混同
「総理、元帥から呼び出しです」
「ん、」
数時間前、朝日が執務室に差し込んでよく磨かれた机を照らし、それが天井に反射するのをボウ、と見ながら孤独と戦っていたとき、良い知らせがあった。
爵領庁への攻撃に成功。全目標撃破を確認。
素晴らしい。これで直面すべき『敵』は大幅に小さくなる。
手元にあるのは、1コ旅団と1コ師団。
ここから1コ自動車化戦闘団を絞り出して走り回れば、後はどうとでもなる。
そういう風に考えて、COAのどれが良いかというのをフンフンと鼻歌まじりに検討していたら、コレだ。
おかしい、彼には軍事資産の全部に対してどうこうするだけの権限と実力が付与されていて、今回の爵領庁攻撃に際して私にどうこうして欲しいという話は来ない筈だ。
何か悪いことでもあったのか。いや、そうならそもそも通信は出来無い筈だ。
そういった困惑――『霧』に対する本能的恐怖――を「ん」の発声一つに収め、受話器を両手で取る。
獣人の構造上、ヒト用の受話器では『受話』に支障がある。尤も、受話音量を上げて側頭部に受話器を押し付けて聞き取る者も居るが、アンソンはビリビリと声が頭蓋に轟く感覚を好まず、『耳』の方に左手で受話器をやり、送話器を右手に持って口元にやるという方法で交換手の仕事を待った。
「――イム、プライム、こちらマーシャル。送れ」
「マーシャル、マーシャル、こちらプライム。送れ」
官邸の美観を雑多に汚す空中線を通じて、信じられない距離を超えて交話することが出来る。
それは便利と同時に仕事とストレスとを増やしている。
「もしもし、アンソン?」
「そうです。どうされました」
このチャンネルを独占しているからか、通信が確立したと知ると元帥はフランクに交話要領を崩した。
少しの意外さがあったが、アンソンはそれを受け入れ、頼るべき師匠にして市民武力の指揮権者が直面したナンラカに対する答えを待った。
「端的に言う。化学攻撃で大量の民間人被害者が出た。現在PAM打って平野に向け搬送中だ。搬送先手配と軍法88条の2Ⅲ上の秘匿措置手配を願いたい」
なんでそんな面倒くせぇの持ち帰ってくるんですか。
そう言おうと思って「な」まで紡いだ後、自分がとんでもない言葉を吐きそうになっていることに気付いて寒気がした。
殺せば良かったのに、そういうことを言いかけたのだ、自分は。
そこでこの姿勢が頭を抱えるのに都合が良いことに気付き、小銃射撃の如く机に両肘をかけ、もって頭蓋を委託する。
「了解、詳細報告は帰着後落ち着いてからで結構です。着予定何時頃になります?」
「詳細報告は帰着後の旨、了解。GOPへのETAは0130」
「他に何かありますか?」
「隊員らに風呂と飯の準備を」
ああそうか、飯も分け与えたのか。
情景が浮かんで、了解、と呟いてから顎を右手から外して送話器を置き、交換手を呼び出した。殆どは総軍に投げられるが、秘匿措置手配はこっちの仕事だ。
「報告を承認します。ご苦労でした」
目の前にいる元帥は、相当長期間の作戦行動の後であると知っていなければ分からない程に清潔でシワの無い常装――良く立ったプレスラインと磨き込まれた階級章を支える、部屋の灯り全部が映り込む程に輝きを放つ短靴――を着用していて、顎は引かれ、胸は張られ、足は60度に開いている。
彼らが帰着したときにGOPまで赴き、特殊部隊を抜き打ちで慰問したが、他の者は憔悴し、或いはぐったりしていたが、元帥だけはそうでは無かった。
そして、今、ここに居る。今日は金曜日だ。
戦時中だから、中央官庁には三交代制が導入されていつものような金曜日特有――職務からの開放と、休暇が持つ可能性と休養への期待――を孕む半ば楽観的な空気は相当薄まっていたが、それでも十分にその残り香はあった。
その中にあって元帥は、一人地獄から帰ってきたような壮絶を以てそこに存在していた。正確に言えば、彼自身が持ち込んだ外面の素晴らしさとシステマティックと職責分担が、このような振る舞いのみを許したと言って良いが、首相が知る限りの情報に拠れば、それは強靭さと精強さとして解釈されて、その実態から離れて寧ろ尊敬と崇拝を深めた。
彼は移動間にしたためたという完全版の報告書を持参していて、その内容を要約すれば、それは璧であった。
懸念されていた友軍相撃は無く、防護装備はしっかりとその機能を果たし、かつ、その処分・除染も確実に行われ、それでいて撃破すべき目標の全部を撃破している。
だが、それには瑕がある。
まず、攻撃開始後に一騎の離陸をゆるしたこと。
しかし、当初の目標、つまりイェンスに在住していた、次の『イェンス伯爵』になり得る有力者――は、尽く殺害してそのゲロまみれの面を写真に収めており、既に除染を経た後に現像が始まっている。
じゃあ、誰なんだ? というのは今のところ分からない。まぁ、分からなくても良い。大方傭兵翼竜とかだろう。
次に、想定以上の巻き添え被害を出したこと。
言うまでもないが、エルフだろうが騎人だろうが、非戦闘員やら民間人やらは『正当な軍事的目標』とはなり得ない。ただ、『明確にして合理的な直接的・具体的な軍事的利益』の存在によって、『合理化』されるというだけだ。
そんなに巻き添え被害は出ないんじゃ無いか。そんな『希望的観測』は、城壁外の村落にまで被害を及ぼしたことによって打ち消された。
風向きや拡散やらを慎重にシュミレーションした甲斐は無かった。まさか敵が魔法によって風を起こし、サリンを薄めるという方向性で対抗するとは思わなかった。(これはサリンの戦術的有効性が想定より大幅に低い一方で戦略兵器としての有効性は寧ろ高まったことを意味する)
詳細な調査を待つまでも無く、『部隊は戦闘間、健康な民間人と遭遇せず』という報告を見れば、巻き添え被害がどれほどのモノだったか分かる。そして、命令外の『民間人救護』についてもだ。
純軍事的に考えれば、彼ら彼女らは見捨てておくべきだった。
壁内に於いて死体しか見ていなかったからか、特殊部隊員は『ひどく動揺した』らしい。きっとリアム以外はそうだったのだろう。
だが、運の悪いことに、劣等種と支配種とを隔てる壁が、サリンから壁外をある程度隔離した。
国家市民軍が保有しているPAMを大量に投与すれば、恐らくは回復し、或いは生命を維持することが出来るだろう。最近概念実証機ができたばかりの人工呼吸器もある。
「これら全部の秘密指定を要請か……」
考える。
カウンセラーに改めて秘密取扱資格を付与すべきか? とか、治療が終わった民間人の口を封じられるのか? とか、そういうむつかしい課題がパッ、パッ、と浮かんでは消え、畜生、こんなことなら出馬なんかせずに軍人だけやっとけば良かった。自分は三系畑の人間なんだ。という悪態の反芻があって、それから元同僚の顔が浮かんだ。
「もしもし、警察局?」
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「マジで爵領庁にサリン撒いたの!?」
「凱旋パレードでもやるのかな」
「馬鹿、大量破壊兵器は秘密指定よ? いや、でも……」
「爵領庁に撒いたらしいぞ」
「西方に進出するんじゃ無かったの?」
「どうも欺瞞情報だったらしい」
警察記念章が付いている方が随分と呑気な態度で機密情報をペラペラ喋る中、その相棒は黄金色の尻尾を膨らませて嫌悪感を表明していた。
それは昨夜寝床で四つん這いになった彼女とその相棒とが『チャレンジング』な非言語的コミュニケーションを試みたとき、反射によって齎された身体的反応に酷似していたから、彼女の相棒はムク、と身体比でヒトよりも大きいのを起立させかけたのだが、リリリ、という呼び出し音がそれを抑止した。
「はい、ケントリ四室。はい、えぇ!? はぁ、はぁ、了解」
しゅん、とテントが撤収されるよりも早く、ハーフリングは椅子から飛び降りて少々痛い思いをしたが、次いで外套と制帽とを素早く被ったから、普通の者が彼女の位置に居てもそれに気付くことは無かっただろう。だが、彼女は観察のプロであった。
「別に隠さなくて良いのに」
「うるせぇ、軍病院行くぞ」
「序に診てもらったら?」
地獄の実像を公衆から隠すべく、彼らは招集される。
軽口を交わしあった後、一方が一方の膝裏を蹴り、もう一方が尻を蹴飛ばす。
それは確かに暴力の応酬であったが、決して、悪意の応酬では無かった。
彼らはまだ、彼らが仕える国が『総意』でもってした悪意の発露。その実態を知らない。




