収容
古今東西、軍隊という生き物は旗を重視し、特に国旗は極端と言って良いほどに重く扱われる。旗は部隊団結の核心であり、更に国旗ともなると、軍隊そのものの存在を正当化するもの――つまり国家を象徴するものであって、即ち君主そのものと同等の権威と威光を有すると考えられるからだ。
国家市民軍病院。単に軍病院と呼ばれるここでも、それは同じである。
「気をつけ」ラッパが鳴り、整頓された列が一斉に「半ば右向け右」をして国旗に正対する。
我らは守らん
大地と家を
一つの旗へと
我らは集う
万民の力は
総てを越えん
平和の光よ 導き給へ
恵みへと 恵みへと
「直れーっ!」
日朝点呼と朝食に引き続いて、0810に国歌が演奏され、1715に至るまでの9時間5分の間が『課業』時間として国旗が掲揚される。尤も、ここは軍が軍のためにやっている『病院』であるから、「気をつけ」ラッパと「国歌」の後に「休め」が流れるまでの間、直立不動の姿勢で国旗掲揚台に正対しなければならないという規律は(様々な理由によって)随分と無視されがちではあったが、それでも軍隊の中にある施設である以上、当直幹部の命令に従って時間になれば「気をつけ」ラッパが吹奏され、国歌が放送され、そして「休め」ラッパが吹奏される。
だが、今日はいつもとは違って殆どの人員が規則正しく、『執銃時の教練』を以て直立不動の姿勢で国旗掲揚台に正対したし、更に玄関前に集められた人員は小銃を帯びていたから、「国家市民軍の礼式に関する訓令」に従って『着剣捧げ銃』をした。
そして、ラッパは「休め」を号令したが、指揮官は単に「立て銃」と整頓とを命じた。
暫くして、低いエンジン音を正面玄関前ロータリーに響かせ、前照灯を上向きに点灯させたまま車両が停車した。
「捧げ――」
明瞭に長く、予令が唱えられる。
「銃!」
短節に強く発せられた号令を受け、右手で勢いよく地面からヘソ程の高さまで引き上げられた小銃と、内部に仕組まれた自動機構が左手による制動に伴って揺れ、チャ、チャ、と音が鳴る。それらは一斉に奏でられたから、ジャッ、ジャッ、という渾然一体とした音として認知された。
「はい、ご苦労さん」
元帥は一瞥し、さっ、と右手を正帽の庇に添えてすぐに降ろした。
彼はシワ一つ無く、よくアイロン線が立った常装を帯び、磨き込まれた短靴で以て、ゴミ一つ、土粒一つ無いように清掃され、丁寧に磨かれた床面をさっさと踏みしめる。
列員はホッとしたが、元帥が以前よりも痩せ、それでいて冷酷と表現できるような眼差しを、ただ廊下の先に向けていることに気付いた者も居た。
だが、それは彼にとっては『どうでもいい』ことであったから、お疲れなんだろうぐらいにしか思わなかったし、元帥がココに来た理由も、この間とっ捕まえた海賊についての報告を徴収する為だろう。程度にしか思われなかった。
****
コー、キー、シュー、コー、キー、シュー。
機械制御式の人工呼吸器が奏でる、規則的な冷たい音が扉を開けると共に漏れ出している。
「閣下、どうぞ」
部屋に入る。後ろで扉を閉める音が鳴る。
コー、キー、シュー、コー、キー、シュー。
「サシャ」
一声目は、掠れて出た。
お兄ぃはな、必死に頑張ったんだ。
「サシャ」
あんなこと許してはならないと。
「サシャ」
誰も、あんな目に遭うべきでは無いと。
この世界に、平和と平等の恵みを満たすために。国まで作ったんだ。
「サシャ」
――全ての万民は、生まれながらにして平等であって、自由と幸福とを追求することができ、かつ、ひとしく恐怖と欠乏から免がれ、平和のうちに生存する自然の権利を有すること。
これを正しいことと信じて、誰もが胸を張って歩けるように。
「サシャ」
お前は、恐怖と欠乏から免がれていたか?
「サシャ」
――我らは、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努める。
お兄ぃはな。お兄ぃはな。
こんな大それた、素晴らしいことを高らかに宣言できるような、そういう国を作ったんだ。
平和ってわかるか? 専制ってわかるか? 隷従ってわかるか? 圧迫ってわかるか? 偏狭ってわかるか?
手を握る。冷たい。だが、確かに脈動している。
「なぁ」
――我らは、全世界の万民に対して、この宣言で確認した自然の権利を保障すべく立ち上がる。
「起きてくれよ」
――我らは、技術を発展させ、地面を耕し、国家の名誉にかけ、この崇高な理想と目的とを達成する。
その結果がコレか。
人工呼吸器を繋がれ、目は開いてしまうのでガーゼ越しに閉じられ、ただ、機械音と私の嗚咽だけが部屋の中に響くというのが、『技術を発展』させ『崇高な理想と目的』とを達成すべく邁進した結果なのか。
独立宣言と人権宣言、旧憲法前文のキメラ。
コレは毒劇物だ。そういう認識はあった。私は何故、取扱い切れると確信したのだ?
精々がご祝儀昇進で准将止まりの、一介の軍官僚に。
硬膜内ナノマシンがあれば。
低酸素脳症によって破壊された神経系を修復して、彼女は目を覚ますかもしれない。
あるいは、視床下部外挿基盤があれば。
意思疎通は図れるかもしれない。
だが、それは何れも2世紀後の技術だ。我々の、孫の技術だ。
今の我々は、あまりにも無力で、それでいて人体については修復・補助よりも破壊の方に有能である。
正確に言えば、破壊の山の上に我々の『正義』というものは立っていて、その麓には当然ながらその犠牲が積み重なっている。
それは認識していたでは無いか、自分の親族が――血をつながっているというだけで、こんなにも感傷的になる必要は無いではないか。でも、
どれほど、妹は苦労を積み重ねて生きてきたのか。私と同い年のサシャの方が若く見える。
「この後、お前の娘に会うんだ。姪は何が好きなのかな。キャラメルは喜ぶかな」
そっと、頬を撫でる。
温かい。
「なぁ、サシャ、お前、おばさんになるんだぜ」
もうすぐ、私はこの世界でも父親になる。
「俺、親になって良いのかな」
****
「君は……サラちゃんだね?」
「はい。おじさんは、誰ですか?」
彼女の面影は、あまりにも当時の妹に似ていたから、思わず、足がすくみそうになった。
幸い、当初失明に近い視力低下を起こしていた眼症状は徐々に軽快したそうで、だいぶ回復したんですよ。と聞いてはいた。
「この国の――君達に責任を持っているおじさんさ。どうかな、元気になれそうかな」
「わかりません。でも、ここの人たちは、皆優しくていい人達です」
「君は立派だな。しっかりしている」
「お父さんと、お母さんが、教えてくれました」
その時、彼女は少し寂しそうな顔をして、それから瞬きをした。
そうか。サシャと違うのは、歳にしてはしっかりし過ぎな程、振る舞いが大人ぶっているからか。
「お母さん達は何をしていたの?」
「宿をやっています」
しまった。と思った。足が震えて、身体が「お前『やった』な」という事実を突き付ける。
「そうか、お手伝いとかしてるのかな」
「はい、沢山、褒めてくれるから」
サラからは、早く両親を手伝わなきゃいけない。だから、早く元気にならなければならない。そんな風な意志が発せられ、君の愛する両親と宿は、私が滅茶苦茶にしたという、本来ならば懺悔しなければいけない事実との間で、心がひしゃげそうになる。
「じゃあ、そんな良い子におじさんからプレゼントだ」
リアムは、今回化学被害を受けた難民一人一人を巡っていて、子どもと大人とに分けてポケットマネーからプレゼントを贈っていた。
それは、11iRCTが平野内に持ち込んだ難民が、相当な政治的論争――具体的には、国家資源投入の是非――の的となっていたことを知っていたからだったし、なにより、『自己満足』に国費を費やすわけにはいかないという、逃避的な行動でもあった。
無論、それはリアムが計画した火力組織のように上手く効果を発揮することは無いのだが。




