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「……危ないところだった」
ルオーは共感するようにリーシェに言った。
リーシェは「まあねー」と頷き返す。
そして間髪入れずに事の経緯を伝えた。ルオーは決して、報告はあとでいいから休めとは言わなかった。
「なるほど……。確かに声を出せないという人間が多くいれば、ベレンガリアがいる限り演技なのではないか? と疑い続けるだろうから、数が多ければ多いほど疑いの目はごまかせる」
「そゆことー」
ルオーは考えたあとで、嘆息ついた。
それは犯人を探すうえでなにも手がかりがない状況に変わりないことを示していた。
「ベル……。まずいことになったんだ」
ルオーは話題を切り替えてベレンガリアに目を向けた。ベレンガリアはまさかリーシェの体に何かこれ以上の悪いことが起きているのではないかと立ち上がる。
顔面蒼白とは、まさにこのことだった。
「安心して。リーシェは左腕以外には外傷はない。少し煤を吸い込んだせいでしばらくは肺が悪いけれど、大丈夫だそうだ」
ほっ、とベレンガリア。
何日も着替えていないのだろう。ベレンガリアの服は皺くちゃで、裾が黒ずんでいた。
「ベルが新聞に載ってしまった」
息を呑んだのはリーシェだった。
いかにベレンガリアを隠しておくかが護衛の要なのに、新聞に載ってしまうとは矢面にベレンガリアを押し出すのと同じ。護衛が難しくなる。
(尚早だったか)
自分の判断が誤りだった。そう認めざるを得ない。せめて、あともうひとり、誰かと行けば──。
行ってくれる仲間なんていないのだが。
ルオーは続けた。
「現場に新聞社も駆け付けていたんだ。『地獄耳少女が事故を聞きつけて救出』と銘打って、一面の記事に。どうやら事情をよくわかっていない団員が、なぜ事故を知ったのか、駆け付けるのが早くないかという新聞社の質問に、あの令嬢が聞き付けたらしいと答えてしまったようだ。
申し訳ない。
仲間にも秘匿にしていたことが、ここで仇になってしまった」
ルオーは頭を下げたが、ベレンガリアは静かに首を振った。あなたのせいではないと、暗にそう伝えていた。
「いつか、こうなると思っていました……。隠れ続けるなんて、きっと無理だろうと」
それでもベレンガリアの表情は暗い。また自分のために誰かが犠牲になるのではないかと、暗鬱とした顔だった。
「護衛は強化する。僕は他の任務から外れてベルの護衛に専念する」
ベレンガリアがぱっと顔を上げた。目を見開いている。
「そ、それは副隊長の座を退くということですか。次期隊長という未来からも外れるということでしょうか」
「違うよ、違う」
「けれど、副隊長の役目を誰かが担わなければなりませんよね? それは、誰が?」
「誰かがやるよ」
「それではせっかくルオー様が築きあげたものを奪ってしまいます」
「そんなことはない」
「大丈夫です……! 私、どこにも行かないですし、この家から出ませんし、ルオー様が専属になるほどの脅威はありません!」
「だめだよ、誰かが侵入してくるかもしれない。使用人を装ったりして」
「ほとんどの方のお顔を覚えています。知らない人がいたら、ちゃんと警戒します。お仕事に行ってください」
「ベル──」
「もう私のせいで誰かが傷付くことに耐えられないんです!」
ベレンガリアを抱き締めようと一歩前に出たルオーに対して、ベレンガリアはその分だけ後ずさった。
それが境界線だった。
今のところの、ベレンガリアの心の壁。
ベレンガリアは肩で息をしている。彼女がルオーに、こんなふうに声を荒げたことはなかった。いつも顔色をうかがって、気に入られようと発言を思案して、不機嫌そうなら色々と気を使って、いつだって従順に過ごしていた。
彼女は壊れかけていた。
「……なら大々的に捜査しちゃう?」
そんなベレンガリアを見ていられなくて、リーシェは言った。
ふたりがリーシェを見やった。ルオーの目が先を促している。
「俺達は何日も首都を歩き続けたんだよー? それでも聞こえなかったということは、声を出さないように注意してる奴か、それを装ってる奴。あるいは、塀に囲まれて聞きたくても聞こえない奴ってことになるじゃないー? なら、声を出せないとされてる人、無口な人を街で情報収集して集めて、ベレンガリア様に声を聞かせればいいわけー。従わない奴は拘束しちゃえばいいよー。本当に声が出せない人は医師に診断してもらえばいいしー」
ルオーは腕を組んで考えている。
先を続けた。
「首都には刑務所が3つあるからー、すべての受刑者の点呼をさせればいいしー」
「それでも見つからなかったら?」
「そんときはそんとき考えようよー。やってみなきゃ、わかんないもーん」
「……でもそれで本当に襲撃されてしまって、皆さんが傷付いたら……」
ベレンガリアの心はまだ後ろ向きだった。
「それは安心して。精鋭を選ぶし、装備も強化する。それに──」
ルオーがちらりと視線を寄越した。リーシェは頷いた。従ってやりたくはないが、ベレンガリアの気持ちを考えるとこのあたりが戦いの潮時だった。
早く解決する。
そのためには、捜査を公にしてしまうのが手っ取り早い。
「俺も護衛にあたるからさー」
「……リーシェ! なにを言って……!」
「ルオー様と、俺以上にベレンガリア様が信頼できる人って誰ー? そういう人がいるなら、俺、その人に護衛を任せてもいいよー」
ぐ、と喉を鳴らしたのはベレンガリアだった。
当然の答えだった。この3年間のほとんどの時間をリーシェとルオーと過ごしてきたのだから、護衛としてのふたり以上に信頼できる人間はベレンガリアにいないと知っている。
リーシェに信頼できる仲間がいないのと同じで、ベレンガリアもまた信頼できる人が極端に少ない。
その環境を作り出したのは、紛れもなく我々なのだけど。
ひとつ違うのは、ベレンガリアは自信がなくて疑ってしまうだけで、一方のリーシェは人を信じる気がない。
「いつから動ける?」
ルオーに問われ、リーシェは天井を見上げて考えた。
お腹空いたし、眠いし、ベレンガリアのお風呂の時間もあるし、お着替えさせてあげないといけないし、ベレンガリアとおやつ食べたいし、ベレンガリアも休ませてあげたいし。
「んー。あさって?」
よし、準備する。
と言って部屋を出ていくルオーの潔さに、リーシェは笑ってしまった。
(普通、もうちょっと優しくしない?)
代わりに入ってくる従者達。
「ベレンガリア様、お風呂に入って、着替えて、少し寝てきて。起きたら一緒にお菓子食べよう」
「でも、リーシェの体調が……」
「だから早く戻ってきて。俺がどれだけ食べるか知ってるでしょー?」
あなただけが知っているはず。
そう言うと、ベレンガリアは渋々頷いて従者達について部屋を出た。




