2-12 ややこしい『てんせい』
目が覚めると、紬 日葵は、性別が変わっていた。 女性から男性へ。 しかも、ただ性別が変化していたわけではない、大好きなゲームキャラの容姿になっていた。 推しになっていたことに戸惑う彼女の元に、一人の女性が訪れる。 彼女から発せられる言葉は、紬にとって、どれも理解できるものではなかった。
「アレがない!?」
目覚めると「あるはずのモノ」が無くなっていた。確かな存在感で鎮座しているはずのモノに手を伸ばすが、指先は空を掻くばかり。
実力の伴わない大口みたいに、私は現実を受け止めることができなかった。
これは夢だと、何度も頭を叩く。そういえば、壊れたテレビは叩けば治ると祖母が言っていたっけ。
「……って、私は壊れたテレビじゃないんだけど!」
私は壊れてもいなければ、テレビでもない。
紡 日葵だ。
自分の間違いを訂正したことで、落ち着きを取り戻し、改めて窓の外を見る。
雲が焦る私と対照的に、亀みたいにゆったりと泳いでいた。時の流れを忘れるほど穏やかな景色の中、明らかに異質な光景が私の視界を刺す。
「いや、やっぱり何度見ても、富士山、エグれてるよね!?」
日本人ならば誰もが知ってる霊峰。その山腹から頂上に欠けて、まるで月が山を喰らったかのように、ぽっかりと消失していた。
富士山が無くなるという異常事態。もっと騒ぎになってもいいだろうに、街は穏やかだ。自転車に乗る少年たちは風に元気な声を弾ませ、仲睦まじい老夫婦が腕を組んで散歩する。
「なんで平然としてるの?」
もしかしたら、既に富士山が抉れた情報が世間に浸透してるのかも知れない。私が睡眠で潰した午前中に、国民の誰もが納得する理由が報道されたのかも。
自室にあるテレビの電源を入れる。画面には知らない芸能人が、流行りのスイーツを口に運んでいた。
思わず眺めてしまうが、今はスイーツに目を奪われている場合ではない。
次々にチャンネルを動かしてみる。どこも同じような内容の番組ばかりで、エグれた富士山について報道している局はなかった。
「なんで?」
富士山よりも流行りのスイーツが大事なの?
甘い物に目がなく、毎週コンビニの新作スイーツを食べるのが楽しみな私でさえ、疑問だというのに。
「話を聞ける人を探さないと」
階段を降りて両親を探す。
一階には誰もいない。
「……休みだから当然よね」
両親は休みとなれば、朝一番にギャンブルに出掛ける。
私が幼稚園生の時から、社会人になった今も続けてるから、18年くらいだ。どんなことも続けるのは偉いと言っていた教師に、「うちの両親は偉いんですか?」と問いただしてみたい。
なんて性格の悪いことを考えていると、「クゥ」とお腹が鳴る。どんなに焦っていても胃は素直だ。夕飯を食べてから半日以上経過していた。食べるモノを探そうと冷蔵庫を開けると、信じられない光景を目にした。
「う、嘘でしょ?」
冷蔵庫の中に作り置きがあった。
綺麗に盛り付けられたサラダに目玉焼き。
「信じられない……」
開かれたままの冷蔵庫から、現実を突き付けるように冷気が溢れ、頬を舐める。
これまでギャンブル優先で、私の食事なんて用意したことない。恐る恐る手を伸ばす。爆弾処理班の気持ちってこんなかな?
作ってくれた食事を爆弾に例えるのは失礼か。でも、それくらいの衝撃。冷蔵庫からテーブルに取り出すと、ピンと張ったラップの上に一枚の紙があった。
「『今日は結婚記念日だから、デートに行ってくるわ。夕飯には帰ってくるから、お昼はこれを食べてね。あなたのことが大好きなママ&パパより』って」
ブルルと身体が震える。夏なのに寒い。皮膚が粗い鑢のようにざらつく。
冷蔵庫に入っていたモノは、富士山よりも衝撃的だった。
「ほんとに、何が起こってるのよ。助けて、私の王子様!」
有り得ない現実の二本立てに耐えきれず、脳内で王子を呼び起こす。
私の王子――神宮寺 正士郎。
音楽を武器に戦うゲームのキャラクターだ。勘のいい人なら、ここまで言えば分かるだろう。
私は腐女子だ。
現実よりも二次元を憂う女なのだ。
『取り敢えず、顔でも洗って落ち着いたら?』
脳で王子が優しく笑う。
こんな状況でも落ち着いてるあなたは素敵です。言われるがまま、洗面所で顔を洗う。
「ふぅ」
うん。
落ち着いた。
やっぱり、鏡に写る神宮寺さまも格好いいや。現実に飛び出して来たらこんな風になるんだろうな。
私は鏡に映る顔に満足して顔の拭く。
ん、んん?
待て待て。
拭いていた顔を上げて、もう一度、鏡を見る。私の王子様が絶対にしない、間抜けな表情でトパーズの瞳を歪ませていた。
「……え、えっと、これって」
落ち着け。
もしかしたら、鏡の中に神宮寺さまが入ってるだけの可能性もある。ほら、両親がサプライズで、鏡を液晶に変えたのかもしれないし。
あるはずのない可能性に賭けて、鏡に「こんにちは」と小さく会釈する。推しは、一寸の時差なく私の動きに付いてくる。
「やっぱり鏡だよね?」
ってことは、鏡に写ってる推しが私ってこと?
推しは「推すモノ」であって「成るモノ」じゃないと思うんだけど?
『ピンポーン』
思考を遮るようにインターホンが響いた。ここまで理不尽が続くと無機質なインターホンの音も化物みたに聞こえてくる。
応じるか悩んでいると、「入るわよー」と女性の声と共に扉が開いた。
勝手に家に上がるのか――。
「まさか!」
相手は女性。
家を自由に出入り。
この二つにピンときた。
神宮寺さまははゲームでの人気ランキングは常に最下位だ。その理由は乙女ゲーでありながら、恋愛に発展しそうな幼馴染がいるから。
私はそのシュチュエーション含めて推せるんだけどなぁ。
ともかく。
私が神宮寺さまだとしたら、現れるのは幼馴染のはずだ。推しに成った私は、「キリッ」と顔を作り待ち構える。
「あら、洗面所にいたのね? 明嵐くん」
ズカズカと入り込んできたのは、金髪をツインテールで縦ロールにしたお上品なお嬢様だった。
どんなジャンルのゲームでも、妹には分類されないだろう容姿に、思わず私は叫んでいた。
「いや……あなたは誰で明嵐とは誰だ!?」
可愛い幼馴染はどこ行った?
そして私は推しじゃないの?
鏡の中。
理想の王子は間抜けに破顔していた。
◎
「つまり、私は明嵐 一解という名前なのね」
「のね……って、いつから女性みたいな話し方するようになったのよ」
訪ねてきた彼女は優雅にお茶を啜る。
(……なんだ、推しの世界で無双できるわけじゃないんだ)
吸った息よりも多く空気を吐き出す。
推しの世界については全てのルートを暗記済みだ。この知識を用いて無双するのか!? と思ったけど違うらしい。
推しに似ている別人になっただけだった。
ややこしいわ、マジで。
「で、あなたは私の彼女なのね?」
「さっきから何言ってるの? まさか……」
そうだよね。
彼女なら気付くよね。私が別人だってことくらい。
だから、ここで彼女に何が起こってるのか一緒に考えて貰おう。一人よりも二人の方が気が楽になるし。
「そうなの私は一解くんじゃなくて、つむぎ――」
「誰かに操られてるのね……許せない! 今私がそいつを倒してやるわ!」
私が自分の名を告げるよりも早く、彼女は外に飛び出していった。
彼女は見掛けの反して強引なな性格らしい。
「って、いうか、操られてるって選択肢を最初に思い付く?」
中身は別人も思い付かないだろうけど……。ただ、操ってる相手を倒しに行こうとは絶対にならないと思う。
「でも、やっぱり何か違うんだよね」
よく見れば家の中も微妙に違う。テレビ横の置物、が犬から良く分からない獣になっていたりする。間違い探しみたいな差異だ。
「外に出れば何か分かるかも」
私は街を散策しようと外に出る。
お気に入りのコンビニ。
私が良く使う自動販売機。
どちらも知ってる場所にあった。だけど、違うこともある。売られている商品だ。
「私の知らない新商品である可能性もあるんだけど」
視察を終えコンビニを出ると――途端に。
ほんと途端にだ。
「うぉ! 死ねぇ!!」
ゲリラ豪雨より前触れなく、一人の男が襲い掛かってきた。
いや、本当は男じゃないのかも知れない。声が男に聞こえただけで、実は女性な可能性もある。
だって、相手は異形の化物だったから。
「きゃあ!!」
襲われた私は、自分でもびっくりするくらい可愛い声で地面に倒れた。頭上を、骨か皮膚かも分からない突起がすり抜ける。
「「きゃあ」って、女みたいに喚くじゃねぇかよ。ええ? 学園きっての天才さんよぉ。笑わせんなよ!」
「……みたいって言うか女なんですけど」
「下らねぇ嘘ついてんじゃねぇ。余裕ぶってんのも今の内だ!」
私の態度を余裕と解釈したようだ。
いや、本当に女なんですって。
二次元に恋するか弱い乙女。
倒れた私を突き刺そうと腕を振り上げる。
ゆっくりと私の脳内を神宮寺さまが駆け巡る。
あ、走馬灯って本当にあるんだ。私の場合は自分の思い出じゃなく、推しの名場面だった。ある意味、最高の死かもしれない。別人とはいえ、推しの見た目で死ねるなんて――。
キィン。
「ちょっと、こんな雑魚に苦戦しないでよ。あなたの異能なら、余裕で倒せるでしょ?」
振り卸される異形の手を、幼馴染の彼女が止めていた。
大きく巻かれた金色の縦ロールが、猫の尾みたいに揺れる。化物と鍔迫り合いする彼女の腕もまた異形。猫のような鋭い爪を伸ばし渡り合う。
大好きなゲームよりも過激な戦いに、、
「本当に何が起こってるのよぉ!!」
私は唯々、叫ぶことしかできなかった。





