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 ──刑務所に入るためには。



 頭の中でリーシェの言葉が反芻する。

 それは、権限のない者が刑務所に入るためには騎士団幹部の許可が必要である、という事実だ。幹部に知り合いなどいないベレンガリアには、ルオーに許可を得る以外に道はない。



 そんな許可など得られるはずがない。そう思って諦めた選択肢だったが、ルオーからの予想外の申し出にベレンガリアはついに口に出してしまった。


 ルオーは驚いて言葉を失っている。



「……え……? け、刑務所? な、なんで?」

「それは、その……」



 納得させられるような方便が思い付かない。社会見学にしてみても、あまりにも物騒な施設の見学にすぎる。なにか、理由がないだろうか。



「もしかして、犯人を探してる?」



 ぎくり、とした。

 それが答えになってしまっていて、ルオーは眉間に皺を寄せて体を起こした。



「ねえ、どういうつもり!? まさかリーシェと遅くまで街を歩いてるのって犯人探しをしてるの!?」

「る、ルオー様……あの、その、でも、だって──」

「危ないじゃないか! わかってるの!?



 ベルが聞いたのは、外患誘致を企てた首謀者の声なんだよ!?」



 月明かりにルオーの瞳が燃えている。怒りに燃えているのだ。ベレンガリアも咄嗟に体を起こして、ベッドの上で必死に頭を下げた。


 迂闊だった。


 もっと熟考してから口に出すべきだった。



「ごめんなさい、ごめんなさい。本当にごめんなさい」



 自分の温もりが残るシーツに額を押し付けてひたすら繰り返す。


 外患誘致とは本国を裏切り、武力行使を以て攻め込むように他国を誘導、扇動すること。ベレンガリアが聞いたのは若い男の声で、どの国がどの程度の武力でどこからいつ攻めてくるか、その確認の声だった。


 ベレンガリアの訴えを誰も信じなかったが、万が一にも攻められたときに優位に立てるよう情報に沿った対策を行った。


 例えば攻めてくる場所の警備を手厚くするだとか、名の上がった国の武力が一点に集まっている証拠を突き出して戦争を仕掛けようとしているのではないかと揺さぶってみたりだとか、敢えて友好を強めて攻め入られるデメリットを増やすだとか。


 そうして悉く外患誘致が失敗に終わり、本国は戦争にならずに安寧を維持できている。──表向きは。


 一度生まれた火種は消えるのが難しい。断念したと見せかけて実は諦めておらず、忘れたころに攻めてくることもなくはない。


 本国の裏切り者の声。


 それを聞き、防いだベレンガリアは諸悪の根源でもあり、唯一の証拠を握っているとも言えた。声を聞いたのはベレンガリアだけだから。


 そんな身なのに、探すとはいえわざわざ犯罪者に近付く行為をするだなんて愚かと言って差し支えない。



「ベル、とにかく顔を上げて。そんなことして欲しくない。そんな姿、見たくないよ。それから、狙われてるのが怖いのはわかるけど僕が護るんだから、犯人探しをするのはやめて」



 頭上から呆れたような声が降ってくる。ベレンガリアはシーツに顔を埋めたまま、動けないでいた。


 見たくない? それほどにベレンガリアを厭うているのだろうか。


 ならばよりいっそう護られるだけではいけないのだ。

 だって、このままでいたら──



「でも、来月には結婚式があります……」

「……どういうこと?」


 ぎゅっとシーツを掴む。爪が食い込むほどに勇気を振り絞った。


「夫婦になってしまいます……!」



「……嫌なの?」



 嫌なのは、あなたのほうではないか。

 私なんかと生涯を誓ってしまったら、後悔するのはあなたではないか。


 返せないでいると、ルオーが静かに寝転んだ。



「もう、いい。寝よう」



 ベレンガリアは顔を上げることもできずに、しばらくの間そうしていた。



◇◆◇◆◇◆



「あーーーはっはっは! 失敗したの!? ほんとに!?」



 翌日、刑務所の許可を得られなかったことを打ち明けると、リーシェは指を差してまで笑ってきた。


 笑われるのはいい。


 問題は朝になってもルオーは一言も発してくれずに、目線さえくれずに出勤してしまったのだ。いつも玄関で「今日は何時に帰る」と言ってくれていたのに。その会話があったから、まだ存在を無視されるほどには嫌われていないのだと感じられていたのに。



「笑いごとじゃない! とうとうルオー様に嫌われてしまった……! ああーーー気を付けていたのに!」



 ベンチに並んで座りながら、ベレンガリアは思わず顔を覆ってしまう。

 ベレンガリアが聞いた犯罪は確かに大罪であった。対策は暗にお前達の企みを知っているぞ、という圧力にもなって各国は肩身の狭い思いをしていることもわかっている。


 ゆえに反感は大きい。


 カゲは自分の仲間内に裏切り者がいないことを突き止め、どうやってか地獄耳少女に聞かれたとわかったのだろう。あるいは、あらゆる選択肢を排除していった先に地獄耳少女しか残らなかった。


 どういう経緯にせよ、ベレンガリアは大罪を犯そうとしたものに狙われている。


 手段を選ばないかもしれないし、万が一にでも捕まったら残酷な拷問の末に弄ばれて、あるいは死ぬまで能力を使われ手駒にされてしまうかもしれない。


 わかってはいたのだけれど。


 リーシェが背中を擦ってくる。



「泣かないでよー、ベレンガリア様ー」

「だって……! 私なんかと結婚したらルオー様が辛い人生になってしまうと思って……! 嫌われないように、ずっと頑張ってきたのに……!」

「怒っただけでしょー?」

「そう! だから嫌われたの!」

「怒るのと嫌うのは違くない?」

「同じだよ!」



 そうかなぁ、とリーシェ。



「まあ、いいじゃない。夫婦になっても割り切って生活すればいいんだし」

「だからそれじゃルオー様が辛い──」

「でもベレンガリア様には俺がいるよ?」



 俯いて、膝の上で組んでいた手に視線を落としていた。結びもせずに垂れ落ちた髪の隙間から、そっとリーシェの大きな手が差し込まれて顎に触れられる。


 そのままリーシェのほうへ顔を向けられた。


 涙でぐしょぐしょで、髪の毛がへばりついていて、よほどひどい顔をしていたのだろう。リーシェは眉尻を下げて、困ったように笑った。



「ルオー様に嫌われても、俺は嫌わないしずっと護衛のまま。ずーっと一緒だよ。俺で気晴らしすればいいじゃない。ね?」



 リーシェの指は大きくて太いのにどこか柔らかくて、頼りがいがある。

 そういえば、ベレンガリアはまだルオーの指一本にも触れたことがなかった。


 触れてもらえない婚約者。

 それだけでルオーの中の自分の立ち位置が表されているようだった。

 ベレンガリアは視線を逸らして吐き捨てた。



「お給料が貰えなくなったら、いなくなるくせに」



 どうしてこんなに可愛げのないことしか言えないのだろう。素直にありがとうと言えばいいのに。


 疑うしかできないのだ。


 誰も自分のために無償の愛と行動を与えてくれるはずがない。自分が他人と違うから。他人が隠したがるような会話も出来事もすべて聞こえてしまうから。



 リーシェはくすりと笑って──



「そりゃあ、お金が貰えなかったら傍からいなくなるよ」



 なんて、正直に言った。

 お金がなければ、自分は自分を支えてくれる人もいない。


 ベレンガリアは「やっぱり」と、リーシェの手を振り払う。けれどリーシェは執拗にベレンガリアの頬を挟んでリーシェから視線を逸らすのを許してくれなかった。

 また視線がかち合う。



「──そうでも言わなきゃ信じてくれないくせに」



 リーシェは糸目から瞳をほんの僅かに覗かせて、そう言った。


 はっとした。


 ベレンガリアはいつも信じない。

 人のしてくれる親切の裏には打算があるのではないかと。自分のために善意を尽くしてくれる人なんていないのだと。


 それをわかっているから、リーシェはわざとベレンガリアを突き放したのだ。


 信じないことは、相手も傷付ける。


 酷いことをわざと言うほどにリーシェを傷付けた。

 でも、どうしろというのか。

 信じたくても裏切られたときの気持ちを考えると怖くて信じられない。信じるってどうすればいいのか。その強さと純粋さを、自分はどこに落としてきたのだったか。



「とにかくさぁ、今は俺がいるんだから、ゆっくり寝んしゃいよ。どうせ夜は眠れなかったんでしょ?」



 ほら、と膝枕に強引に寝かせられる。こんなところで、はしたない。そう思って体を起こそうとするのに、リーシェは許してくれなかった。


 その代わり、リーシェの大きな手がベレンガリアの耳を塞いだ。



「こうして歌ってあげるよ。俺の声だけを聞いてれば、少しは眠れるっしょー」



 そうしてリーシェは少し切ない歌詞の歌を口ずさみ始めた。聞いたことはあるのに歌の名前がわからない。


 雑音が歌に呑まれて消えていく。普段、この時間はうるさくて堪らないのに、ベレンガリアの耳にはリーシェの歌声だけが届いた。歌声が風のように他の音を吹き消していく。


 ゆったりとした曲調に、ベレンガリアの瞼は重くなっていく。



「……おやすみ。俺のお姫様」



 ベレンガリアはいつの間にか眠っていた。

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