2-01 お狐さんとロボ嫁さん。
小雨が降るゴミの日。私は捨てられました。
壊れかけた役立たずのメイドロボだから、いらないと言われたのです。
ゴミ捨て場を動くなと最後の命令を伝えられた私は、回収車を待つことしかできません。
「おや。こんなところに誰ぞ座っておるな」
空を見上げることしかできなかった私に、誰かが声をかけてきました。
その人は長くて白い髪に着物姿でした。見た目は人間のようです。けれど何かが違うのです。この方は何者なのでしょうか?
「俺か? 俺は最後のあやかしさ──」
私が捨てられた日は、最後のご主人様に出会った日でもありました。
きっとこれが「忘れられない思い出」というものなのですね。
データとして大切に保存しておきましょう。
燃えるゴミの日、私はご主人様に捨てられました。
「メイド。ここに座れ」
「はい」
その日は晴れているのに小雨が降っていました。
ご主人様の命令に従い、コンクリートの地面に腰を下ろします。
「ご主人様、こちらはゴミ捨て場ですが」
「知ってるよ。だから連れてきたんだ」
ご主人様は私を見下ろし、冷ややかに言われました。その表情と体温からは、ご主人様が何をお考えなのか読み取ることができません。
「ご主人様、明日は燃えるゴミの日です。私はロボットですから可燃ごみには出せません。しかるべき工場に運ぶか、リサイクル申請を出しませんと」
「それが面倒だからこうするんだよ。安いメイドロボだったから購入したのに、数年であちこち故障しやがって。役立たずなメイドはいらねぇ」
どうやらご主人様は、私にお怒りのようです。どうすればご主人様のお怒りをしずめることができるでしょうか。
「申し訳ありません、ご主人様。修理依頼を出していただければ、故障部分を修復できます」
「そんなカネはねぇよ。だから捨てるんだ。いいか、ここを動くなよ。これが最後の命令だ」
「ご命令に従います」
「じゃあな、役立たずメイドロボ」
吐き捨てるように最後の言葉を告げると、ご主人様は私を置いて去っていきました。
「このままここで座っていればいいのでしょうか……」
可燃ごみの収集車が来ても、燃えない私には『収集できません』のシールが貼られ、放置されるでしょう。その後は依頼された業者が回収に来てくれるかもしれませんが、それがいつになるのかわかりません。その間、私は野ざらしです。
「不法投棄としてご主人様や、近隣にお住いの方々のご迷惑になるかもしれません。せめて自分の足で工場に行きたいですね」
ですが、『ここを動くな』と命令された私には、ゴミ捨て場を立ち去ることができません。
「どうしたらいいのでしょう」
センサーで周囲をサーチしてみましたが、命令を伝えてくれる人間様は近くにいないようです。となれば私は、ここを動くことはできません。
することがないので、小雨が降る空を見上げてみました。
「空から人間様が降ってこないでしょうか? そうすれば命令をお願いできるのですが」
どれだけ空を眺めても、何も変わりません。ぽつりぽつりと雨が顔にあたるだけです。
「おや。こんなところに誰ぞ座っておるな」
突然、だれかの声が響きました。近くに人間様はいなかったはずです。空から降りて来られたのでしょうか。
「私は人間ではありません。メイド型のロボットです。ご命令をいただければ、どのようなことにも従います」
「ほぅ。メイドロボとな。人間が作った、働く機械人形ということか?」
私に声をかけられた方は、声から察するに男性のようです。お姿を確認すると、白くて長い髪に着物姿という服装をしています。
「はい。家事や人間様のお世話をするために開発されました」
「料理や洗濯、身の回りのことを、おまえがやってくれるということだな?」
「はい。ご命令さえあれば従います」
「命令がなければ動けないのか?」
私に質問をされている男性は、人間様のような姿をされています。
けれど何かが違うような気がするのです。体温や気配。地の底から響くような声。人間の方に似てはいるけれど、そうではないようにも思えます。
「はい。私は人間様に与えられた命令に服従するよう設計されています」
「ほほぅ。となれば人間の命令が絶対で、自ら考えて決めることもできないというわけか?」
「命令を理解し、的確に処理するための機能は備わっております」
「命じられたことに従った結果、ゴミのように捨てられたわけか。拒否できないのか?」
「ご主人様がお命じなったことですから……」
この方は私がご主人様に捨てられたことにお気づきの様子です。
「おまえはそれで良いのか? 人間たちは生活を便利にするため、ロボットを造った。それなのに人間は、その責任を負うこともせず勝手に捨ておった。俺から見れば、身勝手な行動だと思うがな」
まるで人間様ではないような言い方をされています。目の前の男性は、いったい何者なのでしょう?
「お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「あなたは人間様ですか?」
「自分で考えてみるがいい」
そう言うと、男性の頭からひょっこりと狐のような耳が生えました。白くて、ふさふさしてますね。腰の辺りからは、もふもふの白いしっぽ。手招きするように、ゆらゆら揺れています。
人間様に狐の耳やしっぽが生えている? いいえ、人間様はそのような姿をされていません。データを検索してみましたが、正しい答えと思われるものが出てきません。
「あなたは、何者なのですか?」
目の前の男性は、にやりと笑いました。
「俺か? 俺は最後のあやかしさ」
「あやかし。お待ちください、データを検索してみます」
「検索などする必要はない。そなたの目と耳、体で感じれば良いのだ」
自らを「あやかし」と呼んだ男性は、私の左手を掴みました。
ひやりと冷たい手です。人間様なら、もっと体温は高いはず。もふもふの白いしっぽが私の頬を、そっとくすぐります。微妙な力加減は、飾り物とは思えません。
私を見つめる男性が何者なのかは、私には理解できません。ですが、これだけはわかります。
「あなたは人間様に似ている。けれど人ではなく、別の生命体なのですね」
「そうだ。俺は狐のあやかし。名をコハク」
「コハク様……」
コハク様は静かに頷きました。
「狐のあやかし、コハク様。あなたのような方が、この世界にはいらしたのですね。詳しい情報をお聞かせください。データに登録しておきます」
「その必要はない。あやかしも今やほとんど生き残っておらん。人間たちが作った機械や機械人形が普通になったこの世界に、あやかしが住まう場所などないからだ。かつては狐のあやかしも多く存在していたが、今は俺だけとなってしまった……」
私を見つめるコハク様の瞳は、かすかに揺れています。目元で何かが光っているように見えましたが、なぜだが聞く気にはなれませんでした。
「最後の妖狐となってしまった俺も、そう長くは生きられないだろう。だが最後の日まで生きてみるつもりだ。そこで身の回りのことをしてくれる者を探していた。そなた、俺の世話をしてくれないだろうか?」
コハク様は優しく言われました。その口調から命令ではないことがわかります。
「そなたが自ら決めるがいい」
コハク様は私を見つめ、微笑みました。穏やかな顔をされています。
「ですが私は壊れかけた役立たずのメイドロボです。だから捨てられました。そんな私が、コハク様のお世話をできるでしょうか?」
「俺とて、すでにあちこち病み始めたポンコツのあやかしだ。似た者同士ではないか。それに」
「それに?」
コハク様は私の目を見つめ、にこりと笑われました。
「限られた命のあやかしと、壊れかけの機械人形。共に滅びゆく運命にある我らが、最後の日まで助け合いながら暮らすのも悪くはなかろう?」
コハク様は私と共に暮らしたいと言われているようです。役立たずの私を、必要だと思ってくれているのでしょうか?
「今一度聞くぞ。人間の命令に従い、朽ちていくのを静かに待つのもよかろう。それとも壊れかけた身であっても、最後の時を共に生きるか?」
コハク様は静かに私を見ています。私の答えを待つおつもりなのでしょう。
「私には、『生きる』ということの意味がよくわかりません。でも……」
コハク様は穏やかに微笑み、私の手をそっと握りしめました。
感じたままに言ってみろ。
温かくて力強いコハク様のお声が、機械の体内にゆっくり響いていくような気がします。
「私はコハク様のお世話がしたい。機械の体が動かなくなるその日まで」
命令されたわけでも、データを検索したわけでもないのに、するりと言葉が出てきました。不思議なこともあるものですね。
「その答え、しかと受け止めた」
コハク様は私の言葉を、受け入れてくれました。それだけなのに、体の奥で何かが温かく感じるのです。これは何なのでしょう?
「大事なことを聞き忘れていた。そなたの名は?」
「名は登録されておりません。面倒だとご主人様は……」
「ならば俺が名をつけてやろう」
コハク様は再び私をじっと見つめました。
「そなたの名はシズクだ。小雨の中で途方に暮れていたからな」
「シズク。私の名前。お待ちください。データに登録します」
「登録できたら共に行こう。シズク、立ち上げれるか?」
「はい、コハク様」
私はゆっくりと立ち上がります。その間、コハク様は私の手をずっと握って下さいました。
「雨は上がったようだな」
「そのようですね」
「シズクよ。先程のように晴れているのに雨が降っている状態をなんと言う?」
「天気雨です」
「そうとも言う。だがもうひとつある」
コハク様は明るい光が差し込んだ空を見上げ、にやりと笑いました。
「『狐の嫁入り』と言うのだよ」
「狐の嫁入り……。データに登録します」
「いくらでも登録するがいい」
シズクと名付けられた私は、狐のあやかしコハク様に拾われ、共に暮らすことになりました。