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2-13 愛みのリリウム

 ――また一人、この学園の生徒がいなくなったそうよ。


 神に気に入られ、死ぬよりも早く神のもとに行ける『神隠し』は、とてもすばらしく、誇らしいこと。

 自分もそのようになりたいのだと、少女たちは言った。

 神は祈りを捧げれば道を示してくれ、死後は魂を楽園へと導いてくれる。

 御使いは神の言葉を伝え、過去を語り、未来を語る。

 そして、悪魔は人の魂を喰らう。


 子爵家の養女、リリアンは何度も教会に足を運んだ。

 両手を組み、大きなステンドグラスに祈りを捧げる。

 神に祈るたびに、自分が無力だと感じさせられた。

 けれど、神に祈らざるを得なかった。


「どうか、私の大切な人たちを幸せにしてください」

「――あなた、神になんて祈らない方がいいわ」


 大きなステンドグラスを背に、黒髪の少女が言った。

 色が散りばめられたガラスは陽射しを浴びて煌めいている。そこには異様なほどに真っ黒なドレス。紅色の瞳はまっすぐと前を見据え、口元に笑みを浮かべている。


「どうしてでしょう?」


 亜麻色の髪の少女が尋ねる。小首をかしげると、緩やかにウェーブのかかった髪が肩から落ちた。その問いに黒髪の少女は息を吐いて肩をすくめる。


「神にできることなんて、何もないからよ」


 一歩、また一歩と少女に近づく。歩くたびに二つに束ねた長い髪が揺れる。少女の前に立つと手を伸ばした。黒い手袋を着けた手が少女の柔らかい首を包み込む。紅色の瞳が少女を捉えた。


「そんな神にすら頼らなければならないほど、あなたたちは弱いのね。……可哀想に」


 黒髪の少女は首から手を離すと、一歩下がって右手を広げた。広げた手のひらに黒い砂のようなものが集まっていき、やがてそれは巨大で鋭利な鎌へと変じた。それを握り、目の前にいる少女の首元に向ける。


「…………っ」


 少女は息を飲んで自分の首元を見た。白い首に冷たい刃が当たる。青い瞳が揺れる。鎌を持った少女はその様子を観察するように見つめた。


「あなたは今から死ぬの。……ねえ、どんな気持ち?」


 紅色の瞳が猫のように目を細めた。

 彼女は鎌の柄を強く握ると大きく振りかぶった。そして、少女の首をめがけて振ろうとした。


「…………」


 襲い掛かる鎌を前にし、少女は青の瞳を細める。瞳はブルーサファイアを思わせるほど綺麗な色をしていた。そして、両手を組んで祈りを捧げるように目を閉じた。

 口元は笑みを浮かべていた。





 ――また一人、この学園の生徒がいなくなったそうよ。


 その言葉を聞いてリリアンは顔を上げる。

 お昼休みに入った教室で、女生徒が笑みを浮かべて友人たちに話しかけていた。


「きっと、神のもとへ行けたのね。羨ましいわ」


 恍惚とした表情で両手を組むと、弾んだ声で話を続ける。


「夜、銀色の狼が舞い降りてきて、神のもとへ導いてくれる……なんて神秘的なんでしょう。私も見てみたいわ」


 彼女の話に目の前の二人も共感するように頷く。


「死ぬよりも早く神のもとへ行けるなんて、神に気に入られた証拠だもの。私も神に愛されたいわ」

「最近は学園の方ばかり『神隠し』にあっているのでしょう? 貴族は神に選ばれた方々ですから、きっと私たちも神のもとへ行くことができるでしょう」


 三か月前から貴族が通うこの学園では何人もの人が失踪している。それを人々は『神隠し』だと言い、喜んでいた。

『神隠し』は昔から起きている現象であり、神のもとへ行ったのだと考えられている。


「…………」


 リリアンは自分の手のひらを眺めると、自嘲の笑みを浮かべた。

 ……けれど、私には関係ないこと。そう思いながら、ぎゅっと手のひらを握り締める。

 会話に花を咲かせている女生徒たちの横を通り過ぎるようにして教室を出る。リリアンの亜麻色の髪がふわりと揺れた。



 学園の裏庭には、忘れられたベンチが置かれている。

 中庭とは違い、あまり人が訪れることがない。管理もされておらず、塗装も禿げてしまったベンチ。リリアンは何となく親近感を抱いていた。


「今日も場所をお借りします」


 ベンチにそう頭を下げると、彼女は落ち葉を払ってゆっくりと腰を掛けた。

 昼食のサンドイッチを頬張りながら、鞄の中から一冊の本を取り出す。貴族のお嬢様らしくない行動だが、ここならば誰にも見られることはない。

 本をめくれば、意識が物語の中に沈んでいく。

 本を読んでいる間は時間を忘れることできた。物語を通して、知らないことを知ることができ、行けない場所へ行くことができた。何より自由だった。

 文字を目で追いながら、思いを馳せる。

 もし、自分でない誰かになることができたら――



「――リリアン」


 リリアンはハッと顔を上げた。そして、見慣れた顔にホッと息を吐いた。


「ウィリアム」

「もうすぐ授業の時間だ。それと本。持ってきたよ」


 彼はそう言って本を差し出した。リリアンはお礼を言って、本を受け取る。表紙を開き、数ページめくってから彼を見た。


「今回もあなたの書いた物語ではないのですね」


 彼は気恥ずかしそうに手をパタパタと振った。


「俺の物語なんて、面白いもんじゃないだろ?」

「そんなことないですよ。私はあなたの物語がとても好きです」


 ふわりと微笑むリリアンを見て、ウィリアムは耳を赤くする。ガシガシと頭を掻くと、小さく言った。


「あっそう。……機会があったらな」


 ぶっきらぼうな言葉に、リリアンは嬉しそうに頬を緩ませた。



 ウィリアムはこの学園において、唯一と言ってよい友人だった。本の貸し借りをきっかけに話すようになり、あまり同級生たちと接することのない自分を気にかけてくれ、声をかけてくれる。深く踏み込むことをしない程よい距離感をリリアンはありがたく思っていた。


「……また一人、生徒が神様のもとへ行ったようですね」


 教室に着いて、リリアンは呟く。ウィリアムは「ああ……」と思い出したように返事をした。


「らしいな。けれど、疑問視している人もいるみたいだ」


 リリアンは目を瞬かせた。


「どういうことでしょうか?」

「これで立て続けに五人目。しかも、全て学園の関係者。人為的なものだと考えても不思議じゃない」


 彼の言うとおり、神隠しは不定期にあらゆる場所で起きている。場所や時期が集中して起きることは珍しい。


「そんなことを考えては、神様に失礼ではないでしょうか」

「神様の名前を騙って、悪さをする方が失礼じゃないか?」

「そうですが……そうならば、どなたが、どうしてそんなことを――」


 リリアンが言葉を続けようとすると、誰かがくすりと笑った。



「――神隠し以外にも、人がいなくなることはあるのですよ」


 初老の女性が目を細めてこちらを見ていた。白髪交じりの髪を後ろで結い上げており、人の良さそうな笑みを浮かべている。


「マルヴィナ先生……」


 マルヴィナは問題を出すように問いかけた。


「人の魂を欲する者を知っているかしら?」


 二人は首を振る。彼女はニコリと微笑んで、人差し指を立てる。何かを教えてくれるときの彼女の癖だった。


「彼らは人の魂を食べることで、その命を長らえることができるのです……もしかすると、この事件も彼らが関わっているかもしれないですね」

「その彼ら、というのは何者なんですか?」


 ウィリアムの質問にマルヴィナは静かな声で答えた。


「――悪魔ですよ」


 リリアンたちが息を飲むと、マルヴィナはふふふっと笑った。本気なのか冗談なのかわからない様子にリリアンは戸惑いながら尋ねた。


「悪魔はおとぎ話ではないのですか?」


 マルヴィナは頬に手を当てて不思議そうに小首をかしげる。


「どうしてそう思うのかしら?」


 マルヴィナは細めていた目を開いた。エメラルドグリーンの瞳が怪しく光る。


「……神様がいるならば、悪魔がいてもおかしくないでしょう?」




 ガタガタと揺れる馬車の中から、大きな教会が見えた。

 国の中心部にある教会は五百年以上の歴史があり、唯一神を信仰している。神は祈りを捧げれば道を示してくれ、死後は魂を楽園へと導いてくれるという。教会は神の言葉を告げる御使いがおり、貴族から平民まであらゆる人々が訪れる。リリアンもまた、信徒の一人だった。

 馬車を待たせ、一人で教会へ入っていく。午後からは貴族のために教会が開かれる。だが、今日は人が誰もいなかった。不思議に思いながらもステンドグラスの前に歩んでいく。

 最前列の長椅子に、幼い少女が腰かけていた。十歳ほどの見た目をしていながら、聖職者の装いをしている。ステンドグラスを見上げ、藍色の瞳は不安そうに揺れていた。


「メアリー様」


 声をかけると、少女はこちらを向いた。大人びた表情で笑みを浮かべ、ゆっくりと立ち上がる。


「リリアン様。こんにちは」


 彼女は教会の御使いであり、象徴であり……神に愛された子だった。


「今日は少しお早いのですね」

「はい。この時間は人がいないのですね」

「そうなんです。……もしよろしければ、お一人で神様とお話されてはどうでしょうか」


 まっすぐとこちらを見る藍色の瞳に、リリアンはつい視線を下げてしまう。


「はい……お気遣いありがとうございます」


 メアリーは一礼をして、そのまま出ていった。一人になり大きく息を吐くと、大きなステンドグラスと向き合う。


「……神様」


 大きなステンドグラスから差し込む光は、神からの教えを表しているという。その光を受けることで、御使いは神の言葉を代弁できるのだという。

 御使いではないリリアンには、その光から何かを汲み取ることはできない。だから、祈るしかなかった。

 リリアンには『願い』があった。初めてこの教会に足を踏み入れたときから、ずっと『願い』が叶うように祈ってきた。……自分自身が、この願いの邪魔をしているにも関わらず。

 そっと目を閉じ、胸元に両手を組む。


「どうか、私の大切な人たちを――」




「――あなた、神になんて祈らない方がいいわ」


 凛とした声が響く。目を開けて前を見れば、ステンドグラスの光を遮るような黒い影。

 それはドレスに身を包んだ少女だった。黒く長い髪を左右に結い、口元には笑みを浮かべている。

 少女の紅い瞳がリリアンを視界に捉える。

 そして、猫のように瞳を細めた。

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