空が高すぎる
ユウジは僕と同じ、母子家庭だった。でも、彼の家庭の方が複雑で、下の、二人の弟と妹とは年が離れていた。父親が違うらしかった。
高校一年から同じクラスだった。それは、男子が少ない高校ゆえ、当たり前のことではあったけれど。このまま、三年まで、同じクラスでいくはずだった。
ユウジにおかしな噂が流れはじめたのは、高二の夏休み明けからだった。
「やくざものと付き合っている」まことしなやかに、噂は尾ひれをつけて自在に泳いでいた。あまりのことに担任も、ユウジを職員室に呼び出す始末だった。
一年の頃から同じ出身中学の友達と少ない男子を集めて、バスケットボールの「同好会」を作った。ぎりぎりの人数ゆえに、練習も、ままならなかったが、女子バスケとの練習で試合感を養っていた。でも、聞けばほんとは、女子とぶつかり合うのが楽しくて、みたいなことだった。そんなことだから強くなるはずもなく、存続の危機も囁かれていた矢先だった。
一度たった噂は、75日を過ぎても薄れなかった。75日過ぎる前に、ユウジが、学校に来なくなったからだ。鹿児島の繁華街「天文館」で大人達と歩いていた、その人たちで、若いお兄さん方を取り囲んで、カツアゲしていた、なんてこともささやかれ出した。
その日は朝からユウジが学校に出てきていた。口さかない奴等は、何時に帰るか掛けていた。誰もユウジには声をかけることはなく、同じ中学の奴らでさえ、遠巻きにしていた。そんなんだから、長居できるはずもない。
「ユウジはいるか?」担任が昼休みに泡食ったようすで、教室に駆け込んできた。ユウジは弁当を食べる前にバックレていた。
「野球部は?」
「はい?」
「ユウジは野球部に入ったのか?」
「えっ!?いいえ」
「そうか。・・・お母さんが、うちの子が野球部に入るからとユニホーム代をもっていったが一向にユニホームを見せてくれないんだがどうなってるのか?と電話があった」先生はそういうとそそくさと教室から出ていった。
帰りのホームルームで、
「ユウジを見掛けたら、生活指導か、私の家に、電話をくれ。もう一週間帰ってないそうだ。お母さんがかなり疲れてらっしゃる」両手を教卓について、頭を下げた。一大事だと誰もが思った。
それから一週間もしないうちに、僕の高校生活で最大の出来事が起こった。ユウジのお母さんが事故を起こした。
鹿児島市内の教会の帰りに、二人の子供をのせたユウジのお母さんは、一路、姶良市を目指して走っていた。国道10号線の帰り道、四車線から二車線になる場所で、対向車の車と接触事故を起こした。あとから聞いた話だが、その接触のあと、止まることなく走り続けたお母さんに、まだ保育園の娘さんが、
「ママ、大丈夫?ママ、大丈夫?おうちに帰れるの?」と何度も繰り返してきいたそうだ。上の男の子はただ、黙って座っていたそうで、その時のお母さんは、とても怖かったと話している。
姶良市に入ってすぐに、対抗してきた大型トラックに、真正面から突っ込んだ。お母さんは大怪我だが意識ははっきりしていた。息子さんは重体だか命はとりとめたそうだ。でも、娘さんは、神様が、高い高い、空に連れていってしまった。
中学からの友達はトイレで泣いていた。それをみて、
「青春ドラマかよ」と笑うやつもいた。とたんに喧嘩になった。悪いのは誰なんだよ!?自業自得じゃないのか?そんなことの繰り返しだった。しばらくはそんなことが続いた。
ある日、担任が葬儀に出た時の話をしてくれた。
「ユウジが来ていた。親戚のみんなに、罵られていたよ。お前のせいだ、あのこを返せ、お前が死ねば良かったんだ、とな」先生は続けた。
「かばうこともできたろう。そうなるまで、あなた方は何してたんですか?助けてあげることはできなかったんですか?学校では、夜な夜な、ユウジ君を探してまわったんですよ、あなた方はどうですか?そう言いたかった」先生は、泣いているようだった。
「明かりの下の、とても小さな棺の中の、妹さんがいる前で、大騒ぎにはしたくなかった。ユウジも泣きながらも、すべてを受け止めていたよ」
高校生のユウジにすべての罪をなすりつけて、親戚連中は安寧としていたかったんだろう。ユウジは高校をやめて、街を離れた。
あのとき、ユウジを取り巻く大人達を、薄汚い卑怯ものと蔑んだけれども、じゃあ僕らは、ユウジに何をした?結局は僕らも、あの大人達と変わりなかったんじゃないのか?それぞれが自問自答を繰り返した。