一話 TSケモ耳幼女の始まり
近年よくある異世界転移物が書きたくなり、普段の二次創作ではなくオリジナル長編を書いてみた何番煎じかもわからない素人小説です。
小説家になろうに投稿したのも、「せっかくオリ小説書くんやしなろうに投げとくかー」程度のものとなっております。
そのようなものでよければ読んでいただけると幸いです。
どうしてこうも不幸は連続するものなのか。
世界遺産に登録されそうなほど立派な石造りの建物の中で、嘆くように見上げた俺はそう思った。
課題を家に忘れたと思えば、筆記用具も家に置いてきてしまったような。
挙句の果てに体育の時間に体育着まで家にあることを思い出したかのような連続した絶望感に酷く類似している。
顔を下ろす。
俺の視線の先には王がいた。
宝石に金銀といった財を纏った王の威厳が窶れた体の印象など吹き飛ばし、他を有象無象であると主張しているように感じさせる。彼以外にも確かにこの場にいるのだが困惑の彼方へ押しやられた意識は催眠にかかったように彼へ吸い込まれるようだ。
だからきっとそのせいで幼児のように視野が狭まっているのだ。
そう思い込むことにした。
「よくぞ参った、異界の者達よ」
すっと息を吸った王が言葉を吐き出した。
より正確に言うなら、俺はこの人間が王であるかなど知りはしない。ただ王様っぽいなと思ったから王と仮定しているだけである。
なんなら、RPGならまだ名前の欄に『???』と空欄が書かれている名無し段階だ。そのキャラクターの名前が出てくると更新されて『???』から名有りキャラに変わるアレである。
「いきなりで困惑するかもしれんが、そなたらの足元にある魔術……異世界召喚魔術によって此度の魔王を倒す勇者として……いや、倒す勇者になる器としてそなたらはこの世に喚び込まれた」
王様の話す知らないはずの言語の意味がスラスラとわかるのは、いつの間にか気付かぬ間に頭にインプットされていた言語知識のおかげだろう。
知らないはずのことを知っているとは存外気味の悪いものである。少なくとも気持ちのいいものではあるまい。
まあ、その気持ちの悪さは、本来の耳のある位置より先、頭に耳があるかのような感覚で音が入り込んでくる奇妙な感覚には勝らないが。なんならこちらのが気持ち悪い。
幾度か体験したことがある気もするが……はて、なにかの錯覚であろうか。
そう気づかないふりをした。
「まだ信じられぬものも多いと思う。騙されたと思って『ステータスオープン』と唱えてみてほしい。心の中でも声に出してもよいぞ」
そういう王に従ったからか周囲の知人、俺のクラスメイト達からザワザワとした驚きの声が聞こえてきた。
俺はもう召喚やらなんやら諸々を信じてしまったということにしてそのステータスオープンとやらといわなくてもいいだろうか。
ステータスとやらにどうしても見たくないものがあるはずなのだ。
……どうせ、こういうライトノベル展開のお決まりだ。
なぜか自分にしか見えないホログラム的な画面が空中に浮かんだりするのだろう。
どうせ、その人だけのスキルかギフトか祝福かユニークスキルか技能かエクストラスキルか特殊技能か固有技能か能力かはしらんがそういうものを『天にまします神』とやらに授けられているのだろう!
そんなテンプレートを覗いている余裕は俺の心に残されちゃいないのだ。
「己がステータスを開くことが出来たか? その様子だと見れたようだな……では、そなたらのステータスにギフトという項目があるはずだ。そこにあるスキルはこの異世界召喚魔術でこちらの世界に渡ってきた際に聖山にあらせられる神よりの贈り物である」
ほーらビンゴだよふざけんな。
王様からしたら理不尽な怒りだが。何かよくわからないうちに勝手にこの世界に喚びやがって、おかげで俺はこんな呪いを受けてしまったではないか。
さて、本題に移ろう。
いい加減俺の愚痴と先延ばしを聞くのも飽きてくるだろうしな。
俺という男子高校生はこんなオカルトとはなんの縁もない一般的な生活を送っていたはずであった。
学校へ通って家へ帰る。
フルダイブ型VRゲームを起動して仮想世界で遊ぶ。
夕飯を作りながら姉の世話をして明日の弁当の中身を考える。
イマドキの生活……より少し外れているとは思うが現代っ子である。
決して神代に生きちゃいない。ココ大事である、テストには出ない。テストに出ないならやっぱり大して大切な内容じゃないかもしれないので忘れてよろしい。
まあなんやかんやと日常を送っていたある日、というか今日のこと、学校に登校してそりゃもういつも通り自分の存在感消す遊びしていた俺であったがふと授業中に気づいた。俺だけじゃなくてほとんどが気づいていたか。
足元に青い魔法陣が輝いていたのだ。中心は右回りに、外周は左回りにと二次元的な魔法陣のくせにカタカタ駆動音を出して回っており、カラクリや歯車を想起させられたのはよく覚えている。
唖然として騒ぐ気力も起きなかった。
そりゃ驚くさ。
思考も硬直するものだ。
ついでに『なんだこれは』とか『何よコレッ』とか叫ぶ段階ではなかったからな。
そのまま、ただ流されるままに肉体が魔法陣という道具によって解けていくような錯覚のまま気付けばクラスメイトとともにココ、つまり石造りの建物中にいた。
何番煎じかもわからないほど使い古されたラノベネタである。
いわゆる異世界召喚というやつだ。もう少し召喚方法に捻りはないのだろうか、ないらしい。
せめてパターンを用意しろといいたくなるがそこら辺はなんかこう、世界を渡る術には魔力量がうんたらとかあるのだろうか。
「さて……そなたらはその、贈り物と仲間達とともに暴虐を働き無辜の民を虐げる魔王を倒して欲しいのだ。
……平和な世界にいたということは知っている、だがこの世も危機に晒されているゆえに手段を選べないのだ……どうか協力して欲しい。このコクマウ大陸が西、『本の国』デア王国国王が武力金銭ともに支援をしよう、伝説では魔王を倒した勇者には神が願いを叶える権利を授けるとも言う……どうか……どうか!」
どうやら本当に王様だったらしい。
正解の俺には景品は無いのだろうか。例えば神が願いを叶える権利の前借りとか。
俺はあまり現実を見たくない人間である。
これは生来の性分などではなくわずか数分ほど前からその主義になった。
俺がステータスを見なかった理由でもある。
しかしそろそろ王が「そなたらのギフト教えてぎぶみー」とか言い出しそうな予感がするためいい加減向き合わなければならない。
本当は気づいているのだ。
視野が幼児のようになっているのが体がちっこくなっているからであると。
聞こえる位置がおかしい気がするのは耳の位置が移動しているからであると。
重心が少し後ろにあるのは既に進化の過程で人から消えたはずのものが戻ってきているからだと……どんな隔世遺伝だよ。
俺はそっとステータスを開いた。
そっ閉じした。
王の御前であるが緊張の欠片もなくため息を吐きたいところだ、それも盛大に。
「そなたらの名とギフトを教えて欲しいのだ。これを終えたら、次はこの者達に宿舎へ案内させよう……そなたから頼む」
すっと迷いなく俺に指が向けられる。
向けられたのはこの中でもっと目立つからだろう。
おそらく外見年齢が最も低く種族すらも違う、もしかしたら一番瞳に光が篭っていないかもしれない。
目立つ要因の集合体だ。
今度こそ俺はため息をついた。
王を見ても俺へ視線を向けるだけで特に気を害した様子はない。
やけに見られている気がするのは周囲のクラスメイト達がこいつは誰だと気になって見てきているのだろう。
ああ嫌だ。
ロールプレイ中に目立つのはロールによっては好きだがなんの仮面も貼り付けていないなか注目されるなど羞恥の極みである。
さっさとこの時間を終わらせてしまいたい。
その一心で口にすることになった。
「俺は浦谷悠羽、ギフトは『猫獣人幼女』です……効果はこの姿に恒久的になること。これ以外の利点はまだわかりません」
……ああ、声まで愛らしいものになってやがるよ畜生め。
やけに安直でそして果てしなくアホらしい嫌がらせのようなギフトの名前を、鈴のように高くなった声色で王に伝えた。
そう、我がステータスに燦然と輝くポップ調のフォントで刻まれた最悪のギフトでありおそらくこれから一生付き合っていかないといけないクソスキルの名を。
◇
自分でいうのもなんだが愛らしい幼女がクソとか汚い言葉を使うのはいかがなものかなと思った。これからは『クソ』ではなく『お汚物』と呼ぼうではないか。
このお汚物ギフトが! 人の体を勝手に作りかえるなど恥を知りなさい!! わたくしドタマにきましてよ!?
このお汚物クソスキルの何が嫌って、仮に帰れたとして家に残してきた姉さんにどう説明すればいいんだよというお話である。まあ、ここから先の人生、いや猫獣人生の風呂とか厠とかどうしろというのか。
本当に神がギフトを配ったというのなら配慮くらいして欲しいものだ。
それともギフトを配っているのは愉悦を求めた悪魔なのかもしれない。
強制的に語尾をにゃあにされなかっただけマシなのだろうか。
『勇者の器』だの『ワープゲート』だの『追尾精霊』だのとまあ色とりどりのお役立ちギフトをみんながみんな得ていく中で俺だけ反応しずらい微妙ちゃんである。
僅かに残った希望はそう、近年ラノベのような『最弱スキルと思ったら最強スキル~』展開である。たぶんそれがタイトルで、後ろに長めのサブタイトルがつきそうなノリだ。
関係ないけど『最』の字から始まるラノベ多いよね。
そうやって、ぶつくさ文句と愚痴と呪詛を吐き続けるこの場は宿舎の食堂だ。あの石造りの建物ではなく別の石造りの建物である。
用意された席に座って目の前の豪勢な食事を食べているところだ。ふええ……こんなにいっぱいはいらないよ……と言って幸せ顔でお腹をさすりたくなるほど沢山料理が出てきている。お腹パンパンである。ボテ腹ロリとは言わせんぞ。
……美味いけど量が多い。
クラスメイトたちはどうしてこうもバクバクと食べることが出来るのかと思ったがよく良く考えれば俺は現在幼女だ。そりゃ胃も小さくなっているわけだ。早速デメリット発生だ。
周りのクラスメイト達は、王様が明日家臣が詳細な説明とかを話すとか何とか言っていたことに関しての話題で持ち切りだ。
俺としてはそれに関してはなんともなあという感じだ。
特にあの王の行動内容がまた怪しい。
王家の教育ゆえなのか天然なのかしらんが困惑してる中あんなにわかりやすい内容を簡潔にスラスラ言われたらそりゃ頭に入ってくるってもんだ、先人が磨いてきた暗示の一種だぞ。
天然なら天然で相当王とかそういう演説をする人間の素質あると思う。
疑いすぎといわれてもこの体にした原因で、この世界に強制召喚させた元凶なのだから視線も厳しくなるさ。姉や数少ない友人が心配でたまらんというのにそうした相手を疑わないほど善人ではない。
あいつがタイミングよく召喚なぞしなければ召喚の指定先が俺のクラスから一個ズレていれば今頃は物臭な姉のために料理を作っていた頃だろうに。あのだらしない姉は一人になってしっかり生活できるのだろうか、俺が行方不明ということがわかったらギャン泣きするだろうな、というか多分いま泣いていると弟センサーが告げている。
あれが大泣きするのは何度目か、両親が事故って亡くなった時とあの事件のとき、そして今回の三回か、是非とも強く生きていて欲しいがすごく心配である。
こんな出来事に巻き込まれてまだ夢見心地で心配などしていない様子のクラスメイトはガヤガヤと話しつつたまにこちらをチラッと見てくる。
そういえば都合よく自習の時間で先生が席を立ったところだったか、高校生ほどの子供しか見られない。俺を合わせれば小学生ほどの子供が一人混ざっていることになるが。
突然ちょんちょん、と肩をつつかれた。
なにかと思ってそちらを見ると黒髪が見えた。女の子だ。わざわざこの席まで歩いてきたようす。
あの短い髪型はなんというのだったか、ボブカットとでもいうのだったか。詳しいことは知らんがロングヘアーとは言えないことは確かである。
名前はなんだったか思い出せないなか、先に向こうが話しかけてきた。
「君の名前は浦谷悠羽で本当にあってるのか?」
「そう……ですけど」
「ふうん……ねえ、その猫のしっぽと耳は本物かな? 特にそのしっぽについてなんだけどさ」
ああ、そうだ……この少し男っぽい喋り口調のこの人は熊宮幸といったはずだ。先程のギフト紹介では『武の愛し子』なんてとんでもなさそうな代物だったのは覚えている。
神様仏様、熊宮さんがこんな強そうなギフトを貰っておいて俺は身長が縮んで性別が変わり種族が人じゃなくなるバフと呼んでいいのか微妙すぎる変わり種であるのは不公平ではないだろうか。俺は生まれてこの方初詣を欠かしたことないんだぞ八百万の神々よ。
「浦谷はその体になってから歩きにくくないか? こう……後ろに倒れそうになったりとか立ってるだけでふらついたりとか……」
「……? いや、特にないですけど」
「そうか、そうなのか。いや、しっぽで重心が崩れているのではないかと気になってね、どう? いわれて自覚してみてなにか気づいたりしたか?」
「そういうことなら……まあ慣れてますから」
「……慣れてる? それってどういう……」
いきなりほぼ初対面でとんでもないこと話し出す人だなという印象を俺に植え付けた熊宮さんが続けようとするが、彼女が話したことをきっかけとしたのか陽キャ特有の話割り込みが挟まってきた。
申し訳ないから後で個別に話すか。それよりも知人としか言い表せない程度の浅い関係のクラスメイトから迫る質問を捌くのに全神経を使わせてくれ。
心からそう願った。
なになに?
俺が本当に浦谷悠羽なのかって? そうですよ、浦谷ですよ。
ふむ、これから私たちどうすればいいのか? 知らないです自分で決めてください。
お前は本当に浦谷なのか? さっきの人の質問聞いてたかこいつ。それとも俺が『浦谷悠羽』という人物であるかというのに疑問を持つならスワンプマン問題でも考えてみてくださいな。ちょっと違う気がしなくもないけど……。
悠羽ちゃん可愛いね、せっかく女の子になったんだし今夜どうだい? お断りでございます。せっかく女の子になったんだしってなんだよなんの記念だよ今どきヤングこわ、守備範囲がロリまで及んでいるのか。というか異世界召喚されて初日にそれって肝が座ってんなこいつ。
浦谷さんの髪長くて綺麗だからいじくってみていいか? まあ、後で時間があるならポニテとか結ったりして遊んでもいいですけど。
俺が本当に浦谷悠羽なのかって? またこの質問か、これ俺が気づいてないだけで時間ループしてたりする? ちょっと怖くなってきたのだけど。
と、そんな感じで数々の質問を捌いていた。
だいぶ捌いていたはずだが未だ無数に立ち塞がる質問軍団である。クラスの超目立たない子から一躍人気者にジョブチェンジだ。世界一嫌な転職かもしれない。
俺の男の象徴というべき下半身にある悠羽の悠羽くんの消失のショックを悲しむ暇もなく、ペラペラペラペラと普段あまり使わない口を回していると喉が渇くものだ。そうして水を飲む、また話す、乾く、飲むと繰り返しているとだんだんとしたくなってきてしまったのだ。
本来はそう早くしたくなるものではないがきっと気分的な問題なのだろう。
なにをしたいって……?
アレだよ。
女の子はお上品になんというのだったか?
ああそうだ、お花摘みに行きたくなってしまいましたわ。
ただこれを多くの人の前で言うのは恥ずかしいものだ。というか面と向き合って話しているどころか、複数人と自分中心に話している状態である。この場で便所に行きたいなど躊躇いなく言える人間がそういるものか。少なくとも俺は無理である。ゲーム中とかなら『平気で言える人間』の仮面貼っつけて演技で自分誤魔化して恥を凌ぐものだがこの空気感だとどうもやりにくい。そもそも自分を誤魔化したところであとから恥が一気に押し寄せるだけだ。羞恥心の過剰摂取で致死量到達しておそらくポックリ逝く、それも便所で。これほど無念のある死に方がそうあるものか、異世界で化けて出てきたくないぞ俺は。
それを乗り越えたとしても第二の難関、性転換ものあるある『女の子のトイレはどうするの問題』が発生することになる。
言っちゃ悪いがこの国はまだ技術力が低いと思われる。
紙の安定供給などない中で何で股を拭けというのだ。地球の現代で性転換した人間より難易度が上昇しているのである。
……これが文明に頼りすぎた弊害か。
妙な絶望に包まれながらも虚ろな瞳で当たり障りのない返答をしていた。漏らす事態になる前に、早くなぞ質問会閉会しておくれとさっきは文句を垂れた神に祈りながら。
すると突然後ろから両脇を掴まれたと思うとそのまま持ち上げられたのだ。
「なに……!? 何事?」
じたばた暴れると机の上のものを零しかねないので大した抵抗もできず、気づけば俺の席のすぐそこの床に立たされていた。
何が起きたというのだ。
というか持ち上げられるときに腹抱えられなくてよかった。膀胱刺激されてまずいことになっていたかもしれん。
持ち上げられて移動させられたのだろうけど、それはそれでこれだから幼女の体は……ギフト許すマジと自分の中の話題は結局そこに戻ってくる。
「……ついてきて」
いきなりポソッと囁かれた俺は、もう俺に視線を向けることすらなくなった浦谷悠羽持ち上げられ事件の犯人と思われる茶髪ロングの女性を見た。
そして食堂の席に着くみんなを見た。
キョロキョロと二、三回茶髪ロングさんとクラスメイトを見回す。
こういう時はどうすればいいのか。
どうしろというのだろうか。
頭抱えて悩み貫きたくもあるが、選択肢の選択可能時間が限りなく短いのがこの現実というゲームの特徴であり欠点だ。
ポーズボタンなどあるはずもなく、それが出来るのは時間停止の力を持った強キャラだけであると気づいてしまったのでとりあえず茶髪ロングさんについて行くことにした。
◇
茶髪ロングさんこと初瀬彩奈さんは綺麗で透き通るような薄茶色の髪をしている。入学当初はその髪を見て少しその髪質に憧れたものである。それから一ヶ月ほどVRゲームのキャラメイクで自キャラの髪質を彼女に似せることが出来ないか試し続けたが途中で心が折れた。
それほど印象に残る綺麗な髪質なのだ。
本来の肉体が天パであった俺とは大違いのストレートであるし羨ましいものである。寝癖が絡まってブラシすら通らないなんてことにならなさそうな髪をしている。
だが、今の俺の髪もきっと負けちゃいない。
今すぐ捨てて戻ってしまいたいこの肉体の数少ないお気に入りが髪質である。
初めて触れた際は我が肉体ながらも感動したものだ。今までは少し手ぐしのように指をかけるとすぐ引っかかって痛い思いをしたというのに、この肉体になってからは腰までとどく黒く長い髪が根元から穂先まで抵抗なく指を通すのだ。
驚愕の一言に尽きる。
そのうえなんとこの髪はサラサラでもあるのだ。是非ともこの肉体を捨てて元に戻る時は髪だけは土産に持って帰りたいものだ。
この髪質を守るためには苦労することも辞さない構えである。
願わくば我が髪に幸あらんことを。
御髪を崇め奉る奇妙な新興宗教を設立したところで件の茶髪ロングの初瀬さんから声がかかった。
「ここにトイレがある。行きたそうにしてたから……」
「……」
「……間違ってた? それなら、ごめん」
「ああいや、確かにトイレに行きたかったので……ありがとうございます」
はて、初瀬さんは心を読むギフトでも貰ったのだろうか。
印象的なギフトは覚えたが、初瀬さんのものは忘れてしまった。そもそもあの場ですべて暗記できるような人はそう居ないだろう。王も後ろで筆記役みたいなのを控えさせていたしな。
……ただ、もし本当に心が読める力であるのならここまで考えた時点で受け答えしてくれる可能性もあっただろう。というか髪質の話題は結構恥ずかしい。
それがなかったということは読めるのは断片的なのかそれとも力を制御しきれていないのか隠す気であるのか。
いかんな、つい考察してしまうのは悪い癖だ。
せっかく初瀬さんがトイレに案内してくれたのだ。トイレを使わせてもらうとしよう。
並んだ個室の一つに入った。
「へぇ……中世ヨーロッパな世界観だけど桶で用を足して窓から捨てるわけじゃないんだ……」
「だね、どちらかというと汲み取り式便所に近い。肥料に使うのかな」
「みゃっ……!?」
「……どうしたの?」
どうしたもこうもあったものではない。
背後から突如聞こえた声に反応して後ろを向くとなんと初瀬さんがいるではないか。
狭い個室であるとかそういうのを除いても大問題である。
戸は閉めたはずなのだが。
「なっなななんで初瀬さんついてきてるのですか!?」
「ちゃんとできるのかなって心配になって」
「できます! できますから見ないでください!」
「顔赤い、怒ってるの?」
「お前は鈍感系主人公かっ!?」
ビシィッとツッコミを決めつつそのままグイグイ個室から押し出しして戸を閉めた。
「むぅ、そうなったばかりだから、できないかもって思ったんだけど」
「そういう問題ではなく! 羞恥心と矜恃の問題でして!」
「そう……」
扉の外からあからさまに落ち込んだ声を出されるとこっちまで罪悪感で苛まれそうだ。
早くすまして謝った方がいいだろうか。
そんなふうに考えた俺の目の前に難関が現れた。
女の子ってどうやってトイレすればいいの?
そう、羞恥心の問題で初瀬さんを追い返してしまったが、彼女の言う通りなのである。
どうすればいいというものなのか。こちとら地球においてカノジョとやらは生まれてから一人もいなかった女の子初心者である。あ、いや、フルダイブVRで女の子アバターというものは男アバターどちらも同じほど使っていたりするがまあ便所とかそういう下のことに関係するものはだいたいR指定でこの歳じゃ手に入らな……くはないが模範的学生である俺は買ってないですホントです。
◇
「で、どうなったの?」
「そういえば初瀬さん、どうしてトイレの場所を知っていたんですか?」
「トイレからすすり泣きみたいな声が聞こえたけど本当に大丈夫だったの?」
「男にも汚い、されど守りたい尊厳というものがありましてね。出来ればその話を蒸し返さないでいただくと大変喜ばしいのですが……」
「でも悠羽は今、女の子。無邪気にパジャマパーティーを楽しんでいても不思議じゃないお年頃」
「いやじゃ、いやじゃっ! 現実など見とうないっ!!」
「……? 逃避……防衛機制ってやつだね、否定はしないしやめさせもしないよ。安心して私に大丈夫だったか教えて」
「何も理解をしていなかった!? クール口調キャラかと思ったらポンコツ難聴主人公とは気づかなんだ……」
新たに増えた黒歴史を的確に刺激してくる初瀬さんを避けつつも食堂へ戻っていた。
ここは宿舎であるため、食堂から便所へ向かう際とその逆の場合、誰かの部屋の前、いや今はまだ誰もいないであろう誰かの部屋になる部屋の前を通ることになる。ずっとこの国に警戒している心配性な自分であるが、それに勝ってどんな内装の部屋なのだろうとドキドキしていたりする。
楽しみなものは楽しみなのだ。
新作のゲームのパッケージを開けている感覚に近い。
ちなみに、フルダイブVRなんて技術が開発された世の中ではあったが、全部が全部ダウンロード式になどなったわけではない。ゲームパッケージを残したい人間というのはやはりいるもので、案外廃れずに残った文化である。
まあ、良ゲーバカゲー問わず棚に揃っていく風景を見るのはなかなか壮観だったりする。ただ神ゲーとクソゲーを別枠として棚に収めたくなるのは俺だけの習性だろうか。まあ、時代を遡ってひたすらそこにある手段で火をつけるはずがサーベルタイガーとステゴロすることになるゲームとか、よくテクスチャだけで判定がない落とし穴に落ちて奈落に落下していく中テクスチャが連鎖して視界が染まっていく脳をバグらせるゲームだとかをほかのゲームと同じ段に並べるのは少し無理がある。脳の構造ぶっ壊れるであれ、心を守るためにか一緒にプレイしていたフレンドが次々意識を失って情報をシャットダウンしていく光景にはさすがに焦ったものだ。そりゃ発禁なるわ……。
そうこうしているうちに食堂に戻ってくるとお開きの流れになっていた。
まあ話題の中心がトイレに行っていて豪華な料理もなくなったらそういう流れになるわなっていうわけだ。
こういう時、自分が離席したからみんな萎えて会話が終わっちゃったのではとか自分が中心にいたと思うなんておこがましいとか考えてしまう小心者系男子……女の子浦谷悠羽ちゃんはしょんぼりオーラを醸した方がいいだろうか。
兵士の方なのか異世界人へのもてなし担当の人なのかは知らないが、燕尾服着た老人が背筋伸ばして部屋へと案内してくれることになる。
なんと二人部屋なのだとか、一人部屋をご用意できずに申し訳ないと謝っておられた。他の人はそこまで気にすることではないのだろう、『問題ありませんよ』とか『大丈夫ですよ』とか逆に謝ってる人間がいるのだが俺ばかりは影響をもろに受けることになるのだ。
わからない人のために問題だ。
俺は今、肉体は女の子である、しかし心は思春期真っ盛りの男の子なのだ。
もし、肉体が女の子であるからと女子と同室になってみろ、どうなると思う?
答えは思春期真っ盛りの俺の心が砕け散る。
では、心が男の子であるからと男子と同室になってみろ、どうなると思う?
正解は思春期真っ盛りの男と女子として同じ部屋で寝るとか嫌な予感しかしないわ。幼女に手を出す馬鹿がそう居ないとは限らないものだ。
さて、ことの深刻さがおわかりいただけただろうか。
さらに言うとこのクラスに俺が信用している人間はいない。なぜなら入学当初からほとんど関わっていないからだ。ボッチくんである。
じゃあゲームは誰とやってたかってネッ友とだ。
決してネット弁慶というわけではない、もしネット弁慶なら先程初瀬さんにツッコミなどできないだろう。
ただ会話を避けていた。
それだけである。
……見栄じゃないぞ、ホントだゾ? 会話はできるからな?
まさかここに来て誰とも関わらなかったツケが回ることになるとは思いもよらなかったわけではあるが。
人生有数の大ピンチだ。
借りる先人の知恵など存在しやしないこの状況は果たしていかに解決するべきだというのかこの状況を乗り越えたであろう未来の私よ。
そんな時に後ろから肩に手を乗せられた。
誰だろうと見てみると初瀬さんだった。
「悠羽」
「どうしました?」
「一緒の部屋になろうか」
「え?」
「ね?」
「…………え?」
パチパチと瞬きをして初瀬さんの顔と廊下に並ぶ部屋の扉を交互に見た俺は、その言葉の意味を理解しきるのに数十秒かかったのだった。