船乗り
「ドーベックの武装艦!? 嘘だろ!」
この世界の常識に於いて、海上はある意味隔離された別世界である。
魔法は確かに飛翔と革新と進歩とを齎したが、それは生産や戦闘、そして物理的移動に限り、ほとんど光速に近い速度で通信をするということ、そしてそれが巨万の富と多大な利便を産み、戦闘に於いて生じる様々な困難を除く一助になる――理解はされていたが、実現はされていなかった――という状況下、船は一度出港すれば通信手段を喪って海上に孤立し、ただ、旗りゅう信号といった見通し線内通信のみが其々の衝突を防止するという状況におかれる。
勿論、ワイバーンで通信を中継するとか、狼煙を上げるとか、そういった工夫はされていたが、彼らが知る限りに於いて、彼らが今さっき拿捕した商船はそういうことをしていなかった。
だから、悪運を嘆いて尻尾を撒くしか無かったのだ。
拿捕される訳にはいかない。
内務卿の命令下、(商人らとの約束を反故にして)通商破壊に踏み切った帝国内務職員らは、暫くの後仰天した。
海面の衝撃は水しぶきを上げて船体を強く揺さぶり、頭上を飛び越えて威圧的な風切り音を奏でるソレは、魔力こそ感知できなかったが間違いなく『暴力』であった。
あいつら、こっちを沈める気だ。
「船長! どうしますか!」
「距離を取れ、舵輪右へ! 左右重石、全部増せ! 手の空いている者は応射しろ!」
ある職員は魔石に圧力を入力するための『重石』を持ち上げているロープを解き、バシン、という音の後に加速感を感じ、手すりにへばり付きながら上甲板へ出て、まず寒さと恐怖とに震えた。
ドーベックは、本質的に商人だ。
魔石は複製不可能で、この世界の海洋船というのは魔石に大いに依存している。
風向きを気にせず、自由な航海を可能にするコレは、その絶対量が限られている。
だから、海上交通の絶対量そのものを殲滅する、つまり船を沈めるような愚行はしない筈だ。
その常識は彼の中で変わらなかったが、『敵船』からは光の粒が飛んできて――ついにバシン! という衝撃と、船体の破片とが撒き散らされて現実を直視せざるを得なくなった。
杖を上甲板上の手すりに委託し、『敵』の後甲板、光粒を吐き出しているソレに向けて魔法を放つ。土手っ腹に命中。火の手が上がる。
彼は、よし、と思うことは出来なかった。
「ネザム」側もまた、上甲板上から小銃弾を放っていて、それが彼の鼻面に命中し横転、ひしゃげた被甲と弾芯とが鼻腔を経由して丁度脳幹付近でタップダンスをし、神経が反射する前に意識と生命とを剥奪したからである。
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「右後甲板火災!」
ジリリリリ、非常ベルが圧されて火災警報が鳴り響き、非常用ディーゼル発電機の回転数が上がるのを耳と足裏とで感じる。
突入要員として乗り組んで何日もしない内に実戦を迎えた。今は前甲板右舷上で射撃戦を繰り広げている。
昨日まで海上はまだ平和だったのに、そんな風に思うこともできないまま、艦が加速するのを感じる。
陸戦とはまた違う、飛沫と上下左右の揺れとはまだ慣れない。『タ』にしてパシ、パシ、と射撃を繰り返すが、派手な光を曳く40mmと違って当たっているかは分からない。
タパパパパ! と、対空銃座に『近接防護用』として据えられた連装機関銃が吐き出す曳光弾は、手数があるだけあって機関砲よりも的確に敵に命中しているように見えた。まるでホースで水を撒くように、それは敵を前後へと薙ぐ。
曇り空がよく銃声を吸うからか、興奮からか、銃声は手頃と表現して良いほどに、別な言葉で言えばショボく感じらる。それを制御していることへの自信すら感じられた。
だが、プー、というブザーは耳をつんざくほどであった。
号令が出る。
艦橋を仰ぎ見ると、白煙を背景として指揮要員が双眼鏡で敵方を覗いていた。
グググ、と右へ回頭した「ネザム」に載せられて、小銃は自然と前方へ向いていく。
この小銃には眼鏡が付いていなかったから、チロチロと蠢く甲板上の敵の詳細までは解明することが出来ないし、解明するつもりも無い。
「立入検査部署、立入検査部署」
強行接舷。正気か。
口で呼吸をしているのを鼻に戻すべく口を閉じると、大太鼓のような大音量で鼓動が頭蓋を叩く。
ぎゅう、と被筒を握り込むと、やや軋む感覚があった。
「突入班撃ち方やめ、配置につけ」
「付け剣」
非常用モーターがプロペラを回したのだろう。左舷、右舷から一番離れた竜骨上に設けられた非常用推進軸が追加され、やや恐怖を感じる程の速度で敵が大きくなる。
ポイ、ポイ、と何かが海中へ投棄されている。それは人体のパーツであって、乱暴に破壊した電気機械が配線を引きずるように、消化器官が重力に従って垂れているのが分かった。
もう眼鏡なんか要らないな。
敵は血に塗れた上甲板上で統率を保って戦闘を継続しており、その敵意はこちらに向けられているのだ。
どういう訳か、頭の中でダン、ダン、ダンダンダンという大太鼓とシンバルの音をベースとした『国家市民軍第一観閲行進曲』が流れ始めた。アレほど面倒に思ったパレードの方が、ずっと良い。良くプレスされ、何よりも乾いているパリッとした常装と、動揺しない地面とが恋しい。
それが恐怖からの逃避だったのか、興奮による脳の活性化だったのかを検討する時間的猶予も、被筒後端を握り込んでいる右手の音頭感覚も、今や無い。手がかじかんで、着剣にすら苦労する。
ただ、難燃戦闘服の内側が汗で湿るむず痒い感覚と、冬の潮風が強調する身体の熱とだけが手に取るように把握できた。
着剣小銃を斜めに背負い、船首に設けられた手すりで身体を保持しつつ班長の命令を待つ。銃を持っていないことへの不安を打ち消すように、パンパン、と弾帯に吊るした拳銃と警棒とを叩く。いつもなら「カチャ」となるそれらは、音では無く太腿に伝達される振動としてしか認識されなかった。
ああ、クソ、沈めちまえば良いのに。
誰がこんな、乗り込むなんて考えやがったんだ!
「よーい、よーい」
敵は、もう目と鼻の先。彼らから注目を浴びているのがよく分かる。
まだ脳内では『国家市民軍第一観閲行進曲』が流れていて、それに合わせるように波が双方に打ち付けては飛沫を打ち上げる。右手を手すりから離し、顔を手袋で拭う。
バゴン! という衝撃があって、ギギギ、と防舷材が軋む音が響く。
接舷した。
「今ぁ!」
命令を受け、自分でもタイミングを見計らい、飛ぶ。
半長靴越しに感じていた船体の硬さと、むず痒い感覚とが無くなり、ヘルメットが浮いて中の蒸れた空気を追い出し、清涼感さえ感じる。
歩調を揃えるための大太鼓が二回彼の脳内で鳴る間、つまり丁度1秒だけ、彼は宙に浮いていた。
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「敵の斬込みに備え!」
一方、帝国内務職員は思ったよりも早い敵が、こちらのよく知る戦法――つまり強行接舷による船舶の拿捕を取ったことそのものには仰天しなかった。
寧ろ、船体を叩き続けていた敵船の火力が向かなくなったことに安堵する者さえ居た。
阿鼻叫喚の中で統率が回復され、喫水線下に開いた穴には適当な下着とか、木栓とかが突っ込まれる。
そして、ある者は杖を側に寄せ、ある者は剣を抜いた。
このような天候で接舷するには、魔法によるサポートが必須である。
それはワイバーンに騎乗する際に魔法が必要であるように、それに似た系統の魔法であって、この距離ならば殆ど確実に妨害することが出来る。そうすれば海中転落だ。
上甲板上に出れば撃たれるのは分かっていたから、彼らは遮蔽を確保しつつその時を待つ。
もう、敵にもエルフが居ることは疑いが無い。
今か今かと、妨害魔法を構えている彼らは、今度は仰天した。
彼らは、ノリだけ見計らって飛び移って来やがったのだ。
「えっ」
と、前甲板に降り立った突入班員を見てそう呟くぐらいの時間的余裕はあったが、次いで前甲板上から行われた射撃――7mm普通弾を自動機構のはたらきによってドンドンと吐き出す小銃による、的確なソレ――によって、瞬く間に再度、船内は阿鼻叫喚の地獄と化した。




