石田三成の独白「分水嶺ってなんですか?」
石田治部三成は、徳川軍によって六条河原に引きずられ、これより彼の公開処刑が始まろうとしていた。
ーー私にとって分水嶺とは、何だったのか?
三成は、関ヶ原での出来事を思い描いていた。
否、関ヶ原ではない。分水嶺といわれる場面はもっとあったはずだ。
五奉行にまでのぼりつめた奉公、そして太閤様への忠義心。
それがいつしか憤慨や野心に変わっていったのは何の所為か。
「あるいは、石田治部殿と自分は似ているところがあるのやもしれぬな」
そう言って笑ったのは大谷刑部吉継、あの男だったはずだ。
ーーそうだ、私はあの男に会って、変わった。
私は敵を作らぬよう、太閤殿下のもとで常に立ち振る舞ってきていた。
しかし大事なことを忘れていたのだ。
敵を作らぬことにかまけて、味方が誰一人と居なかった。
ーー私にとって、刑部という存在は確実に分水嶺だったのだ。
ーーあなたが、変えたのだ。私を。「友」である、あなたが!
「干し柿があるぞ。死ぬ前に食っておけ。食わぬとあの世でも後悔するだろう」
処刑人の一人が、せめてもの気遣いにと、用意したささやかな名物だったが。
「断る。腹を壊してはいかぬでな」
「ははァ、傑作だぜ。殊勝なこころがけよ。死ぬ前に腹の心配をする者がおろうか」
処刑人が笑っている合間に、刑部の亡骸の傍にあったという品々の中で大事に隠し持っていた、一片の書を手に取った。
「契りあらば 六つの巷で 待てしばし 遅れ先立つ ことはありとも」
「はっ・・・?!!」
これは、私に向けて書かれた辞世の句ではないーー
このような話をしていた相手を知っている。
それは平塚為広という若武者であった。
ーーおそらくは、平塚の傍にも刑部への歌が残っているのだろう。つまり、「友」は私でなくともよかったのだ。そして、私は独りになったーー
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と ともに消えゆく 我が身なりけり」
ーー思うに
ーーもう少し・・もう少し私は人に好かれる人間でありたかった! なあ・・大谷刑部よ!!
三成は切腹し、これに一つの時代が幕を降ろした。
そういえば大谷翔平選手、50-50おめでとうございます!