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 ルオーが初めてベレンガリアと出会ったのは、彼が幼少期の頃だった。

 ルオーの父は厳しく、強く、騎士団に入団するために生まれてきたのだと自他共に認めてしまうほど腕力に優れていた。だから、息子であるルオーにも強くなるようにずっと昔から厳格に育ててきた。


 火の使い方を覚え、剣を持ち始めてすぐ、ルオーは山で7日間生き延びるように父から(めい)じられた。戦うことと、生き延びることは同じように大切なのだと言われた。


 無駄死にはするな。

 戦って生き延びたのなら、なんとしてでも生きて祖国に帰れ。

 そして次の戦いに挑むのだ。


 それが父の教えで、ルオーは数本のマッチと油、ナイフと半分ほど満たされた水筒、ほんの少しの傷薬と塩を持たされて山に放られた。


 何日が経ったのだろう。


 獣と遭遇しないように物音一つに怯えて逃げ回って、木の実や湧き水、リスなどの小動物を焼いては食って過ごした。


 眠るのが怖かった。

 眠っている間に腹に獣が噛み付いて、臓腑を食べ散らかしているときに目覚めてしまうのではないかと考えて、目を瞑ることさえ怖かった。ナイフを片時も離さなかったし、眠るのは細切れでいつまでも疲れが蓄積されていくようだった。


 目を開けるたびに、今はいつだ、と数える。


 朝日を7度見たような気もするし、朝と昼に2度同じ太陽を見た気がするし、やっぱり寝惚けていたかもしれないしで7日間の日付の感覚が狂い始めたころだった。


 動けなくなってしまったのだ。


 疲れ果ててしまった。目を開けているのさえ億劫で、早く夢も見ないくらいに眠りたくて仕方がなかった。


 もう生きられなくても構わない。

 戦えなくても構わない。


 このまま眠れるなら、もう指一本動かさなくて済むのなら、なにがどうなろうと構わない。


 自分の命を諦めて快楽に身を委ねる。


 そんな気持ちで眠り掛けたそのとき──



「こっち! 一昨日からずっと動かないの!」



 草木を掻き分けて、誰かが現れた。

 その小さな誰かは太陽の逆光になって顔が見えなくて、でも声で女の子だとはわかって、貴族では着ないような少年みたいな服を着付けていた。

 そのうしろに大人を何人も引き連れている。


 見慣れた団服が目に飛び込んだ。

 父だった。


 先頭にいた少女が指差したのは間違いなくルオーで、父は少女の横をすり抜けて、いの一番にルオーのもとへ駆け寄ってきた。


 ぼやけた視界が父の威厳たっぷりの顔でいっぱいになる。けれどその顔はどこかいつもの威厳はなく、焦燥に満ちていたようだった。



「ルオー! 大丈夫か!?」



 乾いた唇を動かすと、声がうまく出なかった。唇をすぼめているのに、声が空気になって出てこない。ようやく絞り出した声は、がさがさでほとんど音になっていなかった。



「……父上……。もう、7日、経ちましたか……」



 言うと、父の目がぐるりんと丸くなった。驚愕したらしかった。



「なにを言ってるんだ! とっくに半月以上経ってるんだぞ!」



 はんつき。

 はんつき、かぁ。


 はんつきって、なんだっけ。


 ぼんやりとする。眠くて堪らない。眠すぎる。



「よく生き延びた。さすが私の息子だ。お前はもう立派な騎士だ……!」



 そう言って力強い父の腕に抱き締められたときの安心感は、もう二度と感じられないだろうと思った。


 寒くなる少し前の秋のことだった。

 その少女こそ、ベレンガリアだった。



◆◇



「……え? 僕の心臓の音が聞こえたの?」

「そう。秘密だよ」



 しーっ、と口の前で人差し指を立てるベレンガリア。

 例の一件以来、父はベレンガリアを最低でも月に一度は屋敷に招待するようになった。息子の命の恩人であるのもひとつの理由だったけれど、どうやらベレンガリアはかなり気の利く子で父に気に入られたらしかった。


 必然的に月に一度、ベレンガリアとルオーは遊ぶようになった。そんなある日の午後、散々駆け回ったあとで屋敷の庭のテラスで温かい紅茶を飲んでいると、ふとルオー救出劇の話題が上がったのだ。


 どうやって自分を見つけたのか。

 父からは、いつまでもルオーが下山してこないから捜索隊を要請し、何日もルオーを探していた。その途中でどこからともなくベレンガリアが現れて、こっちに人がいるのだと案内し始めてくれた。幼女の証言はかなり信憑性に欠けたが、それ以外に手掛かりがなく一同は賭けに出た。

 賭けには勝った。


 父から当時のベレンガリアの証言は『山で遊んでいるときに見付けた。初めは寝ているのかと思って気にしなかったが、また遊びに行ったときにもいたので心配になり大人を呼んだ』と聞かされていたのだが、今のベレンガリアの口からは頓狂な話が出てきた。



 自宅からルオーの心臓の音が聞こえたのだという。



 確かに、ルオーの屋敷に比べれば平民であるベレンガリアの家のほうが山には近かったのだけれど、それでも心音なんて聞こえるはずがない。今まさに、すぐ隣にいたって聞こえないのだから。



「私には聞こえるの。あのとき、ルオー様の呼吸の音だって聞こえてた。けど山に入ってすぐのころは動き回ってたし、山から下りられるはずなのに下りてこないから、敢えて山に留まってるんだと思ってたの。

 けど、ある日を境に全然動かなくなって──」


「呼吸の音が?」


「そう。ううん……ちょっと違うかも。動く音がしなかったの」

「動く音?」

「そう。山に風が吹くと、だいたい同じような音がするの。葉っぱが揺れて、木の隙間から風が漏れて音が変わってまた駆け抜けていく。

 そこに生き物がいると音の変わり方が違うの。少し、ほんの少し低くなる。だからルオー様が動き回ってると風の音の変わり方が違ったし、心音も呼吸音も動いてた」



 ルオーにしてみれば、言っていることはちんぷんかんぷんだ。嘘ではないかと思った。



「そんなにたくさんの音が聞こえてるの?」

「そうだよ。ずっと遠くの音も聞こえてる。その証拠に、あと20秒でお父様がいらっしゃるよ」

「え? なんで? ここに?」

「ここに。出迎えてみる?」



 そうしてテラスから部屋に続く窓のすぐ外に立って待っていると、本当に父が部屋に入ってきたものだから驚いた。

 父はにっこりと笑って近付いてくる。

 ルオーは耳打ちした。



「え? なんでわかったの?」

「聞こえたの」



 それで父にお茶菓子を分けてやり、平民の間で流行している遊びをやってみせてやったりと、それはそれは父に気に入られるようなことをした。



◇◆



 きっとこのような過去がなくても、父は職務のためならばとルオーとベレンガリアの婚約を認めただろう。しかし、このような過去があるからこそ、父は婚約をむしろ待ってましたとばかりに喜んだのだ。拍手喝采。感涙。


 なのに、いつの間に、ベレンガリアは自分に敬語を使い、笑わなくなったのだろう。



 いつの間に、こんなに遠くに来てしまったのだったか。



 わからない。

 わからないけれど、リーシェと共にリーシェの家に行こうとするベレンガリアを止めもせずにベッドに不貞寝している自分が情けないのだとはわかる。

 不甲斐ないのだとはわかる。


 けれどベレンガリアがリーシェを愛しているなら、手放してやるべきなのだともわかる。

 どうすればいい?

 諦めろというの?

 こんなに、ベレンガリアに会えるのを毎日楽しみにしているのに?

 毎日からベレンガリアがいなくなったら、どうなるの?


 ルオーはぎゅっとシーツを握り締めた。



「僕は好きなんだよ、君が」



 聞こえないけれど。

 君には唯一、聞こえないけれど。最も聞こえてほしい言葉が、君にだけには届かないけれど。



「それでも、僕は君が好きだ!」



 ルオーは立ち上がって廊下に飛び出した。



「ベル──ッ!」



 その先にいたリーシェとベレンガリアが立ち止まった。

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