十二話 あわあわとおめめぐるぐる
もうちょっと内容詰めたかったけどそれすると長くなって長くなりすぎると読む側に負担が……。
初瀬彩奈という少女は魔法の考察、研究が趣味だ。
それは彼女の同居人である浦谷悠羽が原因であり、あとは一人で沼に沈んでいっている状態なのだが。
「颯希に誘われたゲームだと、剣士だったのに……どうして」
そんな独り言を漏らすほどに熱中してしまっていた。
魔法陣を縮小拡大してどこまで発動するのか調べたり、魔法陣の線を細くしたり太くしたりして魔法への影響を調べたり、内側に書かれるべき円を取り外してみたり。
やることは研究者。小学校の植物の成長の実験で水を与えることや室温を同じにするように条件を揃えて、片方の植物の光を遮るように調べる事柄に関わる場所を変えて結果の差をくらべる実験を行う。
といっても魔法には発動の制限が存在する。
これまた初瀬が自力で見つけ出したことなのだが、魔法は『並列演算』というスキルを発動させていない限り同時に一つしか使えない。これは彼女の推測だが、個人の技能が足りないのではなくステータスが管理する魔法というスキルにくくられたものはそういう枷がかけられているよう、そう結論づけられたおそらく絶対の法則がある。
それがこの実験の遅れを生み出した原因だったりした。
過去形なのは、あまりに同時に魔法を使おうとしたからか、『並列演算』をついに獲得し前の数倍のペースで研究が進むようになったからだ。
今は朝食も終わり昼飯までまだ時間があり、だんだん閑散としてきた食堂で初瀬はのんびり魔法を試していた。
訓練がない日……つまり休日とは彼女にとって魔法を調べる時間が溢れかえった大変ありがたい日でもあり。この世界に来て出来た同室の友人とスキンシップを取れる楽しい日でもある。もちろん本当の娘ではないが、そう呼ばれる浦谷本人もだんだん娘に慣れてきてしまっていた。ただ慣れたのはそれだけで男として人間として羞恥心が生まれることに変わりはない。
とにかくのんびりした休日、嬉しいその日だけに初瀬は上機嫌で魔法陣をいじくっていた。
「初瀬ちゃん! 今日も難しそうなことやってるね」
そんなとき、乱入者がやってきた。
ひょこっと食堂の入口から顔を出して初瀬を覗くのはこの世界に来て二日目に浦谷の猫耳にリボンを結んだその人、戸澤南月という少女。初瀬は良いセンスの持ち主だと評価していた。あの猫耳に赤いリボン……グッジョブである。
「難しくはない。……いや、難しい? やってることは理科の実験と同じ」
「魔法を科学と表すとは……独特な感性をお持ちですなぁ」
「ですな」
これまたひょこっと戸澤の後ろから飛び出したのは城 愛音。浦谷の髪弄られ事件の三人のうちの二人がこの場に揃ってしまった。
「独特じゃない、法則を見つけて再現性と複製可能性を得られれば科学といえる……たぶん。もしかしたら……そうすれば魔法を科学の一分野、物理法則の一つに落とせるかもしれない」
「それまたなんとも、壮大な夢だな」
「んー……? なるほど……それを達成して初瀬ちゃんは何がしたいの?」
「ああ、確かにそれが気になるな」
「何をする……? 特にない、強いていえば魔法というものを解き明かしたい」
「根っからの研究者がいるな……」
「あれぇ、初瀬ちゃんってこんなに表情豊かだっけ……?」
爛々と瞳を輝かせた初瀬は目先の作業に戻ることにした。
すなわち、外部に放出した魔力が停滞しない謎の解決。いつも必ず一方方向へ向かうなにかに流されていく魔力を押す力の謎。
今の作業の息抜きとして気軽に始めた実験は、思った以上に長引いてしまっている。
魔力の流れをよく観察して観測する場所を変えて方向の変化から大元は城の方角だというのはわかっているが、逆にいうとそこまでしか判明していない。
「一箇所に停滞してくれないと……あれ、試せない」
あれ、とは前に魔物を討伐した時に魔物の遺体の中で発生した魔力の停滞後一箇所に集まっていく現象のことである。
「まあなんだ、色々大変そうなんだな。あたいはちっともわからないぞ……門外漢ってやつだな」
「安心してあーちゃん……私もわからない!」
「そりゃよかった、わかるなんて言い出したら……あたい、どうしてくれようかとおもったぞ」
カラカラと笑い始めた二人を尻目に初瀬は体内の魔力を外界へ放出した。
すると少しづつ城の逆側へ流れていく魔力。
むむむっと睨んでもなにかわかるわけもなく新しいひらめきによる新しい視点からの実験に挑戦しないといけないわけで。
はぁ……とため息をつく。
なんかこう……びびびっと電波受信しないだろうかと頭を抱えだした彼女はやはり降りてこないアイデアにもう一度ため息をついた。
なにか浮かばないか、そう考えてもう一度魔力をじっと見つめる。
見つめる。
よく観察する。
ふと、初瀬の脳内に黒髪の少女の姿が浮かんできた。
猫耳に猫の尻尾を生やしたその少女……浦谷悠羽ならばこういう時なにかいい案が思い浮かぶだろうか。
そんなことを思った。
幼馴染の上月颯希は……あいつは感覚派だから無理だろうなと速攻で諦めた。
「初瀬ちゃん難しい顔してるねぇ! こんな時はどう? ……ちょうど今はいつもの一人がいないから私たち二人だったんだけど……初瀬ちゃんが加われば三人! なんと姦しい空間の出来上がりです!」
「三人よればってなー来米は今日、予定あるから遠慮はなくていいぞ」
「自ら姦しいっていうの?」
「イエス! 私たち騒々しくてやかましいブラザーズ!」
「それをいうならシスターズだぞー」
「それは……つまり、あーちゃんくーちゃんの双子姉妹に私が姉として君臨していいということ!?」
「ふっ……あたいと来米の姉妹の絆に割り込もうなど三億年早いんだぞ」
ワッハッハと初瀬を置いてまた笑い始める二人、なかなかにテンション高めなものだ。
「会話、気分転換……一緒に話すのはいい、けど話題は持ち合わせてない」
「おお! あたい、正直彩奈ちゃんが会話に加わるなんて思ってなくて驚いてるぞ!」
「でもそこで話題を探す話題を提案してくるなんてすごくらしいね!」
「そう……?」
「そう!」
「だぞ! ……間に『なの』を挟んでくれる来米がいなくて寂しいな」
しょぼんと落ち込んでみせた愛音はちらっと初瀬へ視線を送った。
「……」
「そう!」
「……なの?」
「だぞ! ……決まったな、ナイスだ初瀬ちゃん。褒美に世界の半分をやろうなのだ」
「やろうなのだ……?」
「人の癖にツッコミを入れないでくれるとありがたいぞ……」
「自覚、あったんだ」
「そりゃもちろん、他人と自分の違いに気づけないあたいではないのだ」
「へぇ……」
「うん」
「……」
しん、と声がとだえた。
互いに誰かが話すのを待つように構えたその様は、傍観者がいたとしてもすぐに彼女らの心境がわかる光景だ。
「……話題、尽きた?」
「尽き……たねぇ」
「なんもなくなったな」
「正直、初瀬ちゃんとよく話すわけじゃないしね……共通の話題も何も思いつかない」
「なー」
「えーっと……初瀬ちゃん、この国に大図書館がある話は?」
「知らない」
「おっそうなんだ! 前にね、外に狩りに行く途中に街の人が話してるのが耳に入ってきて……」
「大図書館……本。『本の国』デア王国……由来かな」
「そうじゃないかっていう推測だなー……そして実際聞いたのはあたいだぞ」
「あーちゃんじゃなくてくーちゃんでしょ……あっ」
「ボロが出たなー、昔から変わらないな」
「ボロボロだね。大浴場くらいボロボロ」
「だなー大浴場くらいボロボロだ。この建物、全体的に新しいのにあそこだけ古いもんなー」
「話の脱線! しかしこれが話の長引く秘訣!」
「そういうこと言うから話題が尽きるんだぞ」
「実際、あの大浴場は『七不思議、時代が進んでいない風呂』……って誰かが言ったくらいしかネタ残ってないもんね!」
「七不思議……」
「……? どうしたの初瀬ちゃん」
「七不思議……絶対誰かが言い出すって悠羽が言ってた」
「へぇ、悠羽ちゃんが……正解だったみたいだなー。預言者浦谷悠羽ちゃんかー……。で、南月……話題思いついたか?」
「いくつか……『水魔法』大好きな子が「一回だけ魔法陣が黒かった」って騒いだこととか、この国の第一王女さまが崩御されてることとか、魔法使いの子の中で魔力の人影を見たって子がいることとか、この国の治安がいいのは実は大陸規模の裏組織がとか、あーちゃんくーちゃんのギフトが双子で色々共有できることとか、第二王女さまは病弱なこととか……ってこれはみんな知ってるか。えーっと……」
南月が指を立てて数えていく。
初瀬は立てられた六本の中にいくつか興味が湧くことがああったが、何よりこれを言いたかった。
「意外と話題がある」
話題が尽きるとはなんだったのか。
「会話には十分なものばっかりだなー、これで尽きたとかのたまってたのか?」
「そういう言うあーちゃんはなにかないの!? 絶対なにかあるでしょ!」
お前も同類であろうと南月は愛音を睨んだ。
「ふふんっ……それがなー。なにもないのだ!」
「胸を張ることじゃないよ!?」
「話題が尽きても話せる……それが話題……」
「いい話っぽくしてるけど初瀬ちゃん、あーちゃんが煽ってきてるだけだからね?」
「南月の胸があたいよりでかいのが悪いんだぞ?」
「……大丈夫だからねあーちゃん。成長の見込みは……ないけど、ほら、くーちゃんがたまに甘えに来てるでしょ? その……その胸でも母性が……」
「慰めになってないぞ。泣くか? あたい、ギャン泣きしてやろうか?」
「あっああの、初瀬ちゃん! 気分転換になった? なったよね? なったでしょ!?」
「強引な話題転換にあたいは驚きを隠せないぞ」
「すごく無理矢理……」
「だって……だってぇ!」
腕で目をおおった南月がおいおいとわざとらしく泣いたフリを始めた。
呆れた瞳で見つめた愛音は見下したまま一言。
「双子特権。お前の大好きな来米とあたい……今、ちょーど視界共有してる」
「ずるい……ずるいよそのギフト……くーちゃんの中にあるだろう元気で完璧な私像が瓦解していく……」
ずるずるずると崩れ落ちる南月、勝ち誇った顔をした愛音。
二人を前になんだコレと首を傾げるしかない初瀬であった。
◇
あの二人も去った昼前の食堂。
初瀬がただ座って外部に放出した自分の魔力を回収する方法を編み出した頃、ふと彼女は閃いた。
それはそれとて先程サラッと流された『『水魔法』が好きな子の魔法陣が一瞬黒かった』である。
初瀬はある可能性に至ってしまったのだ。
「黒……インクがもったいなかったけど全部試したはず……けど」
独り言を呟いて、食堂に持ち込んでいる羽根ペンを薄い木の板に下ろした。
あっという間に描かれたのは黒い円の中に四つの水滴が落ちながら円環する模様を描いた。
『水魔法Lv.2』浄水の魔法陣。
その名の通り飲める浄化された水が湧いてくる。決して汚れた水を浄化する魔法ではない。水の濾過は系統的には『土魔法』で使えるようになると初瀬は予想していた。
「魔法を使えるクラスメイト、水魔法好き。多分……あの子、あの子は確か昔の考え方が好きだった」
羽根ペンをペンスタンドに戻して一息。
「考え方、思想。ゲームをしててハマったとか言ってた……有名な黒、そして水」
つまりは五行思想。五行思想の水は黒なのだ。
そう心の中で呟き魔力を通すと水が湧いてきた。
じわじわと水が魔法陣から生み出されていく。
「……っ! 成功……でも量が少ない……なぜ」
お試しで成功したら嬉しい程度で行った行為が本当に当たりを引いてしまったためか、初瀬は歓喜で満ちていた。
これだ、色は私たちの認識が関わってくる可能性がある。
そう喜んだ彼女は持ち上がったモチベーションのままにさらに深い考察を始めようと……。
その時だ。
ピロンッ。
浮かんできた思考を掻き消すように初瀬の頭に音が響く。
スキルが手に入った時や、スキルのレベルが上がった時などステータスに変化が訪れるときの通知音。
《スキル『知覚拡張』のレベルが上がりました》
たったそれだけの報告。
「なぜ、今?」
考察を遮られて少しムッとした彼女は追加された効果を確認するためにステータスを開いた。
「……『虫眼鏡』……? 効果は、生物鑑定……生き物のステータスを見る力」
ふむ、と少し考えた初瀬は自分の手のひらを見て、念じながら言った。
「『虫眼鏡』」
『名前:初瀬彩奈
種族名:人間
レベル:15
年齢:17
各ステータス値─
HP:96
MP:210
STR:10
AGI:15
POW:28
DEX:30
VIT:10
INT:12
LUC:40
スキル─
『魔力操作Lv.7』『筆記Lv.2』『速筆Lv.1』『魔力効率Lv.6』『情報処理Lv.4』『並列演算Lv.1』『火魔法Lv.5』『水魔法Lv.3』『土魔法Lv.4』『風魔法Lv.2』『治癒魔法Lv.4』『魔力知覚Lv.3』
ユニークスキル─
ギフト─
『知覚拡張Lv.2』
称号─
『異世界人』』
初瀬の視界に入り込む自分だけ見えるホログラム。
それは彼女がステータスを確認する時見れるものと同じで。
他人に試しに使ってみるかと立ち上がろうとした時、もうひとつ別のページが開いた。
「状態異常一覧……? ……ッ!」
『状態異常一覧─
・洗脳:弱(スキル『知命の魅了』)
』
見開かれる瞳。
驚愕の二文字、疑心暗鬼の根源になりかねない忌むべき状態。
「洗脳……!?」
驚きを隠せない彼女は思わず叫びかけてすぐに自分の手のひらで口を封じた。
定まらない焦点で揺れる文字、さらなる変化はすぐに起きた。
『状態異常一覧─
なし
』
あの二文字は霞と消えた。
揺れる視界のまま解けるようにどこかへと。
《条件達成によりスキル『洗脳耐性』を獲得しました》
どこかで何かが聞こえる。
ガラスが砕ける音がした。
しかし、それは初瀬の日常が割れる幻聴だった。
全くの気の所為、見間違え。
あるか、そんな都合のいいことがあろうか。
気づけば初瀬は食堂を飛び出していた。
すれ違うクラスメイト全員のステータスを『虫眼鏡』で覗いて、その度に吐き気が増す。
青く染る顔。
誰がどう見ても体調が悪いと見抜けるその表情。
揺れる瞳にはとにかく呆れるほどの洗脳の二文字が浮かんでいた。
「初瀬、初瀬……どうした。大丈夫か!?」
目の前に現れたのは彼女の幼馴染。
初瀬彩奈という人間にとって最も付き合いの長い人間、その姿に安心して。
「颯希……っ! 颯希……あの、ね…………えっ?」
今起こっている事件を話そうとして。
反射的に使用していたギフトで上月颯希のステータスが開かれる。
見なければよかった、そう彼女は思った。
『状態異常一覧─
・洗脳:弱(スキル『知命の魅了』)
』
こいつもか。
みんなそうなのか。
じわりと瞳に水がたまる。
「颯希……ごめんね。後で話す」
「おっおい、初瀬!?」
思わず上月を突き飛ばしそうになったが、すんでのところで止まって、初瀬は駆け出した。
怖い。
何もかもが壊れるようで、何をどうすべきかわからなかった。
「……そうだ。悠羽は? 悠羽はどうなってる」
初瀬彩奈の庇護欲を刺激する存在。
地球にいた頃からただどういう時であろうと弱々しいという感想が浮かんだ不思議な存在、それがこの世界に来てから壊れそうに変わった意味不明の娘。
どうして彼、または彼女にそんな感想を抱くのかは全くもって不明だが、とにかく守りたくなる可愛い子。
そんな思いも洗脳によって誘導された思考なのかもしれない、そんなありもしない予感が走る。
現に娘のように扱ってしまっている同居人は一体どうなのだ。
多分、悠羽なら部屋にいるはずだ。
進む足の行き先が完全に決まる。
己と娘の二人部屋、迷わない足取りは最短の道を通るに関わらず延々と続く気もしてくる。
部屋が遠い、登る階段が邪魔くさい、鍵を鍵穴に指す手が震える。
あの子まで、あの子までそうだったとしたらどうすればいい。
どうやって自分はなにをして聞くいや会えばいい、そうやって初瀬の思考は微塵もまとまらない、成り立たない。
かちゃんと扉の鍵が開く。
「……」
ドアノブにかけた手が動かなかった……否、止まった。
成立していなかった思考がまとまった。
初瀬の感情に名が付いた。
恐怖。
考えがまとまらなかったまとめたくなかった意義がわかる。
鍵を持つ手が震えた理由がわかる。
顔から血の気が引いた意味がわかる。
気づきたくなかったのだ。
いっそこんな事実、何もかも忘れてしまいたかったのだ。
最後の一歩、終わりへの一方を踏み出したくなかったのだ。
だが、感情は定まった。
怖いという思いは理性が感じ取るものに貶められてしまった。
手は……動く。
ドアノブを力強く握った手は、当たり前に動くノブを当たり前に回す。
キィ……と扉が開いた。
「……おっ初瀬さんおかえりなさい……ってどうしたんですか!? 酷い顔ですよ! ……初瀬さん……初瀬さん?」
ベットに腰をかけて分厚い本を読み込む幼い姿。
顔色の悪い初瀬を焦ったように見る娘は、きちんとそこにいた。
後ろ手で部屋の扉を閉めて、鍵をかけた。
そして『虫眼鏡』と彼女は心の中で念じた。
スキルの権能が浦谷悠羽という人物のステータスを浮き出させる。
『名前:浦谷悠羽
種族名:獣人,ケット・シー
レベル:7
年齢:10(16)
各ステータス値─
HP:98
MP:150
STR:25
AGI:22
POW:20
DEX:20
VIT:4
INT:10
LUC:8
スキル─
『短剣Lv.9』『魔力操作Lv.3』『記憶Lv.2』『火魔法Lv.3』『洗脳耐性Lv.2』『ショートスリーパーLv.3』『猫の目Lv.6』
ユニークスキル─
ギフト─
『猫獣人幼女』
称号─
『異世界人』
』
『状態異常一覧─
・■■■■(■■■他)
』
「……」
それは、硬直をさせるに足る内容だった。
恐怖でもない。
今までで最もわからない。
『洗脳耐性』があることに、状態異常に洗脳がないことに喜ぶべきなのだろうか。
それとも正体不明のなにかに怯えるべきなのだろうか。
「悠羽……」
「えっあの……大丈夫ですか? って大丈夫じゃないですよね、早く、ベットで寝てください! 今だれか呼んできま……───ッ!!」
何もかもがわからなくなって、終いには娘に抱きついていた。
唯一、洗脳がかかっていないとわかっている娘に。
「うぇ……えっええ!? ちょっど、どどどどうしたん……こっちは初瀬さんのベットではな──」
「悠羽……あぁ……あああああっ!!」
みっともなく泣きつく、娘と可愛がっていた存在の胸で大声で泣いた。
彼女の冷静な部分が、どこか自分を情けないと罵倒した。
「はつ、初瀬……さん?」
「うぁ……あああっ……ひぐっ……あぁぁ……」
◆
なんなのだ。
なんだというのだこの状態は。
突然俺を抱きしめて、大泣きする初瀬さんに困惑していた。
俺の服の胸のあたりが涙で濡れている。
あの顔の悪さは涙の原因から来ていた?
実は初瀬さんは怖がりで、オカルト溢れるこの世界で幽霊を見てしまったりとかそういう感じだろうか。
これそんな雰囲気だ。
とにかく、どうであろうと話は泣き止むまで出来ないな。
こういう時、世の中の数多の主人公たちは頭を撫でたり背中を撫でたりなんなりして慰めるのかもしれないが、俺の両手はまるで銃を突きつけられてあげたような格好のままだ。
異性に触れられるほど度胸はねぇんだよド阿呆。
……いや、興味がないわけじゃないよ?
むしろ興味がなかったらどれほど楽か。
なんてったって男の子……心はね。
女の子という存在に興味がないわけないのである。
恋愛には興味がねぇぜとかいってる厨二病もどうせ寝る前には好きな子の姿が頭にモヤモヤ浮かんできて勝手に都合のいい妄想の幕が上がってくるんだぜ。
俺、知ってるもん。
男子とはそういう生命体なのだ。
すーぐ思考が跳躍してえちちなことを考える。
だから創作で別種族に年中発情期とか言われんだよ。
悪いとはいわないが、たまに脳に一時的にNGな思考を設定する能力が欲しくなる時がある。
具体的にいうと今である。
別に今、えちちなことを考えているわけではないが、心臓が早鐘を打っているのは確かだ。
誰でもいいからこのドキドキを止めてくれ……やっぱ待って心臓の鼓動が止まったら死んじゃう。
ほーら、えちちなことを考えてないとか考えるから、だんだんそういう妄想が浮かびかかってきたよ消えろ。
もくもく浮き出てきたモザイク必須の吹き出しは吹いても吹いてもまた浮いてくるから本当にどうにかしたい。
こんこんと突然扉がノックされた。
「おーい浦谷、いるかー?」
わーい、やったね俺の心のオアシス上月さんの声だ。
「ええ、いますよー」
「さっきすごい顔した初瀬を見たんだが……いるか?」
思わず胸で涙を流し続ける初瀬さんを見る。
何もかもを理解したくない、そんな感情が見るだけでわかる。
扉の向こうの上月さんの声に一切反応を示さないのが何よりの証拠である。
「ええ、来てますよ」
「やっぱりか! ……部屋に入っても……」
「……でも、しばらく放っておいてあげてください」
「……そうか。俺は頼られなかったのか」
ドア越しに落ち込んだような声が聞こえた。
今見に行ったらしょぼんと相当落ち込んだ顔をしているんだろうなと容易にわかる。
とにかく、察しがいいのはありがたい。こういう時は一旦落ち着けた方がいい、大人数で押しかけちゃいけないのだ。
「いや……今回はなにかの偶然が重なった結果でしょう。絶対に、俺より上月さんの方が頼られていますから……いやマジで」
少し初瀬さんに頼られる風景を思い浮かべようとしたが何も浮かばなかった。
「……初瀬が冷静になったら上月が来たとだけ言ってくれないか?」
「わかりました」
「ごめんな」
ドア越しに聞こえる声が止んだ。
同時に廊下から離れていく足音が聞こえる。
どうすればいいのかなぁ。
◇
「…………悠、羽?」
「起きましたか、おはようございます」
あの後、疲れて寝てしまった初瀬さんが起きたのは夕方頃だった。
ちなみに俺は昼飯を逃してはいない、というか上月さんが二人分持ってきてくれた。
すごいな、常識人は小さな善行を積むだけで聖人に見える。
でもあの戦闘狂二人が上月さんと同じことをしていたらギャップ萌えーって騒いだ自信はある。
「具合は悪くないですか? ……怖い夢は見てませんか?」
寝てしまった初瀬さんをベットに運ぶのは一苦労だった。
STR的な問題ではなく、俺の体がちびっこいから運びづらかったというのが大きい。
小さい子どもは大人を持ち上げるようにできてないのである。
そんな初瀬さんはというとだんだんと状況がわかってきたのかまたなにかを怖がるような表情に変わってきた。
「大丈夫ですよ初瀬さん、何を見たかはわかりませんが今この部屋にいるのは俺と初瀬さんだけです。……心配することはないんですよ?」
「違う……悠羽、そうじゃない」
「……?」
たどたどしく話す初瀬さん。
「……さっき、私のギフトがレベルアップした」
「それは……おめでとうございます? ……いや、『知覚拡張』、人が知りえない理解してはいけない理外のことを知ってしまったとか?……霊感……みたいな」
「うんん、違う」
そう言って首を横に振った。
「『知覚拡張Lv.2』は『虫眼鏡』……何かを拡大するわけじゃない、観察する。生き物のステータスを見る力」
「生物の鑑定だったわけですね」
「そう……で、悠羽。私はステータスを見れる、それは普段ステータスを開いて見ることが出来ない状態異常まで。……『洗脳耐性』を持ってる悠羽なら、わかるよね?」
「……っ」
最近ほとんど意識してなかった洗脳の案件がまた舞い戻ってきてしまった。そうだ、この城の兵士たちはみんな洗脳済みなのだ。そして洗脳に耐えるための耐性のことを全面に出てきたということは……初瀬さんも気づいてしまったということ。
「初瀬さん、今言ったそのことは他の誰にも」
「話してない、颯希にも……洗脳が付いてたから」
上月さんにも洗脳が?
ちくしょう、あのクソ眼鏡……しっかりみんなにも洗脳かけてんじゃねぇか。
「確認があります……ないとは思いますけど一応。俺にはありますか、その洗脳」
「……ない、じゃないと話してない」
「ですよね、よかった。『洗脳耐性』のおかげですかね」
「……もしかしたら、洗脳にかかってることを知ったから洗脳が解けたのかもしれない」
「というと?」
「私のステータスにあった洗脳は、私が見たら次の瞬間消えてた。だから知ったらなくなるのかと思った……だけど本当に消えてるか分からない、洗脳で見せられてないだけ、なにか重要なことに……気付かされてないだけ……かも、しれない」
言葉尻に行くにつれてどんどん声が小さくなっていく。
また悪いことを考えて恐怖が蘇ったのか、顔が怯えて体は震えている。
「ねぇ悠羽、いつから……いつからこのコト、知ってたの? ……私たちは、洗脳で動かされてたの? ここの生活は嘘だったの? 解けたら……楽しかった記憶は……」
「…………。
そうですね……いつから知っていたか。気づいたのはこの世界にきて二日目の夜。こっそりお城に忍び込もうとしたら兵隊さんに捕まってしまいましてね……いくら話しかけてもうんともすんとも言わずに俺を運ぶものですから顔を覗いたら目が真っ暗……確か、それに気づいた時に『洗脳耐性』を手に入れました。
でも、兵隊さんたち……この世界の人間以外、俺たち異世界人がいつから何を条件に洗脳されたかは……なにも」
俺は肩をすくめて、自分のベットに座り込みながら答えた。
「洗脳で動かされていたかどうか、俺が見た限り、洗脳される前の動きを誰もがしていたように感じました。だから、もしかしたらなにか真実に辿り着かないように細工はされていたかもしれませんが……みんなの笑顔が偽物とは言えません。ほら、隊長さんのあの笑いが贋作に見えますか? あの笑顔に洗脳の命令が関わっていないのだったら、ここの生活は本物でしょう」
初瀬さんは首を振って、俺の言葉だけが救いかのように聞き入っていた。
だいぶ心が危険な状態なのが見てわかる。……今なら何を言っても信じてしまいそうだ。
「最後に、これが解けたら思い出が消えてしまうのではないか。これは初瀬さんが身をもって実証しているでしょう。初瀬さんは洗脳中の記憶を綺麗さっぱり忘れているわけじゃないでしょう、残りますよ。……しっかりと」
もしかしたら初瀬さんの洗脳が解けていない可能性の話は出さない。まだ不安定な状態の心にさらに混乱をもたらす訳にはいかないから。
「さて、他に質問は? ……ないなら、上月さんが持ってくてくれたお昼ごはん、少し食べますか? ああ、でもお夕飯も近いですから無理して食べなくても大丈夫です……うぉあ!?」
ガバッと初瀬さんが抱きついてきた。
今度は頼る者のそれではなく、頼られる側のそれ。
正面から俺の顔を、体を、包み込むように腕を背中に回して。
…………胸が顔に当たって、ああクソ煩悩退散っ!
「ごめん、悠羽……何も知らないくせに母親なんて」
「えーっと……気にするようなことじゃ……というかどうしてどこで母親云々のお話が」
「……理由は上手く言えない……けど、悠羽が思ってる以上に悠羽はなにか抱えてる。初めて見た時の雰囲気も、もしかしたら……」
「……?」
「これは今、悠羽が知っちゃいけない……誰かがそう言ってる気がする。だから、ごめんね」
「……えー、まあ……そう、ですか? よくわかりませんけど。とにかく、落ち着いたらもう一度ゆっくり話しましょう……現状こうですから、注意すべきことがいくばかありますので」
あと、と繋げる。
「……その……ぎゅーってするのそろそろ離してくれませんかね、こう……胸が……その、あたって、はい。あとしっぽさわさわするのもやめていだだけると……ありがたいなって」
煩悩ゲージが溜まりすぎて一番落ち着いてない人は俺説もある。
とりあえずまずは俺のしっぽを撫でるのを止めるところからお願いしたい。
別名、泣いてる初瀬さんが悠羽に抱きつくシーンを書きたかったお話。




