2.
黒塗りの高級車と並んで駐車場に入る。車の少ない隅の方へ停車すると、運転手さんは一つ開けて停車した。
車を降りていると、なんと運転手さんが恭しく高級車の後ろのドアを開ける。スモークで見えなかったが、人が乗っていたのだ。
降りてきたのは、テレビ等でしかお目にかかったことのない装束の男性だった。
「こんにちは。この度はこちらのカシム……彼がすみません」
「あ…ええと、は、はい…」
屈強な黒スーツの男性が運転手。恐縮というより萎縮してしまう。明らかな存在感と畏怖を抱かせる相手だ。と、その時。異国の装束をつけた男性の手から小さな毛の塊が飛び降り、こちらへとかけてきた。
「あっ、mike」
「えっ」
デニムの裾を駆け上がり、小さな獣があっという間に自分の肩へたどりつく。
「えっ、ねこ?」
うなじから耳の後ろをすりすりとこすっているのは、小さな猫だった。
「あなた、猫が好きですか?」
「ええと…そうですね」
好きというか、好かれるというか。
「この子がこんなに懐くのは面白いね」
「アディル様……」
「わかっているよカシム。まずは事故の保証の話をしよう。いいですか?」
「…?はい」
そう言うと、彼はカシムさんに目配せをした。すると彼は頷き、手早く俺の車の写真を撮影してどこかへ電話をかける。どうやら保険屋らしく対応をスピーカーで聞かされるのだが、時々カシムさんの説明が要領を得ない。
「その時の状況ですが……」
と、横から口を挟んで対応を手伝う。猫をぺりっと肩からはがし、両手で包んでアディル様と呼ばれた男性に会釈してそっと手渡す。ねこはごろごろと彼の腕に戻り、上機嫌そうだ。
幸いにもいい保険会社で話はとんとんと進み、自分のディーラーにも電話して修理の手配が整った。
「お仕事へ向かわれる途中でしたか。遅刻させてしまい申し訳ありません」
「ええ、でもいいんです。そろそろ転職しようと思っていたので…」
「えっ。そうなのですか?」
「はい、まあ、上司と折り合いが悪くて」
さて今から車を預けにいって代車で出勤…と、うんざりしながらため息をつき、自社へ電話をかける。
『いつまでも何やってんだ!』
いつもの怒鳴り声が響いた。
『さっさと終わらせて出社しろ!』
「は…」
い、と答える間もなくスマホを後ろからアディルさんにひょいと奪われてしまう。この人も身長高いな?
「恐れ入ります、私、彼の車に追突をした者ですが」
『ああ?!』
「本日より彼は出社をしません。今後は退職エージェントからご連絡させていただきます」
『は?』
ピ、と無情にもそこで電話は切られた。
「ちょっと電源を落としますね」
「え、ぇえ?」
電源を切られたスマホを手に、再び呆然とするしかない。目の前で起きた意味のわからない行動に、頭の中がめちゃくちゃになる。そりゃ、さっき転職したいって言ったけど!!
「ちょ、俺の仕事は」
「あなたは猫に好かれています」
「はい?」
全然会話になっていませんが。
「なので、うちで働いてください」
にっこりと、微笑んで。
「仕事は基本的には猫のお世話になりますが、お給料は今の会社の倍は出せます」
「…え?」
「それと、できれば住み込みでお願いしたいので…お家賃もかからないかと。もちろん正社員です。」
住み込みで猫の世話をして今の給料額以上が保証され…通勤がない。そんなうまい話が
「なんで俺に?」
「先ほどの事故の手配の様子を見ていました。あなたは誠実でまじめな人です」
「それだけで?」
「ええ。あと、うちの子が懐いた。これは大きな理由です」
ああ、さっきの子猫。
「転職する、っておっしゃってましたよね」
「それは…そうなんです、けど」
「何か他に気になることが?」
気になることだらけなんですが!
「はは、改めて条件などを提示しましょう。まずはあなたの車を預けにいって、それから弊社へ来ていただけますか?」
「…はぁ…」
ここまでめちゃくちゃであれば、もう今日は何が起きてもおかしくないかもしれない。
「よろしく、お願いします」
これから何が始まってしまうのだろう?