2-16 毛玉悪魔と探すのは、醜い私の願いごと
中3の小萩は、卒業式までの1週間、自身の『醜い願い』を探すことになった。
きっかけは、お世話をしていた祖母の葬儀後、ラップ音の恐怖に、たまたま見つけたスピリチュアルの本から天使を召喚、のはすが、なんと悪魔・ルシファーが!
願い事がないという小萩に、激怒したルシファーは『貴様の醜い願いを見つけなれば、黒猫・ひじきの命を貰う』と告げる。期限は1週間。
小萩はひじきを救うべく、自身の願いを見つめるなか、クラスメイトの元気女子・天川真白をはじめ、陰キャイケメンの青山桔平、さらにはメイク男子・代々木瑛太が小萩の協力者に。
一方、ルシファーの策略で、彼の部下・ベルゼブブが学校に転入、さらに、出るつもりがなかった学園卒業パーティ『プロム』に参加することになり……
たった1週間。だが、小萩にとって、忘れられない1週間が、今、始まる──
中学の卒業式までの1週間のことを、父の妹である菫ちゃんに説明するため、離れの自室に連れてきた。
それは、あの夜の、この窓から、始まったんだ。
菫ちゃんは部屋から見える、狭い庭に置かれた小さな花束を、じっと見つめている──
──夜中の1時を過ぎたのに、全く寝られない。
喪主の父は、亡くなった祖母の手続きなどでまだ休みと言っていたけど、中学の卒業式を控える私は、あと1週間、学校に通わなくてはいけない。
なのに、耳が冴え渡り、電気も消せず、ベッドから天井を睨みつづけている。
「どうしよ……」
つぶやいたと同時に震えたスマホに、私は悲鳴を飲み込んだ。
取り上げると、継母の連れ子であり、同級生でもある姉の美姫からだ。
『おはぎ、ハンバーグ』
私の名前は小萩だが、長くぶ厚い黒髪のせいか、出会ってから3年間、おはぎと、わざと呼ばれている。
そんな彼女は、食べたいものを夜中に予約送信するのが日課らしい。だいたいクリアできないが、今回はどうにかなりそうだ。
こんな理不尽な毎日のお弁当作りも、高校になれば学食も購買もあるから楽勝! ……なんて思っていたのに、いきなり独身の叔父の家に行けとか、大学までストレートの私立を辞めて、来年公立高校を受け直せとか……
そんなことなんかよりも、──仏間だ。
ピシ。
まるで存在感を示すように音が鳴る。
私は寝転がる黒猫のひじきのお腹をつまみ、恐怖を和らげようとしてみたが、思いっきり噛みつかれた。
「いだっ! ちょと、妹が怖がってるんだよ? ひじきはお兄ちゃんでしょ?」
兄と呼ばれたひじきは、フンと鼻を鳴らし、毛繕いを始める。
「ねぇ、これ、おばあちゃんの霊、かな……? もう20歳だし、半分妖怪じゃん。わかんない?」
なぜか小声で尋ねてしまったが、ひじきは気にもならないようだ。
だが、時間が経つにつれ、恐怖が消えるどころか増していく。
それもそうだ。
少し前まで、祖母は居間を挟んだ仏間で生活していたのだ。
夜中に呼び出しはもちろん、24時間、テレビはつけっぱなし。
常ににぎやかだったのに、この静けさが祖母がいなくなった意味のようで、私は寂しさよりも恐怖で胸がいっぱいになる。
葬儀の関係で昨夜まで母屋にいたのもあり、離れで初めて1人の夜に、この仕打ち……!
ピシ!
音の大きさに、私はひじきを抱えて起き上がった。
だが、本棚に肘を打ち付けた。ベッドの横にある窓から逃げようと、体をひねったのが災いした。
肘をしつこくさすりながら、落ちた本を拾い上げていく。
これは菫ちゃんの本だ。
昔、スピリチュアルにハマっていたらしく【宇宙通信】や【神心】など、想像がかき立てられるタイトルが並ぶ。
最後の本は、ページが開いて落ちていた。
何気なく見てみると、そこには魔法陣らしき絵と、魔法陣の使い方が書いてある。
『月夜のなか、図の上で、塩(天然塩が良い)と酒と血を捧げ、想いを込めて願って下さい。大天使が貴方の守護天使として降りてきます』
……これだ!
祖母の霊には、大天使で対抗するしかない!
私は手首のゴムで髪を一本にしばり、気合いを入れる。
冷たい床を裸足で跳ねるように移動し、居間に通じるドアノブを握ると、私は息を止め、飛び出した。
暗い居間を挟んで、向かい側が仏間だ。
伏せ目でとらえた仏間への引き戸は、ぴったりと閉じている。それに安堵したのもつかの間、音が!
まるで馬の鞭のよう。私はダッシュで台所へと飛びこんだ。
台所の電気を素早くつけるも、茶箪笥の隙間など、見たくない箇所はいくつもある。
小皿に、手早く粗塩と本みりんを入れ、再び息を止めて自室へ走る。ただ、息を止めている理由は、私もよくわからない。
飛び込むように部屋に戻ったが、小皿の中身は無事だった。
すぐにカーテンを開け、窓を開き、かろうじてできたスペースに本を開くと、小皿を図の上へ置く。
ひじきが小皿の匂いをかぐので、舐めちゃダメと声をかけながら電気を消すが、街灯の灯りで部屋の輪郭がぼんやりと浮かぶ。
慣れた足取りでベッドに乗り、枕の穴を塞いでいる安全ピンを取り、それを指に刺した。みりん塩が絞った血で濁っていく。
「……あ」
小皿に見つけた。
ひじきの黒いヒゲと爪だ。
これは猫飼いあるあるじゃないだろうか。料理に隠し味で毛が入ることがあるのだ。
生贄は多い方がいいかと、私はそのままにし、どこにあるかわからない月に向かって念じることにした。
大天使さま、どうか、守ってください…大天使さま、私を守って……
何秒祈っただろう。
ただ、祈ったことで思ったことがある。
「なにしてんのかな」
思わずつぶやいたが、冷静な客観視だ。
私は、電気をつけたまま無理やり寝よう、そう決めた。
スイッチを押し、明かりに目を細めながら振り返ったとき、私の体が固まった。
部屋の中央に、黒い、長身の男が、立っている──!
動けない私をよそに、極度の人見知りのひじきが、たるんたるんのお腹を揺らして近づいていく。
「ほぉ、重厚ボディの猫だが……抱き心地は、最高だな」
慣れた手つきで猫に頬ずりするその男は、北欧系の美男子なのに黒髪。でも目はアイスブルー。さらに、背には純白の両翼がある。服は黒のベストを着込んだスーツだが、裸足。
頭の先からつま先まで、違和感しかない!
だが、ひじきが懐いているのを見て、冷静になっていく。
わかった。
あたしが電気をつけに背を向けた隙に、窓から入り込んできたんだ!
スマホの場所を目だけで確認。男を挟んだベッドの上。
男はひじきを大事そうに抱えながら、偉そうに笑う。
「女、まさか、このわしを、ルシファーを、呼び出すとはな」
映画で知ってる。ルシファーというのは、悪魔のことだ。
「……悪魔?」
「上級の元天使、今は地獄の支配者だ」
完ぺきに、出来上がったコスプレ不審者だ……!
早くひじきを助けないと!
だが、自分をルシファーと名乗った男は、いやらしく笑いながら指を1本立てた。
「願いを1つ、叶えてやろうじゃあないか、女」
「いえ、あの、結構です……ひじき、あ、猫を返してほしいんですけど」
鼻先に突きつけられた男の指先が、銃口のよう。
「願いを、言え」
威圧的で冷徹な声だ。
それでも私ははっきりと答えた。
「ないです」
「ないわけないだろぉっ!?」
被せるように否定されたが、思いついたのは、フライパンの買い直しくらい。世界征服やお金持ちも、なんだかリアルじゃない。
確かに、卒業後のことも頭にチラついけど、それはどうにもならないのはわかっている……。
ふと見たルシファーの瞳が、青から真紅に染まっていく。
「わしを愚弄するか」
「愚弄って……」
あまりの気迫に喉が詰まる。
「貴様の醜い願いを、7日後の下弦の月までに叶えなければ、この猫の命をいただく!」
片手でひじきを持ち上げ宣言した。
驚きに瞬いた瞬間、嘲笑じみた笑顔が眼前にある。
『これは呪いだ。覚えておけ』
息ができない。鳴りだす歯を止められない。赤い目に飲まれる。意識が遠のいていく────
息を吐いた。
だがそれもそのはず。8kgが胸から腹にかけて伸びている。
ひじきを転がし、背伸びをしながら、カーテンを開きつつ、変な夢だったと思い出していた。
仏間がピシピシと鳴るので、怖くて天使召喚のおまじないをしたら、悪魔が出てきたという、とても変な夢。しかも、私の願いが叶わないとひじきの命を貰うだなんて……
窓のへりには、本と濁った小皿がある。
「……あほくさ」
私は顔を洗い、制服に着替えると、母屋のキッチンへ。ミキのお弁当と、みんなの朝食を作らなければならない。
厚焼き玉子でハートを作り、ひと口ハンバーグとタコさんウインナー、ピーマン金平にちくわチーズをつめ、ポテトサラダを隙間に埋めて完成。ご飯はおにぎりを3つ握っておく。
朝食には、鱈の味噌漬け焼きと味噌汁、ベーコンとアスパラの炒め物をテーブルに並べておく。
お弁当用の残ったおかず、朝食のおかずと味噌汁を2つずつ、盆にのせて離れへと急ぐ。
もう7時に迫る。
祖母のトイレの時間だ。少しでも遅れると、学校に行くまで、ずっと怒鳴られてしまう。
足を速めたとき、気がついた。
「お婆ちゃん、いないんだった……」
2人分のおかずを見下ろしながら、しょうがないかと離れのドアを開けた。
だが、居間から音がする。つけていない、テレビの音だ。
短い廊下を過ぎ、居間を仕切る竹の暖簾の隙間からそっと覗くと、テレビの前に座布団を敷き、画面を見つめるひじきがいる。
座布団の近くにリモコンがあって、踏んでつけちゃったんだ。
「ひじき、テレビ見てたのー?」
覗きこむと、やっぱり。座布団の近くにリモコンがある。
「朝食とは、気が利くな、女」
どこから声がしたかわからず、テーブルに盆を置いて見回すが、
「こっちだ、女」
どうみてもひじきから声がする。しかも右前足を上げ、手招きしだした。
「……うそでしょ? 本当に妖怪になったの、ひじきっ!」
感動と感激で、ひじきを抱きしめたとき、ひじきが言った。
「わしは、ルシファーだが?」
「……は?」
感動が絶望へ変わるのに、時間はかからなかった。
竹の暖簾が、叩かれた。
私の体が固まる。
継母が、来たのだ──