~第壱幕~ 拾肆.授業開始
初めての授業は医学だった。軍医である担当教官の関口正蔵は声を荒げる。
「ここで習う医学はなぁ、『生きる』医学だけじゃない。『殺す』医学も含んでいる。どうすれば人を救えるのか、それを知るということは、どうすれば殺せるのか、ということにつながる。ちがうか?生と死は、ある意味同じだ」
確かに、関口の言っていることはまちがいではないだろう。医学は生にも死にもつながるのだ。
だけど……『普通』の医者は人を救うためにいるじゃないか。
シュウは心の中で考える。
原田は大丈夫か?
実家が病院であるという彼が気になった。助手として教室内にいる四人の軍人たちに見つからないようにして、シュウは一列目に座る原田の背をちらりと見る。どことなく、震えているようだった。
辛そうだな。
視線を関口に戻し、シュウは心の中で彼に問いかけた。
アンタも『医者』なんだろ?
だったら……『殺す』んじゃなくて、人を『救う』べきなんじゃないのか?
何のために、アンタは医学の道を選んだんだよ。
もちろん、応えが返ってくることはない。
『生きる』ことよりも『殺す』ことが重要……それが『戦争』なんだ。
だとしても……。
昨日の西本たちの言葉を思い出す。
誰もが『生きたい』『死なせたくない』と想っているのに、苦しいな。
*
二限目は体術のため、生徒たちはあらかじめ用意しておいた訓練服を持って、そのまま教室を出ると、武道場の隣にある更衣室を目指した。西本たちに一緒に行こうと誘われたが、当然のごとくシュウは『女』であることを隠すため、共に着替えることはできない。適当にウソを述べて、シュウはトイレで着替えることにした。やはり、原田は元気がなさそうで、それが少し気になった。
*
始業のベルが鳴ると、ついに戦術の授業が始まった。生徒たちは、班別で縦に並んで座っていた。生きるためでなく、殺すために学ぶ……と、体術の橋本忍教官も言い放ち、さらに言葉を続ける。
「体術を身につけること、つまり体を鍛えることは戦術において最も重要であり、基本中の基本だ。柔道・空手・ボクシングなどさまざまな武術があるが、戦場ではどの型を使うのか?それは愚問である。戦場では型など存在しないからな。大会なんかじゃないんだ。殺るか、殺られるか。甘い考えは捨てろ。俺がこの三年間で教えることは、そういう体術なんだ。それを、頭にたたき込んでおけ。いいか、一瞬たりとも気を抜くな。気を抜き、敵に対して情けをかけた時こそが、お前たちの死ぬ時だ」
ピリリ、と生徒たちを取り巻く空気が緊張を帯びていた。一限目の医学の時も静かだったが、それとはまたちがう静けさだった。
「『習うより慣れろ』だ」
そう言うと橋本は、近くにいた軍人から受け取ったファイルのページを、ペラペラとめくる。そして、あるページで止めた。
「東慎次……立て」
名前を呼ばれた少年はおどおどし、まごつきながらも指示通り立ち上がった。体ががっしりとしていて、大きい。
「柔道が得意だそうだな。全国大会にも出場経験あり……合っているか?」
「は、はい」
東はどもりながら応えた。そんな彼を橋本は横目でちらりと見ると、ファイルを閉じる。
「その実力がどんなものか、試してやろう」
東を鋭い眼差しで見つめながら、スッと橋本は構えた。だが、東は混乱しているようで、なかなか動き出すことができない。
「何をぼーっと立っている!!早く構えろ!!」
怒声に生徒たちは怯えた。恐怖のなかで、東は震えつつも構えのために体勢を整える。
「行くぞ」
「ひっ」
ダンッ!!
一瞬だった。東は橋本に胸ぐらをつかまれると、一気に畳にたたき落とされた。何をされたのか全くわからないとでもいうように、東は寝ころんだまま動けないでいた。体も頭も、すべて状況についていけないのだ。
「お前、本当に強いのか?」
橋本は畳の上の東を見下ろして、呆れたように吐き捨てる。
「起きろ。もう一度だけ、チャンスをやる」
立たなきゃ、ダメだ。
東は自分の心に言い聞かした。
怖いけど、俺は合戦で生き残るために強く……。
三歳からやってきた俺の柔道の実力は、こんなもんじゃないだろ?
息を吸って、吐く。冷静を取り戻した頭で、東は今度こそ慎重に構えた。
「行きます」
そう宣言し、東は橋本へと踏み出していく。胸ぐらをつかみ、足ばらいをかけようとするが、橋本はびくともしない。それどころか、東の攻撃を受け流し、逆に東の力を上手く利用して、彼を再び投げ飛ばした。東はまたもや、畳へとたたき落とされる。そして、橋本は仰向けになっている東の腹を踏みつぶそうと足を上げた。
ヤバイ!!
衝撃がくることがわかっていたが、東は恐怖で体が固まり動けない。生徒たちも息を飲む。
ダァァァン!!
足は、東の腹部ではなく畳に振り下ろされていた。
これ、柔道?
シュウ以外の全員が思った。それを感じてか、橋本は言い放つ。
「言ったはずだ。型などは存在しないと。殺るか、殺られるかだ」
動けないままでいる東を見て、さらに言う。
「今、ここが戦場なら……東、お前はもう死んでいるぞ」
『死ぬ』……。
その言葉が、ズシリと胸にのしかかる。その後も、男女関係なく橋本に呼ばれた者は投げ飛ばされていく。そして、ついに……シュウの番となった。
「金子シュウ」
「はい」
冷静に応対するシュウを、橋本はジロリと見た。
「男か女か、よくわからん顔をしているな」
「お手合わせ、お願いします」
そんな言葉を受けても、さらりと返すシュウに、橋本はイラついた。チッと舌打ちをすると、シュウへと自ら近づいていく。互いの攻撃範囲内に入った時、シュウも動き出した。橋本はリーチの長さを活かした拳や足を使って打ち込んでいく。しかし、シュウは紙一重でそれらをかわし、だんだんと橋本の懐へと近づく。
「くっ」
しまった!!
橋本が気づいた時には、もう遅かった。彼はシュウからの掌底打ちを顎に受け、後ろにのけぞる。続いて向けられた攻撃を避けようとするが、バランスを崩してしまい、そのままバタンとしりもちをついた。道場内が静まり返っていた。生徒も、軍人たちも……。橋本は立ち上がり、立ち続けるシュウに向かって言う。
「もういい。列に戻れ」
「はい」
シュウは何事もなかったように戻って行く。
ジリリリリ。
ベルが鳴った。
「今日は、ここまでだ。次からは、話抜きの実践だ。各自、心づもりをしておくように。以上」
何とも言えぬ雰囲気のまま授業は終わり、教官たちは去って行った。
生徒たちも歩き出す。
『金子シュウは何者だ?』
その思いを胸に抱きながら……。
●脇田 祥兵●
身長165㎝(入学時)。弟と妹が一人ずついる。身軽で非力そうだが、それなりに筋肉はある。髪型はベリーショート&明るい茶色(地毛)。田村とは小学生の時からの幼なじみ。サッカークラブに小学校卒業まで在籍。その後、ヒップホップダンスに熱中している。よくはしゃいでカワイイ性格。大雑把。血液型はB。