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エドウィンは離れで休んでいるらしい。
ひとりだけ成人した男だからなのか、女性だらけの塔内ではなく農具を納めた小屋に近い離れでひとり暮らし。当然、中はさほど広くはないだろうが、家がないことに比べれば快適な暮らしのはずだ。
リーシェは周囲に誰もいないことを確かめてから離れに侵入した。仲間を既に呼び寄せている可能性もあったが、その心配は杞憂に終わった。
室内は湿度が高く、むっとしている。
この室温ではエドウィンはまだ起きているかもしれなかったが、リーシェは構わなかった。先に殺せばなにも問題はない。
殺せないかもしれないという心配は微塵もない。
エドウィンは案の定、起きていた。
ベッドに横たわっていただけのエドウィンは、侵入者に気がつくと、むっくりと身体を起こす。
恐れるでもなく、怒るでもなく、じっとリーシェを見つめてくる。
「……やっぱり、あんたどっかおかしいねぇー」
一般人ではない。
少なくとも、死線をくぐり抜けてきた経験は一度ではない度胸だった。
「本当は喋れるのー?」
問うと、エドウィンは首にまとわりついているであろう汗を手の甲で拭った。
ベレンガリアが贈った服はまだ綺麗に畳まれたままベッドの足元に置かれている。
「しゃべれる」
しかし、その声はひどく嗄れていた。
焼かれたような、裂かれたような、そんな声だった。
「声をごまかすために、わざと焼いたー?」
「ちがう。やかれた」
“か行“が発声しにくいのか、ほとんどその部分だけ音が抜け落ちている。
このやりとりもベレンガリアには聞こえているのだろうか。
「誰にやられたー?」
「わからない。この施設にくるまえに、やかれた」
「どこでー?」
咳き込んだ。あまり喋らせると、喉の傷が開いて吐血してしまいそうな空咳だ。
「路地裏で。いきなり引きずり込まれて、やかれた。他にも何人かの男がやられていた。自分と同じくらいの年齢で、姿形も同じくらいの」
影武者か。
声を出せない人間を何人も作り出せば、自分への疑いの目を分散させられると考えて、自分と似通った外見の男たちの喉を焼いて回っていたのかもしれない。
信憑性には欠けるが、辻褄は合う。
この可能性もあるとだけ、頭に留めておこう。
「あと、これも頼まれた」
「なにー?」
また空咳。長い咳だったが、エドウィンは拳を作ってなにかを差し出してきた。近づくのは躊躇われたが、ベレンガリアが聞いた声の持ち主に繋がるものかもしれないとすれば、近づかないわけにはいかなかった。
「お前を殺しにくるやつがいたら、渡せって」
そう言いながらリーシェの掌にころんと落とされたのは──。
「くそッ!!」
リーシェの受け身が一瞬遅れた。
それが小型爆弾だと気づくのが、わずかに遅かった。
気づいたときには、目の前が真っ白になっていた。
◇◆◇◆◇◆
はっ、と目を覚ましたベレンガリアはいつもは聞こえない大きな音に飛び起きた。
なんだ、この音は。
こんな音、聞いたことがない。
ベレンガリアはベッドから滑り降りて、窓を開けた。
「ベル……?」
ルオーが目をこすりながら背後に立つ音がした。
「ルオー様、なにか聞こえました」
「……なにかって?」
「爆発音みたいなものです。なにか、大きな音が。あと、リーシェの悲鳴が」
「……リーシェの?」
ルオーがベレンガリアの隣に立って外を見回す。ほんの小さな煙が立ち上っているのが遠くに見えた。
ベレンガリアが聞いたということは、間違いはない。
リーシェになにかあったのだ。
護衛であるリーシェになにかあったということは、ベレンガリアのなにかに関することがあったのだ。
「ベルはここにいて。誰かをよこすから」
身支度しながら答える。ベレンガリアはそんなルオーに縋った。
「いえ、私も行きます! リーシェに、きっとリーシェになにかあったんです。私になら聞こえます!」
ここで押し問答しても仕方ない。
ルオーは従者達を叩き起こし、騎士団に伝達を頼み、ベレンガリアと共に煙がのぼるほうへと馬を走らせた。
◇◆◇◆◇◆
(くっそー。油断した)
瓦礫の中から這い出たリーシェはそのまま仰向けになって倒れた。左手は使い物にならなくなっていた。肘から下が吹き飛んでいる。
まさか自決を選ぶとは思わなんだ。
きっと立ち向かってくるであろうという好戦的な思い込みが仇となった。リーシェは着ていた服を破り、腕の切断面に強く巻き付ける。
叫びたくなるほどの激痛だった。
どくん、どくん──。
拍動に合わせて血が流れてくる。
(こういう音が聞こえているんだろうなぁー)
夜空を見上げる。
煙にまみれた夜空には、星のひとつも見えはしなかった。
(このまま死んじゃおうかなー)
死んだほうが、もう解き放たれる。だってベレンガリアとルオーを引き裂くのは難しそうだし、ルオーはベレンガリアを諦めなさそうだし。
この腕で奪っても、奪い返されそうになったら負けそうだし。
奪い返されたら、それこそ自分は生ける屍だ。
「あーあ……。腕、なくなっちゃった」
左腕を夜空にかざすように持ちあげると、既に血を吸った布から自分の血が滴り落ちてくる。
その先に掌はない。
もうベレンガリアの耳を塞いであげることもできない。
それなら、生きていても仕方がない。
リーシェは脱力して、長いため息をついた。
そして、歌を唄った。
ベレンガリアを寝かしつけるときの、切ない歌詞のあの歌だ。
この歌で自分も眠ってしまおう。
なにも聞こえない場所に。なにも感じない場所に。
ベレンガリアも自分もいないところに。
ひどく長い余韻だった。
歌い終えたあとの静けさを感じていると、揺さぶられているのに気がついた。
目を開けると、そこにはベレンガリアがいた。
そんな、嘘だ。こんなところにベレンガリアがいるわけがない。幻だ。
リーシェは左手でベレンガリアを撫でようとして、手がないことに気がついて、右手でベレンガリアの頬を包んだ。
温かく、涙で濡れているベレンガリアは間違いなく本物だった。
「ほんものだぁ」
「リーシェ、大丈夫!? 今、お医者様が来るから、もう少し頑張って!」
本物だ。本物のベレンガリア。
「ベレンガリア様」
「リーシェ! 今はまだ喋ってはだめ! 呼吸をして!」
ベレンガリアが何かを言っている。ルオーがいるのだ。騎士団の服を着たルオーはまたその後ろにいる誰かに何かを告げている。
「ベレンガリア様、一緒に遠くに行こうよー……。誰もいないところ、俺とベレンガリア様しかいないところ。
一緒に、行こうよぉー……」
瞼が重くなって、ベレンガリアが半分になる。
そうするとベレンガリアが掌でリーシェの頬を叩いてきた。
「寝ないで! 私を見てて! ここにいるから!」
「見てるよー……」
ずっと見てた。ずっと見てる。
「目を開けて! 寝ないで! リーシェ! リーシェ!」
ああ、なんで一緒に行くって言ってくれないんだ。
リーシェは一番深く息を吐いて、意識を手放した。




