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特別捜査団とは、国家を揺るがす大罪を捜査することを任務としている。スパイをはじめ、輸入品に危険品が混入されていないか、水源に毒が混入されていないか、攻め込む計画がなされていないかなど、大規模、大事件を専門的に、かつ隠密に捜査する。
リーシェは特別捜査団の一員である。
戦闘力と頭の回転の速さを買われて拝命されたが、なにせ、とりわけ活力がなかった。
国に対して愛や忠誠心なんて崇高な感情はなく、犯罪への怒りもなければ、市民を守るためという正義感も皆無だった。
とにかく、やる気がない。
基本的に、どうでもいい。
金が貰えるから国を守る。
そんな感じで、やる気に満ち満ちた仲間達からは相当に疎まれていた。のらり、くらりと任務を避けて他の団員に押し付けては、要領がいいからたまに就いた勤務結果で評価される。
初めは同僚、次に上司からもその本質を見抜かれて、とうとう団の中で孤立した。
それでも構わなかった。
ひとりだろうと仕事さえしていれば金は貰えたし、金さえあれば生活に苦労はしなかった。仕事のために生きているのではなかったし、残高を気にせずにのんびりと休日を過ごせれば、なんの苦にもならない。
ただ、苦労はしなかったが、楽しくもなかった。
リーシェはいつも退屈だった。
なにをするにも面倒くさく、重い腰を上げるのに相当の力を要する。死にたいとは思わないが、生きたいとも思えない惰性的に繰り返される日々。
あー、つまんなーい。
リーシェはなににも興味を惹かれなかった。
そんなときに、地獄耳少女の護衛の仕事が舞い込んできた。
外患誘致をいくつも防いだことで、特別捜査団の株はかなり上がっており、その要因であったベレンガリアは感謝状ものの英雄になっていた。
しかし、護衛ともなると話は変わる。
第一の護衛として任命されたルオーが勤務中や体調不良などの理由で護衛に当たれない場合には、必ず飛んで行かなければならないし、さらには護衛の間はベレンガリアの傍を一瞬たりとも離れられない。
夜だろうと、朝だろうと。
両親が死んだその瞬間であろうと。
だから、団の中で浮いていたリーシェに下命があった。
家族もいないリーシェならやらせても構わないだろう。協調性のないやつには単独行動がお似合いだ──という嫌がらせのひとつだった。
ただ給料は飛び抜けてよかった。
即答で引き受けた理由は、それだけだ。
内容なんてどうでもいい。お金が入るなら、なんでも。帰っても特にやることもないし。
暇つぶし程度にはなるかなあ。
またまたつまらない任務だなぁ。
──なんて思いながらとぼとぼ歩いてルオーの屋敷に向かうと、対面したベレンガリアはリーシェの目も見ずに俯き続けていた。挨拶のときでさえ一瞥もしない。
……お?
どうして興味を持ったのだったか。
自分を忌み嫌って目を合わさない奴らはたくさんいたが、人間すべての目から逃げようとする少女は初めてだったからだろうか。
ベレンガリアは歩いているときも地面ばかりを見つめて、それでも器用に人混みを避けていく。音を聞いているのだ。前から歩いてくる人達の音を聞き付けて、ぶつかる前に避ける。
「どうやって聞こえてるのー?」
声を掛けると、やはりベレンガリアはリーシェを見ずに言った。
「……難しい質問ですね」
「だって気になるじゃん」
ベレンガリアは俯きながらたっぷり考え、言った。
「……オーケストラの皆さんがそれぞれ違う音楽を奏でてるみたいな感じです。本来なら全員で同じ音楽を弾くはずなのに、違う楽器で、違う音楽を、違う音量で。だから、すごく気持ち悪くなるんです。ひとつの音楽を奏でてくれたらきっと綺麗なのに。ガチャガチャと、すごく気持ち悪い」
聞こえ方についてはすぐに興味が失せた。つまり、うるさい、ということらしかった。
「へえー。あ、あのお店、新装開店だって。食べてみようよ」
「……え、今?」
そのとき初めて目を丸くしたベレンガリアがリーシェを見たのだ。綺麗にきらめく透き通った瞳だった。
「俺さぁ、体デカいじゃん? だから、めっちゃお腹空くの。趣味はないんだけど金はめっちゃあるからさぁ、食べるの好きなんだよねえ。あ、味がいっぱいあるね。15種類かぁ。どれをいくつ食べる?」
店の前の立看板を見る。メニューが手書きされていた。
「え、い、いえ、私はいりません」
「お腹空いてないの? もう1時間は散歩してるよ?」
「と、特には……」
「そのお腹どうなってんの。まあいいや。じゃあ俺は15種類全部ふたつずつくださーい」
店内の店主に言うと「はいよー」と気のいい返事。リーシェはポケットにくしゃくしゃに畳み込んで入れている紙幣を何枚か抜いた。
すぐに出来たてのものがこんもりと盛られて運ばれてくる。勘定を済ませると、美味しそうな匂いが放つ袋がリーシェの両腕いっぱいに抱かれることになった。
ベレンガリアはその量を見てまた目を白黒とさせた。
「え、こ、これ、ぜんぶ?」
「そ、全部」と返すと、
「そのお腹、どうなってるんですか」
笑ってくれた。
他の誰のことも見ないベレンガリアが、自分を見て笑ってくれた──。
もっと自分だけを見て、笑って欲しい。そんなふうに何日も護衛を続けていると、リーシェは自分が楽しいと感じていることに気が付いた。
それが恋心なのだと知ったのは、ルオーとの婚約なんて破棄されてしまえばいいのに、と思い始めたからだった。ベレンガリアの目に他の男が映るのを食い止めたい。
だから、ルオーが嫌がるであろう犯人探しにも苦言を呈さなかった。
刑務所の話題を出したのも、あわよくば話が縺れて喧嘩になってしまえばいいという思惑があった。むしろ十中八九、そうなるだろうと思っていた。
案の定、許可を得るのに失敗したと聞いて、リーシェはまた楽しくなった。面白い。
ひとりになってしまえばいいよ、ベレンガリア。
傍にいるのが、いっそ俺だけになってしまえばいい。
他の誰にも気にされないで、空気みたいに孤独になってしまえばいい。
「ねえ、ベレンガリア様。ふたりで一生暮らせるだけのお金が貯まったら、他の誰もいないところに行こうよ。うんと遠く。うんと、うんと遠く。俺とベレンガリア様しかいない、ふたりだけの世界に。
俺の声以外、何も聞こえないところに」
これが独占欲なのだとは、わかっている。
驚くのは、そんな強い独占欲が自分の中にあったことだ。自分は無気力で、なににも関心が持てない哀れな人間なのだと思っていたけれど、どうやらそうではなかった。
ベレンガリアはリーシェの膝の上でまだ眠っている。だらりと脱力してしまった手を胸の上に戻してやって、またベレンガリアの耳を塞ぐ。
聞こえなければいい。他の音なんて。
「楽しいねぇ、ベレンガリア様」
ひとりぼっちのベレンガリア。
ふたりぼっちになりたいねえ。
リーシェはにやつきながら先とは違う歌を歌った。
ベレンガリアにひとつだけの音楽が届くように。




