから目立ってしょうがない。それでもまっすぐ見つめてくる彼女を見ずに返事をした。
「わかったよ、とりあえずお会計してくるから待ってろ」
「いやいや、絶対そのまま逃げるつもりでしょ!そうはさせないぞ!」
「あーもう分かった分かったいてもいいから一回離れて!恥ずかしいから!」
「え〜なんでよ〜彼女なんだから良いじゃん」
一瞬持っていたクッキーのお土産を落としかけた。危ない危ない、ただでさえ一瞬で決めた親へのお土産なんだ、クッキーが粉々だったら合わす顔がない。
いや今考えるのはそっちじゃない。なんて言った?カノジョ?まだそう思ってくれているのか?もういい加減……いや、いいや。
「……元、な」
「いいもーん、私は認めてないから!」
「フミが認めてなくとも関係ないね。僕が別れたって言ってんだから」
「そもそも、理由があやふやなんだよ!何が釣り合わないから別れよう、よ!お互いが好き同士なんだからそんなの考えなくていいじゃない」
とりあえずゴタゴタ言っている人は放っておいて会計を済まそう。終わったらダッシュだ。足の速さには自信があるんだ、陸上部舐めんなよ。店員に優しく商品を渡し、一万円札を用意する。ピン札はこういう観光地でこそ役に立つ。
さてここからはピッタリと後ろに付いている中原をいかに混乱させ逃げ切れるかが問題だ。
「ねぇ、私達もう一度やり直さない?」
ただひたすらに逃げることを考えていた僕に何か悪いものがついた気がした。全身から汗が噴き出し、徐々に服が湿ってくるのが分かる。あまり好きではない感覚だ。あと少しでダッシュ、というところで出鼻をくじかれた僕は肩を震わせながらも次の言葉を考えていた。
ここで本音を言うべきか。はたまた無言で逃げるべきか。向き合うか、向き合わないか。
「……やり直さない、絶対に」
見ずに、震えながら思っていた言葉を口に出す。やはりこういうときは本音を伝えたい。そしてああ言ってしまったという罪悪感とこれでもう諦めてくれただろうという安堵感から手足から冷たく凍っていくのが分かった。
後ろに立ったまま動かないフミに違和感を覚えた僕は何気なく後ろを振り返る。そこには目に大粒の涙を溜めた状態のフミが立っていた。
(この雰囲気はまずい、おそらく持って数分……)
瞬間的にこの後のことを予測した僕は当たりを見回し、出口を探す。昔から身長が高かったフミは泣くだけでも相当目立つ。このままじゃここで泣かれて変な空気感の場所が出来上がるだけだ。ああそんなうるうるとした目でこちらを見ないでくれ、心が痛む。
「とっとりあえず、外行こっか?」
「……うん」
今にも爆発しそうな爆弾の手を取り、ゆっくりと僕は出口へ歩き出した。今度は丁寧に、ぶっきらぼうに扱うのではなく優しく手を握った。その時また僕はこう思うのだ、ああこの手を離したくないな、と。