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 しばらくその笑い声を聞いていた。

 目の前のベレンガリアから紡ぎ出される温かい笑い声が、ルオーにとってはどこか遠くに離れていく別れの言葉に聞こえ始めていた。


 ベル──。


 ほとんど声になっていなかった。

 吐息さえ、混じってはいなかった。

 魚が餌を求めるみたいに唇をぱくつかせただけ。しかしベレンガリアは、はっとしてルオーへと視線を移した。


 ベレンガリアはすぐに身なりを整えた。

 ドレスの裾を手で払って形を整え、髪を背中へと流し、はしたなくはない程度の速さでルオーの前に歩み寄ってくる。

 ふわりとドレスの裾を広げて、頭を下げた。


「お騒がせして申し訳ありませんでした」


 ルオーは、自分がベレンガリアの笑顔を奪っている気がした。だから、もう責めることはできなかった。


「僕が、連れ出したせいでもある。謝らないでほしい。体調は?」

「よくなりましたが、まだ少し心配だからとリーシェが屋敷内での休養を提案してくださったので、庭をお借りしていました」


 音楽はすっかり止んで、リーシェはカルテット達に暇を告げている。

 静かだ。

 嫌な静けさ──。


「……そう。ゆっくり休むんだよ。僕の仕事はもうないから、リーシェには帰ってもらう。医者を呼んだから、診てもらって。……──もう頭を上げて」


 いつまでも頭を下げていたベレンガリアは、ようやく姿勢を戻した。

 こんな主従関係を望んでいるわけじゃない。

 こんな、行儀のいいベレンガリアを望んでいるんじゃないんだ。


「他になにかほしいものはない? 心が休まるアロマは?」

「いえ……。あの、もし、よろしければ……」

「うん。なんでも言って」

「お洋服を買いたくて」


 珍しい訴えだった。ベレンガリアがなにかがほしいと望むことは滅多にない。

 ルオーは前のめりになって頷いた。


「うん、うん。もちろんいいよ。すぐに仕立て屋を呼んであげようか? それとも、もう気になっているお店があるのかな? どこのお店?」

「実は……男性のお洋服なのです。今日、わたしを介抱してくださった青年が施設にいて……着ていたお洋服が破けていたのです。後日、お礼をするからと約束してきたもので」


 介抱?

 騎士団員はなにもしなかったというのか?

 そんな報告はなかったが……。

 ルオーは疑心にとらわれた。


「どんな男? 背はどのくらい? 名前は? 髪、瞳の色は?」

「えっと、背は……どのくらいだったか……。歳はおそらくリーシェくらいか、少し年上で、名前はエドウィン。髪も瞳も黒色でした」


 そんな男があの施設にいたのだったか。

 護衛のために、周囲の検索や従業員の名簿にはざっと目を通したはずだった。

 しかし当日での依頼でもあり、いつもより丁寧さは欠いていたのは間違いない。特に、外で働く者よりも、中で接触する者を重点的にチェックしたから記憶に残っていない可能性もなくはなかった。


「なにか特徴は?」

「声が出せない様子でした」


 怪しい。

 ベレンガリアを地獄耳少女だと警戒していれば、声が出せないふりくらいするだろう。得体が知れないうえ、身元がはっきりしないなら御礼を渡すのはよくない。

 変な繋がりを持たれても困る。


「まずは身元の調査から──」


 言いかけ、やめた。

 ベレンガリアの唇がぎゅっと引き結ばれたからだ。

 ああ、断られる──。

 それを予期していて、やっぱり駄目かと諦める表情だった。


 御礼を渡すのは、悪くない。

 特に不満が溜まっている今の状況では、礼を尽くしておくことは悪いことではないだろう。物を渡すだけなら。


「それなら、男性物の服を取り扱う仕立て屋を呼んでおくよ」


 ベレンガリアが振り仰いだ。予想外の返答だったようだ。

 表情がぱっと明るくなる。


「よろしいんですか?」

「うん。ベルを助けてくれたんだから、御礼しないと」


 ベレンガリアがみるみる笑顔になった。

 彼女は自由を求めているのだと改めて感じた。平民であった彼女は、こんな窮屈な屋敷で窮屈な暮らしをすることは似合わない。

 自由を求めている。


「あと、それから、できれば働きに出たくて……」

「……えっ?」

「リーシェがついてきてくれるというので、今日の施設で……中でのお仕事は、耳が痛くなってしまうので、外の雑用ですとか……」


 僕の婚約者が働く?

 それは、ルオーにとってなかなか屈辱的な提案だった。ルオーが稼いでくる金だけでは足りないと言われているような、そんな感覚。


 しかし、ぐっと堪えた。

 守ろうとして閉じ込めて、結果、彼女の心が壊れてしまっては意味がない。

 彼女は自由を求めている。


「……わかった。ただ、調査が済んでから。1日に3時間。週に3日。それが限度だ。なるべく僕がついていく」


 ベレンガリアの隣に立ったリーシェは意外そうな顔をした。ベレンガリアは弾けそうな笑顔になっている。

 ルオーが求めている、ルオーに向けられて欲しい笑顔。


「ありがとうございます!」


 ルオーはリーシェに帰るよう伝えた。

 リーシェはいつものなにを考えているかわからない顔で「はーい」と間の抜けた返事をしつつ、横目でルオーの観察をしながら屋敷をあとにする。

 その目がたまらなく不愉快だった。隙をついて攻撃を仕掛けてくるヘビみたいな奴だと思った。実際、それほどの狡猾さがあるのだろう。


 ベレンガリアを医者に診せている間に、施設の従業員に前科者などが含まれていないか調査を命じ、自分の勤務予定を確かめる。

 舌打ちした。

 ルオーは多忙だった。

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