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「どこでなにを食べてきたの」
屋敷に戻るや、待ち構えていたルオーに問い質される。ベレンガリアは叱責されているのだと思って身を固くした。事実、ルオーの眼差しは厳しかった。
甘く見ていた。ルオーの足音がしないから、もう眠っているか、まだ仕事中なのだろうと思っていた。そうではなくてずっと玄関前でベレンガリアとリーシェを待っていたのだ。
予想外の行動にベレンガリアはリーシェの袖口を引いてしまう。リーシェは相変わらずの糸目で「ん? どしたの?」と顔を覗き込んでくるだけだ。わからないのか、このルオーの迫力が、と言ってもリーシェはわからなーいと誤魔化すのだろうけれど。
嘘を思いつく余裕はなく、ベレンガリアは素直に言った。
「ゆ、有名な屋台を偶然見かけたもので──」
ぴくり、とルオーのこめかみに青筋が浮かぶ。
「屋台? 屋台ってまさか調理したものを荷車で売りながら動き回ってるアレ? 外で立ったまま食べるスタイルの流行しだしたアレ?」
「は、はい」
貴族の面汚しとでも言うのだろうか。しかし、大勢の人がいたし、王都特有の他人に興味がなさそうな人達ばかりだったし、なによりリーシェがその背中でベレンガリアが目に付かないようにカバーしてくれていた。
そこでまた空気の読めないリーシェである。
「ふたりで仲良く1個を半分こしてきましたよ!」
いぇい! とピースサインを作るリーシェは、背の高いルオーよりもさらに上から笑顔を降り注いでくる。ルオーはその笑顔をキッと睨んで「黙ってろ」と警告した。
「はーい」とリーシェ。
素直に従っているようにみせて、絶対になんとも思っていないに違いない。
腕組みをしたルオーの視線が痛い。
「ねえ、婚約者。自分のこと理解してる? いつ狙われてもおかしくないんだよ?」
「承知しております」
「それなのに無防備になる食事を外で済ませるだなんて危な──」
「えー? 失礼な。ちゃんとずっと俺が警戒してましたけど──」
「黙れ」
「はーい」
ベレンガリアは俯いてしまう。
いつも怒らせてばかりだ。今まで危ない目に合ったことがないからと甘く見ていたし、戦っているところはまだ見たことがないけれどこれだけ体格に恵まれたリーシェがいるし、むしろリーシェが食べたいと言ったし、自分は特にこれといって明確な食べたいものがなかったし。
なんて、すべて言い訳だ。
結局は自覚が足りなかっただけのこと。
「申し訳ありません」
頭を下げて謝る。
その頭をリーシェの手が撫でた。本当は、ルオーに撫でて欲しかった。次から気を付けるのだと。あわよくば、心配するじゃないかと、夢のような言葉を添えて。
所詮、護衛対象である自分には叶うはずがないのだけれど。
「えー? 謝る必要なくない? とりあえず俺は帰るけどさぁ。じゃあ、頑張ってね」
そう言って、ベレンガリアの肩を掴んで姿勢を正してから去っていくリーシェ。去り際は潔いというか。割り切っているというか。
そこまでは面倒見きれない、というか。
取り残されたベレンガリアは沈痛な空気に震えてしまいそうになる。嫌いになったと言われたら、この場で膝から崩れ落ちてしまう。
「ねえ、ベル」
溜息混じりのルオーの声にぴくりと体が反応する。冷たい声は刃のように鋭い。
「はい……」
「ベルは僕の婚約者なんだよ? わかってる?」
婚約者=護衛として護られるべき者。
それを理解しているのか、と問われている。ベレンガリアは即答した。
「もちろん、もちろんです、ルオー様」
「ならどうしてリーシェなんかと。僕はこんなに────なのに……」
「……えっ?」
聞こえなかった。
会話の中の一部分が、うまく聞こえなかった。そんなことは自分の耳にはありえない。聞こえないなどありえない。
驚いて振り仰ぐと、ルオーは嘆息ついて踵を返すところだった。部屋に戻るのだ。
いや、それよりなんと言ったのだ?
聞こえなかった。
こんなことは初めてだった。
いや、きっと聞き取れなかったのだろう。きっとそう。
だってほら、まだ屋敷から離れていくリーシェの足音が聞こえている。この耳に聞こえないものなんてないはずなのだ。
◇◆◇◆◇◆
半分こってなに?
1つのパンを半分に割って食べたとか?
一口ずつ交互に食べたとか?
それとも顔を寄せ合ってパクッ「美味しい」って囁きあったとか?
腹立つわーーーー。
僕のベルになにしてくれてんの、あのデカ男は。
なんでよ。なんで?
僕だってベレンガリアとそういうことしたいのに。
手を繋いだり、腕を組んで街を散歩して
『やーん、疲れたぁ』
『仕方ないね、僕が抱っこしてあげるよ』
『やだ、ルオー様、恥ずかしいわ』
『恥ずかしがることなんてないさ。見せ付けてあげよう。それともキスも?』
『ルオー様ったら意地悪ね。あ、あのお店が見てみたいわ』
『おやおや困った子だねぇ。見るだなんて言わずに店ごと買ってあげるよ』
『まあご冗談を』
『あはは。ベルのためならなんでもするさ』
みたいな会話をしたいのに。
それとも夜の星を眺めて
『うるさくて堪らないんですの』
『ああ、可哀想に、僕のベル。ふたりだけの世界に逃げよう』
『なんてロマンチック。一生、傍にいてくださいな』
『離れることなんてないよ』
なんて言って見つめ合いたいのに。
なんだか、ベレンガリアが遠い。
きっと自分が知る他の誰よりも先にベレンガリアと出会っていたはずなのに、あっという間に親密さに関してはリーシェに抜かれてしまった気がする。ベレンガリアはリーシェには敬語を使わないし、気兼ねなく接しているように見えるし。
なにより袖口引くし、1個を半分こにするし。
それに引き換え、ルオーの前ではベレンガリアはいつも怯えている。ぷるぷると、部屋の隅で震える仔猫のように。
ふと、寝室のドアが開いて着替えたベレンガリアが入ってきた。先にベッドに寝転んでいたルオーは起き上がろうか迷って、結局なにもしなかった。
ベレンガリアが同じシーツに体を差し込む。
ベッドが軋んで、次第に体温がじわじわと伝わってきた。その背中が緊張していることも、ルオーは気付いてしまう。
ベレンガリアはずっとルオーに対して警戒心を持ち続けている。
それでは気疲れしてしまうだろう。
仕事で一緒にいられないぶん、せめてその他の時間は共に過ごしたいと婚約前にも関わらず屋敷に住み、ベッドを共にするという我儘を通してもらったが、ベレンガリアの休息にならないのであれば話は別だ。
「ねえ」
「はい」
「僕と一緒にいたくないなら、寝室は別々にする?」
一緒にいたいのだと言って欲しい。
このままでいいと言って欲しい。そんな淡い期待を抱いた、ベレンガリアを試すような最低な発言だった。
「……私は、ルオー様のご命令に従います」
胸を突き刺されたみたいだ。痛くて痛くて息が出来ない。一緒にいたいのに、一緒にいたくないと思われてる。
こんなに辛いことがあるだろうか。
「僕は……このままでいい」
このままがいい。
そう言えたならいいのに。
無言が続いた。
「……私がいたら、ルオー様が眠れませんか?」
向けられた背中からベレンガリアが言う。慌ててルオーは否定した。そんなつもりではなかった。
「そんなことない」
「それならば、いいのですが……」
また沈黙。
ルオーは嘆息ついた。
こんなに気まずくて静かな夜も、ベレンガリアにとってみればうるさくて仕方がないのだろう。きっとどこかの誰かのなにかが聞こえている。
彼女の眠りが浅いのも短いのも知っている。けれど、だからとて自分の睡眠が邪魔されているかというとそうではない。騎士団の特徴ともいうべきか、どこでもいつでも寝られるのだ。
けれどそれを案じてくれたということは、少なからず嫌われてはいないのだろうか?
嫌いな奴の睡眠なぞ気にしないだろう。
おやおや?
僕ってば、嫌われてないんじゃないの?
おやおやおやおや???
すっかり調子に乗ったルオーは寝返りを打ってベレンガリアのほうへ向いた。
「ねえ、ベル。なにかして欲しいことないの?」
「えっ」
驚いたベレンガリアが反射的にルオーを見た。その近さにルオーはぎょっとしたけれど、それは拒否ではなくてときめきの驚愕だった。
ベレンガリアの香りがする。
「な、なにか、とは?」
「仕事が忙しくてなにもしてあげられないし、休みは休めってベルが言ったんじゃないか。僕に婚約者としてなにもさせないつもり? なにか欲しいものや、して欲しいことないの?」
「ほ、欲しいこと……?」
ベレンガリアは瞳を左右に揺さぶって、うんと考えて、それからようやく控えめに言った。
「刑務所を、見せてください……」
言葉を失ったのはルオーのほうだった。